魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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巨大企業と零細企業
時価総額約6200億ドル(約67兆円)の超巨大企業アップルが、日本の中小企業島野製作所から総額100億の損害賠償訴訟を受けたことは耳新しいが、実際のグローバル経済の中でこのようなことは日常茶飯事で起こっていることである。

巨大企業はその巨大な資本力で、下請けや孫請けを都合の良いように使い、いやだったら契約しないぞと脅せば従わざるを得ないということだ。

以前は国家間でこのようなパワースレイブが行われていたが、グローバリゼーションの今はもっぱら企業の専売特許となっている。

たとえば今郡上では、NTTの光回線が一部地域に拡大されることに伴う、 NTT西日本のフレッツ光キャンペーンが猛烈に行われている。

対象地域となる固定電話へ、傘下のコールセンターから絨毯爆撃のような勢いで電話し「工事費無料のキャンペーン中なので今しかない」「電話料、接続料が安くなりネット回線スピードが格段に違う」と話し、契約しないなんて理解できないという論理でまくし立てる。

もちろん、話す内容に誇張はなく嘘はないのだろうし、現実として固定電話+ネット回線料金(プロバイダー料含む)が安くなり、回線スピードが速くなることはうそではないだろう。

電話を受けた人は、その理路整然としたトークに、特にその必要を感じていない人も「今入らないと損をするのでは」というマインドになり、雪崩を打ったように契約をしているようだ。 

 この世は、自由競争社会であり、良いサービスを提供したものがそのマーケットを獲得できる、そのことを不合理だとは言わないが、これを都市(世界)と地方という経済で見た場合話は別となる。

都市経済に地方経済は侵食され、もともと地方で循環していたお金がどんどん都市へ流出している。
安くて便利な商品が簡単に手に入る方法が一般化したため、地方経済という考え方が成り立たず、地方はグローバル経済の只中に巻き込まれている。

その結果何が起こっているのかということは、あまり意識されていない。
「街にあった小さな店舗がどんどんなくなっているが、これも時代の趨勢仕方のないこと」という認識だ。

これまで郡上で、ネット回線のプロバイターとして主流であった、郡上ケーブルテレビは今回の光回線への切り替えで収益的に大打撃をうけるだろう。

確かに、提供されているサービスはどれも回線速度の割には割高で、利用者満足度は高くないのだろう。

確かに、この機会に乗り換えたいという気持ちになるのはわかる。しかし、よく考えれば、郡上ケーブルテレビは昨年から管理運営が民間会社となっただけで、実態は公共インフラである。

公共インフラとして提供していたサービスの収益が減るということは、公共サービスとしての運営が困難になるということにつながり、それは単なるネット配信事業だけでなくケーブルテレビ事業全体に関わってくるということだ。

いずれ事業全体の見直しがされることにつながりかねなくなる。しかし誰もそんなことを危惧している人はいない。みんみ家庭の経済を黒字化させることに汲々としているのだ。

何度も営業に来る、NTT傘下の営業マンは私の考えている危惧などまったく理解できないというように目をしばたかせている。
 
信仰と災害について

戦後最悪の火山災害という見出しで伝えられる今回の御嶽山の噴火

亡くなられた方の家族や友人の皆さんの心情は察して余りある<

無念という他はないだろう。

残された者たちは、いつになったら"なぜ"という疑問か抜け出せるだろうか?

突然なんの前触れもなく、この世から旅立たなくてはならなかった者の無念は、残された者の心の中でどのように昇華できるだろうか?

秋の天気の良い休日の、山上に広がる紅葉を楽しみに、多くの登山者が山頂に到達するお昼頃、音もなく眼前に広がった噴煙を見た人たちは、これが何であるのか一瞬わからなかったと思う。

そしてわずかな間に闇の世界に包まれていった・・・


三年半前に東北を襲った大地震と大津波で二万人近い人の命を飲み込み、残された者たちの心の傷もその大地に残された痕跡も消えることがない。

もしもあの時・・・残された者たちは自らの心に湧き上がる問いに今も苦しみつづけている。

もしもあの時
登山をしようと言わなければ

もしもあの日
雨が降っていたなら

もしもあの日
あの時間に山頂にいなければ


そのような問いに 人はどのような答えを出してゆけるだろうか?


