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石徹白民話シリーズ 絵本途中経過
今年の石徹白民話シリーズの絵本づくりが
佳境を迎えています。

今回の絵本は泰澄大師が
石徹白を通って白山を開山した物語です。

私が石徹白に通い始めたころから、
この土地は何か違う・・・と思ってきました。

それは、どのお年寄りに話を聞いても、
白山中居神社のお話や、
大師堂、石徹白の歴史のお話が
どんどん出て来るのです。

普通に暮らしているお年寄りが
なんだか、ものすごく歴史に詳しくて、
かつ、自分のおうちのルーツを
平安時代やら、安土桃山時代やらの話から
してくださるので、びっくりしていました。

私にとっての歴史というものは、
教科書で学んだ「暗記科目」であって、
現実の世界と全然結びつかない。

けれども、ここのお年寄りにとっては
とてもリアルで、歴史の積み重ねの上に
自分たちが暮らしているというような話しぶり。

私はそれ以来、本を読んだり、話を聞いたりして
石徹白のことを学び始め、どんどんのめりこんでいきました。

そして、いつか、この泰澄大師の物語を絵本にすることで、
石徹白のみなさんの名字のルーツについて
伝えやすいかたちにできればなと思ってきました。

それが、今回、泰澄大師の物語を絵本にしようとした
きっかけの一つです。

大師堂へは石の階段を上っていきます。


この先に、泰澄大師の像があります。


これは鎌倉時代(だったかな。)につくられたものですが、
明治時代に修復されているのでとてもきれいな状態です。

古めかしいものが寺社仏閣には多いですが、
こうして、今でもうつくしいままで拝まれていて、
私はなんだか、とても大切にされているように思うのです。

何年か前に行ったブータンでも、
お寺はものすごくビビッドな色で保たれていました。
古いものでも、きちんと修復していくので
あまり古く見られないのです。

石徹白の中居神社もそう。
歴史は深いけど今もきれい。
信仰が生きている集落だなと思うのです。

イラストがどんどん出来上がり、絵本の完成が見えてきました。


入稿まであとわずか。
もう少ししたら、みなさんに、クラウドファンディングで
資金集めのお願いをすることになりそうですので、
そのときには、ぜひともご協力をお願いいたします! 
石徹白の刺し子模様
今年の頭、地元のT翁から
お借りした石徹白の古い野良着たち。

その中に入っていた宝物のハギレがありました。



何に使ったものか分からないけれど、
こぎん刺しのような刺繍が総刺しされていて
何かとても大切なものに使っていたものでした。

よくよく見ると、見たことのないような模様があって、
石徹白にしかないものなのだろうか!と興奮しました。

そこで、この模様を、抜き取って、今後、使っていけたらなあ、
石徹白らしいものができるなあ、と思って、
石徹白のこぎん刺し作家さんのMさんに
お願いして、こんなすてきな見本を作っていただきました!
さすがMさん!美しい!!



津軽で発展したこぎん刺しの模様と似ているけれど
見たことのないようなものもあります。

元のものを見てみると、
急に模様が変わっているところがあるので
刺した人はなんだか楽しみながら
こうしてみよう!ああしてみよう!と思って
いろいろ試していたのかな~なんて想像しちゃいます。

この模様で、石徹白オリジナルの作品を
つくっていけたらなあと思っています。

先人の知恵に、意匠の発想に、
さらなる感謝を抱きつつ・・・。
民話の絵本
来る春、ゴールデンウィークに向けて
着々と進んでいる「民話の絵本」プロジェクト。

石徹白洋品店として、
(名前は洋品店だけど)
石徹白の様々なすてきなところを
残して、伝えていきたいと、
前々から妄想していたプロジェクトの一つです。

第一冊目として作り始めているのが、
「根後の二又朴葉」のお話の絵本です。

妖怪(?)のような化け猫が出て来る
こわーいお話ですが、
なぜか、怖い話って、好き♪

小さい頃から、日本昔話の番組も好きで
怖いものほど、何となく頭に残っているような・・・

きっと石徹白で、この話が伝えられてきたのも
怖いお話だから・・・?
いや、それだけではなく、実際にその場所が
今でもみられるから・・・?

私はまだそこには行ったことがないのだけれど、
この絵本が完成したあかつきには、
ぜひとも行ってみたい場所があるのです!

それがどういう場所なのかは
完成してからのお楽しみ!

絵描き(?)の南景太くんから届いた
下絵のラフです。



これを見せてもらって
よりわくわくが高まりました!

