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【工房建築】石場建ての「石」据え作業
今や、家をつくろうとすると
必ずといっていいほど
基礎はコンクリートで固められます。

私はかねてから、
コンクリートで固めてしまう建築物に
疑念を持っていました。

一つには、
コンクリートを打つ以上、
それを解体するときに
ものすごい労力・エネルギーが必要となり、
また、撤去されたコンクリートは
廃棄物になってしまいます。

こういう建物は数十年はいいかもしれないけど
それ以上、長い目で見てつくられていないように思え、
私にはしっくりこないということ。

二つ目には、
日本の伝統的な建造物であれば、地震があっても
在る程度の揺れであれば
梁と柱、梁と梁の「遊び」によって
壊れることなく持ちこたえられるけれど、 
コンクリートでがっちりと固められてしまうと
その遊び部分がなくなり、
揺れに脆弱なものとなるのでは・・・という懸念があるということ。

私は建築に関して素人なので
詳しいことは何とも分からないのですが、
例えば、うちが築130年で
比較的大きな地震を2度経験していると聞くのですが
それでも壊れずに立ち続けているのは、
この建築物が揺れに強いという裏付けとなると考え、
石場建ての強さを実感しています。

さて、基礎となる大事な石。
それをどうやって据えるのだろうかと
少し見学していました。


柱を建てるのに、ちょうどよさそうな
大きめの、そして比較的平らな岩が選ばれていました。

据える場所を掘って、
そこに細かい土砂を入れます。

その上に、石を据え、
石の下に、ガラガラの小さな石(岩をくだいたようなもの)を
石を支えるように、下方から入れていきます。

その上から、さらに細かい土砂をざーっと流し、
上から水をかける。

そして、石をしっかりと埋め込むために、
上から圧をかける・・・

というかんじで、かなりしっかりと地面に食い込んでいる感じです。



もとの石の、おそらく6~7割くらいは
地面に入っています。

この後、石の表面を平らに削って、
その上に、柱を建てるようです。


この作業、今は、ショベルカー等の重機が
使われて行われていますが、
昔はすべて人力だったわけです。

それを考えると、家を建てるというのは、
本当に大勢の人の力(実質的なパワー)が
必要だったということが
実感として分かります。

今だってお金がかかるから
家を建てるって簡単じゃないけれど、
かつては、村の人たちに必ずや
協力してもらわなくては建てられなかったことを考えると、
当たり前だけれど、集落内で互いに力を合わせて
生きていくことを忘れてはいけない、ということが
身に沁みて感じられます。


さて、この作業、あと1日ほどで終了。
建て方が始まると、基礎はなかなか見えなくなるので
ご興味ある方は、いつでも覗きに来てくださいね。 
【工房建築】建て方日程の変更 9/4→9/11
急ピッチで、石徹白洋品店工房の
建て方準備が進められています。

今週は、石場の石を据える職人さんが
いらっしゃって、
作業をしてくださいました。

なのですが、少々作業が遅れている部分があるようで、
当初、9月4日(金)に予定されていた
建て方ですが、
都合のため、9月11日(金)に変更となりました。

それに伴い、上棟式も、
9月5日(土)から9月12日(土)となりました。 

予定してくださっていた方には
申し訳ありませんが、
ぜひご都合を調整していただき、
いらしていただければと思います。

よろしくお願いします! 
【工房建築】工場見学
昨日今日と、工房建築をお願いしている
宮川村のあらべえの工場に行って来ました。

石徹白の古民家の古材をすべて運びこみ、
刻み直してくれています。

家を建てる工程の中で
こうして材料を準備するのは、
もっとも重要な部分で、
必ず一度は工場に赴いて
現場を見せてもらいたいと思っていました。

工場では職人さんたちが
暑い中、作業を進めてみえました。



古材はすすがついているので
洗うのがとても大変。
木材がたくさんあるので、
洗う仕事もなかなか終わりが見えないようで・・・



私もすすのついた家具や木材を
洗ったことがありますが、
確かに、なかなか落ちないです。

でも落ちてくると、すすの下の木の色は
いぶされた濃い茶色でとてもきれいでたくましい感じがします。

洗われた木材はこんな表情を見せてくれます。
はつってあるので、デザイン性があって美しい。



これらの梁は、すべて手でけずって
この形になったもの。
つまり、機械のない時代に、
丸太から、削りだしていく過程で
こういう削り殴ったような柄がついていくのです。

