薪運び
昨日と今日は、工房建築現場に
山積みになっていた薪運びをしました。

今や石徹白でも、薪ストーブを使っているおうちは
限られていて、間伐や、剪定などで出てきた木を
地元の方がわざわざ持って来て下さるのです。

それはとてもありがたいことなのですが、
我が家の薪作りが追い付かず、
そのまま放置してあったのです・・・
情けないこと。。。

様々な太さ・長さの木があるのでそれを選別して
お隣のKさんが、チェーンソーで
薪にしてくださって、本当に助かりました。


その後、一部は主人が薪割りをしたり、、、
まだまだたくさん残っていますが、
何とか現場から移動させることができました。



今はガスも石油もあって、
薪を使わなくても楽に生活ができます。

薪を家の中の囲炉裏で焚いていたときは
煤がでて、家中が真っ黒になるし、
薪を集めることも、それはそれは大変なことだったんだと思います。

そういう経緯の中で、
ガスや石油で生活できる技術が確立され、
どれだけの労働力が削減され、
生活が楽になったことか・・・

薪ストーブと薪ボイラーで
薪を焚く暮らしを始めてから、
かつての暮らしの大変さを感じ、
それをよりよくするために
先人らが、知恵を出し合い、
生活を「向上」させてきたということが
身に沁みて分かるようになってきました。

しかしながら、それによって、
身近な木材が使われなくなって
山への手入れがされなくなったり、
遠くの国の石油を手に入れるために、
様々な弊害が起きたりと、
いいことばかりではない事象が
次々と生み出されるようになりました。

富める者が富む、というグローバル経済の中で
日本は恩恵を受けているわけですが、
必ずしも今の形の暮らしが長続きするとは
言えない状況に、環境・経済・社会的側面からみても
なってきているのではないでしょうか。

土を耕し、
薪を運び、
水を汲み、
糸を紡ぎ、
・・・
あらゆることを人の手だけでやってきた時代に
思いを馳せ、憧れを抱くのは、
私自身が、町で生まれ育ち、
そういう苦労をしてこなかった世代だからなのだと思います。

だから、石徹白のような自然豊かな地域で
環境に負担をかけることないライフスタイルを
築いていきたいと、安易に考えてしまう。


昨日と今日、一日半ほど、体を動かし
薪を運んだだけで、くたくたになっているようでは
とうていそんな暮らしは成り立たないと、
いつもながら思うのだけれど、
今日も改めて感じています。

ただ、理想だけを追い求めていては何もできないけど、
理想がなければ、逆に何もできないだろうと
自分を鼓舞しながらも、
やれることを一つずつやっていくしかないのかなとも
思っています。

いや、私にとっての理想というのは、きらきらした美しいもの、
というよりも、これからの時代を生きていかなければ
ならない者として、
リスクマネジメントを鑑みたもの・・・。

ただただ汗をかき、
土にまみれながら
暮らしていきたいわけではなくて、
自分の子どもや孫が、
何かあったときにも
生きていけるための
何かを蓄えておきたい。

それは現代的に考えれば
すべてお金に置きかえられるのかもしれないけれど、
そうじゃなくて、
豊穣な土なのかもしれないし、
家を建てられる木なのかもしれない、
もしくは、そういったものを生みだすための
継承すべき知恵や技術なのかもしれない。


日本という土地で、
石徹白という地域で、
人々が長い長い歴史を築き
生きて来れたのは、
そういったものがあったから。

だから私は単純に、その歴史が大いなる裏付けと
なるだろうと考えて、私もその一部として
身を委ねていきたいと思うのです。


薪を運びながら、
そんなことを考えていました。
 
土に触れたり、草を刈ったり、木を運んだり・・・
それはものすごい力を
逆にもらえる仕事のように思います。

とてもいい時間を過ごしました。
子守りをしてくれた母と祖母に感謝して。 
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■わたしも
小さな田んぼを小さな耕作機械を使い一人でやっている時、これを手でやっていた祖母たちの苦労を想います。

さらには、水の少ない原野を開墾し、水路を遠くから引いてきた人々の辛苦は想像を超えています。

過去を継承していない私達は、まずはその事を知り、その苦労に思いを馳せ、先人に感謝することから新しい未来を作っていくべきでしょうね。
たちまち 15/08/27 09:28

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