魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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足して100歳記念
娘から久しぶりに電話があり、何かと思ったら「お父さんとお母さん、足すと100歳だね」と言った。

突然のことで言葉もなくただ驚くいていると、あるテレビドラマで主人公の二人が「私たち二人足すと100歳よ!」と会話したのを聞いて、両親の年齢を足してみたら100だったので、それが面白くて電話したようだ。

私もそのドラマを見ていたので、たしかそんな場面があったのを思い出しやっと「ホントだー すごいね!!」とようやく納得した。

「足すと100歳になるんだ」
それは何かサプライズのように感じたが、

良く考えると、足して100歳という年齢は、夫婦(恋人でも)いずれやってくる。
二人がどんな年齢であっても、毎年2歳ずつ齢をとることは変わらない。
二人の年齢に2歳づつ足していけばいつかは100にたどり着くのだ。

例え前年が99であったとしても、誕生日が同じ日でない限り、1日以上は100歳の日があることになる。(同じ日でも厳密には100歳の瞬間はあると言うべきか)

こんな簡単なトリックだが「足して100歳」というサプライズは、何か特別な意味合いも含んでいるように思う。

1人ではなかなか100歳にはなれない。そんな年齢だ。

二人でなら100歳を迎えられる。

二人で割ったら50歳という年齢となる。

50歳という年齢を人は格別の感慨をもって迎えるのは難しい。

家庭では子供が社会人となる年頃となり、社会では働き盛りの年齢として、公私にわたって忙しいからだ。

「人生50年」だった近世初頭なら、もう「人生に悔いなし」と悟り、余生をどのように生きるか考えないといけないが、その人生が30年以上もエクステンドされた現代では、50はようやく人生の上り坂を越えたあたりとなってしまう。

そんな現代人に「もう二人で100歳」という実感を与える意味は大きい。
人生を語るために、100歳は条件を満たして余りある年齢だ。

二人で200歳を目指すのは無謀なチャレンジと思うが、100歳という年齢を人生の峠としてとらえ、その先にある山頂までの風景を想像してみる機会としては良いタイミングだと思う。

『足して100歳』記念日を是非ご家庭で!!










馬喰町バンド ライブin郡上八幡

馬喰町バンド ライブin郡上八幡

日本各地のわらべ歌、民謡、踊り念仏、アフロビート、ケルト、世界各地の民謡が"まるで大昔からそうであったかのように"自然に融合する音楽を生みだし、各地で注目されている三人組。

2014年4月25日(金)
開場/Cafe eBANATAw (エバナタウ)
入場料(1drink込み)/ 予約2,000円 当日2,300円 定員25名

時間/19時~
住所/岐阜県郡上八幡島谷769-2
予約・問い合わせ/ inouegabi@docomo.ne.jp 井上

タグ: 馬喰町バンド
無職新年
あけまして おめでとうございます!!

本年もよろしくお願いします。

タイトルどうり、昨年末会社を退職し無職として新年を迎えました(笑)

年末の金曜日には、ハローワークに失業登録も提出してきました。

無職は無色でもあり、フリーカラーです。

今年からは仕事(私事)を改め、社会的な活動に軸足を置いてゆきたいと考えています。(もちろん稼ぎは必要ですが)

私としては今年を大きな転機の年にしたいと思っています。

その切っ掛けは、3.11でしょうか。

このブログにも以前そのことを書きましたが、3年近く過ぎていよいよその想いを強く持っています。

避難・被災者の日常はあの日以降大きく変化し、厳しい現実と対峙する日常を余儀なくされていますが、一方で現実世界のリーダーはアベノミクスだとかオリンピックだとか"日本再生"を声高にうたっています。

この国には現実が2つ存在するかのようです。

世界から見れば、日本の置かれている現状は極めて危機的な状況だと認識されているのに、その国内ではこの現実を"アンダーコントロール"として問題なしと浮かれています。

亡国とはこのような状態を指す言葉ではないかと思います。


新年早々重いテーマを語ってみてもしょうがないし、
まだ始まって2日目なのでこれからの新しい年が開けてゆくことを期待しています。

お年賀にかえて


ともし火が消える前に、
1930年代は日本が関東大震災から世界と日本の大恐慌を契機に、資源争奪の世界戦争へ突入していく時代の過渡期であった。

その頃生まれた人々は、もはや80を超えた齢となっている。

それ以前の発展し豊かになっていく日本の姿を知らず、気が付いた頃には、軍国日本の少国民として育てられていた。

都市部においてさえそのような状況の中、周辺の山間地においては生存の苛烈な状況が生まれていたことは想像に難くない。

大変な辛苦な生活と悲劇を背負わされてきた世代である。

そんな世代が経験してきたこの国の変化はどんなものであったろうか?