『運が悪かった』 残された者を慰められる言葉はそう多くない。

『運が悪かった』 残された者はこの言葉をどのように受け取るだろうか?

運とは何か

自然の営みに人間が無力であることは知識としてはわかっている。

それが"偶発的な出来事"であることを誰も否定はしない。

しかし、人の想いはそんな答えでは納得できないのだ。


確率的な問題の延長に人の死があるとしたら、それは"生きる"という意味にそのままはね返ってしまうからだ。

"生かされている"という言葉には確率的な数値が含まれていない。

そこには何等かの"他力"が働いているというのだ。

神なのか仏なのか、宇宙なのかとらえる人によって違いはあるだろうが、そこには人の力ではどうしようもない他者の意志(力)が働いている。


そんなことを日常的に感じている人は現代では稀だろう。

現代社会はそのような力を排除したところから人の営みを組み立てているからだ。

明るい所(現世)を世界の全てに置き換え、暗闇(人の力の及ばぬ世界)をゼロという意味の数値で無化している。

嶽という字は、険しい高山を意味している。

日本人は古くから山奥の高い山に死者の霊が長い時間をかけて登ってゆくと信じてきた。

山岳信仰や修験道という宗教観の基にもなっている自然観である。

火山列島であるこの国は、絶えず火山噴火や地震災害、台風や水害に襲われ続けた歴史を持っている。

この土地に生きるということは、そのような現象から逃れられないという未来を前提として、独特の文化や信仰が生み出されてきたのだと思う。


山川草木悉皆成仏

そんな言葉が生まれる程、人と自然の関係が濃厚であった。



18世紀末頃に御嶽山に新たな登拝道を開いた二人の僧がいた。

その結果軽精進で御嶽登拝が可能となり、御嶽信仰が全国に広がっていった。

そのうちの一人である普寛行者が御嶽講布教の旅途中で亡くなった折詠んだ句があるという。


なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の月


有明の月に穏やかな山影の遷る日が来ることを祈念して

The Reason I Jump

邦題『自閉症の僕が跳びはねる理由』という著書を書いた東田直樹さんの本が翻訳され、世界中で多くの人に支持され読まれているという。

東田さんは重度自閉症という障害を持つ身でありながら、エッセイストであり、作家であり児童文学の著作を生み出している人だ。

彼の存在を知ったのは、8月28日にNHKが放送したドキュメンタリー番組『君が僕の息子について教えてくれたこと』が切っ掛けだった。
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日本で7年前に出版された、自閉症である自分の心の内を綴ったエッセイである。自閉症者自らが語る極めて画期的な作品だったが、ほとんど話題になることはなかった。それがなぜ突然、7年もたって、遠くイギリスやアメリカでベストセラーとなったのか。
この本を英訳したのは、アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェル氏。彼にも自閉症の息子がいる。日本語教師の経験があるミッチェル氏は、東田さん の本を読んでまるで息子が自分に語りかけているように感じたと言う。息子はなぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を発するのか、息子とのコミュニケーショ ンをあきらめていたミッチェル氏に希望の灯がともった。そしてミッチェル氏の訳した本は、自閉症の子どもを持つ、世界の多くの家族も救うことになった。
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そのドキュメンタリーの中で彼が語る(実際は著作として書かれた文章)言葉がとても印象的だった。

「壊れたロボットの中にいる」ようだと自己を分析し、他者とのコミュニケーションが"フツウ"にできない自分を「なんの役にもたたない者」と苦しみ続けた子供時代から、言語という武器を獲得し、自由な自分という"ありのままの自閉症"を生きるようになってゆく姿が著作表題の『The Reason I Jump 』に込められています。

"僕の心が躍るのは、空気が澄んでいる景色を見たときです。自分が風景にとけ込むような感覚に陥るからです。体だけがバラバラになって、空や木や大地に吸い込まれていくような感じがします。自分の命が永遠であるかのような錯覚に襲われます。
そういう瞬間は、幸せの絶頂のような気分です。きっと太古の人間も同じように感じていたのでしょう。"

"自閉症という言葉には、自分を閉じ込めるという印象があるかもしれませんが、それは間違いです。心はいつも外に開いています。本当に心を閉ざしていたら、奇声を上げることも、パニックになることもないでしょう。

