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カンボジアから戻りました
9日、日曜日の早朝に日本に戻りました。

カンボジア、伝統の森での一週間では
本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。 

2002年から通い始めて、9回目。
子連れで行く初めての伝統の森。

何よりも、子供がのびのびと、
現地の子供たちとともに
時間を過ごしているのを見れたこと、それが
私がしみじみと幸せを感じる瞬間でした。


ここの村は、どうしてこんなにも
幸せを感じるんだろうか、と滞在中考えていました。

私は、どうしたらこのしみじみとした
幸せ感を石徹白で実現できるんだろうかと。

考えても、考えてもわからなくて、
たまらなくなって、森本さんにぶつけてみました。

すると返ってきたのは
とてもシンプルな言葉でした。


「暮らしの中で、そこの自然の恵みで
つくることをしていけば、自然とそうなるよ」


・・・


ああ、なんて当たり前のこと。

あえて外から買ってくるのではなくて、
ここの場所でここの人と
ここにあるもので作ること。


伝統の森には、畑があって、そこで牛が暮らして
その糞で肥えた土で植物が育って、
それによって、糸や染め材が生み出される。

沼があって魚が育ち、それを採って食べる人がいる。

そこで暮らす人々が、そこの自然の恵みの中で
足るを知り、生活を営む。
子供が生まれ、育ち、生きて、
誰もがいつか死んでいく。

あくせくすることなく、
ストレスを抱えることもなく、
お金の心配や、死ぬことへの恐怖もなく、
いかに美しいものを生み出すかに心を傾け、
それによって暮らしを成り立たせていく。


「特別なことじゃない、当たり前のこと。
それをすればいいんだ」

森本さんは私に優しくそう言ってくれました。


環境に配慮しているから、とか、
エコブームだから、とか、
森の幼稚園的な保育がしたいから、とか、
有機野菜が食べたいから、とか、

そういうんじゃなくて、
もっともっと当たり前にあった
土や太陽や水、神様たちに生かされる
暮らしの中で、命を全うしていく。

 

穏やかに、
優しく、
そして、愛情いっぱいに
私たちを受け入れてくれた
伝統の森の皆さんに、
森本さんに、
心から感謝して。


これからのことをいろいろ考えながら・・・。「思えば叶う」
昨日までの飛騨古川での
冬の服展を最後に、
今冬シーズンの服展はすべて終了しました。

新しい試みが一段落して
ちょっとほっとしています。

仁美ちゃんが合流してくれた9月から
石徹白洋品店は、
これまでのことを思うと、
ものすごいスピードで進んで変化してきました。

何か新しいことを始めると、
それを実践していく過程の経験によって
また新しいことが思い浮かんだり、
昨日はこう思っていたけれど、
今日これを経験したら違う、と思ったり、
なんだか、自分自身がめまぐるしく
変化し続けているような感じがして、
自分のことながら、ハラハラ、いや、
わくわくしちゃいます。

子供が産まれてから、
本能的に保守的になるからか、
こういう感覚を抱くくらい
頭を動かしたり、
体を動かしたりするのは
産後初めてなので、
なんだかすこし、若返った気分です(笑)


来シーズンはこうしようとか、
1年後はこうありたいとか、
色々短期的に考えたりするのが
日常ではありますが、
やっぱり、私は、将来的に
こういう形を望んでいるという
大まかな未来へのイメージを念頭に、
それを何十年後かに達成したいから
今、これをやる、というふうに考えたりしています。

そうすると、今やることが明確になって
目の前の霧のようなものがぱあっと晴れるし、
あるいは、数年後の目標地点も見えてくる。


ちょっと前に夫と話していたことは、

「具体的にイメージすると、何でも叶うよね。」

ということでした。


ああ、確かにそうだ!と思うのです。

夫は水力発電を石徹白に導入し始めた2007、2008年頃から
現在の、集落をまかなう規模の水力発電を導入することを
想定して動いてきました。

2007年頃は、エネルギーに対する社会的関心も
それほど高くなかったし、
ピークオイルの問題も叫ばれていたけれど、
一般的には、何不自由なく暮らしを営める状況だったので
石徹白の水力発電も静観されていました。

しかし、震災が起き、原発事故が起きて、
一気に社会風潮が変わって、
石徹白への取材も増え、
見学者も増え、自然エネルギーという言葉が
当たり前のように取り沙汰されるようになりました。

始めた頃には、想像していなかった社会のムードによって
行政からの後押しもあったりして、
今の水力発電が実現した、という側面もあります。

社会の変化は偶発的だったわけだけれど、
2008年に、今の形を目標としていなかったら
きっと実現していないことだったと思います。
追い風が吹いたときに、それを形にできるような
イメージが確実にあったということ。


