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初雪が・・・
今日、石徹白に初雪が降りました。

天気予報通りでした。
ちょうど13,14日に寒波が来る、ということで
予報はされていましたが、それほど寒くなかったので
今回は降らないだろうなぁと勝手にたかをくくっていたので
ちょっとびっくり!

午前中は雨で、途中からみぞれまじり。
旦那さんが慌てて、スタッドレスタイヤに変えなくちゃ!と
準備を進めている頃には、畑が白っぽくなってきました。


やはり、雪が降り始めると寒くなるだろうと、
今日、この冬初めての薪ストーブ登場!


火のある暮らしの素晴らしさは去年からひしひしと感じています。
炎が燃えるのを見つめていると、実際よりもずっとずっと
温かい気持ちになってきます。

生の火の力のものすごいこと。
こういうのを身近に感じて、子供に成長してもらいたいと思います。

そして、今年導入したATOの薪ボイラーによる床暖房も
試運転開始です!

床暖房といっても、床板の下に埋め込むものではなくて、
カーペット式のものにして、夏場は取り外せるようにしました。

床下に埋め込むと、うちの場合は無垢材なので
床板が空いてきたり、曲がったりしてしまうようです。

ボイラーで温めたお湯で不凍液があたたまり、
それが通っているカーペット式のものが温まるという構造になっています。

愛猫もご満足の様子。(むしろ暑そう・・・)


こたつの下と、仕事場の床に敷いているので
気持ちがよいです。

うちは天井が高くて密閉性が低いので
ぽっかぽか、というわけにはいきませんが、
薪ストーブと併用すると、家全体がじんわりと
ぬくとうなる感じがして、居心地がいいです。


と、冬の向けて家を温めている間にも
雪は降る降る・・・

夕方には、一面真っ白に変わっていました。


風も強そうで、廊下に出るだけでとても寒く気温も
かなり下がっているみたいです。

夜になると、今冬初の除雪車が頼もしげに
雪を除けてくれていました。
ありがたいことです。


明日は主人が朝早くに外出しなければならないので
道が心配ですが、慌てなければ(たぶん)大丈夫。

ゆっくり安全運転で走ってもらいたいものです。


この雪は根雪にはならないと思いますが、
早朝と夜遅くは、これからは道が凍結することも
あると思います。

石徹白においでる方は
スタッドレスタイヤ&安全運転でお越しくださいませ~。


もう本格的な冬も目前。

白菜の漬物をつけて、
雪囲いをして、
これから冬に備えなくては・・・。

石徹白の長い冬がやってきます。
 
紅葉ウォーキング
産休に入って1週間ほど。
まだ残っている仕事を片付けつつも、
日課のウォーキングを続けています。

今日は午前中はずっとうちの中での
作業だったので、昼からはみっちりウォーキングを、
と思い、集落の端っこの下在所にあるおうちから、
もう片方の端っこの上在所の神社まで
歩くことにしました。

距離にしてだいたい2キロ。
普通に歩いたら30分くらいだと思いますが、
下在所から上在所はほとんどずっと上り坂。
しかもお腹が大きいので、かなり時間が
かかりました。

片道、だいたい45分くらい。

でもその間、とっても紅葉が美しくて
(もちろん疲れましたが)気持ちよく歩けました。

集落の片方に連なる山々は
木の葉の色を濃く濃くしていき、
最近は木によってはかなり葉を少なくしています。


田畑のかぶの収穫も進み、
どんどん冬支度が進んでいくように見えます。

家の雪囲いを始めるところもちらほら。
もう冬は目の前なんですね。


神社の鳥居の横の紅葉が真っ赤に染まって、
なんとも美しかったです。


私は白山中居神社へ向かう宮川橋から眺める風景が
どの季節も大好きです。


春は新芽、夏は青々と繁る木の葉、
そして秋は紅葉、冬はたっぷり積もる雪。

たった一年でこんなにも表情豊かで美しい。


人が眺めて美しいために、そこに在るわけではなくて
彼らは彼らなりの命をつなげるために生きているだけ。
それがこんなにも輝いて見える。
それを美しいと感じる人がいる。