今や、こうした木材を目にすることは稀ですが
古い民家の太い梁を見上げると
こうしたはつりを見つけられることも・・・。

木材の一本一本には、
墨付けがされていて、水平をとれるようにしてあります。


この作業、とても手間で、
今では、墨つけをすることはほとんどないそうです。

刻みの指示を書きこむあらべえ。
何人かの職人さんのチームワークによって
刻み作業が成り立っています。


これは、鉄砲梁といわれるものだそうです。
屋根の梁を支えるもので、曲がった木が
使われています。
こういうものを使えるのも、手刻みならではのこと。



この木材は、解体した家の梁に使われていた
とても立派なものですが、
地元の方によると「山梨」だそう。



漆を塗ると、赤味を帯びるようで、
赤系の木材は高級のものとして
重宝されたといいます。

だから石徹白で山梨を使うのは、特別なことだったようです。
そのことについては詳しく聞いてみたいと思います。
ちなみに、他の地域では、ケヤキやトチが
お大臣のおうちの梁に使われていたそうで、
地域によって、「特別」とされた木材は異なったそうです。

ちなみに、解体した家の梁のうち、
山梨以外は梁はほぼすべて杉でした。
やはり、石徹白は杉の産地。
石徹白杉はブランドだったようで、
品質も高かったようです。

解体材なので、どこまで使えるか分からなかったのですが、
ほぼすべて、再利用が可能だそうです。
屋根の垂木まで!

これだけ長いこと使われ、
そしてこれからも使っていける石徹白杉は
本当に優秀な建築材だったのだと思われます。


解体材で使えそうなものは
ほとんどすべて今回活用することに。
梁は間に合うのだけれど、柱は解体のときに
小さく切られてしまいました。

基本的には梁、床板の一部、建具は昔のもの。

どんな建物になるのか、
想像するだけでわくわくします。


石徹白で長い間
愛情持って管理されてきた家が壊されはしましたが、
新しい命となり、生まれ変わります。

ここでしかできない
特別な建築物。

ぜひたくさんの方に見に来ていただきたいです。
薪運び
昨日と今日は、工房建築現場に
山積みになっていた薪運びをしました。

今や石徹白でも、薪ストーブを使っているおうちは
限られていて、間伐や、剪定などで出てきた木を
地元の方がわざわざ持って来て下さるのです。

それはとてもありがたいことなのですが、
我が家の薪作りが追い付かず、
そのまま放置してあったのです・・・
情けないこと。。。

様々な太さ・長さの木があるのでそれを選別して
お隣のKさんが、チェーンソーで
薪にしてくださって、本当に助かりました。


その後、一部は主人が薪割りをしたり、、、
まだまだたくさん残っていますが、
何とか現場から移動させることができました。



今はガスも石油もあって、
薪を使わなくても楽に生活ができます。

薪を家の中の囲炉裏で焚いていたときは
煤がでて、家中が真っ黒になるし、
薪を集めることも、それはそれは大変なことだったんだと思います。

そういう経緯の中で、
ガスや石油で生活できる技術が確立され、
どれだけの労働力が削減され、
生活が楽になったことか・・・

薪ストーブと薪ボイラーで
薪を焚く暮らしを始めてから、
かつての暮らしの大変さを感じ、
それをよりよくするために
先人らが、知恵を出し合い、
生活を「向上」させてきたということが
身に沁みて分かるようになってきました。

しかしながら、それによって、
身近な木材が使われなくなって
山への手入れがされなくなったり、
遠くの国の石油を手に入れるために、
様々な弊害が起きたりと、
いいことばかりではない事象が
次々と生み出されるようになりました。