自閉症者は、心を閉じていて、人と関わらないのではありません。開いているのに、気づいてもらえないのです。外に出るためには、人の力が必要です。どうか、僕たちに、この社会で生きるための力をかしてください。"


彼が紡ぎだす言葉には、単に自閉症者への理解や援助を求めるのではなく、"フツウ"と思って暮らしている人々にも生じる共通の苦悩や、生きづらさを現しています。
"壊れたロボット"に乗っているのは自閉症者だけではないという現実と、それでもなお人の心の奥底にある"自由を求める心"がせめぎ合っているということを私たちは彼の生きる姿、発せられる言葉から得るものは大きいと感じます。


再放送が9月13日(土)午後3時05分~4時05分、NHK総合であります。

東田直樹オフィシャルサイト
http://naoki-higashida.jp/index.html

THE BIG ISSUE REPORT 東田直樹 名言まとめ
http://bigissue-online.jp/2013/08/06/event-report/


映画『鳥の道を越えて』


8年ほど前に偶然東京で出会った同県人の今井君が初監督をした作品の記念上映会が今日、彼の故郷であり、作品の主な舞台でもある岐阜県東白川町であったので行って見た。

出会った当時から「地元に残る鳥猟文化を撮りたい」と言っていたので、この上映に至るまでは足かけ8年位は経過ているだろう。

彼とは縁があるのか、私がUターンした後も、郡上の美並を舞台にしたドキュメンタリーを基にした『日本山村会議』というワークショップが行われた縁で、彼の師匠である故姫田忠義氏とともに郡上でもお会いする機会もあった。

その縁で、今回の地元上映会以前に、この作品を自主上映しようと働きかけていて、自主上映会の前のスタッフの試写会として作品自体を見せていただいたので今回が初ではなかった。

前回そのスタッフで試写した時は、スクリーンも小さく画面の迫力が伝わりづらく、作品内容も決してエンターテーメントな内容ではないので、スタッフの感想としてはこれを郡上で自主上映して100名集めるのは結構大変ではないか?、何かイベントとセットでやればできないかという意見が出た。

作品の面白さを伝える側のスタッフからそのような意見が出されたので、これはなかなか難しいなと思い私から自主上映を秋以降に延期しようという提案をした。

丁度そのあと、今井君から映画館上映のオファーが来ているので自主上映を控えたいという連絡をうけたので、それなら丁度良かったと少し安心した。

作品は、東濃地域で昭和50年代まで続けられていた"カスミ網猟"という鳥猟の歴史を辿るドキュメンタリーで、彼のおじいさんから聞いた"鳥の道"を探すということから物語は始まっていく。

東濃地域では、昔からこの鳥猟が盛んで、渡り鳥が大陸から渡ってくる秋から冬にかけて多くの人たちが鳥を追いかけて全国各地を渡り歩いていたのだが、戦後のGHQ占領下の命令によりこの猟法が禁止されてからは密猟者扱いとなり、次第にこの生業を続ける人が姿を消していったのだ。

現在では、その鳥猟の経験者も80代となり、地元でもほとんどの人が実際の鳥猟を知らないという状態だ。

作品の中でも、戦後の"密猟狩り"の状況を伝えるインタビューもあり、それまでは当たり前に"カスミ網猟"に関わっていた人も次第に姿を消し、地域の生活様式から排除されていった。もちろんそれは、単に違法扱いになったからという理由だけでなく、そのような"仕事"をしなくても生活していける時代になったことも大きな要因となっている。


作品の中では、監督自身も地域文化と自然保護という対立概念で揺れており、決してその法律規制を批判する立場ではない。

作品の中で監督は、おじいちゃんが見たという"鳥の道"が僕にも見えたという地点でエンドロールとしている。

それは、観客にとっても決してすっきるする終わり方ではない。きっと突き放された感じをわざと残すことを期待しているような意図が見える。

この作品で表されていることは、この地域の人と文化のほんの一部を紬出して手繰り寄せて見せているに過ぎないのだ。

観客には"なぜ"という疑問がさまざま湧いてくるのだが、その部分は意図的に語られてはいないし、解説もされていない。

「こんな風に自分の足元にある一本の糸を手繰り寄せるだけで、日常では意識されてこなかった様々なことが露出してくるのだ」ということをこの作品は観客に突き付けているような気がする。

なぜ鳥を捕っていたのか?なぜ鳥を食べていたのか?なぜ鳥猟がこの地域に広がったのか?なぜそれが許されてきたのか?なぜそもそも猟をしていたのか?
なぜ急に衰退したのか?なぜ渡り鳥は飛んできたのか?なぜ渡り鳥は少なくなったのか?


