魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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禁断の書
長くいろんな本を読んでいると、たまにすごくはまる本に出会う。

私にとってそんな本の一つが菊池展明著『円空と瀬織津姫~北辺の神との対話』だ。

2008年に初版されたこの本に出会い、読んでいく中でそこに書かれている物語の魔術的な展開にどんどん引き込まれていく。

この本に出会ってから4年、知人に貸していたら3年間近く帰ってこなかったため、ほぼあきらめてもう一度買おうかと思っていた矢先に手元に戻ってきた。

久しぶりに手に取り、読み始めるとその磁力に再び引き込まれる。

物語といっても、この著作は小説ではない。
円空という江戸初期に現れた修行僧の旅と、その過程に生まれた一万二千体といわれる木彫の神仏像と残された和歌をたずね歩く中から現れてきた秘された神の姿を解き明かしてゆくというストーリーとなっている。

円空という実在の仏師の姿が明らかとなり、その人が生み出した彫像が円空仏として有名になり研究されるようになったのは、戦後のきわめて近年のことだが、全国各地に残され発見された膨大なその彫像のあまりの斬新さに、円空ブームと呼ばれるような現象がおき、地元岐阜県を始め全国各地で円空仏研究が始まった。

現在までに、各地に残る円空仏の製作年や来歴、彫像の種類と、円空が旅した修行の道行きなど大方が明らかになりつつあるが、はたして円空は何のためにそのような厳しい修行を積み、その成果物としての神仏像を各地に奉納してきたのかについては、郷土史家や研究者の中でも明確な実証はなされていない。

そんな修行僧円空の思想と信仰については、唯一本人から述べられた記録として『飛州誌』に残された「我山岳ニ居テ多年仏像ヲ造リ、ソノ地神ヲ供養スルノミ」という言葉のみだが、そのようなベールに包まれた円空の旅と人生を"秘され消された神の鎮魂供養"というテーマでこの本は円空の足跡を訪ね実像に迫ろうという労作だ。

しかし、今までの調査研究では、ほとんど誰もその対象として捉えきれなかった円空の思想と信仰を、"瀬織津姫"というほとんど聞きなれない神の名前をもとに紐解いていくこの著作に対して、多くの研究者はそれに対する言葉を持ちえず黙殺している。
「論議する対象ではない、架空の物語」という認識であろうか。

もちろんずぶのシロウトの私にはその論議に参画するような知識も気迫もないのだが、語られている物語の緻密さと深遠さに対して賛意を送りたい。

単なる架空のミステリー作品という認識であるにせよ、この著作の持つ物語りの深みは、日本の古層を読み解き、日本という"国のかたち"が権力者によってどのように捻じ曲げられ、その過程でまつろわざる民たちの声を封殺してきたかを想像させるに十分な説得力をもっている。

円空を生み出し、入定の地とした長良川。その流域で白山神を感得したといわれるこの郡上の地で、その思想と信仰にふれることは大変意義深いと思う。





長良川の源流
今は、長良川の源流といえば、高鷲のカマス谷と位置づけられていますが、明治以前までは、前谷村から石徹白に向かう白山禅定道の美濃馬場の参詣道に沿う前谷川の阿弥陀ヶ滝をその源流としていたことが知られています。

その証拠がこの写真です。
これは、江戸時代後期に製作された水系地図で「尾張美濃参河飛騨信濃五ケ国絵図」というものです。

尾張藩の領地の河川水系を絵図としたもので、大川のみならず支流の細部に渡り書き込まれていて、農地が重要であった当時の製作意図が伝わってきます。



下方が太平洋側、尾張、三河です。最北にそびえるのが白山です。
揖斐川、長良川、木曽川、矢作川の大河とその枝流が細部にわたって描かれています。

白山の山塊の左に黒く山のように描かれているところを拡大するとこうなります。

水源の最上流に流れる大きな滝の絵です。
良く見ると「阿弥陀ヶ滝高百間」とその高さまで書き込まれています。
横には注釈が書かれ「この峠は越前との境であり、その向こうは石徹白で、雪が降ると通行不能」と書かれています。

近世には、水の利水が大切であり、平野部では用水を開設し水田地を増やしてきたので、その意味でも水源となる水系が大切だったのでしょうが、本来は白山信仰は「水分(みくまり)神」としてあったため、水害や旱魃の被害から守り、豊かな水を里へ運ぶというお山として白山があり、その象徴的な存在として、阿弥陀ヶ滝があったという証拠であると思われます。

