Paskel's room

プロフィール
パスケルさん
 Paskel’s room
 八幡の学びの森パスカルの
 塾長パスケルのブログです。
 趣味はリコーダー・オカリナ
 演奏、落語・音楽鑑賞、
 日曜大工などです。

 下のプレーヤーで
 "Paskels"による
 多重録音のリコーダー演奏を
 お楽しみ下さい。 一人で全
 パートを吹いています。

QRコード
アクセスカウンタ
Total:2096870
Today:323
Yesterday:385
オイルと煙
スズキのアルトに乗っている。
この車はもう11万km以上走っている車だ。

今年の春くらいから、マフラーから青白い煙が出るようになった。

特にエンジンをかけた直後がひどい。しばらく走っていると軽減されてくるが、後ろに煙をまき散らしながら走るのはさすがに気がひけるものだ。

ネットで調べてみると、この現象はオイル上がり、またはオイル下がりというもので、ピストンのリング等にガタがきて、オイルが燃焼するのだという。

あるサイトで、オイルを粘性の高いものに変えると直ることがある、との記述を見つけた。
確かに粘性が上がれば、細かな隙間へのオイルの浸み出しは少なくなるような気がする。

そこで一昨日ガソリンスタンドで、今入れているオイルより1段階粘性の高いものに変えてみることにした。

店員さんは、いやぁオイルを替えても変わらないと思いますよ、という意見だったが、ダメもとでやってみることにした。

すると、なんということだろう。
昨日の朝、今朝、ともにエンジンを始動しても煙がまったく出ないではないか!
まさかこんなにうまくいくとは。

もし、古い車で同じ現象が起きて困っておられる方がありましたら、ぜひお試しになって下さい。

ネコに学ぶ
猫を2匹飼っている。



上がキジトラのオスのサクラ、下がメスのコウメである。
この2匹は本当に性格が違う。

メスのコウメのほうは、自由奔放。やりたいことは周りなど気にせずすぐに行動を起こす。結果、私に叱られることも多い。最近は睨んだだけでコソコソとイタズラを止めるようになったけれど。

また、コウメはずいぶんとおしゃべりである。朝一番に顔を合わせるとちゃんと自分から声を出して挨拶をするし、それ以外でも話しかけると返事をしてくれることも多い。

一方、オスのサクラは、大変な慎重派である。
まず、コウメのような一直線の行動は取らない。常に周りに気を使い、特にコウメのことを第一に優先する。

例えば、私の足元に座って私を眺めているので、
「膝の上に乗りたいんか、ハイここに乗んなれ」
と声をかけてもすんなりは乗らない。

まずコウメが周りにいるかどうかを確認する。もし、コウメが先に膝に乗りたいようだったら、譲るつもりなのだ。
コウメがいないと、やっと膝に乗ることになるのだが、それもまず体を伸ばして膝の上を確認し、それからである。

サクラがそうやってマゴマゴしていると、やってきたコウメがいきなりサクラを押しのけサッと膝の上に乗ることも多い。


昨夜はさらに驚くことが起きた。

餌はいつもカリカリをあげているのだが、昨夜は珍しくカルカンのマグロ、ジューシーゼリー仕立てというのをあげてみた。

素晴らしくいい香りに2匹とも興奮気味である。2匹が奪い合うように食べるかと思いきや、なんと



なんとサクラは、コウメが食べるのを、座っておとなしくじっと見ているのだ。

しばらくしてコウメが食べ終わると、ようやく体をのばし



マグロに近づき、食べ始めたのである。



自制、セルフコントロールができるネコ、本当にサクラは偉いと思う。

人間でもサクラのような行動がとれない人はごまんといると思う。

もっとも餌に毒が入っていないか、コウメに先に食べさせて様子を見たというんなら、それはそれで大変賢いと思うけど(笑)

有朋自遠方来不亦楽
先週末、カナダ人のSさんが東京から郡上八幡に来られ、我が家で一泊して行かれました。

Sさんは、2003年から2007年まで郡上市のALTを勤められ、その後6年半東京で暮らしておられます。
2年半前に東京でお会いして以来の再会です。

この週末は台風も来ず、素晴らしい晴天で運が良かったです。
吉田川の水も透き通っていました。



今回は東京で結婚されたAさんもご一緒で、Sさん曰く「第二のふるさとである郡上八幡を見せたくて来た」んだそうです。

Sさんとの思い出は本当にたくさんあります。
趣味が似ていることもあり、色んなことを一緒にやり、笑い、楽しみました。

奥さんのAさんが席をはずしておられるとき、
「東京に行って、Aさんのような素敵な方と出会えて、本当によかったね」
としみじみとお話ししました。

Sさんは「東京は確かに刺激的な街で本当に楽しいけれど、自然がいっぱいの郡上の生活が忘れられない」とも言っていました。

愛犬のくぅは、慣れるまでかなりビビッていましたが、少しずつお二人にも慣れました。
散歩も一緒にしました(^^)



