わたしの先生
石徹白には、わたしの先生がたくさんいます。

昨日も、御年88歳のRおばあちゃんのところに
「たつけ」についてお話を聞きに行ってきました。

たつけを何本もつくってきて、
どうしても納得できないこととがあったとき、
すぐに聞きに行けるのがありがたいです。

Rおばあちゃんは、ずっとずっと働いてきた人で
私からしたら、ものすごい知恵と技術の
宝物の詰まった人物です。

ちょっと話をするだけで
たくさんの学びと感動をくださいます。

たつけについても、
もやもやしていたことがすっきり!

アドバイスに従ってつくったら
めっちゃかっこいいたつけが完成(しそうです)。

こうやって身近にいてくださることがありがたい。

いや、むしろ、私はそういう人に話を聞きたくて
この地にやってきたように思います。

聞き書きについても、
昔物語を聞きたいのではなくて、
これから私が生きていくための
指針になることを探りたい、
そんな気持ちでやっています。


でも、お年寄りが、自分の暮らしの先生になるなんて、
きっとかつては当たり前だったんだろうと
時代の変化を感じています。

嫁に行ったら、そこのお母さんやおばあさんに
何もかも教えてもらって、やってきた・・・
という80代のおばあさんの話を聞いていると、
教科書は、すべて、うちのなかにあったんだと
実感します。

それが今は、お年寄りを尊ぶことが少なくなったり
核家族化が進んだりして、
それはそれで楽な生活ではあるかもしれないけれど
大事なことが継げないこともあるのだと思います。


もちろん、大家族だからこその嫁の大変さは
必ずあると思うけれど、
今のかたちが、ほんとうにふさわしいかどうかは
やはり、問うていかなければならないと感じています。


よりよく、生きるって、どういうことだろう。
より豊かに暮らすっていかなる暮らしなのか。

それをいつも突きつけられては、
考える日々です。

ただ、言えることは、
やはり、顔の見える中で
心をこめてつくられたものを食べることができたり
着ることができたり、
そして、家族が心身ともに健康で
あらゆることに感謝して生きているということが
もっとも、幸せに感じるのです。

むしろ、そういう幸せは、ふと気付いたときに
感じるもので、普段は生きるために
もくもくと働き、気付いたら夜になっていた・・・という
生活なのかもしれない。

でも、そんな当たり前な毎日を
重ねていけることが
生きる糧になるのかなと思います。


石徹白のわたしの先生たちを見て
そう思うのです。 
絵本づくりプロジェクト
石徹白に移住する前から
石徹白について色々調べていく中で
いつか必ず実現させたいと思い続けたきたことの一つ。

それが絵本づくりです。

子どもがおおきくなる前に・・・と思い、
ようやく着手できる心の準備が整いました。


石徹白には、今でも語り継がれる民話が
いくつかあります。

ずいぶん前に小学校として
ヒアリングをしてまとめた、という民話の資料があって
それを借りてきました。

全部で5編、あります。
もしかしたら、探してみたら、もっと出てくるのかも
しれませんが、まずはこれらから・・・。

私が民話に興味を持ち始めたのは、
学生時代、カンボジアでフィールドワークを
していたとき。

カンボジアでおばあさんにお話を聞いているときに、
自分が子どものとき、母がこんなお話をしてくれたんだよ、
と、そのおうちに伝わる民話を語ってくれたのです。

その内容は、はっきりと覚えていないのですが
(でも、確か、卒論の最後にちょこっと入れたはず・・・?)
なんだか、SFのような、わくわくする内容だった印象が
あります。

ずっと伝えられているお話たち。

そういえば、私も昔話をお母さんやおばあさんから
してもらって、嬉しかったなぁ。
でも、そういうのって、口承だけで、絵本にも
なかったなぁ・・・。

本来なら口承で語り継がれていくはずが、
残念ながら、今は、テレビや絵本がちまたに溢れ
なくなってきているのではないでしょうか。


せっかく石徹白でこれまで継がれてきたものがあって、
しかも、それらは、石徹白の史跡や、
ここに住む人たちの歴史的背景に関係するものであるのなら、
子どもたちに伝えていきたいと思うのです。

やはり、自分の故郷をほこりに思えるもの、
大切だと感じられるきっかけは
いくらでもあったほうがいい。


私は、石徹白出身じゃないけれど
ここが好きで住みついたことがご縁にあって、
それを息子にも理解していってもらいたいと思います。

とはいえ、それ以上に、
絵本をつくる作業自体がわくわくするものです。

絵本づくりは未経験ですが、
本好きとしてはたまりません!


