魂の所在~今あること。そして未来へ

プロフィール
ぺくさんさん
どうも。
ちょっと年はいってますが、
年取ってますます元気です!!

ふるさとへUターンして、ようやく調子を取り戻しました。

都市生活で疲弊していた身体が、長良川と森の精霊によってリライブしています。

このかけがえのない地域を未来の子供達に残していくために、まだまだがんばる所存です。

流域のみなさんよろしく!!!



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小さな歌集
たらった!たんかの作者であるきょうこさんから、歌集をいただいた。

昨日、八幡で開催されていた「糸CAFEキネマ」の会場で「糸CAFEマルシェ」として展示販売されていたかめっこ農園さんの「キッチンレタス」を買ったら、恥ずかしそうに渡してくれたのがこの短歌集。

きょうこさんの手書きで短歌に可愛いイラストが添えられている。

私がこの「たらった!たんか」のファンであることをコメントで伝えていたので、渡してくれたのだと思う。

きょうこさんの歌を読むと、小さな季節の変化と家族の暮らしの様子が、自然の空気感とともに感じられて不思議だ。

いつか小さな絵本の様にして出してほしいと期待している。












耕運機と私
ヤンマーYC-80という耕運機を使い始めて、5年が経つ。

田んぼを始めようと思い、中古農機具を仕入れたのが、この耕運機とバインターと脱穀機だ。

以前実家で使っていた農機具は、体調を崩した父がもう使うことがないだろうと処分してしまったからだ。

昔ながらの小さな田んぼが数枚残っている。

圃場整備をしても、田んぼを続けられないと思った父が手をつけなかったからだ。

私はこの小さな田んぼが好きだ。

祖父母が原野を切り開き、石を積み耕地を作ったそのままの姿で残っている。

圃場整備で作られた田畑とは違い、山地の形状そのままの微妙なカーブが美しい。

このような小さな田んぼにはトラクターは似合わない。

というか、路盤の弱い未整備の田んぼにトラクターやコンバインなどの重量機械を入れると、作業している間にどんどん田んぼが深くなってしまう。

なんどもスタックしたことがあるので懲りたのだ。

そこへいくと、耕運機はヒューマンサイズでローテクだ。

耕作幅は狭くて、何度も歩いて通わなくてはならないのだが、一緒に作業している感じがあり、一人作業の良き相棒という感じになる。

そういえばこのマシンは1971年製。 年齢的にはちょっとはなれた弟のようなものだ。

スターターもついていない、クランクタイプ。

デコンプを押してクランクシャフトを勢いよく回すとダダダダーンとエンジンが始動する。

トルクの太いエンジン音が農作業には良く似合う。

高回転から徐々に回転数を落としていくと、32ビートに聞こえてくる。

その回転数に反応し、機械部分が共振しだすと、あたかも
それはアフリカンドラムが大地の祝祭をするようなグループを感じさせてくれる。

面積にしたら3畝から7畝程度の田んぼばかりだけど、この耕運機と稲刈り機で続けられるだけ続けてゆきたいと思う。



春の足音
奥山の雪解け水が谷をつたい流れ込んでいます


野山の木々が張りつめ、そのエネルギーが水となって流れるようです


早津瀬は滝のように、高山の末、低山の谷を渡ります




それは、山の神が長い冬の終わりを告げ、里に下りてくる足音のようでもあります。


里も張るの息吹に覆われ、鳥が鳴き、花芽が咲きます


神は田畑を潤す、水神となって里に降ります




草木も鳥も虫も人間も待ち焦がれた春が今やってきました

秋の朝焼け空


今日の朝はとても絵画的な空の雲でした。

いよいよ秋も深まりましたね。

空に羽が生えました!!
秋の空って清々しいですね。



古木に魂を入れる男
アースキャンプのステージ横で黙々と大木と向き合う男がいました。



堀君に木材の調達を依頼され「これでもいい?」と楢の古木をユニックで運びました。

何に使うのかはあまり関心なかったのですが、大木を相手に一心不乱にノミをふるう男に釘付けになりました。



プロの道具箱には、あらゆる造形を可能にする道具がそろっています。



顔が彫りこまれるとたん、子供たちの関心は高まります。

「なに? なに? なにができるの?」

「ふね ふねでしょう」

子供たちは船ができあがることを心待ちにしています。

木から船を掘り出すのは縄文の時代から続いてきた文化です。



子供たちは待ちきれないので、手伝ったりします。



子供なのか、男なのか、女なのかと聞くと「性別や年齢は考えていない」とのこと。

仏を彫りだすときはの気持ちと同じなのでしょう。



まるまる2日、ノミを振り続けて完成しました。

木そのものが持つカーブが生命のエロスを浮き立たせます。
















省エネ対策
冬はクソ寒く、夏の夜には蒸しあがるような高温になる我が家には、未だエアコンは導入されておらず、夏がくるのを恐れていますが、今年は省エネと自然エネルギー導入ということで、壁面緑化のためゴーヤの苗を植えました。