ほぼ自力で、生活に必要な物資や食べ物を調達し少ない食べ物を分け合いながら、戦禍を何とか生き延びて戦後を迎え、焼け跡の戦後から出発し、家族と地域の生活を再建するために働きに働いた。

そして、高度成長による急激な生活の変化、大規模公共事業や工業化によって引き起こされる自然環境の破壊や公害、山村ではその過程でそれまで続いてきた地域コミュニティの絆が崩れ、都市型の個人主義が若者達を魅了していった。

その後に待っていたバブルの崩壊、日本経済の失速と同時に起こった阪神淡路大震災とオウムサリン事件。

21世紀を迎え、相次ぐ世界的混乱、局地戦争とテロ。そして3.11の想定外の地震と津波と原発放射能汚染。


生まれた頃の貧困と混乱と今の世の中を比較すること自体が無意味かもしれないが、この世代の人たちはどう思っているのだろうか?

そんな経験をしてきた世代の多くが、今私たちの目の前から静かに去ろうとしている。

私たちは彼らの話を大切に聞いてきただろうか?
彼らの想いを十分に受け止めただろうか?
心の豊かさを未来の子供たちに残せるのだろうか?

これから迎えるであろう、大変な時代の変化に対して戸惑う時「そういえばおじいちゃんがこんなこと言っていたな」と思い出す時がきっと来るだろう。

もはや残された時間はわずかだが、彼らの話をより多く心にとめたいと思う。




ムーミンという哲学
最近、なんとか細胞を発見したとして、日本人の若い女性研究者(リケジョというのか)が大変注目されているニュースを何度も見た。

その映像の中で、ピンク色の壁の研究室の中に置いてある冷蔵庫だか研究機材の扉にムーミンのシールが貼ってあり、おばあちゃん譲りの割烹着を身に着けた理科系らしからぬその姿が映し出されていた。

その映像を何度か見て私が気になったのは「なぜムーミンか?」ということだった。

アニメムーミン第一世代としては、それは世代違いの感があるからだ。

とても気になった私は、wikipediaでさっそく調べてみたら、アニメの放映は近年まで何回かあったことが分かった。

私たちが見ていたのは、
1969年10月 - 1970年12月に放送されたムーミン第一作と、
1972年1月 - 1972年12月に放送されたムーミン第二作というものだった。
ともにカルピスまんが劇場という枠で放送されており、前者を(旧)ムーミン後者を(新)ムーミンと呼び分けられているそうだ。

その後、テレビ東京により、
「楽しいムーミン一家」が1990年4月-1991年10月まで78話、
「楽しいムーミン一家 冒険一家」が1991年4月-1992年3月まで第26話、が放映されている。 この他劇場版などもあるようだ。

ということは、
リケジョ氏は90年代の作品を見た世代と考えられる。
もちろん前作ビデオもあり、再放送も何度もあるので、70年代作品を見た可能性も否定できない。
もちろん、原作者であるトーベ・ヤンソン氏の作品を読んだのかもしれない。