すごいすてきな絵本になりそうです。

GWの営業日には、
絵本が完成できたら
朗読イベントも開催したいと思っています。

お楽しみに!!

 
生きていくためのバランス ~しめ縄づくり~
いつもお世話になっている石徹白の上在所の
K夫婦は、今でもしめ縄づくりを自身でされています。

秋の収穫時に稲藁をとっておいて、
それでつくります。

神道のおうちなので、しめ縄は一年に一度取り替えるそうです。
神様のしめ縄は、普通の縄とは違って
左縄(左向きになう)だそうです。



90歳近い(大正15年2月生まれ)のKさんは、
お父さんが亡くなった昭和56年から
しめ縄づくりをされているそうです。



「最近の藁は昔のよりみじこう(短く)なった」とおっしゃいます。
おそらく、風に負けないように品種改良して
短くなったのでは・・・とおっしゃいます。

こういうものをつくりには、長い藁のほうがいいのですね。

しめ縄は何本もつくります。飾る場所によって
長さも異なるので、どのくらいの長さが必要かメモされていました。


縄がなえたら、御幣(和紙)を飾って完成です。
神様や、居間などに飾られます。



これらの縄は、どうだろう、半日もかからずに
完成していました。あっという間です。

このしめ縄の他に、「やす」という、門松にお供え物を
するための籠のようなものもつくられました。


藁を最初、円にして、
それに結うように編んでいきます。


門松はふたつあるので、二つ、作られていました。
これまた、見ているとあっという間。


なんとも美しい籠が出来上がりました。


これは門松に飾られます。


よく見ると、こうしてお供え物がされています。


三が日、1月3日まで、朝昼晩とそれぞれ異なった
お供え物を備えます。

私は3日のお昼にお邪魔しましたが、
朝には、お餅とお豆腐を煮たものを、
昼には、白ご飯をお供えするということでした。

ずっとこうやって、しめ縄をつくって、御供えをする
という習慣を、K夫婦は連綿と続けてみえます。

その前も、その前の代も当たり前のように
続けてみえたのでしょう。

もうKさんが、90近くなり、なかなか体も思うように
動かなくなるから、来年はきっとできない、ということでした。
息子さんは、一緒には住んでみえないので、
続けられるか分からないとのこと。

当たり前のことが、当たり前に続けられるって、
その時代背景もあるだろうし、
継ぐ人の問題もあるだろうし、
そう簡単ではないですね。

こうして、なくなっていく習慣が
山ほどあるんだなぁと
このおうちだけではなく、
日本全国の小さな山村集落に
思いを巡らせたのです。



私は、暮らしの中に信仰が根付いていることは
とても大切なことだと思い、
それを実践されているKさんのおうちには
しょっちゅうお邪魔して、
様々なお話を伺っています。

私自身、もともと、実家が仏教で信仰心が篤く、
お盆には家族でご詠歌をうたい、ご先祖様を
お迎え・お送りしています。

心のよりどころがあるということ、
それが生活の一部であって、
当たり前であること、
それが、日々、確かな気持ちで歩んでいくのに
欠かせないと感じるのです。


そんなことを考えているとき、
はて?なぜ信仰心って篤くなるのか・・・と
考えてみました。

難しいことは分からないけれど、
私自身の場合、
例えば、お米や野菜が土と太陽と水から
生みだされて、それをいただくとき、
手を合わせて、ありがたい、ありがたいと
思いながら、どこかにいらっしゃるだろう
神様に、感謝の気持ちを思います。

または、子どもが授かったとき、
無事に産まれたとき、
病気が治ったとき、
ありがたい、ありがたい、と手を合わせます。

何か分からないけれど、
自分や家族が生きて行くために
はたらいている大いなる力があって、
それを感じるときに、感謝をするのです。


うちの食卓の基本は、
主人や地元の人が育てたお米と野菜です。
最近味噌や漬物も自家製で、
顔の見える食材がベースとなっています。

だから、本当にありがたいと思うのです。

どこからきたのか、
どうやってつくられたのか分からないのではなく
どの土地で、誰が、どういう思いでつくったのか
一目瞭然です。

食べていても、よけいおいしく、ありがたく
いただけます。

もちろん、何を食べてもそう思えるのが
一番なのですが、じゃがいもに穴が
あいていようと、大根が曲がっていようと
それがかえって、愛嬌があって、
つくった人の顔が思い浮かんでくる。