それは、互いに自ずと備わったものであり、
自然の中で生かされる同じ命あるものとして、
不思議なことではないのかもしれません。

橋を渡ると、また一段と空気が澄んでいくように思えます。
なんて気持ちいい場所なんだって、毎回来るたびに思います。


さすがに、45分歩いた後にお参りして、
帰りはかなりへとへとになりました・・・

すると、地元の人が
「お茶でも飲んで休んでいきなさい」と
おうちに招いてくださって、
お茶とケーキをいただいちゃいました♪
(何のためのウォーキングだったのか。。。)

おかげさまで、元気になって岐路につけました。

歩いている間に、いろんな人に声をかけてもらえて、
見守られているんだなって実感しました。
ウォーキングしているといつもそう。
本当にありがたいことです。



帰り道、急に強風が吹き始め、
かつ大粒の雨が降り始めました。

傘を持っていたので差したのですが
あまりにも風が強くて傘もさせなくなり、
困っていると・・・

これまた地元の方が、車を止めて
「送っていくよ~。乗って行って」と
言ってくださいました。

ありがたや~~~。

すぐさま甘えて乗せさせてもらいました。

あのまま歩いていたら、強い風に吹かれ
雨にも降られ、大変なことになっていただろうと・・・


ここに住んでいると、
何も怖いことはありません。

安心して暮らすことができます。

こういう環境ってなかなかないんじゃないかって思います。

もちろん、私の生まれ育った場所も田舎で
そういう側面はあるけれど、ここまでお互いが
お互いに気遣って、思いやって生活しているかというと
そうではないように思います。


「峠道が大変だよね」
「スーパーが30分もかかるなんて不便だね」
「雪が深いけどどうやって暮らしてるの!?」

外から来た人によく言われます。

確かに、街に比べたら暮らしにくい部分も
多々あると思います。

だけれど、街では得られないものがある。
隣町から離れた場所だからこそ、
残っている大切なものがたくさんある。

そういうことを考えると、
「便利」であることは、(私にとって)生きることにおいての
優先順位第一位では、決してないと思うのです。


雪が大変だという共通の苦労があるからこそ
分かり合えることがあるし、
スーパーが近くにないから、自分で野菜をつくって、
それを分け合う精神が備わるわけだし、
娯楽施設が近くにないから、
地域の民謡を大切にして、踊り継いでいるのだし、
寒いところだからこそ、互いの健康を気遣う心が
生まれるわけで・・・。


人によって、暮らしに関する価値観はそれぞれ。
だから、ここでの暮らしが、私はいいなと思うけど
そうではない人もたくさんいる。

押しつけはしないし、「ここにぜひ住んで」と簡単には
言えないけれど、
こういう環境を求めている人にとっては
本当に素晴らしい地域だなぁと
今日改めて思いました。


明日もまた、この美しい石徹白で歩けるのが楽しみです。
紅葉と虹とカレンダー
最近石徹白は、朝夕がめっきり寒くなってきました。

朝のウォーキングにはもはや上着と帽子が必要です。
それもそのはず、今日、白山と別山が今年初めて
雪化粧をしていました。

山の季節はもう冬。

近い山に雪が積もると、
次は里に・・・とみな冬支度を始めます。

さすがに積もることはないようですが、
10月末、11月頭に雪が降ることも石徹白では
あると聞きます。

秋の季節は本当にあっという間です。

集落内の紅葉も本格的に始まりました。



雪が降る前までに
木々は葉を落とし、体を少しでも軽やかにしておきます。
そうではないと、枝が折れてしまいます。

木々たちが落葉する意味が、
ここにいるとよく分かります。


今日は朝からお天気も良かったので
お散歩にたまたまカメラを持っていきました。

すると・・・

虹が!