富める者が富む、というグローバル経済の中で
日本は恩恵を受けているわけですが、
必ずしも今の形の暮らしが長続きするとは
言えない状況に、環境・経済・社会的側面からみても
なってきているのではないでしょうか。

土を耕し、
薪を運び、
水を汲み、
糸を紡ぎ、
・・・
あらゆることを人の手だけでやってきた時代に
思いを馳せ、憧れを抱くのは、
私自身が、町で生まれ育ち、
そういう苦労をしてこなかった世代だからなのだと思います。

だから、石徹白のような自然豊かな地域で
環境に負担をかけることないライフスタイルを
築いていきたいと、安易に考えてしまう。


昨日と今日、一日半ほど、体を動かし
薪を運んだだけで、くたくたになっているようでは
とうていそんな暮らしは成り立たないと、
いつもながら思うのだけれど、
今日も改めて感じています。

ただ、理想だけを追い求めていては何もできないけど、
理想がなければ、逆に何もできないだろうと
自分を鼓舞しながらも、
やれることを一つずつやっていくしかないのかなとも
思っています。

いや、私にとっての理想というのは、きらきらした美しいもの、
というよりも、これからの時代を生きていかなければ
ならない者として、
リスクマネジメントを鑑みたもの・・・。

ただただ汗をかき、
土にまみれながら
暮らしていきたいわけではなくて、
自分の子どもや孫が、
何かあったときにも
生きていけるための
何かを蓄えておきたい。

それは現代的に考えれば
すべてお金に置きかえられるのかもしれないけれど、
そうじゃなくて、
豊穣な土なのかもしれないし、
家を建てられる木なのかもしれない、
もしくは、そういったものを生みだすための
継承すべき知恵や技術なのかもしれない。


日本という土地で、
石徹白という地域で、
人々が長い長い歴史を築き
生きて来れたのは、
そういったものがあったから。

だから私は単純に、その歴史が大いなる裏付けと
なるだろうと考えて、私もその一部として
身を委ねていきたいと思うのです。


薪を運びながら、
そんなことを考えていました。
 
土に触れたり、草を刈ったり、木を運んだり・・・
それはものすごい力を
逆にもらえる仕事のように思います。

とてもいい時間を過ごしました。
子守りをしてくれた母と祖母に感謝して。 
【工房建築】土木工事完了
建て方まで2週間を切りました。

土木工事が完了し、石積みができました。



土建屋さんの職人さんが、
とても美しく石を一つずつ積んで
作り上げてくれました。

元が畑だったとは
思えないような続きの地面に様変わり。

before


after


重機を使っているとはいえ、人の手の作業。
こうやって、土地に手が加えられ、
形を変えていくことで
今の集落のかたちができてきたんだなぁと実感しました。



川のある場所が変わったり、
橋がなかったところに橋が架けられたり、
はたまた、山にトンネルができたり・・・。

ただし、やはり、自然がなりたがる在り方というのがあって
それに大きく逆行すると、自然の力によって
また元に戻されてしまう。

長い歴史の中で
しかるべき場所に
しかるべきものがつくられ、
今もそれが持続しているのであれば、
それを信頼してもいいのだろうなぁ・・・と
ぼんやりと思いました。


今日は午後から秋晴れに。



石徹白の夏はあっという間。
明日は、とうもろこしの収穫祭で
これが終わると
瞬く間に秋に向かいます。

あとわずかなこの夏の日々を
満喫したいと思います。
藍の甕
今年になってから
素晴らしいご縁を
たくさんたくさんいただいています。

そのひとつ、
藍染めの師匠との出会いがありました。


草木染めを少しずつ始め、
様々な色がでてくるのを見るにつけ、
次第に、どうしても、藍色が欲しくなってきました。

色として、やはり、藍染めの奥深さに勝るものはない、
と思ってしまうほど、藍色にはかねてから魅かれてきました。

その上、石徹白に残る昔のさっくり(上着)の
着古して馴染んだ藍の色の美しさに
いつも惚れ惚れしています。

石徹白で実際に藍が育ち、
藍建てをし、染めていた、ということを
88歳のおばちゃんに聞くにつれ、
もう一度、石徹白で藍染めが
できないだろうか・・・と考えてきました。