イラストは、最近、個展を見せてもらって
ますます好きになった
南景太くんにお願いしています。

岐阜市でのSTENPORTでの個展で
たくさんの動物の絵がありました。

それらが、石徹白の民話に出てくる動物たちと
重なりつつも、彼独自の世界観の広がりに
胸が高鳴る、そんなかんじがしました。


どんな作品になるのか今から楽しみです。

まずは1つずつ。

春の完成を目指し、
雪が溶けた頃、GWくらいに、
お披露目できたらと思っています。

民話のタイトルは「根後の二又朴葉」。

ちょっと怖いお話です。
ひゅるひゅるる~

ご期待ください! 
普遍的なデザインということ
あれこれと考えあぐね、
仮縫いを繰り返し、
こうかな、こうかな、とタックをとったり
ギャザーを寄せたりしながら
ボディ(マネキン)に布を当てていく中で
新しい服のデザインが決まっていきます。

それは、とても時間のかかる作業です。

体にきちんとフィットすることや、
布の柔らかさや風合いとデザインがマッチすること、
新鮮さがあることなど
考えなくてはならないポイントが山ほどあります。

専門学校に行っていたときは
それ自体が楽しかったりしました。

しかし、お店を始めて、ある程度の量のものを
きちんとした品質でつくろうとしたときに、
これだ!と100パーセント満足いくデザインって
なかなか生みだすことができないのです。

これ、かわいいかも・・・と自分で満足していても
必ずしもお客様にうけるわけでもないし、
納得いく方法でつくられている布の質感と
思いついたデザインがフィットするわけでもない。


はて、では、新しくどんどんデザインを生みだすことって
こんなに大変なんだけど、
みんな、こんなふうにして
服をつくって、
お客さんに買ってもらっても、
いつかはポイされてしまう運命・・・ 

ものをたくさんつくって、
消費してもらうことで
経済がめぐる、ということが
正しいと思われている時代なら
とても腑に落ちる方法なんだけど、
私が目指している方向とは
なんだか逆な気がしてくるのです。


そんなときに、
石徹白に残る野良着のズボンである
たつけや、石徹白はかま、
さっくりやハッピなどを見てみると、
そのデザインの普遍性に驚きます。

着物や浴衣もそうだけど、
とにかく、
決まりきった形のものを
繰り返し家庭内で作られて着られていた。

変更する部分があるとしたら
その人のサイズにするだけ。

だから、わざわざパターンを引く必要もなく、
とにかく直線で織った手元にある布を使って
ハギレが出ることのない無駄のない方法で
服が仕立てられていくのです。

すでにデザインは決まっているから
ああだこうだ悩む必要はありません。

そのデザインが
仕事をするのにとても機能的であるとともに、
作る人にとっても便利であって、
かつ、布を生みだす人にも全くストレスがかからない。
しかも、布が貴重な時代に、
自然が生みだしてくれる資源も無駄にならない。

あらゆる方向を見渡してみて
皆が満足いく形でつくられてきたのが野良着なのです。


確かに、私は石徹白ばかまをつくって、
かなりハードに着倒したら、
ポイするのではなくて、
膝の部分に膝当てをつけたりとか、
ばっさりと切って、ショートパンツにしようとか、
デザインがシンプルだからこそ、
リメイクがしやすくて、ありがたいのです。

普通の洋服だと、曲線が前提なので
一カ所ほどいて繕ってみたら
全体のバランスが悪くなったりして
修復不可能になってしまうこともあります。

 
使いこんだあとのこともきちんと考えることができるのは
作る者として、長く使ってもらえると思え、
精神的にも心地がいいのです。


ということは、たつけやはかまをつくるにあたって
それにふさわしい素材を
どういうふうに考えていくか、
いかに生みだしていくか、
というのが私にとっての大きなポイントになって、
それこそが、新しい服の形を考えることよりも
刺激的で、わくわくしてくるのです。

