魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



QRコード
アクセスカウンタ
Total:991549
Today:138
Yesterday:153
S山食堂の想い出
もう45年位前の事か。

暮らしていた小さな町になぜか、総合病院と診療所が並ぶように立っていた。

そんなところに小さな食堂がができたのだ。

今思えばそれは、病院の患者を当て込んでの開業だったのだろう。

食堂を開業した家には同級生が暮らしていた。

開業と同時に、隣村から引っ越してきたのだ。

小学校の四年生だったろうか、近所ということもありすぐに仲良くなった。

ちなみに、我が家も小さなお菓子屋を営んでいた。5、6年前の事だ。

そう考えるとお菓子屋など始めたのはきっと、駄菓子を買いに来る子供よりも、病院の患者を当て込んでいたのだと今にして思う。

食堂など近所にはこの店以外になく、我が家では開店早々から上顧客となっていた。

うどんとそばと卵どんと親子丼。そんなメニューだったと思う。

我が家はもっぱら、うどんを注文した。

この店の素うどんがなんとも美味かった。

具はネギとナルトと小さなカシワ肉のみ。いたってシンプルだが、汁の味が絶品だった、関西系の薄い出し醤油に鰹節の出汁が絶妙に利いていた。

友達の家ということもあり、一人でも店に食べに行ったし、たまにはお母さんにご馳走してもらったこともある。

そうなのだ、この店の料理人は同級生の母親だつた。

同級生の母にしては少し齢が離れていたのを不思議には思ったが、深くは考えなかった。

我が家だけでも相当の頻度で利用したが、店に入ったてそんなに繁盛していたという記憶はない。もちろん店に行く時間帯は、もう4時過ぎだったから、病院の患者はいなかったのかもしれない。

高校が別になる前までは、よく遊びに行ったし、うどんも食べていたが、高校の頃は記憶がない。
その頃には、町にも活気が溢れ、商店街にもいろんなお店が立ち並んでいた。
喫茶店でナポリタンを食べるのがステイタスだった頃の話だ。

S山食堂の想い出はその頃からピタッと消え、地元を離れた以後30年程忘れていたが、ある時家族で思い出話をしていた時ふと話題になった。

「S山食堂のうどんメチャメチャ美味かった」と美食家の弟が話したからだ。

その時長い間忘れていた、食堂のうどんの味を不意に思い出した。

弟は子供の頃、この味に惹かれ、大人になったらうどん屋になると語っていた程だったので、そうとうに思い入れがあったようだ。

そんなS山君のお母さんが最近亡くなった。91歳だったという。

喪主であるS山君の弔辞で「45歳で調理師免許を取得しお店を始めた」ということを初めて知った。

その話を聞いて再びS山食堂の素うどんの味が鮮明によみがえった。

もう二度と味わうことのないという現実が、記憶の古層からよみがえらせたのかもしれない。

幼い日の想い出と素うどんの味は、もう取り戻すことのできない時間の重みを私に感じさせた。