私はこのことを、当然のことにしたいと思っています。

お客さんがきたときに、食卓の上に並んだものの
紹介をすると
「すごいですねー」
「自然派ですね!」
「超オーガニックな暮らしですね」と驚かれます。

「えぇ、まぁ・・・」と答えるのですが、
いつもものすごい違和感にとらわれます。

顔の見える関係性の中でしか
暮らしてこられなかった時代では
これって当たり前のことだった。

それが、戦後の、たった50年くらいの間で
いくらでも遠くのものが手に入って、
自分の力では食べものを生みださなくなって、
人に、自分の命を頼って生きることが
当たり前になってきた。

そんな今の時代では
私たちの暮らしは、とても稀有なものに
なってしまったのかもしれない。

けれども、人に命をあずけることが
いかにリスクが高くて、
いかに、面白くないか、
(いや、翻って考えると
自分の力で自分の命を養っていこうと
努力することがいかに面白いかということ)を
よくよく考えると、
今自分が実践しようとしている暮らしくらいしか
思いつかないのです。

もちろん、スーパーもコンビニも
利用することがあるし、
戦前のような生活をすることや、
その生活を続けていくための心を
持ちあわせているとは、
とうてい思わないのだけれど、
せめて、既存の、「当たり前」といわれるような
暮らし方は、どこかで打ち壊していかないと、
いろんなこと・ものが続かないと思うのです。


すべてのものを換金して
(自分の時間とか、労働とか、価値を)、
それで、誰かのものと交換して
生きるだけでは、つまらない。

それによって効率化されて
暮らしが楽になったというのは
あるのでしょう。

でも、あまりにも頼り過ぎている。

災害があって、水が出なくなって
コンビニに行ったら、水が買えなくて、
給水車が来ないと、行政に文句を言うなんて
そんな価値観では生きたくないと思う。

自分や、自分の家族を支えるために
自分の力でできることは自分でやって、
それができないときは、お隣さんと力を合わせ
食っていく、というようなことが
当たり前に、かつてはあって、
石徹白でもまだそういう気質は
残っていると思うのです。

周囲に便利なものがあまりなくて、
閉ざされた集落だから、
新米は次の年にとっておいて古米を食べるとか、
冬は保存食を漬けておくとか、
し続けることができるのだと思います。


私はここにきて、ここに生きる人をみて
日々、多くのことを学んでいます。

それは、生きるためのバランスのとりかた、とでも
いうのでしょうか。

金を稼いで使うのがすべてじゃない。

集落を維持するために必要な労働を
提供し合うことや、
年齢関係なく、杯を交わして笑い合うこと、
何かあったときに、理由なく助け合うこと。


私は弱いから、
どうしても便利すぎるところにいると
忘れてしまいそうになることが多いけど、
ここにいると、
当たり前のように思い起こされ、
私もそう在りたいと思えるから
ありがたいのです。
 

理想はあるけど、現実は・・・というのが
人の摂理と思うけど、
私は、できる限り、
この地域に生きる者として
この地域のために生き、
それがいつしか、ぜんたいのためになると信じて
生きたいのです。

誰のためになるか分からないことをやっていても
ぜんたいのためにならないと思うのです。

 
どんな生き方をするのかは、
それぞれが考えること。

考えることもなく生きているよりは
考え抜いた結果で、生きたほうが
よっぽどおもしろい。

私はそう思うのです。


ここ数日、つらつら思ったこと。

年始のブログになってしまいました。

長い文章を、最後まで読んでくださった方、
ありがとうございました。 
10月19日(日)は白山中居神社の秋の例祭です
10月19日(日)は石徹白の
白山中居神社の秋の例祭があります。
10時から1時間強くらいでしょうか。

春と夏のお祭りには、
巫女の舞の奉納がありますが
秋はなく、華やかさには欠けるかもしれません。

地域外からのお客様ももっとも少ないお祭りです。

しかし、
わずかながら紅葉が始まりつつある
神社周りのひんやりとした空気をめいっぱい吸いながら 
秋の実りを感謝するお祭りとして
私はとても大切に思っています。

祭の終盤には、「げど」投げというのがあります。

稲藁に、うるち米だけをついてつくった
もち(=げど)がくるんであり、
それを投げる習慣です。

げどは、神道の上在所のみなさんが
つくられ、神社に奉納。

まさに、米の収穫の恵みを感謝する
心のあらわれです。

げどをより激しく奪い合うと
よりよいそうで、皆こぞって取り合います。

お味は、というと、
うるち米だけでつくられているので
どんなおもちなんだろうと、
初めて食べるとき、どきどきしましたが
汁物に入れて煮て食べるといい、と
教えてもらって、そのようにしました。

