続いて、高雄青年歌舞伎が始まりました。
「
与話情浮名横櫛 源氏店(よはなさけ うきなのよこぐし げんやだな)」です。
与三郎は侍の子に生まれたが、江戸元町伊豆屋の養子になっていた。ところが伊豆屋に実子が生まれたことから、家督を譲ろうと放蕩に身を持ち出し勘当を受ける。流れ着いた木更津で地元の親分源左衛門の妾
お富を見初める。与三郎とお富が忍び会っているところを源左衛門に見つかり、与三郎は総身に刀傷を受ける。お富は海に身を投げるが商船に助けられ、和泉屋の大番頭
多左衛門に囲われることになる。それから三年...
舞台はここから始まります。
場所は鎌倉の
源氏店(げんやだな)
変な名前ですが、江戸時代に実在した「玄冶店(げんやだな)」という町がモデルだそうです。「店」というのは商店ではなく、貸家のことだそうです。
お富が風呂あがりに家に戻り、和泉屋の番頭
藤八が雨宿りに来ています。
お富の髪をといている
下女およしは塾生だったIさんが演じています(上手だったよー)

藤八はなんとかお富に近づこうと、家の中をウロウロ。
白粉(おしろい)が好きだと言って、顔に塗ってもらったりします。

軽くあしらうお富。

藤八の表情やセリフがとっても楽しいです。
そこへ、頬に蝙蝠(コウモリ)の入れ墨のある、地元のゴロツキ
蝙蝠の安が与三郎を引き連れやってきます。
連れの傷の養生代だと言ってお富を強請りますが、最初は断っていたお富も最後には一分を投げてやります。(一分は一両の四分の一)

これで引き下がろうとする蝙蝠安ですが、何を思ったか与三郎はそれを押しとどめます。

与三郎は気づいたのです。あれは、死んだはずだったお富じゃないかと。
ここから、与三郎の名セリフが続きます。
客席からも「たっぷりっ!」と声がかかります。
与:え、御新造さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
富:そういうお前は。
与:与三郎だ。
富:えぇっ。
与:お主ゃぁ、おれを見忘れたか。
富:えええ。
与:しがねぇ恋の情けが仇
命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から
めぐる月日も三年(みとせ)越し
江戸の親にやぁ勘当うけ
拠所(よんどころ)なく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
面(つら)に受けたる看板の
疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
切られ与三と異名を取り
押借り強請りも習おうより
慣れた時代(じでえ)の源氏店
その白化けか黒塀に
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁお主ゃぁ 達者でいたなぁ
安やい これじゃぁ一分じゃぁ
帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。
七五調が心地よいですね。
ここで春日八郎の「お富さん」の一節
「死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エッサオー 源氏店(げんやだな)」
2番の「これで一分はお富さん エッサオー すまされめえ」
私にとってほぼ半世紀ぶりに(笑)、やっとこの歌詞の意味が分かりました。
お富は囲われてはいるが決してやましいことはなく、お前を忘れたことはないと語りますが与三郎は信じません。
そこへ多左衛門が帰ってきます。

蝙蝠安は親の代から多左衛門に世話になっているので縮み上がります。

多左衛門から与三郎との関係を聞かれたお富は、とっさに「兄さん」だと話してしまいます。

多左衛門は与三郎にかたぎの商売を始めるよう金を渡します。
二人が引き上げた後、多左衛門はお富に自分の守袋を渡して店に戻っていきます。
お富が守袋の中に入っていた臍の緒書を見ると、なんと多左衛門こそが自分の兄であったことがわかります。

戻ってきた与三郎にそれを伝え、二人は多左衛門に感謝し、これからは二人で生きていくことを誓います。
高雄・気良青年歌舞伎、いやぁ楽しかったです。
伝統的な歌舞伎の様式美を堪能すると同時に、今に生きる若い人たちの情熱も伝わってきて、 本当にうれしくなりました。また観に行きたいなぁ。
(あらすじ、セリフはパンフレット、Wikipediaを参考にしました)