魂の所在~今あること。そして未来へ

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ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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穴馬の伝承と文化


 最近地域のケーブルTVで市民投稿のビデオ(8ミリ)が放映された。
昭和55年に近所のお宮で上演された『為真の四季』というタイトルの素人芝居だった。

この地域でも昭和の時代までは、祭事の余興として旅役者の芝居とか、地区の氏子ののど自慢や素人芝居、地歌舞伎が境内で行われていた。
その当時は、地域の家族親族が集まっての宴会の中でにぎにぎしく行われていたことを思い出す。

そのビデオは、八ミリ映像をアナログテープに変換したモノをさらにデジタル変換したのもで、音声は限りなく劣悪で、映像も人の顔が判別できないほど劣化したものであったが、その映し出された芝居自体は極めて良質の"芸"で素人とは思えない出来栄えであった。

内容は、戦前の田舎の暮らしや季節の催事などを取り混ぜながらの無言劇で、春の田植え前の田んぼに牛を入れて耕す姿や、夏には、地元から出兵する兵士を送る壮行の催し、秋の人力脱穀機の稲刈りや、臼挽き、秋祭り、などが30分弱の舞台で面白おかしく見事に演じられていた。

その演劇の内容がとても素晴らしかったので、詳細を知りたくなり、ケーブルテレビで投稿者の情報を聞いて、お話を聞きに行ってきた。

その人は現在78歳になるHさんで、その芝居を創作し出演した本人であった。
聞いたところによると、神社境内の修復祝いでの催事として芝居を頼まれ、地域の人に呼びかけて3か月で練習して上演となったそうだ。

特に元となる台本があったわけでなく、今まで見てきた芝居の中から創作して芝居に構成したようだ。

当時の若い人たちは、今よりももっと芸能が身近で、自分たちが演じることにも慣れていたようで、いちいち演出家が所作を指導しなくても大体のイメージを伝えればその演技をすることができたと話した。それほど芝居慣れしていたのだろう。

話しは芝居のことに止まらず、H氏の出所来歴におよんだ。
もともとは、峠の向こうの福井県の穴馬(現大野市)の出身で、九頭竜ダムによって、全村集落移転が決定した昭和30年代、三十歳を過ぎたころこの地域の住民となり、移転して十数年後にその芝居を頼まれたというから、もともとそのような素質を地域の人に認められていたのだろう。

平成8年には、自分たちの一族が住み暮らした故郷の様子を未来に残す必要があると感じ、自らの記憶と当時の写真や地形図なども自筆で作成し、20ページ以上の冊子として作成している。その資料も見せていただいた。

そこには、失くしてしまった"ふるさと"の記憶を覚えている限り再現し後世の人に伝えたいという作者の魂といえる想いが込められている。

歴史伝承の資料としても大変貴重性の高い内容で、私たち世代が見失ってしまった"地と血の濃さ"のようなものをこれらの作品とHさん本人のありようから感じることができた。とても貴重な体験だった。
コメントエリア
■芝居
三ヶ月かどうだったか忘れましたが、練習は3回だけですんだ、との話でしたよ!土地の芸能芸術は、暮らしの充足だ、と喝破していた桃山さんの言葉が思い出されました。
井上博斗 14/08/19 12:09

■あわせて
練習したのは三回とのことでしたね。

三か月前に頼まれたというのは聞き間違いかもしれません。
peksan 14/08/21 21:28

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