遠野旅行
今年の営業が終わった直後、
遠野へ出かけてきました。

主人の出張にくっついて
お仕事の仲間のみなさんに
お世話になりながら
幼児2人連れで飛行機にもチャレンジ!

移動が多くてなかなか大変でしたが
行くことができてよかった。

私の学生時代のベースは文化人類学・民俗学。
といっても、そんなに真剣に先人の研究を
堀り起こしたわけではないし、
何か詳しいわけでもないけれど、
宮本常一の師、柳田國男は外せません。

となると、やはり、遠野物語はかねてから
関心が高く、「遠野」という地名を聞くと
胸が騒ぎます。

事前情報もあまりなく、
遠野物語も斜め読みしたことのある程度で
内容はほとんど覚えていない・・・状態でしたが
とにかくまずはその土地で感じるままのことを
受け取ってみようと、子ども二人連れて
様々なところに足を運びました。

伝承園。


ここには、遠野の暮らしが凝縮されていました。
建物も美しく、
今、ちょうど刈り取りのときということで
稲が玄関口にハサガケしてありました。
種採り用かな。

カッパ淵のすぐ近く。
長男もカッパ帽子をかぶらせてもらいました。(笑)


竹細工、藁細工、機織、そして水車小屋。
どこの田舎にもあった風景。
おうちの中には囲炉裏をたいて、
おばあちゃんたちが手仕事をしています。

きっと何も特別ではないかたちなんだけれど、
私にとっては、自分自身も継いでおきたい技術ばかり。

そしてここには、おしら様の伝説が残っていて
その強烈な場所がありました。


おしら様とは、蚕の神様、馬の神様といわれています。
ここでは、桑の木でできた人形に
願いを書いた布を託すことができます。

この土地でのおしら様の伝説↓ウィキペディアから。

*****

東北地方には、おしら様の成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。
それによれば昔、ある
農家がおり、家の飼い馬と仲が良く、
ついには
夫婦になってしまった。
娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。
娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。
すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。
すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、
そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。

『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、
天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、
の中の蚕虫をの葉で飼うことを教え、
絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。
以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の
養蚕の神となったとも考えられている

******


お蚕、桑と聞いて、なんだか血が騒ぎました。

ここでは養蚕は暮らしを支える大切な仕事の
1つだったのでしょう。
こんなところでお蚕様の神様に出会えて
なんだかご縁を感じました。

というか、やはり、衣食住にかかわるすべてのことが
生活そのものだったということを痛感。
当たり前の暮らし、ということが何なのか・・・
考えさせられたのです。


そして、また、話は飛びますが、カッパの伝説も
たくさん残っています。
私たちが訪れたカッパ淵は、
お寺が火事になったとき、
カッパが頭のお皿から水を噴き出して、
火事を消し止めた、という伝説が残っていました。


しかしながら、なぜ、この土地に民話が八百余りも
残っていて、それが、今や遠野の代名詞のように
語られているのか・・・

ここは、どこにでもありそうな、田舎でした。
広々とした土地に稲穂が頭を垂れ、
人々が稲刈りに勤しみ、
周りを見渡すと豊かな山がそびえる。

小川が流れ、朝霧が美しくて、
いわゆる日本の里山・・・


確かに、この雄大な自然に囲まれ、
自然と人の生活の境界があるようなないような
そんな土地において、さまざまな神様の存在を
感じることができるように思いました。

その淵に座っていたら、
カッパなのか、何なのか、そこに居るような・・・
その家の縁側をふと見ると、
座敷わらしがほほ笑んでいるような、そんな気持ちもしてくる。

でも、それって、きっとどこでもあった、
誰でも抱いた感覚のように思うのです。

石徹白で民話絵本をつくっていて
それにまつわる場所を訪れると、
何かの存在を感じる。

ねいごのふたまたほおばの怪猫が
本当にいるようなおどろおどろしい雰囲気の
山があったり、
泰澄を水場に案内した熊が
本当に出てきそうな、そんな奥山だったり・・・

私が今回遠野で思ったのは、
そういった民話を採集して残していきたい、
伝わってきた民話が大好きだった
遠野出身の佐々木喜善氏がいたから、
それを柳田國男が形にすることができた。

すなわち、地域の人が民話を愛し、
伝えていたから、今にまで残るんだ、という
単純なことに大切さを覚えたのです。


なんだか、とってもシンプルなことなんだけれど
そのことにハッとしました。

それ以上でもそれ以下でもない、
ただそれだけのこと。

神様の存在もそうなのかもしれません。

石徹白の人々は、神社も御寺も御堂も
とても大切にされていて、
きれいにお掃除されるし、
お参りも欠かしません。

そうしていると、次の世代の子どもたちも
同じように大切にしようと思って、
それがどんどん伝わっていく。

それに手を合わせることが
心のよりどころとなって
暮らしていく中での芯ができていき
安心安定の源となる。

それが当たり前のこととして繰り返される
共同体である、ということが
石徹白をあらわす1つのこととなる。


私はここ石徹白に住まわせてもらって
この土地の1つの特徴は信仰だと思うのです。

でも、それは何か特別なことではないし
石徹白では当たり前のことなんだけれど、
この地に住まう人がそうしてきたことなのだから
ある意味、どの土地でもそうなる当たり前のこと、
ではないのです。
(分かりにくい表現ですみません)


私はどういう場所で暮して行きたいか、
自分がどう在りたいか、ということと、
それについて、自身がどう行動するのか、
ということが本当に大切で、
思っているだけでは叶わないし、
「日常」に振り回される」と嘆いていてはいけなくて、
むしろ、「日常」を在りたい方向に持って行くことが
あるべきかたちなのかな、と感じています。

加えて、その「自分」というのは
あくまでも、住まう地域に依拠していて、
その土地の方向性や雰囲気を
まずは尊重していきたい。と思います。

遠野の話から、長くなってしまいました。

遠野は馬の産地でもあるそうです。
ナイスバディーな競走馬たちが
幸せそうに暮らしていました。




またいつか、今度はもっとゆっくりと訪れたいです。

遠野へのご縁に感謝して。

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