疑問だらけの作品なのだが、その中で実際の渡り鳥の様子や鳥猟の方法だけは鮮明に記録されている。
「鳥屋場という山の鞍部にめがけて一斉に飛んでくる渡り鳥の羽音」を多くの猟師は鮮明に記憶している。そしてそれが忘れることができず鳥猟を続けるために全国各地を渡り歩いた人がいたことを。

合理性の理屈によって生きてきた現代人が、忘れ(させられ)てしまった人と自然とのかかわり方を、その豊かさを、唯一思い出させてくれる機会である自然との触れあい(鳥猟でなくても魚漁でも百姓でも)により、感覚的に理解できた世代がつい最近まで日本各地に沢山生きていて、そして今いなくなっている現在があるということをこの映画は私たちに示している。そんな風に感じた。

この映像がより多くの人の目に触れ、耳に触れ、ある感覚を呼び覚まし、平地人民を戦慄せしめんことを望む。



穴馬の伝承と文化


 最近地域のケーブルTVで市民投稿のビデオ(8ミリ)が放映された。
昭和55年に近所のお宮で上演された『為真の四季』というタイトルの素人芝居だった。

この地域でも昭和の時代までは、祭事の余興として旅役者の芝居とか、地区の氏子ののど自慢や素人芝居、地歌舞伎が境内で行われていた。
その当時は、地域の家族親族が集まっての宴会の中でにぎにぎしく行われていたことを思い出す。

そのビデオは、八ミリ映像をアナログテープに変換したモノをさらにデジタル変換したのもで、音声は限りなく劣悪で、映像も人の顔が判別できないほど劣化したものであったが、その映し出された芝居自体は極めて良質の"芸"で素人とは思えない出来栄えであった。

内容は、戦前の田舎の暮らしや季節の催事などを取り混ぜながらの無言劇で、春の田植え前の田んぼに牛を入れて耕す姿や、夏には、地元から出兵する兵士を送る壮行の催し、秋の人力脱穀機の稲刈りや、臼挽き、秋祭り、などが30分弱の舞台で面白おかしく見事に演じられていた。

その演劇の内容がとても素晴らしかったので、詳細を知りたくなり、ケーブルテレビで投稿者の情報を聞いて、お話を聞きに行ってきた。

その人は現在78歳になるHさんで、その芝居を創作し出演した本人であった。
聞いたところによると、神社境内の修復祝いでの催事として芝居を頼まれ、地域の人に呼びかけて3か月で練習して上演となったそうだ。

特に元となる台本があったわけでなく、今まで見てきた芝居の中から創作して芝居に構成したようだ。

当時の若い人たちは、今よりももっと芸能が身近で、自分たちが演じることにも慣れていたようで、いちいち演出家が所作を指導しなくても大体のイメージを伝えればその演技をすることができたと話した。それほど芝居慣れしていたのだろう。

話しは芝居のことに止まらず、H氏の出所来歴におよんだ。
もともとは、峠の向こうの福井県の穴馬(現大野市)の出身で、九頭竜ダムによって、全村集落移転が決定した昭和30年代、三十歳を過ぎたころこの地域の住民となり、移転して十数年後にその芝居を頼まれたというから、もともとそのような素質を地域の人に認められていたのだろう。

平成8年には、自分たちの一族が住み暮らした故郷の様子を未来に残す必要があると感じ、自らの記憶と当時の写真や地形図なども自筆で作成し、20ページ以上の冊子として作成している。その資料も見せていただいた。

