魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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ダムと離村
この地域には、二つの大きなダムとそれに伴う住民移転が行われた歴史がある。

ひとつは白川・荘川村の御母衣ダム、もうひとつは越前和泉村の九頭竜ダムだ。

御母衣ダムは1950年代、九頭竜ダムは1960年代に計画が開始し、移転交渉の末に開設された。

大きな二つのダムの工事が始まったため地域では時節にものって大変な建設ブームとなり、たくさんの建設会社(昔は土建屋といったが)が生まれ、隣接する郡上地域の経済も大変に潤ったという。

高度成長の時代の光のようなその光景の背後には、先祖代々暮らしてきたふるさとを追われるという憂き目に会った人々がいた。
ふるさとを追われるだでなく暮らしの全てであった空間が水の底に水没したのだ。

世界遺産となり全国的に有名となった白川郷と隣にある荘川は、合掌造りの家屋とともに、浄土真宗の飛騨流入の拠点として有名であったところで、信仰の拠点であった中野照蓮寺はダム建設により1961年に高山市堀端町に移転した。

一方、和泉村の一部530戸が水没した和泉村穴馬集落も浄土真宗の信仰深い土地で、信長の一向一揆討伐に対して、本願寺法主顕如やその子教如を助けた歴史を持ち今日も東西本願寺で直参門徒として特別待遇を許されている。

しかし、先祖たちが苦労して残してきたそんな歴史も今はもう水底にあり、それを語り継げる者は居なくなった。

暮らしてきた場所を喪失するということは、現在の生活を失うことのみでなく、その土地に残してきた先祖たちの歴史や暮らしの意味そのものを無くすということだ。

そんな歴史が、東北の福島の地で再び起こっていることは、その土地に暮らしてきた人々にとっては耐え難い苦しみだと思う。




福井新聞5月5日記事
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福井県の九頭竜ダム建設などで水没、離村した旧和泉村の穴馬郷の村民らが5日、大野市野尻の穴馬総社に集まり、離村50周年と同総社建立45周年の記念大祭を開いた。半世紀前の暮らしぶりを思い出し、笑顔で旧交を温めた。


 1964年から始まった九頭竜川上流の電源開発事業によるダム工事で穴馬郷の12集落が水没。周辺3集落も生計が立てられず、計15集落419世帯が離村。8割が愛知、岐阜など県外に移住したという。

 同総社は離村各集落の神社を合祀(ごうし)して69年に建てられた。毎年5月に例祭、10年ごとに記念大祭を開いている。

 この日は旧村民やその家族ら約130人が参列し、神事が営まれた。役員代表の古世尚治さん(67)=岐阜県関市=は「離村したのは高校生のころ。当時は都会に出られると喜んだが、古里に来るたび、楽しかった思い出がよみがえってくる」とあいさつした。

 同総社内に掲げられた離村する前の集落の写真パネルを前に、昔話に花を咲かせる姿も見られた。大野市街地に移住した池尾茂成さん(80)=有明町=は「50年はあっという間だった。釣りや山菜採りをしていたころが懐かしい」と振り返った。

 高齢化で同総社の維持管理が課題としており、古世さんは「われわれの子どもはこの地と縁がない。時代の流れだが、継承してくれる人が出てきてほしい」と話していた。
足して100歳記念
娘から久しぶりに電話があり、何かと思ったら「お父さんとお母さん、足すと100歳だね」と言った。

突然のことで言葉もなくただ驚くいていると、あるテレビドラマで主人公の二人が「私たち二人足すと100歳よ!」と会話したのを聞いて、両親の年齢を足してみたら100だったので、それが面白くて電話したようだ。

私もそのドラマを見ていたので、たしかそんな場面があったのを思い出しやっと「ホントだー すごいね!!」とようやく納得した。

「足すと100歳になるんだ」
それは何かサプライズのように感じたが、

良く考えると、足して100歳という年齢は、夫婦(恋人でも)いずれやってくる。
二人がどんな年齢であっても、毎年2歳ずつ齢をとることは変わらない。
二人の年齢に2歳づつ足していけばいつかは100にたどり着くのだ。

例え前年が99であったとしても、誕生日が同じ日でない限り、1日以上は100歳の日があることになる。(同じ日でも厳密には100歳の瞬間はあると言うべきか)

こんな簡単なトリックだが「足して100歳」というサプライズは、何か特別な意味合いも含んでいるように思う。

1人ではなかなか100歳にはなれない。そんな年齢だ。

二人でなら100歳を迎えられる。

二人で割ったら50歳という年齢となる。

50歳という年齢を人は格別の感慨をもって迎えるのは難しい。

家庭では子供が社会人となる年頃となり、社会では働き盛りの年齢として、公私にわたって忙しいからだ。

「人生50年」だった近世初頭なら、もう「人生に悔いなし」と悟り、余生をどのように生きるか考えないといけないが、その人生が30年以上もエクステンドされた現代では、50はようやく人生の上り坂を越えたあたりとなってしまう。

そんな現代人に「もう二人で100歳」という実感を与える意味は大きい。
人生を語るために、100歳は条件を満たして余りある年齢だ。

二人で200歳を目指すのは無謀なチャレンジと思うが、100歳という年齢を人生の峠としてとらえ、その先にある山頂までの風景を想像してみる機会としては良いタイミングだと思う。

『足して100歳』記念日を是非ご家庭で!!