 いつもはカメラなんて持ち歩かないのに今日に限って
本当に幸運でした。

最初はぼんやりとして、片方しか見えないような虹でしたが
次第にはっきりしてきて・・・

端から端まで姿を見せてくれました。


 朝7時前だったと思いますが、大声で
「虹が出ていますよー」と叫びたくなりました。

それくらいきれいで、大きくて、神々しい虹でした。

久しぶりにこんなにはっきりとした虹のアーチを見ました。

なんだか朝から気分がわくわく。
ちょっと寒いけれど、お散歩を継続していて
よかったなぁと、ご褒美をもらえたような気がしました。
うれしや~。



そして今日は、午前中から午後まで、
絶えずにお客様が来てくださいました。

ありがとうございました。


みなさん、それぞれに、大西さんの写真の感想を
伝えてくださって、遠い土地のことだけれど、
やはり、心の中に大きなものとして
抱えてみえるんだと、共感することが多かったです。

この写真展をこの場所でやるのがふさわしいのか
最初は悩んだりしたのですが、
こうした反応を見させてもらっていると
大西さんの写真をこうして展示させてもらえて
よかったかもしれないな・・・と思えました。


そして今日は、ようやく、来年のカレンダーの綴じ作業準備を
進めることができました。



できるだけ見える範囲で、丁寧につくっていきたい、
という思いがあり、印刷も郡上の印刷屋さん、
紙も美濃の手漉き和紙職人さんのもの、そして
綴じも手作業でやろうと、準備してきました。

竹ひごを仕入れ・・・


一宮からオーガニックコットンのガラ紡糸で
和綴じをします。

完成するとこんなかんじになります。



石徹白の広い空でのびのびと羽を広げる
トンビの姿が表紙に。

お散歩しながら毎日、彼らの気持ち良さそうな
飛び姿を見ていると、
自分も飛べるんじゃないかって思ってしまいます。



さぁ、今週の残りの日を費やして
綴じ作業をがんばろうと思います!

カレンダーの注文はまだまだ受け付けております。
こちらから。

10月末から順次発送しますので、
もう少々お待ちいただければと思います。


今日も心満たされる素晴らしい一日でした。

ありがとうございました。 
朝の神社、夕べの景色
今朝はウォーキングの代わりに、
うちから車で白山中居神社まで行き、
お参りをしてきました。

本当は神社まで歩いていければいいのですが
往復1時間以上かかってしまって
お店のオープン時間に間に合いそうになかったので断念。

でも、神社の境内を歩くだけでも
とっても気持ちがよかったです。

朝陽を浴びた鳥居はいつも以上に荘厳に
たたずんでいました。

わたしは朝の神社が一番好きです。


神社には最近は毎日は行けていませんが、
できるだけ訪れるようにしています。

階段横には、あじさいが。
石徹白ではあじさいがずーっと咲いています。
梅雨時だけの花かと思っていましたが、
涼しいからか、真夏も、そして今の季節も。
とても元気に美しく。


神社にお参りに通って、
子宝に恵まれたというのもありますが、
私自身、ここに足を踏み入れると
気持ちがとても落ち着きます。

どのくらい前の時代からか、
人々に大切に大切にされて
これまで続いてきた場所。

大きな力が、この土地には宿っているように思います。


コスモスも美しい季節です。



神社の本殿に辿りつく前の宮川を渡る橋も
私のお気に入りです。

まだ太陽の光が川にそそいでいない時間でしたが、
それも静かで清らかな雰囲気を残し
神秘的な思いがしました。


本殿ができる前から信仰の場であったといわれる
「岩境」(いわさか)に、一番最初にお参りします。


朝は、太陽の光で岩境が輝いているように見えます。
御幣もしかり。


誰が、いつから、ここを信仰の場にしたのか
分かりませんが、とてもしっくりきます。

そして、それを今でも引き継いでいることは
本当にすごいことだと思いますが、
一方で、然るべきことだと感じます。
そう感じさせられる場所なのです。


この神社は、地元の方の手で
大切に守られています。

そして、必要に応じて、新しい建物が建ったり、
修繕されたりしています。

日本人って宗教を持たない人が多いと言いますが、
この土地は違います。

自分の先祖が代々信仰してきた
白山信仰を、中居神社を、大師堂を、お寺を、
誰もが重要に、そして大切に思っています。

それがあるかないかで
日々の心が大きく変わってくるように思います。



私の実家は仏教ですが、
祖父母はご先祖様のことを大切にしていて、
小さい頃からお経を暗記させられたり、
仏壇にお参りさせられたりするのが日常でした。

その頃は「させられる」という感覚だったのですが
今や、何かに対して手を合わせて拝むというのが
とても自然な行為になっています。

子供の頃からの習慣だからかもしれませんが、
そうすると、心が安心するのです。

だから、引っ越してきたこの集落に
当たり前のように手を合わせられる場所があって
わたしは安心しています。


何か頼みたいことがあるとか
すがりたい、とか、そういうのではなくて、
日々、無事に過ぎていくことの感謝の気持ちを
あらわすことのできる場、時間を
ここでいただいているように思うのです。

