藍の花盛り
今まさに、藍の花が最盛期を迎えています。
寒くなればなるほど、色を濃くして、
揃って咲き乱れているように思います。

確実に秋が過ぎ、冬が来るのを感じとり、
実を結ぶことに必死になっているよう。



間もなく初霜が降りそうな気温になってきました。
今朝はストーブをつけたくなるような寒さ。

昼間は太陽が出ているうちはいいものの
陰って来ると瞬く間に体感温度が下がります。

一番早く実をつけつつある花芽。


霜にあたると種によくないそうなので
そろそろ霜除けを考えなければなりません。

また来年も、藍の葉っぱを収穫するために
大切な種です。

こうして、種を自分でつないでいくって、
なんだか嬉しいことだなあと思います。

そう、この種は、師匠が、滋賀県野洲で学んだ
藍染め師からいただいたもので、
ずっとずっとつないでいらっしゃった貴重なものです。

私も絶えることなく、受け継いでいきたいです。


今年、2回目の挑戦をしたコットン。
前回はコットンボールがはじける前に
冬になってしまいましたが、
今年は見事に実りました!
かわいい。


三河木綿です。
雨が多かったけれど、ちゃんと下を向いてはじけ、
(洋綿は上を向いてるんですよね)
湿気の多いこの時期でも
悪くなることなく、収穫できました。嬉しや。

こちらも種をとって、来年につなげたいと思います。

畑から、繊維のことを考えるなんて
途方もないことだし、
どこまで形にできるかまだまだ未知ではあります。
しかし、根本的なことを知った上で、
服づくりに試みることは、とても大事なことと思います。

それが、布に対して、染色に対しての
スタンスを定める大きなことになると
感じております。
同じものをつくるにしても。


今日、お店に来てくださったお客様は、
亜麻を油のために栽培されている方でした。

繊維として、茎を活用できたら・・・と
お話されていたので、
ちょっと調べてみようと思います。

亜麻とはフラックス、すなわち、リネンの原材料です。

繊維用と食用とは種類が違うかもしれないし、
活用できるか分かりませんが、
廃棄される部分だそうなので
何か形にできないかなあ、と思い始めました。

今日の出会いが、
これからのよりよきものづくりに
つながりますように。

ありがとうございます。
収穫を終えて・・・
藍の2番刈りも終え、畑が寂しくなると思いきや、
まだまだ雑草が伸びるとともに、
藍も3番目の葉っぱをたくさん出しつつあります。

冬野菜がこれから育つことを思うと、
藍も冬がやってくるまで
葉っぱを伸ばし続けるのでしょう。

とはいえ、師匠は、2番刈りまでしか
やっていなかったといいます。

いくら葉っぱが伸びても、
もう色が薄くなってくるというし、
カラカラに葉を乾燥させることが
難しい季節になってくるからとのこと。

なんだかもったいない気持ちもしますが、
カンカン照りが続いた1・2番刈りの時期でも
あれだけの葉っぱをカリカリに乾燥させるのが
大変だったので、秋雨が降る頃には
困難極まりない状況になるのでしょう。


今年の藍栽培では、本当に本当に
たくさんのことを学びました。

そもそも、畑を本格的にやったのも初めてのこと。

分からないことだらけでしたが、
師匠の近くで、仲間のEさんが
一生懸命藍を育ててくれて、
師匠からの助言をすべて私に教えてくれて、
さらに、石徹白まで仲間がたくさん助けに来てくれたので
ものすごく助かりました。

みんなの助けがなかったら
まったくできなかったといっても過言ではありません。

私が最初に藍染めを習った
しずく地藍工房の戸塚さんは
「いろんな年があるよ」
「1年目より、2年目、それ以降と、楽になっていく」
と言ってくれていたので、
その年の天候等の状況によって
これからも左右され、きっと「正解」はないのだろうけれど
1年目の経験を2年目に活かしていくことができるので、
また、新たな気持ちで、来年の畑へ向かっていけそうです。


正直なところ、私は種から芽を出すのが
とてもとても苦手です。

それは、小学校のときに育てたアサガオから。
私だけ、上手に育てられなかったのがトラウマで、
私なんて絶対に、お花やお野菜は育てられない!と
思いこんできました。

だから、できるだけそういうことには手を出さないでおこうと
これまですべて主人にまかせっきり。

だけれど、どうしても藍はやりたくてしょうがなく、
こうして、始めてしまいました。

それは、やはり、草木染めをしていると
藍という色が必要不可欠に思えてきて、
藍色を見ていると、もう、藍さえあれば・・・なんて
思ってしまうほど、惚れこんでいくのです。
もう病気ですね(笑)


調べて行けばいくほど、しかしながら、
日本人と藍の関係は深く、
切り離せないことが分かり、
さらに、栽培を始めると、
藍には何も無駄がないどころか、
薬にまでなる、ということが分かってきました。

栽培するに必然性があり、
だからこそ、続いてきたものなのですね。


日本の戦後、いや、明治維新頃からの
大きな変化の中で切断されてしまった大切な文化の1つ。

それを見直し、もう一度暮らしに取り入れていきたいと思うのは
私だけでしょうか。

養蚕も、綿栽培も、もちろん、大麻の栽培もそう。

何が大切なのか。
何が私たちの命をつないできたのか。

極端な言い方かもしれないけれど、
石油文明なんて、ここ数十年の話。。。。

なんて言い出すとちょっと深みにはまっていきそうですが、、、

とにかく、藍色は、理由なく、私の心を動かすものであり、
そういうものを身に着けたい!というのが最たる動機であります。


ということで、冬になる前から
来年の畑の準備をします。

マルチを剥がして、馬糞を入れます。
そして耕運機で耕して春を待ちます。

来年はさらなる収穫を目指して
今から鼻息荒くがんばるよー!