その第一歩として、去年は中津川の
しずく地藍工房さんの「種蒔きからの藍染めワークショップ」に
参加させてもらい、春から秋にかけて通いながら
藍の栽培、藍建て、藍染めを学ばせてもらいました。


そんな矢先のこと、
なんと、郡上市内に50年もの間、
蓼藍を育てるところから
藍染めをされてきた方をご紹介いただき、
お会いすることができたのです。 


私からしたら、もう雲の上の存在の方で
恐れ多いのですが、
私が石徹白でやっていきたいことをお話ししたところ、
藍染めを始めるにあたって、
全面的にサポートしてくださることになりました。

私がやりたいこと、
それは至ってシンプル。

石徹白で育った藍で
石徹白で培われてきた野良着「たつけ」や
「はかま」、「さっくり」を染めること。

これが私の、石徹白洋品店としての
中心的な道筋で、私がこれまでも
そしてこれからもこだわり続けたい一点です。

石徹白にしかないもの、
石徹白でしかできないことを実践し、
それが、生活の糧になれば・・・と考えています。


今日は、藍染めのお師匠さんのおうちに行ってきました。

そしてこれまた恐れ多いのですが
藍甕を譲ってくださるということになり、
藍染めの工房づくりを、来年に行うことになりました。
(今年完成する工房とは別に!)

もう何年も使ってみえないそうですが、
きれいに掃除してくださっていました。


お師匠さん、Tさんは、自分で土を運び、
藍甕を埋め、作業小屋をつくられたそうです。
それはTさんが20代のときのこと・・・

さすがに、私自身が、土を運んで・・・ということが
できるか分からないですが、
藍染め小屋は、できるだけ手作りで
沢山の人に関わってもらいながら、作り上げていきたいと思います。



何年もの!?と思うような
貴重なすくもも見せていただきました。



すくもは最低3年は寝かせたほうがよいそうで、
年数がたっていればいるほど、いい色が出るそうです。

草木染めもそうだけれど、
まさにゆっくり、じっくり染める、というのを
そのまま体現しています。
栽培し、すくもにしてから何年も・・・
色がじっくりと生みだされていくのでしょう。

藍染めは子育てと同じくらい、
いや、それ以上に難しい。
藍は言葉を話さない。
悔しい思いを何度もした、というお話や、
藍のことが気になって眠れないこともあった、
ということも・・・

本当に奥深い世界だということが分かります。

簡単に、藍染めができるとは思っていないですが、
まずは始めてみたいと思います。
小さな畑から少しずつ。

私の愛する小さな子供たちが
育っていくのと同じように、
藍が大きく育っていくのを
お手伝いしていきたいと思っています。


Tさんは、
季節の移り変わりが分かることで
ものづくりの心が芽生えてくる、
四季の移ろいが分からなければ、
ものはつくれない、とおっしゃいます。

私自身、石徹白で、
土に触れ、太陽の恵みを受け、
季節の風を感じる中で、
何をつくりたいのか、
何をつくるべきなのか、
どう思考し、
どう生きたいのか、
それとなく、分かってきた気がしています。