それがなければ、毎日、ただ過ぎていくだけになってしまうから。


今日も一日、無事に過ごすことができました。
新しい出会いもあり、懐かしい再会もあり。
本当にいい一日でした。




夕方、お月さまが出てきました。



そして、すすきが美しく風に揺れています。


今日も天気がよかったから、
夜は冷えるかもしれません。

冷え込んでくると、
この前植えた白菜やかぶらが元気になってくるような
気がします。

あらゆることが道理に従って
進んでいきます。

それは今始まったことではない。

これまでずっと続いていたことを
私も同じように繰り返していく。

それが難しくもあり、
感謝すべきことなのだと思います。
深まる秋空の下・・・
9月も後半に入り、石徹白の秋はかなり深まってきました。

朝夕のウォーキングで、季節の変化をひしひしと
感じています。

「お盆を過ぎたらけじ(雑草)の伸びもひどくなくなるよ」と
言われていましたが、その通りでした。

あの何ともすさまじい生命力を放つ
雑草たちの成長が急におとなしくなりました。

青々としていた草たちが、少しずつ茶色や黄色、赤っぽく
変化を遂げているように思います。

これまでは上へ上へ、太陽を目指して伸びていたものが、
今は、種をより大きく実らせるように自分の内側に
力を尽くしているのでは、と想像しています。


ススキの頭は今はふわふわな綿帽子をかぶった
とても美しい装いになり、それがより、秋らしい気分にさせてくれます。


田んぼの稲穂も、頭を垂れ、たわわに実っています。
あの薄いベージュというか、茶色というか、黄金色というか、
何ともいえない優しい色合いが気持ちを和やかにしてくれます。

それとともに、こんなに豊かに作物が実っていくことに
私はいつも驚いています。


冬は2メートル以上の積雪があり、
土はしっかりと白い雪の下に隠され、
何も育たない季節がしばらく続くのに、
雪がとけて、春が来て、夏が訪れると
瞬く間に、全ての命がものすごい力を持って
自分の子孫を繁栄させていきます。


人間も含めた動物は、こうした植物、または
植物を食糧にする動物や昆虫をいただくことで
生きています。

冬は寒くて大変なこの土地であっても、
何千年も人も動物も命をつないできたことを考えると
何と恵まれた豊かな土地なんだろうと思います。

それは日常の風景に裏付けられていて、
集落や周辺の山々を日々、眺めていると
不思議なことではないんだなぁと
思えることです。


栗やくるみ、トチの実、ヤマナシはいくらでも落ちていて
食糧になる。

水稲をすれば、米も元気に育ってくれる。

石徹白の土は黒々とし、作物も問題なく栽培できます。

山からは極寒の季節であろうが、浄化された水が流れ、
わたしたちの体を潤してくれます。

命の源となる食べものや水がこれだけ豊かに溢れるのに
これ以上、何を望むことがあるんだろうか・・・

黄金色に輝く稲穂を眺めていて
そんな気持ちになりました。



雪が多いから不便 だとか
スーパーやコンビニが近くにないから住みにくい とか
病院がない、
小学校はあるけど、中学、高校がない、
娯楽施設がない、
などなど、ないものを上げたらきりがない。

でも、本当に必要なものは、ここにすべて、すでにあります。


人が命を保っていくのに必要なものはここにあり、
それに加えて、安心して暮らせる小さいけれど
人のコミュニティもある。

それはとても大切なこと。

山奥で食糧を自給自足して一人きりで
生活することだって物理的にはできるけれど、
心豊かに、人と心を通わせて生きていくことが
生きがいにもなり、喜びにもなる。

ここには、そういう意味で、人が生きていくために
必要なものが十分すぎるほど揃っている。


人は、何を求めて街に集まるのだろうか。
コンビニ?スーパー?
ものが溢れているという見せかけの「刺激」?