また会いたいなぁ。
心の声(いっそ郡上に移住したらいいのに)

題名の「有朋自遠方来 不亦楽」は論語の一節で、
「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや」と読みます。
「友人が(珍しくも)遠方から訪ねてきてくれるのは、こんなうれしいことはない」といった意味です。

今回はまさにそんな風に感じた二日間でした。
ピアノ発表会
土曜日は娘のピアノの発表会でした。

会場は、今年から美並のまん真ん中センターになりました。
さすがに音がよく響き、コンサートというにふさわしい雰囲気でした。

習い始めたばかりの小さなお子さんから、10年以上通われている生徒さんまで、様々なピアノ音楽を堪能してきてきました。

全体的にバランスよくまとまっている演奏が見事なのはもちろんですが、荒削りでも随所に光るものを感じさせる演奏や、あっこの子の演奏、もっと聴いていたいなと思わせる演奏もあり、聴いてて少しも飽きません。

娘はワルツの小品、連弾ではモーツァルトを演奏しました。



こう弾きたいという彼女の想いが伝わってくる演奏で、ミスも少なくまずまずの演奏だったと思います。

中学校に入って行事などで中々忙しいですが、これからもずっと続けていってほしいと思います。

みずぼうそうのうた
いがらしみきおの漫画に、何でもエンジョイしてしまう、というお話がありました。

ある家が強盗に入られ、お父さんは刃物で刺されてしまいます。

血を流し苦しみながら、お父さんは子どもたちを呼びます。

そして顕微鏡を取り出し、流れた血でプレパラートを作り、

「さっ 見てこらん。 赤血球がきれいだろう?」

子どもたちがそれを見て「うわ~ きれいだね~」


って(笑) さすがにここまでは中々できませんが、ある状況におかれたとき、それを苦ととらえ苦しんでしまうより、その状況を楽しんでしまうという姿勢は見習うべきものがあると思います。

オレン人さんのブログでお子さんが水疱瘡にかかってしまったというお話がありました。これはそこに書いたコメントなのですが・・・

私の娘は生まれつき体が丈夫で、本当に助かったのですが、それでも5年前、小学校2年に進級した直後、水疱瘡にかかって、数日間学校を休んだことがあります。

担任の先生が気をつかって下さって、娘が学校に復帰してから、クラスの集合写真を撮って下さったので、娘のクラスだけ背景が葉桜になっていました。

外出もできずに、退屈している娘に「みずぼうそうのうた」を作ってあげました。

ピアノを習っている娘が伴奏しながら歌えるように、譜面も作りました。



画像をクリックしてもらうと拡大できるかと思います。

当時、一緒にみずぼうそうのうたを歌って笑い飛ばしたことは、今となってはかけがえのない思い出になっています。

どうせ一回しかかからない病気なら、それを素敵な思い出に変えてしまえるといいですね。

さらに言えば、一回しかかからない病気だけでなく、人生のどんな出来事も一回こっきりのことですよね。

それを笑いとばすような余裕をいつも持っていたいなと思います。

高雄歌舞伎2014~その3
仮名手本 忠臣蔵 六段目~つづき

お軽を見送った母おかやは、勘平に与市兵衛とどこで会ったのかと尋ねますが、勘平はまともに返答できません。

そこへ勘平の猟師仲間が3人(角兵衛弥八)が与市兵衛の亡き骸を戸板に乗せてやってきます。
猟の帰りに与市兵衛が死んでいるのを見つけたのだといいます。
猟師仲間の3人は根っからの善人で、朴訥な雰囲気です。

 

おかやは、どうせ飲みつぶれて寝ていたんでしょうと言いながら、話しかけるが夫が死んでいることに気づき、驚愕します。

猟師たちは不憫に思いながら立ち去ります。



おかやは勘平を問い正します。
道の途中で会ったときに金を受け取らなかったのか。親父殿は何と言っていたのか。返事ができないのか。

返事ができないのはこれだろうと、勘平の懐から財布を取り出します。
さきほど勘平が財布を取り出したのを見ていたんですね。



「コレ血の付いてあるからは、こなたが親父を殺したの」

「イヤそれは」

「それはとは。エエわごりょはのう…親父殿を殺して取った、その金誰にやる金じゃ…今といふ今とても、律儀な人じゃと思うて、騙されたが腹が立つわいやい。…コリャここな鬼よ蛇よ、父様を返せ、親父殿を生けて戻せやい」

