魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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人生60年~ケツカッチン的生き方
正月早々堅い話で申し訳ない。

人は自分の人生の長さを自分で決められない。

それは当たり前の事である。

しかし、人生設計(何をもって人生というかは問わない)を考えるうえでは、ゴールの時期を定めなくてはならない。

信長は人生50年と詠ったそうだが、一般的には60歳を人生サイクル終点と考えることが常識的であった。
だから60を迎えたころには赤いチャンチャンコを着せてもらい「ご苦労様」というねぎらいの言葉を受けて現役を退くのだ。

しかし、現代日本社会ではそのような古い文化などどこ吹く風とばかりに、60を過ぎても社会の権威・権力の座に居座り、その力を手放す気などさらさらないかのような老人が幅を利かせている。

彼らは"ふがいない奴ら若者には任せておけない"とか"譲るべき相手がいない"などといけシャーシャーとのたまわる。

その結果、彼らが若かったころの古い社会体質がそのまま温存され、現実生活との齟齬が様々な場面で滲み出してきている。

経済、環境、年金福祉、国際社会すべての領域でこのような思考停止が容認され、目の前の現実があたかも幻想だと言わんばかりに開き直りを続けている。

この社会システムの停滞や循環の破壊が生み出している社会的損失は結果未来の子供たちがすべて背負うことになる。(もちろん子供たちが生き残れる未来があればという前提だが)

私はこの老人(あえて使用しますが)世代を攻撃しているのではない。

"人生"の意味を知ってもらいたいのだ。

所詮この世界は浮世である。 

人々の欲望が必ずしも理想的な社会をもたらしてくれないのは歴史が示している。

だからこそ、自分の意志だけではどうにもならない浮世を卒業し、遁世(とんせ)してもらいたいのだ。

ストレートに言うなら次世代にこの世を任せてもらいたい。

そのためには、60もしくは65ぐらいを人生のゴールと定め、この世でやるべきことをきちんとやったうえで、隠居してもらいたい。

それが大人のありかただと思うのだ。

翻って考えると、私もゴールまで10年くらいしかない。

この年齢の10年などという時間はあっという間の出来事に過ぎないことは承知している。

そうしたら、もはや迷っている時間などない。やるべきことをやるだけだ。


まさに今でしょ!!!