魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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2つの
以前どこかで、"2つの国家"というタイトルでブログ書いたことを今日の新聞で思い出した。

どのような内容について書いたかはほぼ忘れたが、きっとこれから書く内容に近いと思う。

やはりこの国には"2つの国家"が存在するという仮定だ。

というのも、(2つの)両者が言う民主主義の定義が相容れないからだ。

一つは、選挙で選ばれた過半数を上回る党(一つでなくても良いらしい)が"民主的な手法"で首相を選出したら、その人の言うことは民主主義を反映しているという主張。

もう一つは、民主主義というのは結果ではなく、手続きであり、合意形成であり、説明責任であるという主張。だから首相の考えを国会での多数決だけで法制化しそれを民主主義であると言い張るのは間違っているという意味だ。

このようなモデル的2つの見解は、いくら論議してもかみ合わず結果として両者の意見は平行線をたどり続けることとなる。

もちろん誰かさんが大好きな"法治国家"というシステムとして両者を並立させることはできない。そうでないと法治できないからだ。

しかし、日本では戦後ずっとこんな感じで"2つの国家"が成立し、それぞれがそれぞれの国に住んでいると言えるのではないだろうか?

それは、ちょっと前には「55年体制」などとネーミングされて揶揄され、それを打開するということで政治的な転換点になったはずだったが、実は、こんにちも同じ体制の中にあると言える。

要は、一つの屋根に二世帯が居住して、別々のルールで暮らしている親子同居のようにも見える。

なぜそんなややこしいことをするのかという言えば、外から見れば仲の良い親子同居に見えるので、多少リスクがあってもそっちを優先しているに過ぎない。

しかし現実は同居といっても実態は別居同然であり、棲み分けて暮らしているのだ。

だから、私の見解は、どうせ何年も続いてきた二世帯同居なのだから、同居が合意できるのであれば、これまで通り国家的二世帯居住をすればいいのではないかということだ。

少なくともその間は、別れを切り出さずにすむし、グレーと言われようが、言行不一致と罵られようが、少なくとも戦争に駆り出されることはなかった。(これまでは)

「このままでは必ず戦争に巻き込まれる」と危惧されるのであれば、もうそこは民主主義の本旨を貫いて、ありとあらゆる手段でもう一つの国家を駆逐するほかはないだろう。

私はそれを否定しないが、自分がそれを行う気はもうない。

2つの国も、2つの神も、2つの性も、2つの脳も一つの頭で考えている間はバランスをとることができるからだ。

でも別々の頭で考えだすとちょっと怖いそんな気がする。