またみんな、手伝ってね。(一人でもやるけど!)
いい藍色を出すために、やるしかない!! 
藍の葉、ついに二番刈り完了
初めての藍の栽培。

今日、二番刈りが終了しました。

大きな一区切りの日でした。

藍はおかげさまで、ふさふさになりました。


育苗に失敗し、
仲間のみんなに、苗やら、挿し木やらを分けてもらい
必死に1枚の畑を埋めました。

2枚目の畑は埋まらずに他の作物にかわってしまったので
目標の量には届かず・・・。

しかし、今私ができるぎりぎりの大きさだったのではないかと、
畑の始まりを振り返って思っています。

1歳にならない息子をおんぶしてコマメで耕し、畝を立てた。
みんなに来てもらってマルチをかけて、少しずつ定植をした。
梅雨時には、頻繁に大和に通って、雨を狙って挿し木をした。
子供たちが起きる前に、朝畑に出て、草取りや追肥をした。

今思うと、いつも必死で必死で、
なんとしてでも、1枚でも多くの藍を育てようと、
そればかり考えてきました。 

思いが届いたのか、挿し木で増やした藍たちも
本当に立派に根を張り、繁ってくれました。

もうだめだと諦めかけたときにも、
仲間がいてくれたから、師匠が励ましてくれたから
なんとかここまで来ることができました。

刈り取りの今日は少し寂しい気持ちがしましたが、
同時に、少しほっとしました。


畑ってほんと、大変。
私の思うようにはすべては運んでいけない。

雨が降ってほしいときには雨は降らず、
暑くなってほしいときには暑くなってくれず、
だけれど、いつの間にか、自然は自然のままに
しかるべきかたちになっていく。

勝手に焦るのは、私の身勝手。
そんなことお構いなしに、藍は気がつくと大きくなってくれました。

だけれど、
あー、大変だった、もうやめよう、 という気にはならず、
来年はよりよくしていこう!と思うのみ。

人の気持ちって不思議ね。

来年は今年よりもよりよくしたい、
その次はさらによくしていきたい、と思うのです。

毎日あんなに大変だったのに。

こんなに大量に収穫できました。


乾燥させたら、ものすごく少なくなってしまうし、
すくもにしたら、さらにさらに少なくなるけれど、
これが、すべて、藍染めのスタートにつながります。

むしろ、藍の葉栽培を飛ばしては、何も始まりません。

まさに、藍の事始め。


今日も、大人7人、子供3人(次男含む)が
お手伝いに来てくれました。

みんなで育て、みんなで収穫。
来年には、藍建ての練習ができそうな
そんな幸運に恵まれました。

藍染めの工程は長く、遠いけれど、
かつては、当たり前のように
地域単位でやってきたこと。

藍の服を身に着ける理由があったということ。

私はそれを知りたい。
体感として、学びたい。

そして、継承することで、
地域と自然の一部となりたい。

そう思うのです。

さあ、乾燥作業はまだまだ続きます。
お天気が続く間に、かりかりに干せますように、
お天道様に感謝して。

種から芽が出るということ
4月20日に種を蒔いて、
5日後。
今日、藍の小さな小さな芽が出ていることを
発見し、小踊りしそうなくらい嬉しかったです。



小さすぎて、カメラも上手くフォーカスできないくらいの
かわいらしい葉っぱです。

師匠の指示通り、ビニールでトンネルをつくって、
中を温めて、1週間ほど。

毎夕、水をやって、気温が高い日は
トンネルを外して外気にさらす。

それをただただ繰り返す。


これまで畑は夫任せ。
さらに、夫もほとんど苗を買って来て
野菜を栽培していました。

種から芽を出して、それを定植というのも
少しはやっていたみたいだけれど、
実際、私自身はあまりタッチしてこなかった領域です。


だから、種のすごさを、今回初めて実感しました。

あの小さな小さな黒い粒の中に、
こんなきれいな緑を、どうやって持っているのでしょうか。

土の中に入れて、水をやり、お天道様の光とあたたかさによって
こうしてにょきっと頭を出す。
重たい重たい土を押しのけて、地上へ出てくる。

小さな小さな種にとっては、
ものすごい重労働だと思うのです。

それをいとも簡単に(見えるだけ?)
なしとげてしまうとは、どういうこと・・・?!

しかも、これからぐんぐんぐんぐん育って、
青々とした葉っぱを茂らせ、
やがて花を咲かせ、何十倍、いや、何百倍もの
種を実らせることになる。

なんて生命力なんでしょうか。


昨秋に蒔いた麦の種もこんなに大きく立派になりました。


一粒の種が、こうして実りを約束してくれる。

私たちは、そのお手伝いを、少しだけするのみ。
しょせん、それくらいしかできない。

種を生産することもできない。
土を生み出すこともできない。

私たちは、この自然界にすでにあるものの中で
生かされているだけ。

自然の摂理に依ってしか生きられない。


美しい花を見て心を奪われるのも、
豊かな実りによってお腹が満たされるのも、
同じこと。私たちが自然の一部だからこそ。


私も、
藍の種のように
小さくても、青々とした葉を茂らせるように、
しかるべきことを、私ができること、やるべきことを
全うしていきたいと思うのです。

それが、この自然の中にいただいた
一つの命としての役割。


藍の種をこうして蒔いて、
藍の葉を収穫することを楽しみとしているけれど、
それ以上に、私に生きることの学びを
もたらしてくれているのです。

あらゆる出会いと、
今のこのときに感謝して。