メモリに一度美しい、唯一のもの

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なぜ服を着ているのか

ファッションセンスに関しては、人それぞれである。
ただし、奇抜すぎて、アタマの中身を疑われかねないものもある。
時代に吹く風を、追い風にしている場合も、逆風にしている場合もある。
生き方と似ている。

テレビのCMで、「あなたは、なぜ服を着ていますか?」というコピーが度々流れる。
あれ、好きだなあ。言いえて妙。
ああいう側面からのアプローチは大好きである。

人に良く思われたい、カッコ良く見られたい、いわゆる、ファッションの動機。
暑さ、寒さ、外敵、ケガ、、、などから身を守る一次的な目的を満たす、
その次は、オシャレ、快適、機能性、見かけ、と、二次的要素。
快適、機能性は説明しやすい。
見かけ、オシャレ、あたりが、ややこしい。
(高価なものを身に付け、成功者に見られたい、というのもある。
わざとらしく力まなくても、さらりと上流感が出てしまう、いわゆる高品質な「身なり」もある)

人の目を意識することが前提だろうけれど、自分が楽しめなくては意味がない。

70歳ちょっと過ぎの人が、今風、若者ファッションをしていると、かえって若くない年齢を強調しているようで、痛い。
明らかに、体型、仕草、動作、姿勢と服装が合っていない。
流行の服は大量に生産されているので、安いから買った?
息子か娘の服をオシャレ心、あるいはイタズラ心、あるいは、節約心で着ている?
街で見かけるそのファッションには、いつも、着ている人の心が読めそうだ。

似合っていれば、問題はない。
問題は、似合っていないことである。
松岡修造ぐらいの体型、体格、機敏性なら、まあ良しとしよう。
五木ひろし的な人が、ジャニーズ系の服を着ていては、どうも、、、。
背の低い、背中がこんもり、まん丸な、おばあちゃんが、ぴちぴちスパッツにブーツは、どうも、、、。
だが、人のために服を着るのではない、自分が楽しむためだ、というセオリーには反していない。
でも、わたしなら自分の好みファッションが自分に似合っていないと感じた時点で、その服はパス。
あくまでも自分本位の尺度なので、時折ミスをする。
美智子妃殿下が、レオタード、というかんじになってしまうことがある。(例えが失礼か)

ご近所さんに、「変わった服、着てますね?」と、決して褒められていない感ありありで、まじまじ見られることもある。
いったい、どこがよくて、どういうつもりで、どういう心境で、、、という、言外の感想が汲み取られる。
まあ、別に、ウケを狙っているのではないので、誰に何を言われようが(決して愉快ではないが)、人の反応のせいではなく、自分が嫌になれば着ない服も多々ある。

「いつもどこか変わった服を着ている」と母に言われる度に、自分をどこに持って行けばいいのか、自分をどう収めるといいのか、変わっているのが服なのか、自分自身なのか、身の置き所を見失い、少し溜め息が出る。

たかだか服でさえ、人と変わっていると、(母からだけでなく)あれこれ言われる。
服のように、はっきり外側から見えるものは、わかりやすい。
これが、パーソナリティや、性質、能力、脳、思い、なんやらかんやらだと、複雑である。

人にあれこれ言われるのは、嫌い。
ほっといてちょうだい。
だから、おそらくわたしには友人がいないのだろう。
自分と遊ぶのが一番楽しい。

しかし、思うに、服装は人を現している。
上品で上質な服を着ないわたしは、上品で上質な人間ではないのだろうと、自己分析する。

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