この一連の出来事を経験した夫は、
より確信を持って、
望む未来を叶えるためのイメージづくりが
大事だと認識したのかもしれません。

ただし、イメージしてるだけではだめで、
具体的な行動に、具体的な目標を持って
移していく、というのは、必須条件ではあるのでしょう。
(想像していただけで叶うなんて、おいしい話もあるのかな)



私が2002年に初めて訪れた
カンボジアのクメール伝統織物研究所。

そのときは、主宰者の森本喜久男さんが
シェムリアップの町から外れた荒れ地を買って、
そこで、桑を育てるところから養蚕をし、
染め材を育て、伝統的な絹織物を
土から生み出す、ということに取り組み始めた時期でした。

地雷が埋まっているかどうか、というような
本当に「荒野」だったけれど、
森本さんのイメージはかなり具体的でした。

えー?本当にそんなふうになるの?と
半信半疑。

私が初めてその土地に行ったときは、
1軒の小さな小屋(といっても屋根だけ、くらいの簡素な
建物)に、蚊帳を吊るして、外みたいな状況で
濁った水で水浴びして寝泊まりさせてもらいました。

それが、毎年行くごとに、建物が増え、
畑が開墾され、道が作られ、
木々が育って行って・・・

私が最後に行ったのは、2009年ですが、
もはや100人ほどが住み、
織物に携わって暮らす村になっていて、
娯楽のためのバレーボールネットまで
張ってある賑やかな集落になっていたのです。


これは、きっと森本さんの想定通りだったんだと思います。
すでに彼の頭の中でイメージができたときに、
実現することになっていた、未来の形が
今、現れているのかなと思うのです。

きっとその道のりの途中で、
本当に大変なことや、
命にかかわるようなことが
たびたびあったと思うのですが、
それも乗り越えて、形となっている。

こうしたことを通じて、やっぱり、私も
叶えたいことに対して
まっすぐに、素直に向き合って、
それに向かって進んでいけばいいんだと
確信をもらっています。


ありがたいことに、
そういうことについて
共有できる夫や、仲間がいるので
言葉にして伝えるときに、
より自分の中でもはっきりする
望む形というのが見えてくるのです。

本当にありがたいことなのです。

今、子どもと過ごしている中で、
もう毎日てんやわんやだけれど、
これも1つの必要なプロセス。

子供たちに、私自身、育てられ、
よりたくましくなっていて、
これなしでは、きっとこれから乗り越えられないことも
あるんだろうな、なんて、ポジティブにとらえています。
(へこたれそうになることもあるけど。。。)


そんなことを考えながら、
毎日バタバタと過ごしています。

また、いろんな未来のイメージを
たくさんの方と共有できれば幸いです。
 
大きな流れと自分の意志
たまには、個人的なことを
書いてみようと思います。

長男4歳、次男1歳半。

やんちゃざかりで、
育ち盛りで、とってもかわいいです。



妊娠が分かったのが、2012年4月。
石徹白洋品店を始めたのが、2012年5月。


そして、出産が、2012年12月。

私がお店を始めたときから、
すでにお腹の中にいて、
出産後も、
2013年春からお店を再開して・・・

つまり、石徹白洋品店とともに、
子供たちは生まれ、育まれてきたということになります。

私が結婚したのは、2008年9月。
すぐに子供が欲しかったのですが、
なかなか授からなくて、
2011年9月に石徹白に引っ越ししたら、
すぐに授かることができました。

多分、石徹白に引っ越す前に子供が
来てくれていたら、もしかしたら、
石徹白洋品店を始めるタイミングが
もっともっと後だったかもしれないし、
そもそも始められなかったかもしれません。

だいたい、私が、服飾専門学校に通い始めたのが、
2009年だったので、その頃、妊娠していたとしたら
洋裁を学ぶことも中断していたことと思います。




そんなふうに考えると、
すべてのことが、
必然的に偶然的な出来事で、
一つのことが欠けていたら、
一つのことが変わっていたら、
今とまた違った形になっていたかもしれません。

何か大きな流れみたいなものがあって、
それに従いつつも、
自らの意思も働きながら、
ものごとが動いていくことがよく分かります。

石徹白に住みたい、というのは
私の思いだったのだけれど、
住まうことができたのは、
たまたま、今の家との出会いがあったから。

そもそも、石徹白でともに暮らせるパートナーと
出会うことができたことも、幸運だった。



何を書きたいのかというと、
ものごとは、大きな流れの中でしか進まないんだけれど
少なからず、自分の強い意志のもとで、
その大きな流れができているということが、
だんだん自然と理解できるようになってきたなあ、と
思ったりします。

そんななかでも、あまり、あらがったり、
無理したりしなくとも、
自然と、在るべき形に収束してくような気がして
それが、心地良く、受け入れられる心を
準備しておくことができるようになってきました。