これは、まだ植えて二日目ですがもう、ツルを伸ばし、棚用のネットにつかまり始めています。

自然のもつパワーを感じます。

どんどん育って、涼しい夏とおいしいゴーヤやが食べられることが楽しみです。



田植え
今年もようやく田植えまでこぎつけることができた。

田植えが終わるとホッとする。

近頃この周辺の田んぼも、休耕田が多くなってきた。

この地域も農家の高齢化が進んでいて、後をやってくれる後継者が近くにいないのだろう。

農地はもともとそこにあったわけではない。

先祖や先人が、山や野原を開墾して苦労して作ってきたものだ。

森林原野を開墾するといっても、機械のない昔はそれは大変な作業だったことだろう。

開拓で入った土地の多くは、夫婦二人でその気の遠くなるような作業を朝早くから夜遅くまでつづけなければならない。

この土地も祖父母が入植して森を切り開いて農地にした土地だ。

ようやく農地らしくなってきたら次は、地質改良のため森から土作りのための草木を拾い集めて、農地に鋤きこんでいくのだ。

耕運機もなく、トラクターもない時代ことだ、唯一の頼みは牛馬などの力だが、貧しい新家にはそんな金も用意できなかっったに違いない。

そんな苦労をして作ってきた土地が今は耕されることのないまま放置されている。そんな状況を第一世代が見たらなんというだろうか。

今の農業(特に米作り)は、化石燃料のエネルギーを利用した農業機械の力で、そんなに苦労なく営農ができる。
そのおかげで、山村ではほとんど休日農家が多い。

休日だけ農家ということになると、平日の仕事が必要となり、平日に仕事ができるような場所に移り住むことになる。

そして、挙句の果てには耕作放棄地が増え、集落機能(水利管理とか)が維持できなくなり、限界集落となっていく。

放射能の汚染が無くても地域は崩壊していく。

まさに悪循環、負の連鎖だ。

エネルギー政策同様もうここらでこれまでのあり方を一人ひとりが見直さなくてはならない。



年越しのお餅つき
あけましておめでとうございます。

今年もムスブロガーの皆さんにとって良い一年であることを祈念します。

すでに昨年となってしまいましたが、
12月30日に行ったわが家の餅つきの画像です。

餅を食べて今年も一年、粘り強くがんばろうと思います。

























タグ: 餅つき 元旦
年を取るということ
以前にも書いたかもしれませんが、
日本では近年まで、誕生日はありませんでした。

どういうことかというと、
○月○日に生まれたという認識が無かったということです。
もちろん、
今のように、戸籍とか書類に誕生日を記入するということが行われていなかった時代のことです。

たしかに、自分の生まれた日を知っている人はたくさんいたでしょうが、それが今日のように○月○日生まれだから○才というふうには認識していなかったのです。

それは、
日本では古来から、みんなで正月を迎えることにより、一つ年をとるという認識が続いていたからです。
誕生日という日にちに大きな意味を与えていなかったということかもしれません。

他の国のことは知りませんが、
一人一人がそれぞれの年月を重ねるという考えと、家族や集落など集団で年を一つ重ねるという考えには、生命観に大きな違いがあるのではないでしょうか?

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人」と詠んだ芭蕉の詩にも現れているように、人々の暮らしと自然(季節のめぐり)の関係を客観的に捉える文化が長い歴史の中で蓄積されてきたのだと思います。

古くは、年神(歳神)とよばれ、その神は稲の精霊でもあったようです、一年は稲の生と死のワンサイクルであり、四季の巡りです。
一年という季節の中に、一つの生死を見てそれを積み重ねていくというのが日本人の生命観であったのです。

行く年は過ぎ去る命であり、来る年は新しく生まれる命。
過去と未来という概念をこのように位置づけ、現在を「せつな(瞬間)」として捕らえる日本の年取り(正月)をこれからも大切にしたいですね。



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