なるべくなら環境負荷をかけないもの、
突き詰めて言うと、
今の社会のかたちではなくなったときでも
自分の手、あるいは目に見える範囲の中で
負担なく生みだすことのできること・・・。


いつもじゃないけれど、
私は、今の社会のかたちを前提にしない
生き方を、考えていかなければならない局面が
出てくると思っていて、
ときどき、そのことをベースにものごとを考えています。


長い長い歴史を振り返ったときに、
今のような社会は本当に短い時間でしかなくて、
これがこれからも持続するとは限らない。

遠く離れたところからものを運ぶこととか、
経済格差を活かしたビジネスが成立するとか、
何だか、あまり現実的じゃない。

当たり前のように土から芽が出て
太陽と水によっておおきく育って、
その恵みを享受する。
それがこの土地で生きることの本質であると思っています。


だから、連綿と受け継がれ、着てこられた
野良着は、一つの集大成として
私の中の大きな指標だし、
それを大切にすることは
懐古主義でもなんでもなくて、
これからの時代を生きるたくましさにつながると
信じています。


ということで、何日もかけて
あれこれと新しいデザインを生みだそうと
頭をひねってきた結論が・・・

やはり、足元にある野良着を大切にすること、
そして、それにふさわしい素材づくりに
注力していくこと、であったのです。


私もそうだったけど、
あるブランドに期待するのって
季節ごとに違うデザインが出て
それを見るのが愉しみだったりするんだけど、
石徹白洋品店としては
そういう方向を示すことはできなくて、
やはり、この土地で、
この土地に受け継がれた歴史や文化を大切に
私自身の気持ちに正直な
ものづくりをしていく しかないんだなと
改めて思いました。


たくさん寄り道しながらも、
やっぱり辿りつくところはここなんだなと思います。



 
糸巻き
今日は、夏場に染めた糸を巻き取る作業をしました。

去年の春、自然染色ワークショップを行って
そこで学んだ染めを、夏場に実践してきました。

色を定着させるために寝かしてきた糸たちを
そろそろ使いたいと思い整える作業を。

こちらはオーガニックコットンの糸。
ガラ紡のものです。ぽこぽことした風合いのある糸です。


染めるものが同じでも
季節によって色がことなることがあります。
自然の恵みは無限の可能性を秘めています。

こちらはシルクの糸。
友人から譲ってもらった手紡ぎのものたちなので
こちらも、人の手の温もりが感じられる糸たちです。


これらは、いつもお世話になっている
郡上市大和のみずほ園さんで
織ってもらうつもりでいます。

これまで、ガラ紡糸しか織ってもらっていなかったので
シルクとの混紡も考え中です。

きっとまた風合いの良いものができると思います。

色が自然のものなので、
よけいやさしく、肌なじみのよいものになるのではないでしょうか。

私自身、アトピーがあったときに、
ウールのものや、
どういう材料で染めてあるのか分からないけれど奇抜な色もの、
そして石油由来の繊維のものは、身に付けるのが
辛かった時期があります。

だから今は、できるだけ化学的なものを含まないもので
綿と絹、そして麻を中心にした素材を使っています。

体に何か反応が出た時に
どういうものが含まれているか、
分かるといいなと思うのです。

肌が弱い人、アトピーの人も
うちのお店に来てくださり、
気持ちいいと言って服を買ってくださる方が
みえるので、そういう方にきちんと説明できるような
ものづくりをしたいと、
自分自身の経験からも考えています。


さて、糸巻きをしていて、
今日はとても心が穏やかになりました。

もくもくと手仕事ができると
気持ちが落ち着きます。

今は頭を使わなくちゃいけないことが
多すぎるように思います。

頭の中がなんだかいっぱいになってしまったとき
気持ちが落ち着かないときは
こうした単純作業を、
しかも、自分の染めた大切なものと
懇々と対していけることが
大切なのではないでしょうか。

