畑や田んぼをしながら思うこと
藍の栽培を今年から始め、
なかなかうまくいきません。

種を蒔いたけれど、
発芽率が悪くて、
想像以上に苗が少なく、
1反近く用意した畑がガラガラに・・・。

私の力ではどうしようもなりません。

ただただ種の力と
お天道様と、土と水にお願いするのみ。

人々が、豊穣を祈って祭りをした理由が
しみじみと、分かるようになりました。

人の手ではどうにもならない、
ならば神に祈るのみ。

土も水も、光も、風にも宿る・・・
八百万の神々よ・・・。


ありがたいことに、藍を栽培する仲間がいてくれて、
苗を少しずつ分けてくださるために、
なんとか畑は少しはできそうです。

小さく儚げに、しかしながら上へ伸びてくれようとする
うちの苗たちも、これ以上、根切り虫にやられないように
ポットに移植し、もう少し大きくしてから畑にデビューして
もらおうと思い、今日、作業を終えました。



話は田んぼへ移ります。

仲間で田んぼを始めて4年目。

1年目はまあまあ獲れました。
2年目はいのししに食われました。
3年目は、雑草にやられました。

今年こそは・・・と皆意気込んでいます。

私も今年初めて、トラクターに乗って代搔きをさせてもらいました。

車以上に複雑な動きをするトラクター。
これを開発するのって、大変だっただろうな、と
操作しながら思いました。

そして、これにはガソリンが必要。
車ももちろんそうだけれど
遠い遠い国から運んできた石油によって動かし、
毎日食べるための米を栽培する。

ぼーっとトラクターに乗っているつもりが
頭の中をいろんな思いがめぐります。

2反ほどの大きな田んぼ。
手で作業するには広すぎて
ついつい機械に頼ります。

そうすると、トラクターは必要、
田植え機は必要、コンバインは必要。

数百万円単位で購入しなければならない機械ばかり。

そして、それらは、限定的な役割にも関わらず
複雑な動きを求められるため、
ものすごいコストも年月もかけて開発されたもののはず。


かつては、すべて人の手でやってきた。
小さくて不揃いな田んぼだけれど、
田んぼにできる限界の場所まで
石を積み、水を引き、排水をつくり、
ときには水を争って奪い合って・・・

種を蒔き、苗を育て、
手で植えて、雑草をとり、水を管理する。

考えただけで大変なことを
毎年毎年皆で力を合わせて
ようやく食べれるか食べられないかの米を育てた。

不作のときは、いや、常時かもしれないが
ヒエやアワを混ぜて、増量させ
お腹を満たした。

今に生きる私にはきっと耐えられない、
いや、想像すらできない状況だろうと思う。


それをよりよくするために機械や農薬や肥料がつくられ
効率良く、大量のコメを創れるようになったはず・・・
が、
本当に、ぜんたいとして考えたときに、
昔よりも今のほうが、
「よりよい」のだろうかと、疑念を抱く。


もしかしたら、何かの大きな犠牲の上に
今の効率的に見える私たちの暮らしが
虚しくも成り立っているように見えるだけなのかもしれない。


小さな田んぼで、微々たる力しかない人の手で
積み重ねてきた労働の上で生産される食糧によって
生きていくことのほうが、
よっぽど効率的で、ぜんたいとして善なのかもしれない。


哲学的に、そして、倫理的に、
何がより善いとは、
誰も判断してくれない。

今は、 経済的に、効率的に(時間の短縮)というのが
指標のすべてに見える。

そこに乗っていかないと、
今の時代を生きられないような気もしてしまう。
「ひもじい」、「貧しい」、「劣っている」・・・
そんな非常識的な常識。


さあ、何が言いたいのか。

分からないけれど、ものごとの、はじまりに、
生きることのルーツに立ち戻ることの必要性を
ひしひしと感じるのです。

今のものが当たり前で、
そうでなければならないという常識では
これからの時代において、危ういと思うのです。

新しい生き方、新しい社会、
いや、新しいんじゃなくって、
まっとう、とでもいうのか。

人が産まれて、生きて、死ぬ、ということの中で
当たり前に、かつての人々が続けて、これまで人という
種の命をつないできた、こと。

それは決して、今の世の中の常識が
常識であるとは思えず、
むしろ、今の時代が、特殊であることは自明と私には思える。


それを忘れることなく、
しかしながら、今、ここに生きる私だからできることもあるはず・・・


まずは子供にそれとなく伝えていき、
生き抜くたくましさを備えてもらうこと。

どんな時代が来ても、
幸せと感じられ、
自分を充たし、
命をまっとうし、
種をつないでいくことのできる
しなやかさとパワーを持って生きていってほしい。

最終的な、私の目指すところはここなのかもしれない。

出世しなさい、
お金をたくさん稼ぎなさい、
すてきなお嫁さんをもらいなさい、

じゃなくて、幸せに産まれて、生きて、死んでいく。

その「幸せ」とは何なのか、
どういうかたちなのかというのを、
追求した結果、ここに辿りついたのだと思っています。


たまには徒然なるままに。書いてみました。
長々と、読んでくださって、ありがとうございます。 
6月の営業日とワークショップ
5月の御披露目営業をおかげさまで
無事に終え、6月営業に向けて準備をしています。

6月は18日(土)から25日(日)まで営業いたします。 
*21日(火)はお休みです。

ワークショップは、私がこれまで温めていた
とても楽しみな内容です!

ちょっとマニアックかもしれませんが
糸系に興味のある方にはたまらない内容かもと
思っています。

**6月18日(土)**

愛知県新城市で養蚕を手掛ける矢澤由紀子さんに来ていただき、
繭からの座繰りでの糸引き、そして真綿づくりを行
います。
絹は、糸にするのにもっとも理にかなっています

その感覚を実際に手を動かして、実感していただきます

貴重な機会、糸に興味のある方はぜひおいでください。
はお持ち帰りいただけます。

スケジュール
13:00~14:30 座繰り体験
15:00~16:00 真綿づくり

参加費 大人2000円(中高生500円)
小学生以下 無料

定員 10名

講師プロフィール
矢澤由紀子
日本の養蚕文化を守るため、2012年より新城市の養蚕農家に
修業に入り技を受け継いでいます。
 




**6月19日(日)**

浜松で手紡ぎ、手織り、編み、草木・土染めなど、
様々な
取り組みをしている中村美佐子さんに来ていただき、
スピ
ンドルづくりから、糸紡ぎまで教えていただきます。
楽しい糸仕事を、おしゃべりしながらやりましょう!

スケジュール
10:00~11:30 スピンドル作り、糸紡ぎ
11:30~12:30 紡ぎ車で糸紡ぎ
12:30~13:30 お昼休憩
13:30~14:30 コットンとシルクの糸紡ぎ比較

参加費
大人2000円
中高生500円
小学生以下 無料

定員 10名

講師プロフィール
中村美佐子
岐阜市出身、浜松在住。
スリランカに婦人子供服隊員として2年駐在。
コットン・シルク・ウールなどの天然繊維を用い、
糸紡ぎから服の縫製まで全般的に行っている。
Patapata(スリランカのシンハラ語で「色」)という屋号で
イベント出店やオーダー製作など行ってます!




両日とも少しずつ予約が入っているので、
興味のある方はお早目にお問合せください。

お問合せ先
info@itoshiro.org
090-2939-7189(平野)


 よろしくお願いします。