そこには、失くしてしまった"ふるさと"の記憶を覚えている限り再現し後世の人に伝えたいという作者の魂といえる想いが込められている。

歴史伝承の資料としても大変貴重性の高い内容で、私たち世代が見失ってしまった"地と血の濃さ"のようなものをこれらの作品とHさん本人のありようから感じることができた。とても貴重な体験だった。
2つの
以前どこかで、"2つの国家"というタイトルでブログ書いたことを今日の新聞で思い出した。

どのような内容について書いたかはほぼ忘れたが、きっとこれから書く内容に近いと思う。

やはりこの国には"2つの国家"が存在するという仮定だ。

というのも、(2つの)両者が言う民主主義の定義が相容れないからだ。

一つは、選挙で選ばれた過半数を上回る党(一つでなくても良いらしい)が"民主的な手法"で首相を選出したら、その人の言うことは民主主義を反映しているという主張。

もう一つは、民主主義というのは結果ではなく、手続きであり、合意形成であり、説明責任であるという主張。だから首相の考えを国会での多数決だけで法制化しそれを民主主義であると言い張るのは間違っているという意味だ。

このようなモデル的2つの見解は、いくら論議してもかみ合わず結果として両者の意見は平行線をたどり続けることとなる。

もちろん誰かさんが大好きな"法治国家"というシステムとして両者を並立させることはできない。そうでないと法治できないからだ。

しかし、日本では戦後ずっとこんな感じで"2つの国家"が成立し、それぞれがそれぞれの国に住んでいると言えるのではないだろうか?

それは、ちょっと前には「55年体制」などとネーミングされて揶揄され、それを打開するということで政治的な転換点になったはずだったが、実は、こんにちも同じ体制の中にあると言える。

要は、一つの屋根に二世帯が居住して、別々のルールで暮らしている親子同居のようにも見える。

なぜそんなややこしいことをするのかという言えば、外から見れば仲の良い親子同居に見えるので、多少リスクがあってもそっちを優先しているに過ぎない。

しかし現実は同居といっても実態は別居同然であり、棲み分けて暮らしているのだ。

だから、私の見解は、どうせ何年も続いてきた二世帯同居なのだから、同居が合意できるのであれば、これまで通り国家的二世帯居住をすればいいのではないかということだ。

少なくともその間は、別れを切り出さずにすむし、グレーと言われようが、言行不一致と罵られようが、少なくとも戦争に駆り出されることはなかった。(これまでは)

「このままでは必ず戦争に巻き込まれる」と危惧されるのであれば、もうそこは民主主義の本旨を貫いて、ありとあらゆる手段でもう一つの国家を駆逐するほかはないだろう。

私はそれを否定しないが、自分がそれを行う気はもうない。

2つの国も、2つの神も、2つの性も、2つの脳も一つの頭で考えている間はバランスをとることができるからだ。

でも別々の頭で考えだすとちょっと怖いそんな気がする。








書評『鄙への想い』田中優子著


図書館で借りた本で書評を書くなど、著者には大変失礼なことと思うがご勘弁を。

図書館でパラパラとめくってみた印象は、白洲正子の著作かくれ里のイメージだった。

でも、テレビでよく見るコメンテーターの雰囲気と、現在の職務法政大学学長という肩書からするときっと、右脳的(左翼的とは思わないが)な表現なのだろうなという感じもしていたので、当たらずとも遠からずという感じだ。

鄙とは、都(みやこ)に対する周辺地域。ひなびた地域という意味です。

簡単に言うと、都と鄙の関係を、専門の江戸近世文化論から近代社会批判を提起する内容となっています。

近世まで日本にあった、あの世とのかかわりや、コミュニケーションの意味を、3.11のような現実問題から問うています。

近世と近代の決定的な違いは、表面化した西洋化やグローバリズムによる均質化の基となる、"国"のとらえ方であると言います。

江戸は270以上の藩からなる州政府であったので、人々にとっての"くに"は元来藩という自分が所属している具体的な"場所"であったということです。

それが近代というピリオドを迎える中で、西洋社会の作り上げた抽象概念として国家にすり替わったことが、それ以前の日本の自然観や社会観、生死観を大きくかえていったのです。