私はあいにく新旧ムーミンしか見ていない。

それ以降のムーミンアニメがどのような内容であったかは知らないし、原作も読んでいないが、久しぶりに思い出したムーミンアニメについて少し思うことを書く。


なぜかその頃(10歳前後か)自分の中で、どのアニメが一番好きなのかを子供ながら真面目に考えていた。

日本製のカラーアニメがテレビ番組で沢山作られていた頃、魅力的な作品が沢山あったにも関わらず、私が最も素晴らしいと思ったのがムーミンだった。

しかし、まだ子供だったせいでなぜその作品が素晴らしいのかについてロジカルに語る言葉を持ちあわせておらず、ただ"一番好き"と思うだけだった。

大人になってたまに思い出すのは、スナフキンのつま弾く哀愁のギターフレーズぐらいだったのだが、今改めてムーミン作品を見てみると、その作品の質の高さに驚かされた。

今のアニメに見られるような、子供に媚びた姿勢はみじんも感じられない、ある意味キャラクター一人一人が生々しい個性を持っていて、非妥協に自分らしさを追及している。

といってもそこは、先進国でも都会でもない、地球の果てのようなムーミン谷の田舎村、人として現されているのはごく僅かで村民はほぼ動物の姿だ。いや動物でさえもないニョロニョロのような生物さえ村民と位置付けられている。

ムーミンは当然主人公であるのだが、ヒーローとなる才能とはかけ離れた、意気地のないそれでいて強がるフツーの子供なのだ。

子供たちは(特にムーミンとミーは)よくケンカをするが、そのケンカがイカしている。散々相手を罵倒しておいて、別れ際には"さよなら"ときちんと挨拶をして別れる。

子供の頃にはミーを単なるいじわるな女の子と思っていたが、よく見るととても友達思いの優しい子であったりする。(これが女の子からもっとも共感を得られる存在だ)

ノンノンは都会から舞い戻ったマドンナ。だれもがその優しさに惹かれるが、ノンノンの夢はムーミンのお嫁さんになること。

その兄のスノークは、まさに都会かぶれのインテリ。西洋の都市の価値観から抜け切れない存在。妹を愛する優しき兄ではあるが、村民を見下しているところもある。

ムーミンのパパとママは理想的な家庭の象徴としてある。ムーミンの成長をある時は厳しくある時はやさしく見守る。
ママは毎日家事に忙しいが、パパは小説家と言っているが、まだ一枚も原稿が書けないでいる。

村民からは旅人として位置づけられているスナフキンは、この物語を見守るストーリーテラーのような存在。 「故郷は」とムーミンに問われたら「しいて言うならこの地球かな」と答える。 ムーミン谷で起こる様々な現象を、その本質的な問題として言葉に変える。予言者的な存在でもある。

「ムダじゃムダじゃ」が口癖のジャコウねずみさんは、毎日ハンモックに揺られ読書三昧。哲学者サルトルのような偏屈者。

多くの挿入歌は、井上ひさし氏が作詞作曲している。

バックミュージックは子供向けにしてはやたらシリアスで、緊張感を高める。

村境にある「おさびし山」は、中世コミュニティの結界のような峠の辻、この境から良い事(者)と悪い事(者)が村に入ってくる。

ある時は、鉄道を引くことをスノークが村に提案し、無理やり鉄道建設を進めたが、パパたちは鉄道によってもたらされる厄災を危惧して、列車の立ち入りを阻止しようとする。

ある時は、スノークの旧友がフランスからやってきて、ムーミンはノンノンがその男に惹かれていると勘違いし決闘を申し込む。

ムーミンという子供の目を通した、平和な世界(日常)が様々に表れる事件や混乱を経験しながら、村の人々とともに一喜一憂しながら日々が重ねられていく。

子供が大人になってゆくときに経験しなくてはならない、くやしさや恐れ、混乱やかなしみを経過し、勇気をもってそれらと立ち向かい、そして村で生きてゆく喜びを描いていたのだと、この年になってやっと説明することができるような気がする。





人生60年~ケツカッチン的生き方
正月早々堅い話で申し訳ない。

人は自分の人生の長さを自分で決められない。

それは当たり前の事である。

しかし、人生設計(何をもって人生というかは問わない)を考えるうえでは、ゴールの時期を定めなくてはならない。

信長は人生50年と詠ったそうだが、一般的には60歳を人生サイクル終点と考えることが常識的であった。
だから60を迎えたころには赤いチャンチャンコを着せてもらい「ご苦労様」というねぎらいの言葉を受けて現役を退くのだ。

しかし、現代日本社会ではそのような古い文化などどこ吹く風とばかりに、60を過ぎても社会の権威・権力の座に居座り、その力を手放す気などさらさらないかのような老人が幅を利かせている。