Tさんのおっしゃることは
腑に落ちて、からだにしみこんできています。

きっとこれを血肉にするには
経験あるのみなのだと思います。


私の人生の大きな出合いの一つとなるでしょう。

この出合いをくださった
織り姫のSさんに心から感謝して。 
【工房建築】土木工事2日目~4日目
お盆を挟んで、工房の基礎工事が
進められています。

畑の土をはがした後、
その下からごろごろと岩が出てきました。



うちのすぐ裏は川です。

昔はこの家があったところも河原だったようで、
護岸工事によって、川が低いところに、
そして場所も変わったそうです。

つまり、これらは川原の岩です。
ものすごく大きなものもあり、
かつてのこの辺りの光景が浮かびます。

建物の縁側の内側くらいの場所を掘り上げ、石積みが
積まれていきます。



ころんとしたかわいらしい白い石が運ばれてきました。


作業をしてくださっているTさん。
とても丁寧に石を並べてみえます。


昔は、こうした石を運ぶのも
すべて手作業だったと思うと
土建屋さんは、本当に大変な仕事を
こなしてこられたのだと頭が下がります。



今日はここまで。

大工さんたちも、
今急ピッチで建て方までに準備を進めてくれているようです。
(かなり厳しいスケジュールのようです。。。)

9月4日までには、私も一度
大工さんの作業工場を見学に行くつもりです。

どんな柱や梁ができてきているのか、写真だけでは
なかなか分からないので、
そういうときは現場に足を運ぶのが一番!

今からたのしみです。
草木花のふしぎ
これまで、さまざまな草木で染めてきました。

杉のはっぱ、
ヨモギ、
あかそ、
くるみの葉っぱ、
センダングサ(たぶん)、
ぎしぎし、
イタドリ、
シダ、
マリーゴールド、
ケヤキの木の皮、
桜の木の皮、
杉の木の皮・・・


それぞれの持っている色たちは
ひとつひとつことなり、
それぞれ、とてもやさしく、きれいです。

最近、あかそで染めています。

あかその、季節の移り変わりによる
色の違いが、とてもおもしろく、ふしぎなので、
実験を続けているかんじです。


あかそ、春先のまだ青々としている頃に
染めたことがあります。
それは、レモンイエローになりました。

そして、あかそが花を咲かせる盛夏直前、
その頃には、きれいな赤ピンクに染まりました。

さらに、夏真っ盛り、花が咲き始めた頃には、
オレンジがかったピンクに。

今、秋の深まる直前、
花が終わりかけの時期には、
黄色・茶色味の強いピンク系の色になりました。



たった数日違うだけで
花が咲くのを挟んで
まったく違う色がでるのが
本当に不思議。

でもベースは黄色なんです。

最初に煮出して色が出始めるのは必ず黄色。

その後に、赤がのってくるかんじです。

染めた後に、布や糸を洗っても、
出て来る色は、基本は黄味を帯びた色で
赤がでて来るわけではありません。


まさに季節を染めているよう。

毎日空の色や雲のかたちが変わるように、
植物の秘める色も
次々に変化を遂げる。

その移り変わりが
愛おしいとさえ思います。


同じもの、
均質な商品、
正しいといわれる解、
あるべき姿・・・

今の社会にはびこる
同一性を求める日本人の性とも思えるものは、
自然とともに生きるがゆえに、
なかなか得られない均質性を
求めているからなのでしょうか。


染め上がった糸を
自然光に当てて眺め
その色が、前に染めた色と
違ったときの喜び。

異なることの楽しさ、おもしろさを
私は大事にしたいと思うのです。 
再びアカソ染め
こちらは暑さのピークを過ぎ、
もう秋に向かいつつあります。

朝晩は肌寒さを感じるくらいで、
赤とんぼが飛び、
秋めいた雲を見かけるようになりました。 

石徹白の夏はあっという間。

甘い甘いとうもろこしはまだありますが、
お盆過ぎにはもう冬野菜の準備が始まります。



うちのハギも花を咲かせ始め、
いよいよ季節の移り変わりを感じさせられます。

そんな中、アカソの花が濃い赤ピンクになり、
茎もかなりしっかりした赤味を帯びてきたのを見て、
もしかしたら、前回染めたのと
違う色がでるかもしれない・・・と思ったので
再び染めてみることにしました。



アカソは水場、岩場に生えているのが多いです。
こちらは、石垣があり、かつ水場に生えるもので、
それほど大きくない方ですが、
赤味はしっかりとあります。

煮出してみると、
前回染めたものよりも、茶色味の強い赤い染め液が
出てきました。

季節ごとにちがうのかもしれないし
採取した場所も異なるので、
また色味が変わるのかもしれません。

そしてついで(?)に、こちらの植物でも
染めてみようと初挑戦。


これって何でしょうか?