服作りを始めて、
ひたすらまつり縫いをするとか、
糸を整えるとか、
そういう作業にとりかかったときに
あんましい(面倒)と思うかなと思ったけど
意外に気持ちよかったりするのです。

雪がとけたらとりかかる
工房では、そういった手仕事を
みなさんが体験して
ものをつくりあげることのできる
場にしたいと思っています。

一度やってみたら、
きっとおうちでも実践できるし、
おうちでなかなかできない人は、
ここに滞在してもらって
ものを生みだしてもらう。


冬は特に、ものづくりに向いているなぁと
雪深い静かな石徹白で、そう思っています。


わくわくです。
 
生きていくためのバランス ~しめ縄づくり~
いつもお世話になっている石徹白の上在所の
K夫婦は、今でもしめ縄づくりを自身でされています。

秋の収穫時に稲藁をとっておいて、
それでつくります。

神道のおうちなので、しめ縄は一年に一度取り替えるそうです。
神様のしめ縄は、普通の縄とは違って
左縄(左向きになう)だそうです。



90歳近い(大正15年2月生まれ)のKさんは、
お父さんが亡くなった昭和56年から
しめ縄づくりをされているそうです。



「最近の藁は昔のよりみじこう(短く)なった」とおっしゃいます。
おそらく、風に負けないように品種改良して
短くなったのでは・・・とおっしゃいます。

こういうものをつくりには、長い藁のほうがいいのですね。

しめ縄は何本もつくります。飾る場所によって
長さも異なるので、どのくらいの長さが必要かメモされていました。


縄がなえたら、御幣(和紙)を飾って完成です。
神様や、居間などに飾られます。



これらの縄は、どうだろう、半日もかからずに
完成していました。あっという間です。

このしめ縄の他に、「やす」という、門松にお供え物を
するための籠のようなものもつくられました。


藁を最初、円にして、
それに結うように編んでいきます。


門松はふたつあるので、二つ、作られていました。
これまた、見ているとあっという間。


なんとも美しい籠が出来上がりました。


これは門松に飾られます。


よく見ると、こうしてお供え物がされています。


三が日、1月3日まで、朝昼晩とそれぞれ異なった
お供え物を備えます。

私は3日のお昼にお邪魔しましたが、
朝には、お餅とお豆腐を煮たものを、
昼には、白ご飯をお供えするということでした。

ずっとこうやって、しめ縄をつくって、御供えをする
という習慣を、K夫婦は連綿と続けてみえます。

その前も、その前の代も当たり前のように
続けてみえたのでしょう。

もうKさんが、90近くなり、なかなか体も思うように
動かなくなるから、来年はきっとできない、ということでした。
息子さんは、一緒には住んでみえないので、
続けられるか分からないとのこと。

当たり前のことが、当たり前に続けられるって、
その時代背景もあるだろうし、
継ぐ人の問題もあるだろうし、
そう簡単ではないですね。

こうして、なくなっていく習慣が
山ほどあるんだなぁと
このおうちだけではなく、
日本全国の小さな山村集落に
思いを巡らせたのです。



私は、暮らしの中に信仰が根付いていることは
とても大切なことだと思い、
それを実践されているKさんのおうちには
しょっちゅうお邪魔して、
様々なお話を伺っています。

私自身、もともと、実家が仏教で信仰心が篤く、
お盆には家族でご詠歌をうたい、ご先祖様を
お迎え・お送りしています。

心のよりどころがあるということ、
それが生活の一部であって、
当たり前であること、
それが、日々、確かな気持ちで歩んでいくのに
欠かせないと感じるのです。


そんなことを考えているとき、
はて?なぜ信仰心って篤くなるのか・・・と
考えてみました。

難しいことは分からないけれど、
私自身の場合、
例えば、お米や野菜が土と太陽と水から
生みだされて、それをいただくとき、
手を合わせて、ありがたい、ありがたいと
思いながら、どこかにいらっしゃるだろう
神様に、感謝の気持ちを思います。

