美しき石徹白
昨日、今日は本当にいいお天気に恵まれました。
今朝は、早朝から雲行きが怪しく、
午前中は激しい雨も降りましたが、
次第に晴れ間が広がってきて、
昼間は暑いくらいのお天気に。

秋の空はすっきりとした透明感を帯び、
雲の形も様々に変わっていき、
飽きない様子を見せてくれます。

そんな中、プチ登山をしました。

イトシロシャーロットタウンスキー場の
跡地を、途中まで軽トラで上がり、
石徹白の全景が見える場所まで
登って行きました。

石徹白ってなんて美しい集落なんだろう。

 

険しい山々に囲まれて、
その中でぽっこりと開けた集落。

家は密集して在り、
その周辺に田畑がまとまっています。

家が集まっているところは、
おそらく、清水が湧いていたり、
水が引きやすく、住みよい場所だったのでしょう。

縄文の時代から人が住んできた地域といわれても
何の不思議も感じない、
そんな住み心地のよい土地だったのだと想像できます。

山が近く、木の実や獣を採ることができた。
盆地のような地形は、
強風を避けてくれた。

土もあり、川もあり、木もあり、
すべての自然の恵みが手の届く範囲にすべて存在する。

恵まれた土地、石徹白。


今の時代に大切にされている
お金がなくても、
ここで幸せに生き抜いていけることができた。

自分の手で、自然の恵みを活かして生き、
楽しみを生み出し、力を合わせて人々が暮らしてきた。

その痕跡は、今でもしっかりと残り、
受け継がれています。

私はそれに大いに魅かれて、この地に移り住んで来ました。


釣りをして、魚を食べること。
田畑で米や野菜をつくること。
冬は漬物を漬けて食料とすること。
雪降る中でちくちくと家族の着るものを縫うこと。
家は普請で皆で建てること。

生きるということはどういうことか。

私は、それは、お金を稼ぐことだと思っていました。
お金をいかに上手に使えるようになることか、と
教えられてきたように思います。
もちろん、今の時代においては、
そうなのかもしれません。


でも、それによって得られる喜びは、
自分の力で暮しを営んでいく過程で
得られる喜びに比べたら
それほど大きくないような気がしています。


食べるために田畑を耕すというのは
本当に大変なことです。


凶作の年は、米が必要な分だけとれなくて、
米の混ぜるために、木の実を必死で集めたといいます。
それほどおいしくないものも混ぜて
量を増やして食べていたと。

春夏秋冬、全ての季節において
家族皆のお腹を満たすだけの食べ物を準備するって
本当に大変なことと想像する。
想像はできるけれど、実際に、実感として、
その大変さは、きっと私には理解できないんだと思います。 

必要なのは、野菜や米だけじゃない。
水も汲んで来なければならないし、
薪も十分に準備しておかなければならない。

一家の主婦は、朝から晩まで
そのためだけに生きて働いてきたといっても
過言ではないでしょう。

ありがたいことに、
今は、大変な思いをしなくても、
ガスコンロのスイッチを押せば火が出て、
どこかで買ってきた調味料でもって
料理をすることができる。

そんな時代に生まれ育った私には、
かつての暮らしには耐えられないのだと思います。

それと同じように、
かつての暮らしの中だからこそ
得られた喜びや楽しみを
私はきっと理解することも
できないのかもしれません。


この日、私は石徹白のとあるお蔵を
見せてもらい、素晴らしい藍染めのハッピを
いただきました。

それは、おそらく、手織りのものでした。
すごく緻密に織ってあって
本当に素晴らしい仕事。

糸を紡ぐところから、
染めて、織って、仕立てて・・・

気が遠くなるほど大変な作業でしょう。

一つ一つの工程を同じ人がやったのか
別々の人の仕事なのかは、分かりませんが、
今の時代において、
同じものをつくろうとしても
きっと無理なんじゃないかと思ってしまいます。

なぜなら・・・
そのハッピを見た瞬間、
つくった人の心・・・
楽しみながらつくったような感覚が
伝わってきたのです。

きっと、家の人が着るものをつくるのは
それこそ大変なことだったのだけれど、
絣模様の藍染めの、
あれほど美しいものが
出来上がるというのは、
楽しくなければ、叶わないことだと思うのです。

つくっていてわくわくする、
よりよいものにしようと工夫する。
いいものができることの喜びを知っている人の
仕事だと思うのです。


もちろん、私も、普段からよりよいものが
つくれるように、楽しみながら、
着る人のことを想像しながらつくるけれど、
すべて手仕事でモノづくりをしていた時代とは、
その程度が、まったく違うように思うのです。

今だと、機械でひいた糸を使うし、
ミシンも踏む。

手紡ぎ、手縫いを途方もない作業と思うのか、
それぞれの仕事の間に、いくらでも技術を向上させる
チャンスのある、すばらしい契機のある作業と思うのか、
まったく異なることだと思います。


東北のこぎん刺しが総刺しにされた
「たっつけばかま」という野良着を
見たことがあります。

まさに、「途方もない」刺し子をした野良着と
私は思ってしまったのだけれど、
その時代、女性らは、こぎん刺しを刺すのを
いかに美しいものを生み出そうかと、
夜なべするのを楽しみにして、やっていたという
話を聞いたことがあります。

今よりもずっとずっと生活に余裕がなくて、
夜も様々な夜なべ仕事に追われていた時代なのに、
いや、だからこそなのか、
自分の手仕事の技術を向上させ、発揮させる場として
ちくちくちくと1針1針縫っていた。

その喜びとは、いかに大きなものだったのだろうか。

それは、想像はしても、
私はきっと、分からないままなのでは・・・と
残念に思うのですが、
できる限り、
私もその領域に近づいていきたいと思うのです。



そんなことを、石徹白の風景を眺めながら、
私の少し先の目標を確かめつつ、
思っていました。



この土地に根差し、
それによって、私の生きる意味を
見いだし、深めていきたい。

そんなふうに思うのです。