そんな場所で先日滝の禊を行いました。

毎年七月の終わりの日曜日に行われている「阿弥陀ヶ滝のみそぎ祭り」です。

今年は水量も少なく、水温も冷たくなかったので、長く使っていることができました。(水量の多いときは水面が波立ち溺れそうになることも)







禊の後は、参加した森林アカデミーの生徒さんたちと、長滝白山神社の若宮宮司から、白山信仰と水のかかわりや、阿弥陀ヶ滝と修験道のことなど興味深いお話を聞くことができました。





東北を照らす仏国土~平泉
年末に東北の奥州平泉を旅する機会があり、毛越寺や中尊寺を巡り歩いた。

東北の信仰と文化の中心地として栄えた奥州平泉は昨年6月に世界遺産として登録されて以来、さらに多くの観光客が訪れる場所となっていたが、年末の雪の中ではさすがにその数も少なく、雪に覆われたその姿は、千年の風雪に耐え続けた威厳を湛えていた。

毛越寺には、正月二十日夜祭という祭事がある。

これは、郡上の長滝白山中宮に伝わる延年舞と同じもので、天台の僧侶が行う年迎えの儀式である常行三昧(じょうぎょうざんまい)の修法が結願を迎えたその夜に、常行堂で行われる神仏の延年を寿ぐ舞である。

長滝では、大晦日から続けられ六日に結願するので六日祭りと呼ばれていますが、ここ毛越寺では小正月を迎える十四日から修正会が始まるため、二十日の祭りとなっている。

常行堂の守護神として阿弥陀如来の後ろに秘仏として置かれている「摩多羅紳」は、比叡山の高僧円仁が唐から勧請した神と言われている。
謎の多い神様で「吾は障礙神である。吾を祀らなければ、往生の願いは達せられないであろう」と慈覚大師に告げたという。

奥州藤原氏が、度重なる戦や飢饉、大災害により疲弊した東北の大地を仏の力により再生するために建立した関山・中尊寺は、鎌倉幕府の奥州攻めの主戦場となった衣川が北上川に合流する山裾に鎮座していた。

後年、兵どもの夢のあとを旅した芭蕉翁はその栄枯必衰を詠んだ。

藤原氏は代々白山信仰を尊び、中尊寺の鎮護神として白山社を奥宮に配置した。

一説には、鎌倉の追討から義経を守るべく「虚空蔵菩薩坐像」を白山信仰の拠点である石徹白の地に送り届ける理由として、家臣団を送り込んだとされる程奥州藤原氏と白山信仰のつながりは深い。

結果的に義経を裏切り、奥州を陥落させてしまった、四代目
泰衡(やすひら)の首桶に残っていた蓮の実は、戦後の発掘調査から奇跡的に目覚め、仏国土である奥州に再び花開いた。

年が開け、未曾有の辛苦を経験した東北の大地を再び仏の光で遍く照らし出し平和で豊かな一年が訪れんことを祈念した旅であった。






リトルブータン~石徹白
先週の日曜日、聞き書きの発表会が石徹白でおこなわれ、岐阜女子大の学生さんや、森林文化アカデミーの学生さんなどたくさんの人が集まった。

地域の古老8人からうかがった話をそれぞれ担当者が文章に起こし、当日はその内容についての発表会であった。
(聞き書きの内容についてはここに)

今回聞き書きを担当した多くは地域外の若者であり、初めて石徹白に訪れた人も多かった。

郡上の山の中のそのまた先の1000m近い峠を越えた石徹白の集落を始めて来た人は一様に驚く。

秘境・別天地という形容詞が頭に浮かぶことだろう。

石徹白はその天然の要害のような孤立性ゆえに、歴史的にも周辺の地域とはまったく別の文化と歴史を生み出してきた。

「なぎ畑(焼畑)」「牛のいない村」「奥州藤原氏」「にしん鮨」「神仏分離」など語られる話の中には、この地域がたどってきた特異な歴史と、厳しい自然環境の中での豊かな人々の暮らしぶりがあり、多くの聞き手を魅了してきた。


昨日の岐阜新聞で、飛騨支局長が「美濃、信濃、越中とも違うこの(飛騨)地域をブータンのような国家戦略で活かせないか」と書いていた。

それを読んで、ブータンを日本でたとえるなら石徹白だろうと思った。
外部からの浸入を容易に許さない白山山系の地形と、その信仰の中心地として近世まで栄えてきた歴史、それがゆえに今日まで残されてきた豊かな歴史風土と、それはまさにリトルブータンと言っても過言ではない。

聞き書き参加のお礼に主催者から葉書が届いた。

(昭和30年代頃まで続けられた、布橋勧請の神事のための杉大木の丸太橋を運んでいる写真)

