石徹白のうた
石徹白は民謡のさかんなところです。
石徹白にしかない唄と踊りが今も続いていて、
お盆も盆踊りが行われます。

人口250人ちょっとの小さな集落で
地域のみなさんが、こうして民謡を
守られているのは、奇跡的だともいえるでしょう。

石徹白民踊保存会があって、
それはきちんと伝えられています。

しかし、今、消えゆきそうな唄もあります。
それは、わらべ唄です。

親から子へ、口承されてきたもの。
子供が新しく口づさんでつくってきたもの。
石徹白にしかないものもあるようです。

それを何とか、子供たちに伝えていきたいと、
郡上八幡の立光学舎の井上博斗くんに
石徹白に来てもらって、
80代のおばあちゃんにヒアリングしてもらっています。

私もヒアリングに少しだけ立ちあわせてもらいました。

その中で、印象的だったのが、
井上くん「昔はわらべ唄がいろいろあったんですか」
おばあちゃん「そりゃぁ、ようけあった。いくらでもあった」

というやりとりでした。

「いくらでもあった」

なんと豊かなことでしょう。

私も、井上くんからわらべ唄を子供と一緒に
唄う「わらべうたの会」に参加させてもらって
岐阜の様々な地域の唄を歌っているのですが、
何と楽しいこと!

ドレミファソラシドじゃない
体にしっくりくる音は、
まさに日本人が連綿と受け継いできたものなのです。

しかも、出てくる言葉も、自然の中にある
草木花、動物、鳥、虫、風、太陽・・・

私がこの石徹白で常に愛で、
親しみを感じているものばかりです。

ドレミで唄う童謡も嫌いじゃないけれど、
何となく体にじんと沁み渡ってこないのは、
やはり、日本人にとって、「新しい」ものだから
なのかもしれません。

だから、おばあちゃんがこうしたわらべ歌が
「いくらでもあった」というのを
私はとても豊かに感じるのです。

私が子供の頃に歌ったものなんて
そりゃぁ、全部は覚えていないけれど
数えられるくらいだった。

しかも、自分で歌詞を生み出したり、
遊びの中で自然に歌ったりするものなんて
ほとんどありませんでした。


今みたいにおもちゃもない、
公園も遊具もない、
テレビもゲームもない、
だけれど、彼らには唄があった。

楽しみを自ら生み出す、
自らが音となり、唄を奏でる。

そんな、「その頃」を見てみたいし、
私自身も体現したいと強く思います。


自然と呼応し、
自然と一体になる。
そんな暮らし。

それは、唄から始まったのかもしれません。
 
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