もちもちしているというより、
まさに米を凝縮した塊といったような
とても食べ応えのあるがっつりしたおもちでした。


おそらく、げど投げは、11時くらいから
行われるので、
大勢の方に参加していただければと思います。


白山中居神社は、
私は、頻繁にお参りに通っています。

車で5分ちょっとと、うちから近いところに
あるのですが、鳥居の中に入ると
たちまち違う世界を訪ねたかのような気持ちになり
心があらわれるような気がするのです。

神社の岩境の前で思いっきり息を吸い、
体にその気を取り込むだけで
その日一日が変わっていくので
不思議なものです。

こんな場所が、身近にあって
私は本当にありがたいと思うし、
きっと、長い長い歴史の中で
多くの人が、この神社で
様々な思いを重ねてきたんだと、
自分も膨大な時間の流れの中に
位置づけることができ心地良いです。

安心感というのか、
自分の命の肯定感というか、
何というものでしょうか。

大いなるときの流れのなかに
身を委ねられる瞬間で
在るままの今を受け入れられる心持ちになります。


石徹白においでの際は
ぜひ訪ねていただきたい場所です。
 

さて、明日からまた石徹白洋品店は営業いたします。
19日は、お祭り後、13時から営業します。

この日は、神社の鳥居前で
地元の女性グループによる「くくりひめカフェ」が
営業しておりますので、
昼食に、ぜひご利用ください。

紅葉が始まりつつある
しんと静かな石徹白に
ぜひお越しください。 
石徹白聞き書き集が完成しました
ついについに・・・
2010年から、公民館の事業として
やらせてもらってきた
石徹白聞き書きの会の内容を
まとめた冊子が完成しました!

表紙は、日本画家の友人に描いてもらい
素敵なものになりました!ありがとう。


思えば、石徹白の聞き書きを始めたのは、
石徹白に引っ越しする前。

岐阜市から通いながらやってきました。

元公民館長の故船戸鉄夫先生が
やろうとされていたことを引き継ぐ形で
今の公民館長や主事のCさんに
ご協力いただいて、
進めることができました。

たくさんのたくさんの方に協力していただいて
こうして一冊の冊子ができたことを
本当に嬉しく思います。


聞き書きというのは、
郷土史や歴史書には残らない、
そこに生きている人の「心」を浮き彫りにさせる手法です。

何年に、どういう出来事があった、
ということが郷土史に残るとしたら、
そのときに、楽しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、
面白かったこと・・・

一人一人の抱えてきた思いを聞いていきます。

様々な出来事が重なってその地域の歴史や文化が
構築されていきますが、そこには必ず
人の感情があって、人々がそこに暮らすからこその
社会があって、地域があります。

だから私は、ここに暮らしてきた人たちの
思いの部分をとても大切に感じるから
聞き書きをやりたいと思ったのです。


想像通り、聞き書き作品は
本当にすばらしいものばかりになりました。

私だけではなく、地域外に住むたくさんの聞き手の
みなさんに協力してもらって、
聞き書きを行い、作品が積み重なってきました。

講師には、高校生に日本全国の山村等で
暮らす長老たちの聞き書きをする
「聞き書き甲子園」をやってみえる
澁澤寿一さんや、
岐阜県恵那市を拠点に聞き書きをやってみえる
清藤奈津子さんに来ていただいてきました。


この蓄積をもとに、
これから「石徹白生活史(仮題)」や
石徹白での映像制作に
入っていきたいと思います。

まだまだこれからです。
 
石徹白杉の苗木づくり
今、石徹白生活史制作委員会という
任意団体を公民館から派生して立ちあげ、
なくなりつつある、石徹白の習慣や民謡、
仕事などについて、学びつつ、
保存していこう、という活動を始めています。

これから3年~5年かけて、
様々な人にお話を聞いたり、
実際に、実践したりして、
学びを深めつつ記録をしていきます。

今年は3つの柱を立ててやっています。

1つ目は、
小学校の総合学習の時間を
使わせてもらって、小学5・6年生と一緒に
70年くらい前の子供の暮らしぶりについて
ヒアリングをしています。

2つ目は、
昔のわらべ唄について、
郡上八幡の井上博斗くんに来てもらって
90近いおばあさんに昔の唄や
手遊びを伝授してもらい、
それを子供たちに伝えていく活動をやっています。