能の里
岐阜と福井の県境にそびえ立つ能郷白山は、日本二百名山に数えられる名山である。

その昔、白山を禅譲し、白山神を感得した泰澄太子がその山頂から見渡した時にこの山が目に留まり、それ以来白山権現を祀る祭祀が伝えられている。

その名が示すとおりその里では古くから能舞が続けられており、能郷の能・狂言として重要無形文化財の指定を受けている。

昨日、4月13日には例年の神事として能舞が奉納され続けてており、猿楽衆として古来から16戸が口伝でその舞を伝え続けきたという。

能舞の文化と白山信仰の結びつきは古く、白山周辺には数多くの能狂言の古態が今も残る。能郷白山の福井県側の池田町には「水海の能舞」として今日まで続けられている。

能舞の最も重要なアイテムである能面作りの技術も、岐阜、福井、石川の地域で発達してきたということも明らかになっている。
白洲正子が一目惚れした能面は、長滝白山中宮寺に残されていたものだ。
白山信仰の広がりもこの能舞と能面がセットとなり広がっていったのかもしれない。


岐阜新聞の昨日の記事
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20110414/201104140018_13578.shtml

白山信仰と能面(曽我孝司著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%A8%E8%83%BD%E9%9D%A2-%E6%9B%BD%E6%88%91-%E5%AD%9D%E5%8F%B8/dp/4639018274

長滝の能面
http://www.gifu-np.co.jp/odekake/odekake.shtml?p=071207


白山文化フォーラムに行ってきました。
以前ブログに書いた白山文化フォーラムに行ってきました。

今回のテーマは「白山文化と盆踊り」というものです。

盆踊りというとこちらでは郡上踊りや白鳥踊りが有名ですが、
街の中で山車を囲んで笛や太鼓の音頭で踊るこのスタイルは比較的新しいもので、大正以降、謡曲がお座敷芸として取り入れられた後に発展したものですが、それ以前は、神社仏閣の境内で踊られていたらしく、歌を交代で謡い継ぎながら、下駄の音だけでリズムをとって踊る拝殿踊り(昔おどり)が昔から続けられてきました。

今回のお話は、その盆踊りのルーツに迫るという内容の講演です。

これまで、拝殿踊りのようなスタイル(社寺の境内や拝殿で踊る)の下駄履き踊りは西日本の各所に残っていたそうですが、現在もそれが残っている地域は珍しいらしく、多くは集落伝承が不可能になって途絶えてしまっているようです。

郡上や白山周辺の盆踊りと同じ、日本海から太平洋に抜ける地域には、鉦や太鼓などの楽器の入った「嘉喜おどり、掛け踊り」のような踊りも色濃く残っており、元々はこれらの踊りの後に「歌杯(うたさかづき)」といって集落ごとに集まり歌を掛け合いながら踊り続けられてきたのではないかと講師は話しました。

実際、拝殿踊りではじめに謡われる「場所おどり」は「芭蕉おどり」として一宮市北方や羽島市笠松に残っているそうです。

元々は神仏や祖霊に対する信仰的(念仏おどりのように)な儀式であったものが、ある時代から部分的に大衆化して地域芸能や風俗として残ってきたのではないでしょうか。

白鳥の長滝神社に伝わる六日祭り(延年の舞)も、後半の「花奪祭り」がまさに、民衆の願望や願いが風俗化したものであるのとよく似ています。

また、
「盆と正月」というように、日本では、一年を半部に分けて、それぞれをひとつのサイクル(循環)として認識して暮らし続けてきた文化があります。
お盆行事というものも元々は、正月の行事と対応した神事としてあり、現在の盆踊りのような風俗が正月にもあったのかもしれませんが、現在ではその意味合いもはっきりしません。

とにかく、そのような古い形態の習俗がこの地域流域に色濃く残っていることは、単に山深い古里であることだけでなく、もっと本質的な理由があるのかもしれません。

白山文化フォーラム開催のお知らせ
年一回の開催が続けられている白山文化フォーラムが今年も開催されるようです。

今年は、盆踊りを切り口に白山文化とのつながりを後援されるようです。

郡上おどりや、白鳥おどりは見る機会がありますが、石徹白のおどりはなかなか見ることができないので、この機会に是非。


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平成22年12月5日(日)午後1時から、郡上市総合文化センター文化ホールにおいて、「平成22年度白山文化フォーラム」を開催します。
 今回のフォーラム講演会では東京文化財研究所名誉研究員の星野紘先生をお招きし、「白山文化と盆踊り」と題してお話をしていただきます。星野先生は民俗芸能に精通されており、白山文化と郡上の踊りについて興味深いお話が聞くことができると思います。
 また講演後第2部として民俗芸能「白鳥の拝殿踊り」「石徹白の盆踊り」の上演を行います。当日は、フォーラムに先立ち市政功労者表彰の授与を行います。
 入場料は無料ですので、みなさんお誘い合わせの上、ご来場ください。詳しい内容は下記のチラシデータ(PDFファイル)をご覧ください。

http://www.city.gujo.gifu.jp/admin/info/post-88.html
白山神駈道(はくさんかみがけみち)登山
という名称のイベントが今週末開催されます。