ううん、自分で書いていてわかりにくい。。。

のですが、

いろんなことが起こります。起こってきました。

楽しいことも、嬉しいことも、
悲しいことも、苦しいことも、
自分ではどうしようもないことも・・・

何かやっていれば、
(というか、生きていれば)
あらゆることがある。

当然、それらに一喜一憂するのだけれど、
その一つ一つのことだけに
深く心身をつぎ込んでしまうのではなくて
ぜんたいの大きな流れを感じながら、
そのとき起きたことの、後から理解できるであろう理由を
それとなく探りながらも、
目の前のことに、精一杯取り組んでいく、
ということが、今の私にできるすべてのことかなあと
思っています。


辛いことも、大変なことも、
後から感謝の気持ちを持てるような
そんな事象になるかもしれない、と希望を持って、
決して後退するのではなく、
前に進めなくても、少なくとも、深めていこうと思いを持てば
そのときはどん底にいたって
いつかは、はい上がってこれる。と信じている。


人の気持ちを動かすことはできないけれど、
自分が変わること、自分の心持ちを変えることはできて、
それ一つで、見える世界が違ってくる。


感謝の気持ちを持ち続け、
謙遜ではなく、謙虚にいて、
けれど、理想は追い求める。

そうしている限り、私は幸せで、
具体的に求めることもあまりなく、
大きな流れに身を任せて
やるべきことに打ち込める。


いろんな欲はどんどん出てくるけれど、
それをあえてうち消すことなく、
自分の身の丈にあった動きを心がけていく。


明日はどんな一日になるのかな。
明日はどんな出会いがあるのかな。

毎日、新鮮なわくわくを持ちながら
いつも(名実ともに)走り続けている子供たちのように、
生きていきたい。



徒然なるままに、、、、
わかりにくい内容のブログになってしまいましたが。
読んでくださって、ありがとうございます。


2016年、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。 
服のつくりかた
服をどうやってつくっていくか、
ということを、最近よく考えています。

石徹白洋品店に新たなスタッフ、
杉下仁美ちゃんが加わってくれてから、
とてもバタバタと忙しい毎日を過ごしています。

これまでやってこなかった
冬の服を作り始めています。

ウールを取り入れたたつけやはかまなどの
パンツたちをつくる。

これは、素材も、縫製も初めてのことばかりで
アップアップ言いながら進めている状態。

毎日勉強です。

私が石徹白洋品店を始めた
1つのきっかけは、
石徹白にいまだ縫製工場があって、
そこを27歳でたちあげた(現在70代だけど
70代とは思えない元気はつらつな)Sさんと
いつか一緒にお仕事をしたい、と思ったことです。

念願かなって、現在、Sさんに多大なるご協力をいただいて
まとまった数の服づくりに励んでいます。

今までも、内職さんや工場さんに
お願いして、服をつくったこともあったのですが、
多様な布で、多くの枚数をつくるのは初めての経験。

いろんなことがあります。

素材選びから、パターンづくり、
副資材の手配、裁断屋さん、縫製屋さん、
内職さんとのやりとり・・・

もう頭が痛いこともいっぱいあるし、
知らないことばかりだから
いろんな人に迷惑をかけていたりします。

だけれど、新しいことだし、
毎日刺激でいっぱいで、
こんなたくさんのことをいっぺに学んでいるのは
久しぶりのことです。ありがたい限りです。

そのプロセスの中で、
正直、どうやって、誰と、どんな服を
つくりあげていくことが
私にとって、理想的なのか、
ということが、すこしずつあらわになってきました。

それがどういうものなのか、というのは
やっぱり、いろいろやってみないと分からないことだな、と実感。

そして、たどりついたのが・・・


顔の見えるかたちでつくられた
素材(糸・布・染め・処理)が納得いくものを使わせてもらい、
顔の見える関係の中で縫い上げられた
大切に長く使ってもらえると自信を持って言えるものを
心をこめてつくりたい、
ということ。

あー、なんてシンプル!
なんだけれど、
既存の仕組みの中では
なかなか難しいことなのです。

けれども、私は、これを追求できるだけの
環境が、すでにあるのではないか!と思いつつあります。

これまでいただいたご縁がそうしてくださっています。


今回、冬服をつくるにあたって、
裁断屋さん、縫製工場、縫製の内職さん、
みなさんのところに足を運んで
顔を合わせてお話をしました。

そういうふうにしなくても
できるものはできるんだけれど、
なんとなく気持ちが落ち着かない。

どういう人が、手を動かしてくださっているのか
知りたい、それを知った上で
お客さんに、そのことを伝えたいと思いました。


だから・・・
これからは、さらにさらに、それを追求した形で
よりよいもの、より丁寧で、愛着が湧くもの。
つまり、それは、着心地の良さにつながるのだけれど・・・
をつくっていきたいな、と決意に似た感情を抱きました。




今日、こんなことを思ったのは、
大野市の藍染め・手織り職人の
皆藤さんのところを訪れたから。

皆藤さんが藍を育て、それをすくもにして、
藍を建て、染め、糸を紡いだりしながら
織上げた布たちを、
使わせてもらう。

そんな幸せなことはない!と思って、
これこそ、私の求めていたものだと確信しているのです。

皆藤さんについては、
一緒に訪れた杉下仁美ちゃんのブログ
詳しく掲載されているので、覗いて見てくださいね。 



そして、やはり、私の原点、
カンボジアの森本喜久男さんの
クメール伝統織物研究所で
カンボジアのみんなの手で生み出された
シルクを、どうにかして、暮らしに取り入れていきたい。
そう強く思います。

それくらい、素晴らしい布なんです。


こだわり抜いたものだと、
ちょっとお値段が・・・高くて・・・
とどうしてもなってしまうけれど、
そもそも、仁美ちゃん曰く、
「現状の服の値段が安すぎる」
なんですって!