と母は勘平の髻を掴んで引寄せ、散々に殴り、たとえずたずたに切りさいなんだとて何で腹が癒えよう・・・




勘平も自分が舅を撃ち殺したと思い込んでいるから、畳に食いつかんばかりに打ちひしがれ、母の言葉を聞くしかありません。

勘平の心やいかにと、勘平に感情移入していると、このおかやの悲痛な叫び、勘平を追求する姿は、観ていても恐ろしくなるほどでした。素晴らしかったです。

そこへ二人の侍がやってきます。
千崎弥五郎原郷右衛門で、二人とも塩冶判官の家臣です。



勘平は二人を家に入れ、仇討に参加できるよう頼みます。勘平は家に帰る途中で弥五郎に奪った五十両を渡していたのです。

しかし、由良助は不忠不義の者からの金は受け取れないと郷右衛門たちに金を返しに遣わしたのです。

郷右衛門は勘平の前に五十両を置きます。

その様子を聞いていた母おかやは、勘平が与市兵衛を手にかけたといういきさつを話し、二人に勘平をなぶり殺しにするよう泣き伏します。

二人は驚き、刀を取って勘平の両脇に身構えます。



弥五郎は声を荒らげ
「ヤイ勘平、非義非道の金取って、身の咎の詫びせよとはいはぬぞよ。わがような人非人武士の道は耳には入るまい」と睨み付け、

郷右衛門も「喝しても盗泉の水を飲まずとは義者のいましめ。舅を殺し取ったる金、亡君の御用金になるべきか。生得汝が不忠不義の根性にて、調へたる金と推察あって、突き戻されたる由良助の眼力あっぱれ…汝ばかりが恥ならず、亡君の御恥辱と知らざるかうつけ者。…いかなる天魔が見入れし」と、やはり勘平を睨みつけながらも、目には涙を浮かべます。

たまりかねた勘平は、もろ肌を脱ぎ、差していた脇差を抜いて腹に突っ込みます。




「亡君の御恥辱とあれば一通り申し開かん」と、勘平はこれまでのいきさつをふたりに話します。

昨夜弥五郎殿に会った帰り、猪に出くわし撃ちとめたと思った、だがそれは人だった。とんでもないことをした、薬はないかとその懐中を探ると財布に入れた金、道ならぬこととは思ったがこれぞ天の与えと思い、弥五郎殿のあとを追いかけその金を渡した。

だがこの家に帰ってみれば、「打ちとめたるは我が舅、金は女房を売った金。かほどまでする事なす事、
いすかの嘴(はし)ほど違ふといふも、武運に尽きたる勘平が、身のなりゆき推量あれ」と、無念の涙を流しつつ語ります。



話を聞いた弥五郎は、与市兵衛の死体を改めます。
するとその疵口は鉄砲疵ではなく、刀疵。

それを聞いた勘平と母は驚きます。

そういえばここへ来る途中、鉄砲に当たって死んだ旅人の姿があったが、よく見れば斧九太夫の息子、斧定九郎であった。
さては、与市兵衛を殺したのは定九郎だったのだと郷右衛門は悟ります。

勘平への疑いは晴れました。
勘平は知らぬうちに定九郎を撃って、舅の仇討をしたのです。
母は勘平に泣いて詫びます。
しかし、時すでに遅し・・・。

郷右衛門は懐から仇討の連判状を出し、勘平の名を書きます。
そして瀕死の勘平に血判を押させます。



勘平と母は財布と五十両を出し、せめてこれらを仇討の供に連れて行くよう頼みます。

やがて勘平は息絶えます。二人は母を不憫に思いながら、その場を去っていきます。



いやぁ、良かったですねぇ。

まず配役が素晴らしい。中高生一人ひとりが持っている個性が見事に役にはまっています。
軽妙なセリフの善六、経験豊かなお才、純真なお軽、真摯なおかや、そして真っ直ぐな勘平。
大人も、純朴な猟師、威厳のある弥五郎、郷右衛門と素晴らしいです。

観客席で観ていると、後ろの三歳くらいの子が「頭になにかつけてるよ」とか、「あっ倒れた」とか声を上げます。すぐにお母さんがそれを説明してあげます。
こういうところからもう伝承が始まっているんだなと実感しました。

高雄歌舞伎の皆さん、素晴らしい舞台をありがとうございました。お疲れ様でした。

なお、11月9日(日)には郡上市総合文化センター郡上市青少年郷土芸能フェスティバルが開かれます。そこでもまたこの舞台を観ることができます。是非足をお運びください(^^)