彼らは"ふがいない奴ら若者には任せておけない"とか"譲るべき相手がいない"などといけシャーシャーとのたまわる。

その結果、彼らが若かったころの古い社会体質がそのまま温存され、現実生活との齟齬が様々な場面で滲み出してきている。

経済、環境、年金福祉、国際社会すべての領域でこのような思考停止が容認され、目の前の現実があたかも幻想だと言わんばかりに開き直りを続けている。

この社会システムの停滞や循環の破壊が生み出している社会的損失は結果未来の子供たちがすべて背負うことになる。(もちろん子供たちが生き残れる未来があればという前提だが)

私はこの老人(あえて使用しますが)世代を攻撃しているのではない。

"人生"の意味を知ってもらいたいのだ。

所詮この世界は浮世である。 

人々の欲望が必ずしも理想的な社会をもたらしてくれないのは歴史が示している。

だからこそ、自分の意志だけではどうにもならない浮世を卒業し、遁世(とんせ)してもらいたいのだ。

ストレートに言うなら次世代にこの世を任せてもらいたい。

そのためには、60もしくは65ぐらいを人生のゴールと定め、この世でやるべきことをきちんとやったうえで、隠居してもらいたい。

それが大人のありかただと思うのだ。

翻って考えると、私もゴールまで10年くらいしかない。

この年齢の10年などという時間はあっという間の出来事に過ぎないことは承知している。

そうしたら、もはや迷っている時間などない。やるべきことをやるだけだ。


まさに今でしょ!!!





トリガーを外しました!!
長い間、かけたままであったトリガーをいよいよ外しました。

安全装置をかけたまま暮らしてゆこうとここ数年生きてきましたが、

ここ数年溜りにたまったものが暴発しないと限界となり自ら外しました。

こうなると自由です。

もう好き放題なことをし、好き放題なことを言うのです!!

今日の市長懇談会はその手始め、たっぷりと話をしました。

最後は役所体質の批判(とはいっても優しく言いましたが)

やはり思ったことをそのまま話すのは非常に気分がいいのです!!

これからは思うままにあらゆる表現をしてゆきます。請うご期待です。
同級生という他者
同級生や幼なじみと、たのもし(こちらではメンバーシップの飲み会をこう呼ぶ)などで飲むことがある。

子供の頃を共に過ごした友人は、他の人とは違う親近感がある。

特に親しくした人でなくても、子供の頃の姿を知っている人には特有の安心感があり、たとえ大人になって、子供の頃とは違う風貌なり容姿になっていても、当時の感覚があるのですっと子供時代のような関係に戻れる。

もちろん、立身出世してエライさまになっている人や、当時とは見違える美人になっている人も中にはいるが、子供の頃の姿を知られている人には格好のつけようがない。

あまり雰囲気が違うと「子供の頃は〇〇だったのに」と逆に冷やかされてしまうので、格好のつけようがないそんな関係だ。

それは単に子供の頃の様子を知っているからその親近感があるというだけではないように思う。

同じ年代(時代)に同じ土地(地域)で育った者は、何かしら共有する部分が多いのだと思うのだ。

たとえばそれは、同じ地域同じ条件で育てた野菜やお米が同じ味がすることと似ている。

人間にもきっと、そのような土地や空間を身体に蓄積し、体を構成する何らかの要素としているのではないだろうか?

植物や野菜とは違うと言われそうだが、もっと広く考えれば、日本人の特性が日本という自然環境と時代に依存していることを考えれば、決して馬鹿げた考えではない。

〇県人ぽいとか思うのは、その地域の風土や文化を身体や思考の中に残しているからなのだ。

より小さな地域でしかも同時代の空気を感じで育った者たちは、特有の親和性があり、そんな人と出会うとその共有した部分が反応し、ずっと前から知っている人の懐かしさが親近感として現れてくるのではないだろうか。

日本人は太古の昔、いくつかの種族が別ルートで大陸から渡ってきた雑種(ハイブリッド)民族だと言うのが定説化しているが、少なくとも縄文時代から弥生時代に向けて、長い時間をかけて交りあいながら定住してきた文化を持っている。