白山神駆道とは、
「加賀禅定道18km、美濃禅定道19km。二つの道は白山主峰2,702m御前峰をはさんで幾つもの峰々を越え南北に真っ直ぐ美しくつながって37km、登りの高距合わせて3,200余m、下りの高距もまた同じ。日本に一山でこれほどの道を持つ山は他に無い。」

という途方もない登山です。

「加賀禅定道ハライ谷登山口から御前峰を経由して美濃禅定道石徹白大杉登山口にむかうのを順駈け、石徹白からハライ谷にむかうのを逆駈けとし、37kmを一日で走破する場合を荒行、二日かけて歩き通すのを難行、三日かけてのそれを苦行と呼んで区分けし、4年前より毎年9月に走破登山を呼びかけ、サポートしてきた。」

登山と呼ぶよりは、まさに修行。修験道の荒行です。

今年はすでに第五回目の開催になるという。

今年のコースは逆駆でスタート地点は、石徹白の大杉駐車場(美濃禅定道登山口)なので、参加は無理でも、どんな人が参加するのか応援にでも行きたいが、出走は18日24時(19日の0時)なのでちょっとムリ。

興味ある人は、来年のエントリーに向けて準備しましょう。
私はムリですが。


大会詳細
http://blog.goo.ne.jp/repu/e/4706090c89fd11360654f6a87649ce4c
カミダノミ 阿弥陀ヶ滝 禊まつり


昨年から参加しているこの禊まつりに今年も行ってきました。今年のテーマは写真のとおりです。

本来は神事としての禊行事であり修験者の滝修行でありましたが、数年前から一般参加を受け入れ「禊まつり」として地域で実施されてきました。



この阿弥陀ヶ滝は、白山信仰の美濃馬場(長良川ルート)の象徴であり、信長に対して白山信仰の帰依を薦めた長滝長龍寺の道雅(どうが)法師がその尊称を与え、信仰上の長良川の源流となっています。

その白山信仰の最深部の地から、その河口部にある河口堰を、失われた水の化身(眷属)の荒霊魂(あらみたま)の力により開放させようという魂胆です。



昨年は冷たい雨が降る中での禊だったので、水温も低く、滝つぼに入ったときは、それこそ生きた心地がしませんでしたが、今年はこの暑さで、一旦身を浸してしまえば、とても心地よい時間となりました。




普段こんな格好でうろついていたら、怪しい人たちと思われそうですが、この日だけは観光客の注目が集まります。

下帯(ふんどし)一つでこの自然の中に居られる時間は他には例えようのない開放感に満ちています。

いっそのことすっぽんぽんが良かったとさえ思いました。
白山禅定登山と阿弥陀ヶ滝禊まつり
今月7月25日は、
白山とその信仰にとって欠くことのできない行事が二つ予定されています。

一つは石徹白の氏子(地域の人々)が開山以来続けてきた白山美濃馬場の清掃登山です。
以前はもちろん登山という呼称はなく、禅定道(白山へ向かう信仰の道)の清め祓いの行事であったのでしょうが、近年、地域の氏子数が少なくなり、この行事自体を地域で存続させていくことが困難となり、「ボランティア清掃登山」として広く一般に呼びかけての開催となりました。
例年、白山の山と信仰を大切に思う人々が全国から参加し、100人程度の規模で実施されています。


もう一つの行事は、
白山信仰を象徴する「阿弥陀が滝」での清め祓いの滝行(たきぎょう)です。もちろんこれは正真正銘の信仰行事であり、全国の白山社の宮司がこの時期に各地で行う清め祓いの行です。
白山美濃馬場の本流である長良川周辺の宮司は、この阿弥陀が滝に打たれる水行をもっとも霊験あらたかなものとして古来より行っていましたが、近年長滝や洲原神社の宮司さんたちが廃れていたその修行を復活し、一般の参加を認め「みそぎ祭り」として実施されています。

同日は郡上八幡の願蓮寺で華まつりも予定され、夜には月のイベントさらには郡上踊りと、楽しさ満載です。



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