注: セリフ等はWikipediaを参考にしました
 
高雄歌舞伎2014~その2
仮名手本 忠臣蔵 六段目 与一兵衛内勘平切腹の場

お軽と母おかやのいる与市兵衛の家では、祇園一力茶屋から来たお才善六が、お軽を祇園へ連れていこうとしています。

 
左から お軽、お軽の母のおかや、女衒の善六、一文字屋お才

お軽の父与市兵衛は、お軽を祇園の一文字屋に身売りする契約をしに前日から京に出向いています。
そして前金として五十両の金を受け取り、帰る途中で定九郎に斬られたのでした。

与市兵衛の帰りが遅いので、お軽とおかやは心配しています。

二人は、とにかく証文を交わしたのだから娘はこちらの奉公人と、後金の五十両を出し、母が止めるの聞かず、お軽を駕籠に押し込み家を立とうとします。

ちょうどそこへ鉄砲をかついだ勘平が帰ってきます。一行と勘平は花道で出会います。



勘平は「猟師の嫁が、駕籠でもねえじゃねえか」と駕籠を押し戻します。

家に戻り、母おかやは、かねてから勘平には金が要ることがあるとお軽から聞いていたので、なんとかそれを工面してやりたいと思っていたが、何のあてもないので、与市兵衛がお軽を祇園に売りに行ったこと、前金の五十両を持って帰るはずだがまだ戻らないことを話します。

勘平は与市兵衛夫婦の心遣いに感謝し、与一兵衛が戻らぬうちは女房は渡せないと言います。

女衒の善六が着物の裾をたくし上げ、肩を出し、鉢巻をし、娘を渡すように勘平にすごみます。



一文字屋のお才は善六をたしなめ、証文を出し、穏やかに勘平を説得します。



お才は自分の持っている財布と同じ財布に五十両を入れて与市兵衛に渡したと言います。
その財布を見て驚く勘平。皆に見られないように懐の財布と見比べます。

何と言うことだ。昨夜撃ち殺し懐から金を奪ったのは、こともあろうかお軽の父与市兵衛だったのか!
勘平はそう思い込んでしまいます。暗闇で死体を確認できなかったので無理もありません。

放心している勘平にお軽が父与市兵衛に会わずにこのまま行ってよいものかと尋ねます。



勘平は帰る道中、与市兵衛に会ったから安心せよと告げます。
お軽は夫や母との別れを惜しみながら駕籠に乗り、祇園に向かいます。



長くなりましたので、続きはその3にて。

高雄歌舞伎2014~その1
10月4日(土)、口明方小学校で高雄歌舞伎が上演されました。
開演時間を30分間違えていて、行ったときにはもう弁天娘女男白浪は終わっていて残念でした。

というわけで、今年は中高生の演じる、忠臣蔵の五段目と六段目を堪能することとなりました。

仮名手本 忠臣蔵 五段目 鉄砲渡しの場 二つ玉の場

塩冶判官の旧臣早野勘平は、お軽と駆け落ちし、山城国のお軽の実家で夫婦として暮らしています。勘平は猟師となり生計を立てています。

六月(旧暦)、勘平は山崎街道で夕立にあい、松の木の下で雨宿りをします。
そこへ一人の旅人が通りかかります。

勘平は、火縄銃の火が雨で消えてしまったので、旅人の提灯の火を借りようとします。



旅人は鉄砲を持つ勘平を山賊と警戒します。そこで勘平はそう疑われるのも無理はないと鉄砲を潔く相手に渡し、火をもらいます。
そこで、この場は鉄砲渡しの場と呼ばれます。

旅人の名は千崎弥五郎、実は二人は塩冶判官の家臣で知り合いだったのです。

勘平は仇討ちに参加させて欲しいと弥五郎に頼みます。弥五郎はとぼけますが、亡君の石碑建立の御用金を集めていると謎をかけます。暗に仇討ちの資金を集めていると伝えるわけです。
勘平はその金を用立てると約束し、両名は別れます。

そこへ浪人がやってきます。四段目に出てきた斧九太夫の息子の斧定九郎です。素行があまりに悪いので勘当され、今はこんな山中で追いはぎをしているのです。



定九郎は、稲が干してある稲架に隠れます。

そこへ一人の老人がやってきます。お軽の父与市兵衛、勘平の義理の父ですね。

与市兵衛は、婿の勘平のために金を作ろうと、婿には内緒でお軽を祇園の茶屋に百両で売り、前金として五十両をもらった帰り道です。

稲架の前に座り、その五十両の入った財布を確かめていると、稲架の中から手が出てきます。



定九郎は財布を奪い、与市兵衛を切り殺してしまいます。
(勘平の義父は刀によって斬り殺された、このことを覚えておいて下さい。)