定着してからは今日まではあまり大規模な移動はせず、地域に根差した文化の中で暮らし続けてきたことが今日の研究で明らかとなっている。

そう考えると、私たちの体内には地域の中で長い時間をかけて積み重ねてきた生活や文化の情報が遺伝子レベルの中まで蓄積されているということが言えるのではないだろうか。


そんなことを考えると、幼なじみや同級生という存在は"もう一人の自分"であるということもできる。
大人になってから身に着けた知識や人格はほんのうわべを覆っている膜のようなもので、その内側の大部分はたいして違いがないのだ。


先日も、同級生8人でその中の一人の店を借り切って飲んだ。

他に知らない人もいない状況で、子供のように騒いで楽しんだ。

しかし、翌日酔いも醒め大人に返った自分はふざけ過ぎた昨日を反省することもある。




山本太郎と奥西勝


この映画の題材である「名張毒ぶどう酒事件」は、今年10月に第7次再審請求差し戻し特別抗告の棄却決定された。

この映画が作成され公開されてから半年が経ち、既にこの事件の未来は奥西被告と支援者、映画製作者達たちの想いを踏みにじる結果として現れている。

10日に文化ホールで上映された上映会には100名弱の市民が参加されていた。

その数が、多いのか少ないのかはわからないが圧倒的に高齢者が目立つ。

手法の違いはあれ、ほぼドキュメンタリーと言っても良い今の現実の問題を扱っているのだが、これほどまでに若い層の関心を呼ばないのはなぜか。

"真実"とか"社会正義"という倫理感が蜃気楼のような現実に押し潰されているのか、豊川で開催されているB1グランプリとやらには2日間で60万人ほどの人が訪れている。 食べることでこの世の不安やストレスから逃れようという心理か。

事件が起こった36年は、私が生まれた年代であり、50年にも及ぶ奥西被告の獄中生活と弁護団支援者の取り組みはそのまま自分の過ごした年月と重なる。

しかし、私自身もこの事件と何のかかわりもなく人生を過ごしてきた。逆に言えば
それは、私の知らないもう一つの自分史であるともいえるだろう。

わかりきったことではあるが、過去は誰にも変えることはできない。

しかし、あまりに長く過ぎてしまったからといって、その過去を無かったことにしようとしても現実は変わらないのである。

無かったこととして生きることはとてもツライことである。

ツライことであるからといって、それを忘れるために美味しいものを食べ続けたところで現実はかわらないのだ。

主演は仲代達也だが、事件当時の回顧シーンは山本太郎が演じている。

天皇への直訴(手紙を渡したこと)で公職としての責任を問われ彼の困惑した姿を見ていると映画の中で事件直後の奥西青年を演じる姿が重なって見えた。

どんみすいっと!! 郡上ケーブルテレビ
今、郡上ケーブルテレビでは、新たに市民投稿番組として「美濃 はなしの里-2003年美並村の原風景」という記録映像の番組を放映しています。
(11時00分、17時00分、23時00分放映)

この記録番組は、合併前に美並村が委託制作した、美並村の歴史風土を現地採録した内容です。

委託された先は民族文化映像研究所であり、その所長である姫田忠義氏は、宮本常一の民俗学を継承したフィールドワーク中心の『映像民俗学』と言われています。

歴史文化の残る山深い里にカメラを持ち込んで、生活者の視点からその土地に秘められ残された文化風土を人々の語りを通して紡ぎ出してゆくという手法を厳格に守っています。

美並の旧地区集落ごとに守られている正月や祭礼の儀礼などを丹念に記録し、その地域に生きる人々の想いを伝えています。

翌年には、新たに粥川地区を中心とした高賀信仰の里、円空修行の地を記録した『粥川風土記』を制作し、キネマ旬報の文化映画部門で2位となっています。

その映像作成が縁で2008年には美並で『日本山村会議』という山村体験イベントも開催され都市部から多くの人々が粥川を訪れました。

こんな記録映像を地元のテレビで何度も放映されることの幸運さを郡上の人は知るべきでしょう。

そんな姫田氏は今年の夏、肺疾患のため84歳で亡くなりました。

氏の残した膨大な記録映像は、高度成長を機に日本が失ってしまった日本人の暮らしと心の基層を映し出すものとして、これからの日本の進むべき未来にとって大変な示唆にとんだ価値を持っていると言えるでしょう。


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