確かにそう。

石徹白に残る、麻の野良着を見たら、
これって、麻の栽培から、糸績みから、
機織、染めまで、家庭の女性が
1年以上かけて、家族のものをつくっていて、
今の賃金換算したらいったいいくらなの!?と
お値段がつけられないくらいのもの。

衣食住の衣って本来はそうだった。

それが、ブラックボックスに入ってしまって
私たちが眺める市販のものって、
1枚500円とか1000円のTシャツ・・・。

私だったら、こんな値段でTシャツ作れないし、
それをつくっている人って
どういう暮らしの上で、それが成り立つんだろうって
よく考えると空恐ろしくさえある。

もちろん、そういう仕組みをつくりあげた
この産業構造ってある意味すごいんだけれど、、、

しかしながら、「消費」されちゃう服を
私はそんなにたくさん欲しくないし、
もっとも、私は作りたいとは思えない。


ということで!!

今日改めて、私がつくりたい服、
多くの人に手にとってもらいたい服って
どういうものなんだろう、ということが
はっきりしました。明確です。

あとは、どういうふうにつくって、
誰に着てもらいたいか・・・
どこでお披露目していくか、
ということを、熟考し、実践していきます。


石徹白洋品店、
さらに、深く、濃く、面白くなっていきます。
ご期待ください!! 
二人だと2倍以上・・・
石徹白洋品店に新たなメンバー、
杉下仁美ちゃんを迎えてから
およそ1カ月。

まだ1カ月なの!?と思うくらい
濃密な日々を過ごしております。

これまで、デザイン、生地づくり、生地探し、
サンプルづくり、仕様書作成、副資材調達、
裁断、縫製依頼などなど
ほぼ一人でやってきて、
まあまあ、こんなもんかしら、と思ってきたけれど、

今思えばものすごい時間がかかっていました。

デザインのアイディアも仁美ちゃんは豊富だし、
生地選びの視点もまた私と違って
広がっていくし、
何しろ、彼女はプロのデザイナーとして
実績を積んできたので、
工場さんとのやりとりも、的確!

私自身ものすごく勉強になるし、
よりよいものがつくれていっている感覚があります。

それと同時に、彼女がいてくれることで
私の軸を確認する必要性がでてきて、
これまで自分だけの中での判断を
人に説明すること、理由を述べる機会が
増えていくので、
一番大切な芯がどこにあるのか
自問自答することが多いです。

何が石徹白らしいんだろう、
どうすれば石徹白洋品店のアイデンティティを
伝えることができるんだろう。

最近の私のテーマはこれです。

そして、どういう人に
どういう気持ちで
着てもらいたいんだろう。

ここ大事ですね。

どんな人にでも喜んでもらう、
なんて、ちょっとやっぱり難しくって、
でも、むしろ、こういう人にこそ
気に入ってもらえれば嬉しい、
っていうのがあるんです。


その上で、どういう方法で
販売していきたいのか、
どれくらいのボリュームを
どれくらいのクオリティのものを
つくっていきたいのか。


先日、美濃のマーマーマガジンのお店に行って
えみおわすさん、というそれはそれはすばらしい
ブランドのお洋服を見てきました。

染めも、デザインも、縫製もすてき。圧倒的。
どれが欲しいか迷っちゃうくらいの
バリエーション。

だけれど・・・
石徹白洋品店は
きっとまた違うあり方を
探っていきたい、と改めて思えたのです。

真似っ子じゃない、
石徹白洋品店にしかできないこと。
それが何なのか。
を追求していこうと強く思いました。

そう思わせてもらったえみおわすさんの
お洋服たちは、本当に素晴らしくて、
ぜひ欲しいなあ、と思うのだけれど、
会期中にもう1回行けるかな。。。行きたいな。。。



さて、そんなこんなで、杉下仁美ちゃんパワーによって
今年初めて、冬物のたつけ・はかまづくりに
現在勤しんでおります。

ウールやカシミヤ(←すごい掘り出し物よ!)の
高品質な生地たちを揃えられそうです。

これらは、ReTaiLさんという
一宮駅のすぐ近くにあるお店で発掘してきました。

ReTaiLさんは、尾州産地の織物で
一般のマーケットに出ない生地を
扱っていらっしゃいます。

尾州は織物で有名ですが、ロット(生産量)が大きすぎて
有名ブランド、服飾業界にしか流れていかない布ばかり。
一方で、サンプル用につくったものや、
業界で流通しなかった布がわんさかあって、
かつては、それが捨てられていったそうです。もったいない!