定九郎は財布を口にくわえたまま、ゆっくりと雨に濡れた髪を直し、着物を絞ります。
そして、中身を確認するとニンマリとします。



このシーン。定九郎の動きが悠然として客をググッと引き付けます。
ニンマリするシーンでは客席から声がかかります。

定九郎は黒紋付きで着流し、二枚目風です。このスタイルは江戸中期の二代目中村仲蔵が確立したといわれています。

この中村仲蔵がそれまでなかった定九郎を演じるきっかけとなった逸話は、落語にもなっています。
下のyoutubeの動画は、八代目林家正蔵の「中村仲蔵」です。

この定九郎を中学生の女の子が演じています。キリッとしてて見事でした。

するとそこへ手負いの猪が突入してきます。



そして銃声。
猪を避けた定九郎に命中してしまい、定九郎はそこで絶命します。



猪を追って勘平がやってきます。
勘平の持っている火縄銃は2発玉が打てるんですね。一発目は猪に当たり、二発目は定九郎に当たってしまいます。
そのため、この場は二つ玉の場と呼ばれます。

暗闇の中、勘平が獲物に触れると、それは猪ではなく人だということに気づきます。抱き起こし、薬はないかと懐に手を入れると財布に手が触れます。



つかんでみると五十両。
勘平はその金を手にし去っていきます。

このシーン、勘平は人を撃ってしまったことはわかっていますが、その人が誰なのかはわかっていません。
このことが六段目の悲劇へとつながります。

舞台は明るいので、定九郎なのは明らかなのですが、夜の暗闇での出来事なのです。

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」に、夜、召使のスザンナが伯爵夫人になりすまして伯爵を庭に呼び出しますが、伯爵はスザンナを夫人だと思い込んでしまうというシーンがあります。

初めて見たときは、そんなことがあるものかと思いましたが、私たちは明るい夜に慣れきっているのでしょうね。

月明かりも星明りもない夜は、本当に真っ暗なんですね。
ましてや雨の山崎街道、後半のシーンは暗闇の中での出来事と思ってみないといけないのです。

話はいよいよ勘平切腹の場、六段目へと進んでいきます。


蛇足:
かつて早野凡平という、帽子を自在にあやつる芸人さんがおられましたが、今回、勘平の苗字が早野と聞いて、ようやくそのモジリだと知りました。

100点
テストで100点というのは、そうそう取れるものではない。
ケアレスミスさえしなければ100点という問題ならともかく、問題を作る側も考えさせる問題を入れて、簡単には取れないようにするものだ。

高校の時、私は理系クラスで、数学は数Ⅰ・A、数Ⅱ・B、数Ⅲ・Cを勉強した。

この頃、年に4回だったと思うが標準学力テストというのがあった。数英国の三科目の校内だけの試験だ。

こんなことがあった。

標準学力テストが終わった後、数学のM先生がみんなの前で仰った。

「今回、数学で100点を取った人がいます」

クラスにどよめきが起きた。

「○○君です」

私の名が呼ばれた。

「おおお~ さ~すが~」

理系クラスの全員が私を称賛してくれているような気がした。


「ところ~が」 M先生は苦虫をかみつぶしたような表情で言葉を続けられた。

「○○君は、数Ⅲではなく、数Ⅱを選択したんです」

クラス中がまたどよめいた。

「そりゃ~だしかんわ」 「ひっきょくさ~」といった声が上がった。

私は「せ、せ、選択せよって書いてあったで、選択しただけや」と言うのがやっとだった。

「んなもん、理系なんやで数Ⅲを選択せなだしかんが~」

最高の称賛は、一瞬で盛大なブーイングに変わった。

これほどまでの「急転直下」という現象を、それ以来味わったことがない(笑)


ところで100点というのは、言うまでもなく「それ以上の点がない」ということである。

もし、私が高校時代に全国模試の数学で100点(満点)を取ったことがあったなら、

「実は、高校時代に数学で全国1位を取ったことがあるんよ」

というフレーズを生涯使えたと思うと、残念でならない。

(実際は全国模試では100点なんて夢のまた夢だったけれど(^^;))
問題~警察署長
  1日警察署長になった芸能人のAさん、

   翌日になっても「1日警察署長」と書かれたタスキを着けている。

   Aさんにその理由を聞いてみると

   「あっ これですか。(          )」

   さて、なんと答えたでしょうか。

解答はコメント欄で