だがしかし、今日の問題はグローバリズムか、ローカリズムかという問題では解決できないとも書いています。

"鄙を生きる"大切な考え方として、大きなシステムに依存する仕組みから脱し、小さな仕組みやコミュニティーで生きる単位を生み出していくことだと言います。

では、都市での生き方はどうすればいいのか?著者は江戸がそうだったように都市で生み出されたもの、排出されたものを、都市の中で処理し、リサイクルし、海や大地に戻すという倫理や思想が必要だと言います。

福島原発の事故の事を引き合いに出すまでもなく、近代都市が生み出している人工都市幻想からの脱却をするためには、異質なものや生活リスクを外部に排除することのない仕組みが必要だと結びます。

分析や論法、到達した想いについては、とても合意できる内容でしたが、過去の人物の著作や事象の引用が多く、田中氏の独創的感性(左脳的)が十分発揮されていないところが残念と言えば残念でした。




面白い夢を見た
なかなか見た夢を思い出せないタイプですが、今日見た夢はリアルでした。

せっかくなのでここに記録しておきます。

私は昔暮らしていた家の道隣に祖父の為に借りていた古びた借家(倉庫のような)に友人と暮らしていました。

周りも何件か借家があり、平屋のトタンのぽろっちいものです。

そこにある時、住人が引っ越してきました。 

知らないうちに家の庭先に、太いロープを三本地面に打ち付けてぐるりと屋根の補強をしていました。

不審者のようなその隣人を見つけて「そのロープ駐車するのに邪魔だと言われるよ」と忠告すると、その隣人は無愛想にそれには答えず「灰皿ないか~?」と関西弁で聞きます。

灰皿なんて沢山あったので一つあげると「家財道具がなにもないんや~」と他人事のように言いました。

どう見てもうさん臭そうな隣人に「仕事は何をしてるん?」と聞くとそれにも答えず、タバコを美味そうに吸っています。それから「自分は〇〇というんや」と名前を教えてくれました。

以前関西でバンド活動していた友人から「関西には〇〇という一流のジャズプレーヤーがいるよ」と聞いたことがあることを思い出し、「音楽は好きか?」と聞いたら、その隣人はこちらをじろりと凝視し「なんでそんなこと聞くん?」と答えました。

その後の夢は覚えていませんが、何かこれから始まるだろうことにワクワクした感覚だけが残りました。

なんだか忙しくなってきた。




ので、なかなかリラックスしてブログを書く時間が持てず、長いブランクが出来てしまいました。

普通の人はきっとそんな感じで書いているんだろうけど、私がひますぎたのだと今にして理解できました。

さてそんなこんなで、今日は書評(感想文か?)を一つ。

"神去なあなあ日常"というおよそ本のタイトルとしては編集者に嫌われそうな名前をそのまま付けたような小説だが、これが今巷でロードショー中の映画『WOOD JOB』の原作だという。

原作者の三浦しをん については、以前レンタルで借りた『まほろ駅前多田便利軒』が思いのほか秀作だったので、その原作者を知った程度だから、ファンというレベルでは決してない。

なので、今回の映画『WOOD JOB』もまだ見ていないし、さらにはその原作となっているという"神去なあなあ日常"も読んでいないのだ。

読んでもいない、書評を書くという離れ業をするわけではないが、たまたま図書館で返却されたばかり棚みたいなものが目の前にあり、その中に聞いたことのある名前のタイトルの小説があったから手に取ったただそれだけだ。

家に持って帰りページを開いて見るまではそれを原作と思い込み、これを読んでから映画を見るかどうか決めようとおもってたのだが当てが外れた。

そのタイトルは似ているが"神去なあなあ夜話"という別物だった。

いやよく見ずともだいたい気が付いていたのだが、日常よりも夜話のほうが好きなたちなのでそのまま借りたのだ。

だって一緒に借りた本は三角 寛の"山窩奇談"だもの、だいたいがそっちだ。

だから、この本が前篇(日常)の後編的なものなのか、日常に対する非日常的なものなのか比較すらできない。


読み進めていくと、今っぽい小説(失礼)の雰囲気であることがすぐわかり、漫画のように読み進めることができた(決して批判的ではない)