私も一度は都心に住んだことがあるけれど
その動機は若かりし頃の好奇心だけだったのだろうか、
もはや思い出せないくらいかけ離れてしまったこと。



何が本当に大切なのか、
何をつなげていく必要があるのか、
自分の子供に何を残していきたいのか、
じっくり、深く、しっかり考えると
選択肢はそうは思い当たらなかった。

私にとって、ここで暮らしていくことが
一番しっくりいった。



自分の食べ物はどうやってできているのか。
水はどこから来てどこへ行くのか・・・

それと同じように、
自分の命が何に拠ってかたちづくられているのか、
それは、どうしたら大切にできるのか。


考えるためのヒントがここには満ち溢れている。



この、あまたの命を支える土地を見よ
そして、ここで、命をつなげよ



真っ青な秋空のもと、
一面に輝く稲穂を眺めていると、
偉大にそびえる周囲の山々から
そんな声が聞こえてくるような思いがした。


求めることはシンプルなこと。

よく生き、
よく死ぬ。

それだけと思う。



実りの季節
今日で9月前半の3日間営業を無事終了いたしました。

お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。

展示も企画も何もない営業日は
私にとって貴重な日々で、
お客様とゆっくりお話できたり、
レイアウトを再考したり、
商品開発について思いを巡らせたり、
とても有意義な時間です。

この3日間も気持ちにゆとりがあり、充実していました。



朝のウォーキングは、相変わらずずっと続けていますが、
最近は、実りの秋になったんだなぁと感じることが多いです。

くるみ、くり、とちの実、稲穂、やまなし・・・

様々な実りの姿が見られます。

青々としていた葉の色が少しずつ変化していきます。

特にくるみの葉の変貌っぷりはすごい。
黒ずんで、木の下の地面も黒っぽくなっています。
どういう加減でなのか分かりませんが、
実が大きく鈴なりになり、熟せば熟すほど
そうなっているように思います。


また、つきすぎた実を落とす梨の木。

穂をたらしていくにつれ、
鮮やかな緑だった葉が黄色くなっていく稲。


栗の実はまだ青くやわらかいですが、
重すぎる実を少しずつ落としながら、
他の実がどんどん大きくなっていっています。


一年の春夏秋冬というサイクルの中で、
命をつなげていくために、
植物たちがこうして変化していくスピードというのは
何と速いものだろうと、今さら驚いています。

雪がとけて、春が来て、
その喜びに浸っている間にも、
確実に夏が訪れ、
甘い甘いととうもろこしを頬張っているうちに、
秋の足音が聞えてくるようになりました。

この間に咲き、散って、種を飛ばした花たちは
どのくらいあったのだろう・・・
数えきれないほどの花々が、うちの庭に
咲き乱れていました。


わたしは、この間に、
何をしていたのだろうか。

わたしの体は、この季節の変化とともに、
どのように変わっていったのだろうか。


自分で、日々、認識できているわけではないけれど、
きっと、人という生き物の私自身も、
様々な変化を遂げているようにも思います。

でも、もっと、それを感じながら、
季節の移り変わりの美しさを喜びながら、
そして厳しさを受け止めながら
過ごしていくことができたら・・・と
日々の”忙しさ”にかまけて、無頓着になっている自分を
寂しく思ったりします。