または、子どもが授かったとき、
無事に産まれたとき、
病気が治ったとき、
ありがたい、ありがたい、と手を合わせます。

何か分からないけれど、
自分や家族が生きて行くために
はたらいている大いなる力があって、
それを感じるときに、感謝をするのです。


うちの食卓の基本は、
主人や地元の人が育てたお米と野菜です。
最近味噌や漬物も自家製で、
顔の見える食材がベースとなっています。

だから、本当にありがたいと思うのです。

どこからきたのか、
どうやってつくられたのか分からないのではなく
どの土地で、誰が、どういう思いでつくったのか
一目瞭然です。

食べていても、よけいおいしく、ありがたく
いただけます。

もちろん、何を食べてもそう思えるのが
一番なのですが、じゃがいもに穴が
あいていようと、大根が曲がっていようと
それがかえって、愛嬌があって、
つくった人の顔が思い浮かんでくる。


私はこのことを、当然のことにしたいと思っています。

お客さんがきたときに、食卓の上に並んだものの
紹介をすると
「すごいですねー」
「自然派ですね!」
「超オーガニックな暮らしですね」と驚かれます。

「えぇ、まぁ・・・」と答えるのですが、
いつもものすごい違和感にとらわれます。

顔の見える関係性の中でしか
暮らしてこられなかった時代では
これって当たり前のことだった。

それが、戦後の、たった50年くらいの間で
いくらでも遠くのものが手に入って、
自分の力では食べものを生みださなくなって、
人に、自分の命を頼って生きることが
当たり前になってきた。

そんな今の時代では
私たちの暮らしは、とても稀有なものに
なってしまったのかもしれない。

けれども、人に命をあずけることが
いかにリスクが高くて、
いかに、面白くないか、
(いや、翻って考えると
自分の力で自分の命を養っていこうと
努力することがいかに面白いかということ)を
よくよく考えると、
今自分が実践しようとしている暮らしくらいしか
思いつかないのです。

もちろん、スーパーもコンビニも
利用することがあるし、
戦前のような生活をすることや、
その生活を続けていくための心を
持ちあわせているとは、
とうてい思わないのだけれど、
せめて、既存の、「当たり前」といわれるような
暮らし方は、どこかで打ち壊していかないと、
いろんなこと・ものが続かないと思うのです。


すべてのものを換金して
(自分の時間とか、労働とか、価値を)、
それで、誰かのものと交換して
生きるだけでは、つまらない。

それによって効率化されて
暮らしが楽になったというのは
あるのでしょう。

でも、あまりにも頼り過ぎている。

災害があって、水が出なくなって
コンビニに行ったら、水が買えなくて、
給水車が来ないと、行政に文句を言うなんて
そんな価値観では生きたくないと思う。

自分や、自分の家族を支えるために
自分の力でできることは自分でやって、
それができないときは、お隣さんと力を合わせ
食っていく、というようなことが
当たり前に、かつてはあって、
石徹白でもまだそういう気質は
残っていると思うのです。

周囲に便利なものがあまりなくて、
閉ざされた集落だから、
新米は次の年にとっておいて古米を食べるとか、
冬は保存食を漬けておくとか、
し続けることができるのだと思います。


私はここにきて、ここに生きる人をみて
日々、多くのことを学んでいます。

それは、生きるためのバランスのとりかた、とでも
いうのでしょうか。

金を稼いで使うのがすべてじゃない。

集落を維持するために必要な労働を
提供し合うことや、
年齢関係なく、杯を交わして笑い合うこと、
何かあったときに、理由なく助け合うこと。


私は弱いから、
どうしても便利すぎるところにいると
忘れてしまいそうになることが多いけど、
ここにいると、
当たり前のように思い起こされ、
私もそう在りたいと思えるから
ありがたいのです。
 

理想はあるけど、現実は・・・というのが
人の摂理と思うけど、
私は、できる限り、
この地域に生きる者として
この地域のために生き、
それがいつしか、ぜんたいのためになると信じて
生きたいのです。

誰のためになるか分からないことをやっていても
ぜんたいのためにならないと思うのです。

 
どんな生き方をするのかは、
それぞれが考えること。

考えることもなく生きているよりは
考え抜いた結果で、生きたほうが
よっぽどおもしろい。

私はそう思うのです。


ここ数日、つらつら思ったこと。

年始のブログになってしまいました。

長い文章を、最後まで読んでくださった方、
ありがとうございました。