小さいものはこちら。

*後日、山仕事をしている方に問い合わせたら
「センダングサ」ではないかと教えてもらいました!

たくさん生えているし
茎が黒っぽいので
色を秘めているような気がしてやってみました。

茶色味のある黄色っぽい染め液に。
ただ、1時間ほど煮出しただけでは
薄い薄い色で、これでは染まらないだろうな・・・と
思ったのですが、2時間ほどで色が濃くなりました。

色々な植物を煮出していると、
色素がでて来る時間が
あるのだなと実感。
30分や1時間では、なかなか色がでてきてくれないことが
多いのです。

やはり、ゆっくりと、じっくり染める、
慌てずに色を出し、
また、慌てずに色を浸み込ませていくことが
大切なのだなと感じます。

私の染めの師匠、森本さんは、
「慌てて染めた色は、急いで落ちる」と
いつも言っています。

そう、しっかりと丁寧に、染めることが
一番なのだと、
植物と向き合っていると再認識することができます。

太陽の、土の、水の恵みに
改めて感謝することも、多々あります。

糸が色に染まっていく瞬間の喜び、
感謝、それを、多くの人に伝えていきたいと思います。
【民話絵本】化け猫の話
石徹白に伝わる民話を
子どもたちに伝えていきたい。

石徹白に訪れるようになった頃から
ずっと思い描いていた
民話絵本づくりに、ようやく着手し始め、
今年の10月を完成目標に制作を進めています。

石徹白小学校で、何年も前に
石徹白の民話の収集をして、
とりまとめた資料があって、
それをもとに作っています。

その話しの一つに
「根後の二又朴葉」というものがあり、
化け猫がでてくる空恐ろしい物語があります。

ストーリー性があって、
絵本として成立しやすいような
お話だったので、第一弾はこれで!と思い
始めたのですが、絵本制作中に
何点か、疑問がでてきました。

それを解決するために
地元の郷土史家・歴史家であるTさんのおうちに
お邪魔して、この民話についてお伺いすることに。

Tさんは、ご自分で研究された石徹白の歴史について
何冊も本をつくってみえて、本当にお詳しい方。
もう80代だけど年齢を感じさせない
とても聡明でお元気な方です。



Tさんによると、
この化け猫の出て来る物語は、
奈良時代、聖武天皇の勅使であった吉備真備が
奏上した石徹白創業伝記に記されているものだそう。

口承でおもしろおかしく伝わってきた
なんてことのない物語と思いこんでいたら、
石徹白の起源に関わる創業伝記に
物語のルーツがあったとは、驚きでした。

Tさんからは、この物語に出て来る地名が
今でも残っていることや、
登場人物は、石徹白を治めていた総長的な人だったりと
様々なことを教えていただきました。

自分の地域のルーツとなるような歴史を
こうして深く調べられ、まとめてみえる方が
普通に周りにいらっしゃることに改めて驚きました。

私が絵本づくりのもとにしている
小学校でまとめた資料は、
読みやすい形になっていて、
物語調にアレンジしてあります。


でも、せっかくなので、
もととなる資料との関連性についても
絵本の最後に付け加えようかと考え始めました。


地域の歴史について
何が正しいとか、正しくないか、とか、
はるか昔の時代のことなので分からないですが、
確実に言えることは、
自分の住んできた地域のルーツを大切に思い、
今もそれを伝えようとしている人がいて、
それによって、故郷への愛着が深まっている、
ということがあるのではないかと思います。

私はそのこと自体、とても貴重で大事なことと思います。

自分の子どもが、
石徹白で生まれ育った子供たちが、
ふるさとに誇りを持ち続けられるためにも、
母として、そして、地域の一員として
できることをやっていきたいなぁと
考えさせられました。

まずは絵本づくりから。
小さな一歩でも、何かを始めてみようと思うのです。
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