自然豊かなこういう場所に住んでいても、
心一つで、周りにあるものが
きちんと見えていないことも多い。

それは何とももったいない。


今は自分だけのためじゃなくて、
お腹の赤ちゃんのためと思って
ウォーキングを続けてできているおかげで、
こういった気付きがいただける。

それは本当にありがたいこと。

でも、そうじゃなくても、
もっと心を研ぎ澄まし、
聞こえてくるものを聴き、
見えるものを、この目で観て、
自分の中に受け入れたい。



秋は寂しい。
冬の訪れを感じるから。

でもこの短く儚いときだからこそ、美しく愛おしい。

そんな季節を
五感をせいいっぱい使って味わいたい。

そういう心を育みたい。

すべての植物がぐんぐんと
石徹白ではまだまだ夏野菜はとれません。

岐阜の実家に行くと、なすやきゅうり、ししとうなど
すでにいろんなものが収穫できているようで
おすそ分けをいただいたりします。

やはり石徹白は岐阜からすると
1カ月から2カ月くらい季節が遅いみたいです。

うちでささやかにやっている家庭菜園の畑では
ようやくじゃがいもが大きく花を咲かせてくれています。



そして、なすやきゅうり、トマト、ししとうたちも
ようやく葉を大きくさせ、上に上に伸びようとしています。

ふきやうどなどの山菜はもう固くなって
食べれなくなり、これからが夏野菜、といったかんじです。

でも、ふきやニラなど、春先に食べたものは
その後一度刈っておけば、また新しい芽が出て来て
やわらかいおいしいものが、もう一度食べられるといいます。

私たちはそのことを知らなかったので、
タイミングを外してしまいましたが・・・
(でもそのおかげで、草がぼーぼーでホタルが
生息してくれています。。。)

お隣さんは毎年とても立派にとうもろこしを育ててみえます。

今、どうだろう、私の腰より少し低いくらいの背でしょうか。


これが8月の頭には実をつけるのだから
すごいスピードで大きくなっていくのですね。

今年は気温が寒いから時期がずれるかもしれませんが・・・。


石徹白のみなさんは、畑を本当にきれいにされています。
私なんか、本当にこんなんでいいのか・・・と思うくらい。

私たちは、できるだけ除草剤とか肥料を使わず
(できればマルチも使いたくなくて・・・)
自然の力だけで育てたものをいただきたいと思っていて、
雑草が生えてくるのはしょうがない、と割り切りつつ
できる限り、草取りをしています。

でも、地元の方は、雑草が生えないように
きちーっとマルチをかけ、花と雑草はきれいに分けて
草取りをされています。

植える作物の間隔もきれいにそろっているし、
野菜の支柱の立て方も、本当に美しく揃っているのです。

田んぼのぼた(畦)の草刈りも本当に完ぺきで、
バリカンで丸坊主にしたての男の子の頭を連想するくらい
きちーっと刈ってあり、刈った後の草も完全に
集められています。