3つ目は、 
石徹白杉の苗木作りです。
実際に、苗木をつくってきた80代のおじいさんに
林業家の小森さんが、苗木づくりを
教えてもらいます。


今朝は、苗木のとり方
そして、苗木の作り方について
教えてもらってきました。

どういう木から
どういうものを
どういうところからとればいいのか。
実際に見せてもらって学びます。


小森さんは林業をされているので、
すぐにこつをつかまれ、
500本くらい収穫。


収穫したものは数日間水につけておいてから、
苗木の苗床に植えていきます。


80代のSさんは、
20代の頃、ものすごくたくさん苗木をつくったそうです。

こういう作り方を覚えておるもんは、
もうおらん、
ということで、今のうちに自分の知っていることを
若い人に教えておきたい、ということでした。

そのときに、小森さんが、これから石徹白の
山を整備していくとき、
石徹白で育った苗木をさしたい、ということで
教えてもらいたい、ということで、
ちょうど、両者の思惑が一致したのです。

Sさんの思いも聞いていて、
小森さんの今後やられることも聞いていたので
私はとっても嬉しくて、
二人に出会ってもらうことになりました。

そして実現した苗木づくりは、
これから少しずつ続いていきます。

来年か再来年には、
この苗木を実際に
山に植えれるでしょう。

昔の話を聞いて保管するだけでは
過去の郷愁にとどまります。

そうではなくて、実際に、今の生活に
いかしていくようなことをしたいと思って、
これまで公民館でやってきた
「聞き書き」の発展したことを
やりたいと思ってきました。

苗木づくりのように、
実践しながら教えてもらい、
それが仕事につながる、
というようなことを
今後もしていきたいと思います。

今の80代以上しか覚えていないことが
本当にたくさんあって危機感を感じます。

でも危機と思って焦るだけじゃなくて
淡々と、できることをできる範囲で
聞き書きし、実際に学んでいきたいと思います。

Sさん、小森さん、今日はありがとうございました。
石徹白小学校のみんなの発表
昨日は、郡上市合併10周年記念の催しが
郡上市文化センターにて行われました。

そこで、石徹白小学校のみんなが
民踊発表をするということで
見に行って来ました。

石徹白小学校は児童が11名。
今年入った小学1年生が2名。

小規模な学校で、大きな舞台で
どんな発表になるんだろうと
どきどきしていたら・・・

みな、本当に立派に素晴らしい姿を
見せてくれました。


今年入った一年生二人も
精いっぱいの力を出しきって
観客から、もっとも大きな拍手をもらっていました。


学校が小さくて、児童が少なくてかわいそう・・・
とか言われますが、
私は石徹白小学校については、
まったくそうは思いません。

こんなにも堂々と、すばらしい発表ができる小学生が
どのくらいいるでしょうか。

私は最近、英語の授業をネイティブの先生の
サポートとして入らせてもらっているのですが、
その授業も、児童一人一人の真剣なこと!

もう、驚くほど、授業を自ら楽しみ、学び、
みなで喜びを分かちあっています。

私が小学生だったとき、
こんなに学校を楽しんでいただろうか・・・と
疑問に思ってしまうほど
石徹白小学校のみんなは
きらきらと輝いています。


しかも、みんな、石徹白のことが大好き。
伝統も文化もよく勉強しているし
おじいちゃん、おばあちゃんからも
話を聞いているようです。

自然も歴史も豊かなところで
地域に誇りを持ちながら
育っている子供たちを見ていると、
石徹白の未来に希望が見えてくるのです。


白山中居神社の春の例大祭に奉納される
石徹白門外不出の「五段の神楽」も
今回特別に舞われました。

石徹白の子のみが担う、石徹白の未来。
この堂々たる舞に、その心意気が
反映されているように思えました。


私も、何か少しだけでも
できることがあったら
子供たちのためにやっていきたいと思います。

子供は希望、未来です。

大人みなで育み、
そして、大人自身も、
さらに、その地域さえも、
子供によって育てられる。

そんなふうに感じています。

石徹白小学校のみんな、
本当に素晴らしい発表を
ありがとうございました!