しかし、一緒に借りた"サンカ本"は、小説としたらルポルタージュ奇談の類なのでそれなりにリアリティーがある。


そんな本を一緒に読むのも間違いと誰かに指摘されそうだが、それなりに面白い。

こんなに時代もジャンルも違うものなのにどこか共通性があるのだ。

それは、乱暴に非日常性といってしまってもかまわない。

近代社会や都市社会が排除してきた、マージナルな部分、境界の向こうというか、あの世というか、非定住という世界が小説の舞台になっているからだ。
(正確には山窩奇談は小説としては書かれていない、あくまでもジャーナリスティックな文体なのだがあまりにも物語的な要素が強いのだ)

昔、三重の山奥の村にいた竜神が去った神去村には、その奥山に熊野修験の大峰山系が続き、そこはこの世とあの世が連続している世界である。

WOOD JOBという今流行りの自然にやさしいお仕事は、実は大自然という荒ぶる神々を相手にするヤマト武尊のような修行に近い。

きっと映画でもそんな、リアリティーを背景として見せながら、今の若者達にも魅力的な映像に仕上げているのだろう。

実はまだ最後まで読んでいないので、どう考えても書評はかけないのだ。


















ダムと離村
この地域には、二つの大きなダムとそれに伴う住民移転が行われた歴史がある。

ひとつは白川・荘川村の御母衣ダム、もうひとつは越前和泉村の九頭竜ダムだ。

御母衣ダムは1950年代、九頭竜ダムは1960年代に計画が開始し、移転交渉の末に開設された。

大きな二つのダムの工事が始まったため地域では時節にものって大変な建設ブームとなり、たくさんの建設会社(昔は土建屋といったが)が生まれ、隣接する郡上地域の経済も大変に潤ったという。

高度成長の時代の光のようなその光景の背後には、先祖代々暮らしてきたふるさとを追われるという憂き目に会った人々がいた。
ふるさとを追われるだでなく暮らしの全てであった空間が水の底に水没したのだ。

世界遺産となり全国的に有名となった白川郷と隣にある荘川は、合掌造りの家屋とともに、浄土真宗の飛騨流入の拠点として有名であったところで、信仰の拠点であった中野照蓮寺はダム建設により1961年に高山市堀端町に移転した。

一方、和泉村の一部530戸が水没した和泉村穴馬集落も浄土真宗の信仰深い土地で、信長の一向一揆討伐に対して、本願寺法主顕如やその子教如を助けた歴史を持ち今日も東西本願寺で直参門徒として特別待遇を許されている。

しかし、先祖たちが苦労して残してきたそんな歴史も今はもう水底にあり、それを語り継げる者は居なくなった。

暮らしてきた場所を喪失するということは、現在の生活を失うことのみでなく、その土地に残してきた先祖たちの歴史や暮らしの意味そのものを無くすということだ。

そんな歴史が、東北の福島の地で再び起こっていることは、その土地に暮らしてきた人々にとっては耐え難い苦しみだと思う。




福井新聞5月5日記事
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福井県の九頭竜ダム建設などで水没、離村した旧和泉村の穴馬郷の村民らが5日、大野市野尻の穴馬総社に集まり、離村50周年と同総社建立45周年の記念大祭を開いた。半世紀前の暮らしぶりを思い出し、笑顔で旧交を温めた。


 1964年から始まった九頭竜川上流の電源開発事業によるダム工事で穴馬郷の12集落が水没。周辺3集落も生計が立てられず、計15集落419世帯が離村。8割が愛知、岐阜など県外に移住したという。

 同総社は離村各集落の神社を合祀(ごうし)して69年に建てられた。毎年5月に例祭、10年ごとに記念大祭を開いている。

 この日は旧村民やその家族ら約130人が参列し、神事が営まれた。役員代表の古世尚治さん(67)=岐阜県関市=は「離村したのは高校生のころ。当時は都会に出られると喜んだが、古里に来るたび、楽しかった思い出がよみがえってくる」とあいさつした。

 同総社内に掲げられた離村する前の集落の写真パネルを前に、昔話に花を咲かせる姿も見られた。大野市街地に移住した池尾茂成さん(80)=有明町=は「50年はあっという間だった。釣りや山菜採りをしていたころが懐かしい」と振り返った。

 高齢化で同総社の維持管理が課題としており、古世さんは「われわれの子どもはこの地と縁がない。時代の流れだが、継承してくれる人が出てきてほしい」と話していた。
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