この感覚というのは、ちょっと独特に思います。


自分のお庭や田畑など、先祖代々続いてきたところに
恥じないように、きれいに保ってみえるような気がします。


その一つ一つの丁寧さが、集落全体をより美しく
引き立てて見せてくれます。

だから石徹白の集落をお散歩していると
飽きることがありません。


庭の整然さ、水の引き方、岩の配置、ごみや葉っぱ
一つ落ちていない家先・・・。


私も見習わなくちゃといつも思います。

でも、うちはこんな状態・・・


次に何が咲くか分からないため、
草なのか花なのか分からず、大かた残していたら
本当にたくさんの種類の花が咲き始めました。

ピンクの花はバラで、驚くほど花をつけています。
少しは剪定して、大きなお花を咲かせるといいのかしら。


庭の美しさについては、うちは何も語れませんが、
生物の多様さでは、石徹白内でも屈指なのでは・・・?と
ひっそり思っています。

カワニナ、ホタル、ヤモリ、ヒミズ、トカゲ、などなど
あらゆる生き物が暮らしています。



私は虫やこういう生き物が苦手でしたが
石徹白に引っ越してきて、かなり慣れてきました。

今では、最も怖かった蜘蛛も、手でつかまえて
外に出してあげれるという進歩っぷりです。


何だか、一緒にこの土地で生きている者と思うと
怖いとか、気持ち悪いとか、そういう感情は
まったく湧かなくなったのです。

ともに、命を永らえよう、というか、
不必要な殺生はしないでおこうと思っています。


まったくできなかったことが、
一つできるようになって(昆虫をつかまえるということ)
なんだか少し嬉しいです。


どんな小さな命に対しても
愛しく思える気持ちが持てればなぁと思います。


うちの庭にホタル舞う
石徹白に引っ越してきて
初めての夏を迎えようとしています。

うちの庭は、人が3年くらい住んでいなかったからか
自然に戻ろうとしていて、ホタルが住む環境が
整っているようです。

池には土がたまり、そこにはゲンジボタルのエサになる
カワニナが多く住んでいます。

庭のブッシュの草刈りもそこそこにしてきたので、
その草の合間にたくさんホタルが暮らしているようです。

だいたい暗くなる8時頃からがピーク。

今日も夜のウォーキングを終えて戻ってきたら
ホタルがちらちらと飛び始めていました。

あまり上手に撮れなかったようですが
主人が撮影に挑戦してくれました。



数えたら30匹は飛んでいました。

ちらちらちらと、お互い同じペースで光ります。
共鳴しあっているのでしょう。

草が茂っていて、水場に近いところに
たくさん元気に飛んでいます。

みょうがの群生地にもホタルたちがかたまって
止まっていました。



ときには家の軒下まで飛んでみたり、
お月さまのほうに上っていったり、
車に止まってみたりと、みな好き好きに遊んでいます。

結構のんびりとしていて、
私たちが草むらに分け入っても驚いて逃げたりしないし
簡単に掌に乗せることもできます。


小学生の頃、生家の近くでもたくさんのホタルを見ました。
最近は見に出かけていないから分かりませんが、
あのときの感動は忘れられません。


ここにこれだけたくさんのホタルが出てくれるのは
農薬散布をしていないからだし、
無駄に草を刈っていなくて、なるべく自然がありたい
状態になっているからだと思います。

庭に手を入れまくって、きれにしなくちゃと思ってきましたが
どうやら、このホタルの光を守るためには
そこそこにしたほうがいいのかなと思います。

私の自己満足の暫定的な庭の整然さよりも、
このたくさんの命たちが生きられる環境にしたいと思います。


カワニナをあえて育てたわけでもなく
ホタルを放流したわけでもなく、
本当に自然の状態で、これだけ飛んでくれています。

またもや、自然の力、豊かさに驚き喜んでいます。


今が最盛期なのかな。
どれくらいまでいてくれるのか分かりませんが
もう少し、長く光っていてほしいです。

ぜひ夜の石徹白にも遊びに来てください。
ウォーキングにて
まだ始めたばかりですが、
最近、ウォーキングをしています。

「1日、1時間は歩いてね」という
助産師さんの指導のもと、
なるべく歩こうと努力をしています。

普段、畑や庭の草とりや、
家の雑巾がけなど、
こっちに引っ越して来てからのほうが
日常的に体を動かす機会が増えているとはいえ、
やっぱり、歩くことって全身運動になるからか
しっかりウォーキングすると30分でも疲れます。

だから、朝30分、夜30分というかんじで
二回に分けて歩くのが無理がないかなと
今日、試してみました。
(いっぺんに歩くと、疲れて眠たくなってしまうのです・・・)

朝は6時半から三十分、
石徹白の西在所から下在所を歩きました。

残念ながらカメラを持って歩けないので
写真はないのですが・・・


もう朝からみなさん田んぼや畑に出られて
仕事をされています。

野焼きをしている煙に趣を感じたり、
朝の空気のひんやりした心地よさに
深呼吸を繰り返したり、
とても快適なウォーキングになりました。

そして、今の季節に咲き始めた花、
実り始めた実などを見たり(ときには食べたり)できて
とっても楽しい朝でした。

また、これもそのうち写真に撮りたいのですが、
モリアオガエルの卵が、もりもりと朴の木に
ぶら下がっている様子は圧巻でした。

遠くから見たら、果樹を守るために生成りの紙袋でも
かぶせてあるのかな・・・と思って近づいたら
それらがすべて卵だったのです。
すごい光景・・・

普段、車で移動することが多いので
歩かないと見過ごすものがたくさん見えて
とってもおもしろいです。


夜も夕食後、懐中電灯を片手に歩いてみました。

今はちょうどホタルの季節なので、
ホタルがいろんなところにちらちらと出ていました。

儚い光なんだけど、自然に発するものと思うと
力強く美しく、感動が深まります。

また、その光とは裏腹に、外灯のないところに行くと
本当に真っ暗で、驚いてしまいました。

電気のない場所が、夜、こんなに真っ暗なんて
しばらく忘れていました。


カンボジアでフィールドワークをしていたとき、
夜は本当の暗闇に囲まれて
最初は怖かったけれど、
次第に目が慣れて、夜でも道が見えるようにまで
なりました。

でも、ここはすぐ近くにまた外灯があるから
明るいところと真っ暗なところのコントラストが
激しくて、暗闇に目が慣れるどころか、
むしろ暗闇の漆黒に怖さを感じてしまいました。