 
石徹白のうた
石徹白は民謡のさかんなところです。
石徹白にしかない唄と踊りが今も続いていて、
お盆も盆踊りが行われます。

人口250人ちょっとの小さな集落で
地域のみなさんが、こうして民謡を
守られているのは、奇跡的だともいえるでしょう。

石徹白民踊保存会があって、
それはきちんと伝えられています。

しかし、今、消えゆきそうな唄もあります。
それは、わらべ唄です。

親から子へ、口承されてきたもの。
子供が新しく口づさんでつくってきたもの。
石徹白にしかないものもあるようです。

それを何とか、子供たちに伝えていきたいと、
郡上八幡の立光学舎の井上博斗くんに
石徹白に来てもらって、
80代のおばあちゃんにヒアリングしてもらっています。

私もヒアリングに少しだけ立ちあわせてもらいました。

その中で、印象的だったのが、
井上くん「昔はわらべ唄がいろいろあったんですか」
おばあちゃん「そりゃぁ、ようけあった。いくらでもあった」

というやりとりでした。

「いくらでもあった」

なんと豊かなことでしょう。

私も、井上くんからわらべ唄を子供と一緒に
唄う「わらべうたの会」に参加させてもらって
岐阜の様々な地域の唄を歌っているのですが、
何と楽しいこと!

ドレミファソラシドじゃない
体にしっくりくる音は、
まさに日本人が連綿と受け継いできたものなのです。

しかも、出てくる言葉も、自然の中にある
草木花、動物、鳥、虫、風、太陽・・・

私がこの石徹白で常に愛で、
親しみを感じているものばかりです。

ドレミで唄う童謡も嫌いじゃないけれど、
何となく体にじんと沁み渡ってこないのは、
やはり、日本人にとって、「新しい」ものだから
なのかもしれません。

だから、おばあちゃんがこうしたわらべ歌が
「いくらでもあった」というのを
私はとても豊かに感じるのです。

私が子供の頃に歌ったものなんて
そりゃぁ、全部は覚えていないけれど
数えられるくらいだった。

しかも、自分で歌詞を生み出したり、
遊びの中で自然に歌ったりするものなんて
ほとんどありませんでした。


今みたいにおもちゃもない、
公園も遊具もない、
テレビもゲームもない、
だけれど、彼らには唄があった。

楽しみを自ら生み出す、
自らが音となり、唄を奏でる。

そんな、「その頃」を見てみたいし、
私自身も体現したいと強く思います。


自然と呼応し、
自然と一体になる。
そんな暮らし。

それは、唄から始まったのかもしれません。
 
白山清掃ボランティア
石徹白では、平安の時代から、
白山への登山道を地域の人々で
整備し、夏場に訪れる修験者を受け入れてきた
という歴史があります。

石徹白の人は、冬場は白山信仰を日本全国に
布教するために、御師(おし:宣教師)として
活動をしてきて、それが重要な収入源でした。
 
そして夏には、石徹白から白山へ登り参拝する人のために
宿坊を営み、また案内役としてともに白山へ登ったそうです。


明治維新後は御師活動は禁止されたものの、
石徹白からの登山道の草刈りなどの整備は
その後も続き、今は、地域外からもボランティアを募り、
登山道をきれいにする、という活動が続けられています。

そのこと自体、とても素晴らしいことだと思います。

自分の地域からの登山道を、
自分たちのためだけではなく
ここに訪れる人たちのために
整備し続けるのは、大変なこと。

ですが、登山者のため、登山道を保全するために
みなで力を合わせて美しく整えておくのです。

今日、7月28日に、今年の清掃ボランティア活動が
行われました。

朝7時に集合。
安全祈願を神社の鳥居の前で行います。
神職の方がおいでて、ご祈祷を行うのです。


今回は、地域内外から合わせて、
65名ほどの参加があったそうです。

私は去年は妊娠中だったから、
そして今年は息子がまだ小さいので登れません・・・
お見送りにだけ行ってきました。


小学生は高学年になると、目的地の銚子ヶ峰までいっしょに上ります。
郡上市最高峰です。

それ以下の保育園児、小学生は、石徹白大杉の清掃を行います。
私も来年は、大杉くらいまで行けるかな。

銚子ヶ峰まで登るグループは、
今年は、神鳩の避難小屋のペンキ塗りと
外来種オオバコの駆除の活動をしたそうです。


今やこの活動は環境省と地域が一丸となって
取り組んでいます。

続けていくのは大変なことですが、
こうして有志で、大切な登山道と、
石徹白としてそれを守ってきた文化を大切にするため
これからも、継続していけるとすばらしいですね。

私も息子が高学年になったときに一緒に頂上まで
登れるように、体力づくりをしなければ・・・


参加されたみなさん、本当にお疲れ様でした! 
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