それらを機屋さんたちとタッグを組んで
コレクションして一般の私たちに提供しよう、
ということで始められた取り組みです。

けっこうたくさんの布が揃っていて、
かつ、仁美ちゃんの審美眼によって
どんどんいいものが掘り出されております。

そういう目は正直、私はまだまだ未熟なので
彼女と一緒にReTaiLさんに行くことで
学びがとても多かったです。

定期的に通って、
いい素材をどんどんピックアップしていきたいと思っています。

それと同時に、これまでずっとやりたいと思ってきた
オリジナル生地の開発にも取り掛かっていきたいと
考えています。

石徹白洋品店らしい生地。

これまで、手織りの生地は、
みずほ園の木田さんに
こつこつ織ってもらってきました。

が、これをたつけ・はかまに使うのは
正直もったいないような気がして、、、
そういうのも、今後作っていって
作家物として発表できれば。とも思っていますが、

染め織りの納得いく、機械織りの生地も
揃えていければなあと思っています。



ここしばらく、仕事も充実して、
子供たちもパワフルになって
なかなかPCに向かう時間がとれず
ブログ更新が滞っておりました。

まとめていろいろ書いてしまったので
とりとめのない内容となってしまいましたが、、


とにかく!!

仁美ちゃんと二人になって
内容もスピードも、
すべて2倍以上となっております!!

これからの石徹白洋品店を
ますます楽しみにしていてください!!!


ちなみに、

冬前の営業は終了しましたが、
事前にお電話いただければ
対応させていただきます。

0575-86-3360です。

が、現在、カメちゃん(カメムシ)がひどくて
虫が苦手な方はご遠慮くださいね。
雪がすごそうな予感です。
 

初雪は11月でしょうか。

冬支度にも勤しんでおります。
どんな冬になるのか~、
みなさな、温かくしてお過ごしくださいね。

では!
 
遠野旅行
今年の営業が終わった直後、
遠野へ出かけてきました。

主人の出張にくっついて
お仕事の仲間のみなさんに
お世話になりながら
幼児2人連れで飛行機にもチャレンジ!

移動が多くてなかなか大変でしたが
行くことができてよかった。

私の学生時代のベースは文化人類学・民俗学。
といっても、そんなに真剣に先人の研究を
堀り起こしたわけではないし、
何か詳しいわけでもないけれど、
宮本常一の師、柳田國男は外せません。

となると、やはり、遠野物語はかねてから
関心が高く、「遠野」という地名を聞くと
胸が騒ぎます。

事前情報もあまりなく、
遠野物語も斜め読みしたことのある程度で
内容はほとんど覚えていない・・・状態でしたが
とにかくまずはその土地で感じるままのことを
受け取ってみようと、子ども二人連れて
様々なところに足を運びました。

伝承園。


ここには、遠野の暮らしが凝縮されていました。
建物も美しく、
今、ちょうど刈り取りのときということで
稲が玄関口にハサガケしてありました。
種採り用かな。

カッパ淵のすぐ近く。
長男もカッパ帽子をかぶらせてもらいました。(笑)


竹細工、藁細工、機織、そして水車小屋。
どこの田舎にもあった風景。
おうちの中には囲炉裏をたいて、
おばあちゃんたちが手仕事をしています。

きっと何も特別ではないかたちなんだけれど、
私にとっては、自分自身も継いでおきたい技術ばかり。

そしてここには、おしら様の伝説が残っていて
その強烈な場所がありました。


おしら様とは、蚕の神様、馬の神様といわれています。
ここでは、桑の木でできた人形に
願いを書いた布を託すことができます。

この土地でのおしら様の伝説↓ウィキペディアから。

*****

東北地方には、おしら様の成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。
それによれば昔、ある
農家がおり、家の飼い馬と仲が良く、
ついには
夫婦になってしまった。
娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。
娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。
すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。
すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、
そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。

『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、
天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、
の中の蚕虫をの葉で飼うことを教え、
絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。
以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の
養蚕の神となったとも考えられている

******


お蚕、桑と聞いて、なんだか血が騒ぎました。

ここでは養蚕は暮らしを支える大切な仕事の
1つだったのでしょう。
こんなところでお蚕様の神様に出会えて
なんだかご縁を感じました。

というか、やはり、衣食住にかかわるすべてのことが
生活そのものだったということを痛感。
当たり前の暮らし、ということが何なのか・・・
考えさせられたのです。


そして、また、話は飛びますが、カッパの伝説も
たくさん残っています。
私たちが訪れたカッパ淵は、
お寺が火事になったとき、
カッパが頭のお皿から水を噴き出して、
火事を消し止めた、という伝説が残っていました。


