魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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信仰と災害について

戦後最悪の火山災害という見出しで伝えられる今回の御嶽山の噴火

亡くなられた方の家族や友人の皆さんの心情は察して余りある<

無念という他はないだろう。

残された者たちは、いつになったら"なぜ"という疑問か抜け出せるだろうか?

突然なんの前触れもなく、この世から旅立たなくてはならなかった者の無念は、残された者の心の中でどのように昇華できるだろうか?

秋の天気の良い休日の、山上に広がる紅葉を楽しみに、多くの登山者が山頂に到達するお昼頃、音もなく眼前に広がった噴煙を見た人たちは、これが何であるのか一瞬わからなかったと思う。

そしてわずかな間に闇の世界に包まれていった・・・


三年半前に東北を襲った大地震と大津波で二万人近い人の命を飲み込み、残された者たちの心の傷もその大地に残された痕跡も消えることがない。

もしもあの時・・・残された者たちは自らの心に湧き上がる問いに今も苦しみつづけている。

もしもあの時
登山をしようと言わなければ

もしもあの日
雨が降っていたなら

もしもあの日
あの時間に山頂にいなければ


そのような問いに 人はどのような答えを出してゆけるだろうか?


『運が悪かった』 残された者を慰められる言葉はそう多くない。

『運が悪かった』 残された者はこの言葉をどのように受け取るだろうか?

運とは何か

自然の営みに人間が無力であることは知識としてはわかっている。

それが"偶発的な出来事"であることを誰も否定はしない。

しかし、人の想いはそんな答えでは納得できないのだ。


確率的な問題の延長に人の死があるとしたら、それは"生きる"という意味にそのままはね返ってしまうからだ。

"生かされている"という言葉には確率的な数値が含まれていない。

そこには何等かの"他力"が働いているというのだ。

神なのか仏なのか、宇宙なのかとらえる人によって違いはあるだろうが、そこには人の力ではどうしようもない他者の意志(力)が働いている。


そんなことを日常的に感じている人は現代では稀だろう。

現代社会はそのような力を排除したところから人の営みを組み立てているからだ。

明るい所(現世)を世界の全てに置き換え、暗闇(人の力の及ばぬ世界)をゼロという意味の数値で無化している。

嶽という字は、険しい高山を意味している。

日本人は古くから山奥の高い山に死者の霊が長い時間をかけて登ってゆくと信じてきた。

山岳信仰や修験道という宗教観の基にもなっている自然観である。

火山列島であるこの国は、絶えず火山噴火や地震災害、台風や水害に襲われ続けた歴史を持っている。

この土地に生きるということは、そのような現象から逃れられないという未来を前提として、独特の文化や信仰が生み出されてきたのだと思う。


山川草木悉皆成仏

そんな言葉が生まれる程、人と自然の関係が濃厚であった。



18世紀末頃に御嶽山に新たな登拝道を開いた二人の僧がいた。

その結果軽精進で御嶽登拝が可能となり、御嶽信仰が全国に広がっていった。

そのうちの一人である普寛行者が御嶽講布教の旅途中で亡くなった折詠んだ句があるという。


なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の月


有明の月に穏やかな山影の遷る日が来ることを祈念して