慣れる間がない、ということでしょうか。

でも、この、色であらわせない透明の黒というか
暗闇というのは、忘れてはいけない闇だと思いました。
もっと身近に感じている必要があるのではないかと。

明るいのに慣れ過ぎて
不必要に明るすぎる・・・

そんな今の暮らしに違和感を抱きました。



ただウォーキングするだけなのに、
(しかも30分ずつ)すごくいろんなことを考えさせられました。

考えても何の足しにもならないことも
考えたりしながらですが、
こうして一人で色々と思いを巡らせながら
歩きまわる時間が毎日あっても
いいなぁと思います。

明日は雨予報だからどうなるか分かりませんが、
できるだけ継続して歩き、
自分の思考も探っていければ楽しいなと思いました。


つらつらと思うがままに書いてしまいました・・・


ちなみに、石徹白洋品店の営業は6月は今日で
終了しました。

もし営業日以外でお越しくださる場合は
事前にお知らせくださいませ。
(日によってはオープンさせていただきます!)


7月には新しい服を完成させたいと目下制作中です。
どうぞお楽しみに!

雨にぬれる中居神社
今日は午前中、東京からおいでた方と一緒に
中居神社に行きました。

昨日から不安定な天候で、雷がゴロゴロ。
雨が降ったりやんだりです。

少し夏っぽい陽気なのでしょうか。

しっとりと雨にぬれた境内も大好きです。
太陽の熱に少しよどんだ空気が
雨の冷たさで一気に澄んでいくように思います。


そういえば、最近は石徹白の緑も新緑を終え、
かなり深く、濃くなってきました。

この色が深くなってきたときに
雨が降ると、緑がより深遠さを増します。

それがあまりにも美しくて、
周りの山や木々を眺め出すと感動してため息が出そうになります。


樹齢何百年もの大きな杉に寄生する苔たちの
色艶もより鮮やかになってきました。

そしてより厚く、ふかふかになっています。



境内にはあらゆるところにこけたちが生息していますが、
つい1カ月ほど前までは、どれも冬の色でした。

枯れたような茶色。

それが、1カ月前ほどから雪がなくなりはじめ、
瞬く間に命を吹き返してきたようです。



小さな小さな命たちがかたまって生きていて、
この一つ一つの命の強さというと、本当に驚きです。

私もここで冬を経験したからこそ、
この春の美しさを何倍もの感動を持って感じることができます。

きっとこれらの植物たちが美しいのは、
彼らも春を待望し、春の恵みにからだを震わせているからではないでしょうか。


今、集落内では誰もが夏に向けての準備に大忙しです。

田畑を始め、これから多く降り注いでくれる太陽、
それによって温められる土や空気が育ててくれる作物を
命の糧にしようと準備が進められています。

この、止められない自然の流れに合わせた生活というのは
何と美しくいさぎよいものか・・・

季節の感覚をファッション程度でしか体現していなかった
私としては、それにいつも心打たれます。


とはいえ、それは簡単なことではないです。
自然の流れは待ってはくれません。
自分の都合では何ともならないことばかりなのです。

それなのに、私はまだ、ついていけていません。

季節の移り変わりの速さに戸惑っているばかりで
情けなく思います。


上在所の杜のトチの老樹



圧倒的な存在感を誇る彼は
どのくらい前からここにいて、
人を含め、どのくらい多くの動植物の生を見てきたのでしょうか。

幹に刻まれた多くの皺やこぶが
長いときの流れを教えてくれます。


この長い時間の流れの中で、
自分はどういう存在でありたいのか・・・

そんなことを考えさせられます。


誰もが、何もかもが、一瞬のちっぽけな存在だけど
それらの集積こそが、今のこのときを形成しています。

そんな広がりを、ここ石徹白の様々な営みから
感じ取っています。

石徹白に根付くことができて、
私は本当に幸せだと、改めて感じる一日でした。

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