しかしながら、なぜ、この土地に民話が八百余りも
残っていて、それが、今や遠野の代名詞のように
語られているのか・・・

ここは、どこにでもありそうな、田舎でした。
広々とした土地に稲穂が頭を垂れ、
人々が稲刈りに勤しみ、
周りを見渡すと豊かな山がそびえる。

小川が流れ、朝霧が美しくて、
いわゆる日本の里山・・・


確かに、この雄大な自然に囲まれ、
自然と人の生活の境界があるようなないような
そんな土地において、さまざまな神様の存在を
感じることができるように思いました。

その淵に座っていたら、
カッパなのか、何なのか、そこに居るような・・・
その家の縁側をふと見ると、
座敷わらしがほほ笑んでいるような、そんな気持ちもしてくる。

でも、それって、きっとどこでもあった、
誰でも抱いた感覚のように思うのです。

石徹白で民話絵本をつくっていて
それにまつわる場所を訪れると、
何かの存在を感じる。

ねいごのふたまたほおばの怪猫が
本当にいるようなおどろおどろしい雰囲気の
山があったり、
泰澄を水場に案内した熊が
本当に出てきそうな、そんな奥山だったり・・・

私が今回遠野で思ったのは、
そういった民話を採集して残していきたい、
伝わってきた民話が大好きだった
遠野出身の佐々木喜善氏がいたから、
それを柳田國男が形にすることができた。

すなわち、地域の人が民話を愛し、
伝えていたから、今にまで残るんだ、という
単純なことに大切さを覚えたのです。


なんだか、とってもシンプルなことなんだけれど
そのことにハッとしました。

それ以上でもそれ以下でもない、
ただそれだけのこと。

神様の存在もそうなのかもしれません。

石徹白の人々は、神社も御寺も御堂も
とても大切にされていて、
きれいにお掃除されるし、
お参りも欠かしません。

そうしていると、次の世代の子どもたちも
同じように大切にしようと思って、
それがどんどん伝わっていく。

それに手を合わせることが
心のよりどころとなって
暮らしていく中での芯ができていき
安心安定の源となる。

それが当たり前のこととして繰り返される
共同体である、ということが
石徹白をあらわす1つのこととなる。


私はここ石徹白に住まわせてもらって
この土地の1つの特徴は信仰だと思うのです。

でも、それは何か特別なことではないし
石徹白では当たり前のことなんだけれど、
この地に住まう人がそうしてきたことなのだから
ある意味、どの土地でもそうなる当たり前のこと、
ではないのです。
(分かりにくい表現ですみません)


私はどういう場所で暮して行きたいか、
自分がどう在りたいか、ということと、
それについて、自身がどう行動するのか、
ということが本当に大切で、
思っているだけでは叶わないし、
「日常」に振り回される」と嘆いていてはいけなくて、
むしろ、「日常」を在りたい方向に持って行くことが
あるべきかたちなのかな、と感じています。

加えて、その「自分」というのは
あくまでも、住まう地域に依拠していて、
その土地の方向性や雰囲気を
まずは尊重していきたい。と思います。

遠野の話から、長くなってしまいました。

遠野は馬の産地でもあるそうです。
ナイスバディーな競走馬たちが
幸せそうに暮らしていました。




またいつか、今度はもっとゆっくりと訪れたいです。

遠野へのご縁に感謝して。

10月8日13時半より絵本読み聞かせ!
台風の後、風が冷たくなったなあと思うと、
大根や白菜がぐんと葉っぱを大きくしていました。

秋が少しずつ、確実に深まり、
夜になると、冬の足音さえ聞こえるようです。
今夜はミルキーウエイがきれいなほど
星が輝いています。


さて、10月8日(土)は
イラストレーターの南景太くんをお迎えして、
絵本の読み聞かせと、作家のトーク、
さらに、イラストを一緒につくってみよう!という
プチWSを行います。

13時半開始、参加無料ですので
お気軽においでください。

絵本のイラストの1ページ。
菊理姫命が白いキジに。


今回、読み聞かせは、絵本読み聞かせのボランティアをされている
古川浩子さんにいらしていただきます。

かねてから、ひるがのラシェーズや、八幡のあたりで、
読み聞かせをされていることを聞いていて、
いつか、浩子さんにお願いしたいと思っていました!

それがこんなにすぐに叶うとは、うれしや~!!

当日が楽しみです。


そういえば、絵本づくりをしていて、思うことがありました。


私自身も、子供の頃は絵を描くのが好きだったなあ。

でも、いつからか、苦手な分野になってしまって
今では子供と一緒に落書きする程度・・・
もっともっと、1つの表現として絵を気軽に
描きたいのに・・・と思ったりします。


いつから絵を描けなくなったんだろう・・・と
考えたときに、おそらく、小学校の美術の授業で
「きみは、絵を描くのは早いけど雑だ」と
先生から言われていたことや、
自分なりにいいな、と思う世界観を表現したときに、
「何を描きたいのか分からない」と言われたことが
大きく影響しているなと。

学校の先生にそんなこと言われたって
別に気にしないわ~

と思える今の自分。

でもその頃は、学校の世界がすべて。
その世界の住人である教師の言葉っていうのは
私にとっては大きすぎました。残念ながら。

中学では、さらに駄目出しをするタイプの先生にあたり、
さらにさらに絵が描けなくなり、
高校では選択授業だったため、選択せず。

もうここから、絵は、ドラえもんとか、アンパンマンとか
決まったかたちのあるものしか描けなくなりました。


そういえば、裁縫も木工もそうだったかも。
雑だ、下手だ、なんて言わなくてもいいじゃない、
自分が満足しているんだから・・・と
ぐちぐち思ったことを思い出しました。

もっと伸ばしてくれる人が傍にいたら
もうちょっと器用になっていたかもな~なんて。

そんな過去の辛い(?)経験をもとに、
私は、子供たちには、表現することに対して
あらゆるエールを送りたいし、
何でも楽しく取り組める環境をつくりたい。

今回の絵本づくりも、南景太くんの
独創的な世界に触れることで
触発される何かがあるといいなあと思うのです。


前作の絵本「ねいごのふたまたほおば」の
作家トークのときに、彼が言いました。

「ぼくが何を描いても父が褒めてくれた」と。

彼のお父さんもまた、絵描きさん。
うちの息子たちがお気に入りの絵本を
描いていらっしゃいます。
(「あしにょきにょき」「じぶんでおしりふけるかな」の
作者の深見春夫さんです)

きっと、彼の才能は、お父さんの審美眼によって
より開花したんじゃないかなあ、と
ちょっとうらやましくも思ったり。

次にまた人間に生まれることができたら
躊躇せず絵を描けるようになりたいな~、
いや、今からでも遅くないのかな~なんて・・・。
それくらい、私にとって、絵を描くことのハードルは高く、
違う世界のことのように思ってしまいます。
大げさかな・・・。


10月8日の告知をしようと思ったのに
話がずいぶんそれてしまいました。

もう一つ、私の好きなイラストを。

「石徹白の人々」


(この物語の舞台は700年代。
どんな家の形だったんだろう、と
地域の翁に尋ねてみると、
今のようなクレ葺き屋根ではなかったんだろう・・・という話だったので
こんな形のおうちになりました。)

ほのぼのとして、明るい雰囲気の集落の人々が
なんだかほっこりとした気持ちにさせてくれる一枚です。


長くなりました。
(久しぶりにゆっくり書ける時間がとれて!)

ではでは10月8日、お待ちしております!! 
仲間ができました
石徹白洋品店創業以来の大きな出来事。

それは、石徹白洋品店に一人仲間が増えたことです。

これまでも、接客役のルンタ(雌猫・7歳)、
ねずみ捕獲係のカラン(雌猫・6歳)が
私と一緒に店番してくれていましたが、、、、、


これまで、服飾の業界で専門的にお仕事をしてきた
知性溢れ、経験豊富でやる気に満ちた若きホープが
やってきてくれたのです!←ほんと、すごいこと!!

彼女をここに導いてくれたのは、
かねてからお世話になっているもりのこ鍼灸院の加藤祐里さん。
本当にありがとうございます!!!涙


彼女のご紹介は、今後ゆっくりさせていただくとして・・・

私自身にとって、このタイミングで、
このような方が現れたというのは
ものすごいありがたいこと。

これまで、バタバタと一人であれこれすべてやってきて
もうちょっともうちょっと・・・というかんじで
毎日が過ぎていき、
改善すべき部分まで手が届かずに
もどかしい時期が続いていました。

工房の建築や
藍事業への着手など
新しいことは増やしたいけど
ネコの手も借りたい状態。

でも、子育てもあって、責任もって
誰かと一緒に働けるか不安・・・

というような日々の中で、
私自身の覚悟を迫るような事象が
次々と勃発し(ほんと、勃発しまくっている。今もなお・・・)、
自然と、方向性が定められてきているように思います。


ありがたいことに、
石徹白洋品店として
どのような道を進むべきか、
ということにぶれはなく、
むしろ、その道を耕し、拓いていくために
やるべきことで精一杯な毎日です。

これは、私がお世話になっている
たくさんの方たちからの温かいご助言のおかげであり、
私はそれをまっとうしていくことが、
唯一のできることなのかなと思っています。

そのために、私が持っているものはすべて使い、
活用し、必要に応じて、広げたり深めたり、
つながったり、ときには手放したりしながら
進んでいければと思っています。

足りないことだらけだし、
できないことばっかりだけれど、
私なりに、今できることを
やっていければと思います。


すべてのご縁に感謝しながら・・・。 
藍染めの小さな一歩
8月の企画展に向けて準備を進めています。

そんな過程で思うことを少しだけ。

土から藍の葉を育てるところから
藍染めを試みるとは、
数年前には思いもよらないことでした。

しかし、石徹白で古くに織られ、
仕立てられた藍染めの服を眺めるにつけ、
ここでのものづくりに「藍」という色が
必要不可欠であるという確信が
日に日に強くなりました。

そんななか、様々なご縁が重なり、
藍と半世紀もの間、向き合ってきた師、
日置智夫氏と出会うことができました。

その後、師の藍染めをともに継承したいという仲間が
じわじわと集まり、今や畑の藍が中心の生活を送っています。

「藍染め」という言葉の奥に広がる
深く、遠い世界に向け、
暗がりの中を師に手を魅かれ、
恐る恐る小さすぎる一歩を踏みしめているような、そんな日々。

なぜ芽が出ない、
なぜ虫が食う、
なぜ葉が枯れる・・

消費社会の中で消費者として育った私は
「すくもを買えないか・・・」と師に漏らした。
すると、「土に触れることが、
自然のサイクルを知ることが、
ものをつくる心につながる」
と、やわらかな口調でたしなめられた。

何もかも思い通りにならない一年目。

圧倒的な師の作品に、
師とともに歩んできた藍の甕を前に、
焦る気持ちを抑えながら、
毎日畑の藍たちの生長を見守っている。


このタイミングで、師から藍染めを学ぶ機会をいただけたことは
奇跡的で願っても叶わぬ幸運。

早すぎず、遅すぎず、今まさに、このときに。

すべてはご縁をつないでくださった前田静さんのおかげさま。
そして、くじけそうな藍栽培の日々をなんとか進んでいけるのは
志をともにして藍を育てる仲間がいてこそのこと。

いろんな壁にぶち当たりながらも、
止まることなく、歩んでいきたい。

そんなことを思う毎日です。


企画展は、その本当に表層の一部をお見せするような
内容ではありますが、この挑戦を多くの方に
共有できれば嬉しいです。 
次男が1歳になりました
洋品店のブログですが
個人的なお話を。

6月9日、次男が1歳になりました。

出産からもう1年が過ぎました。

長男は、今、3歳半です。

石徹白洋品店を始めたのが、2012年5月です。

始めた頃に、長男がお腹にいることが分かり、
11月に冬季休業に入ると同時に産休状態。
そして、2012年12月11日に長男を出産。

つまり、石徹白洋品店は、子供を授かると同時に
始まり、子供の成長とともに、続けてきました。

長男がお腹にいた最初のシーズンは、
初めてのマタニティライフというのもあり
色々な不安はありましたが、
比較的身軽な気持ちでものづくりや
お店の企画、運営ができました。

長男連れでの、2シーズン目は、
なかなかハードではありました。

子供を見ながらの営業は、
お店番くらいはできるものの、
ものづくりはなかなか進まず、
企画もの中心の2シーズン目。

そして、3シーズン目は、長男を早々と
保育園に預けて営業開始したために、
私って、こんなにも自由なんだ!なんて
思いながら、お店の運営ができた年でした。

4シーズン目、6月に出産をしたので
ほぼ休眠状態。
10月の絵本原画展のみ行い、
冬季休暇に突入しました。

そして訪れた5シーズン目。
次男が1歳になって、これからますます手強くなります。

とはいえ、二人目だからか、
はたまた、次男が一人遊びが上手だからか、
今のところ、わりと自由に、動くことができています。

工房が完成し、草木染めやら、
藍の栽培やら、
たつけのバリエーションを増やすことやら、
様々なチャレンジは続きますが、
おかげさまで、多くの方にご協力いただきながら
なんとかかんとか続けています。

続けているといっても、まだまだ月に10日ほどの営業。
営業日以外で、不在のときに訪れてくださるお客様には
大変ご迷惑をおかけしております。


ただのエクスキューズかもしれませんが、
今は、子育て中心の暮らしをしていて、
これから広げ、深めていきたい石徹白洋品店の
様々な取り組みに向けて、
助走をしている最中と位置付けています。

やりたいこと、やるべきと思うこと、
進みたい方向に向けて、
小さな一歩を、それぞれに踏み出し、
じわじわと、実験を進めている、というようなかんじ。

今、一気に進めてしまうと、
子供たちに負担をかけてしまうという恐れと、
中途半端で、余計にお客様にご迷惑をかけてしまうかも、という
思いによって、小さく踏みとどまっているところです。


鼻息荒く、突き進みたい私の衝動を、
もう一人の私が冷静になってみなさい、と諭している
というところでしょうか。




今の私にできる範囲のことは何か。
よくよく考えながら、
今シーズンも、進んでいきたいです。


次の営業は6月18日~25日までです。
*21日(火)はお休みです。

ぜひお立ち寄りください。
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