Gujo Hachiman journal Gujoinus(グジョイナス)

プロフィール
gujoさん
I am TAKADA Yuka, living in Gujo-Hachiman, a wonderful rural town in Gifu, Japan. In Gujo you can experience a lot of interesting things/spots/festivals. And enjoy talking with local people here.
I can supply useful information for English speaking tourists who want to make a trip to Gujo area.
Just send me email at the following tub, please.




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養老孟司講演会とイサムノグチ
今日は名古屋へ行ってきた。
午後に夫の大学時代の恩師ご夫婦を訪ねた。
そこで、奥様の思い出話をお聞きしている中に
あの イサム・ノグチ の話が…。

夫の恩師夫人が中学生のとき岐阜から東京へ
イサム・ノグチの運転で同行されたことがあるそうだ。

イサム・ノグチが岐阜で岐阜ちょうちんの製作を学んでいたときに滞在していたのは、なんと
この恩師夫人の実家だったそうなのです。
離れのお茶室にイサム・ノグチが”下宿”されていたそうな。

それだけでも「えー!」とびっくりした私なのだが、
夫人がさらに語られるのには、

東京へ行く途中、北鎌倉で、北大路魯山人のところへ寄られたそうだ。
縁側で天ぷらを自ら揚げておふたりに振舞いながら
「アメリカのいいところは、靴墨ぐらいなものだ」と
(*靴墨ともうひとつあったのだけれど失念しました)
魯山人は、”日本”についてイサム・ノグチにとうとうと
言って聞かせたそうである。
イサム・ノグチは黙って うんうんと 聞いていたそうです。

なんとまあすごいお話です。

このお話はもっとじっくりお聞きしたいものなのですが、
個人でお聞きするにはあまりにももったいないので
そのうち何か機会を作ったらどうかと思います。

この話のどこが養老孟司講演と郡上に繋がるかというと、
”西欧的近代自我”、です。
年月を生きていくうちに人間は変わっていくものですが
ふりかえれば私の場合は、
20代のころが最も”西欧的近代自我”が強かったと思います。

西欧…と言っても、コレは、欧米人全体の性質を差しているわけではなく、
欧米人の中にも”西欧近代自我”のあり様は人によっていろいろでしょう。

アメリカ人の母親と日本人の父親を持ち
あの時代を生きたイサム・ノグチはどうだったのか?
生きている彼に会ってみたかったと思います。

                ◇

ところで、夫の恩師ご夫妻のお宅の庭には
イサム・ノグチの作品があります。








養老孟司講演会と郡上①
養老さんの話をずっと聞きたいと思っていた。
その養老さんの話を郡上で聞くことができて本当にうれしかった。

調子が悪かったので、もう行けないかというところだったけれど
夫のパスケルのおかげで行けました。

養老さんの話は本当におもしろく、
いろんな例をあげて、”自分と環境”や”自然と都市”について、
本当にていねいに分かりやすく話してくれた。
(*今までに養老孟司さんの本をいろいろ読んでいます)

養老さんの話の結びは「あとは自分で考えてください」。
私なりに課題をいろいろと頂いたので、
今後またじっくりと考えていきたいと思う。

この機会を用意してくださったみなさんに感謝です。
                  
                 ◇

彼の声は思っていたとおり、”意識が肥大化している”人のものではなかった。
私も自分の考えていることを
こんな声で話せるように年々年を重ねていきたい。

                 ◇

養老さんは、
このほんの100年ほどで日本人や日本の世間(社会)が影響されている
「西欧近代的自我」の確立に警鐘を鳴らしている。
近代自我の確立に警鐘というより、この種の自我をもつ人間が大多数を占める社会が向かう先には
自然との共存はない、未来はないということに、だろうか。

”西欧近代的自我の人間”とは、都市に住み、自然をコントロールできると考え、
この世界の仕組みを理解していると疑わない人々だ
と言いかえられると思うが、

長年死体の解剖を行い、脳学者でもある養老さんには
人間(の脳)がこの世の仕組みを理解できるはずが無い
という直観があると思う。
彼のその直観による言葉にはまったく疑問の余地が無い
と私は直観している。

だから、
理解できていないのに理解できていると誤解し、
自然界や人間社会の仕組みをこれだけコントロールしつくそうという現代人=私達のやり方に
「ちょっとまってよ。もともとの日本人や日本の世界観ってね…」
と対話をし続けている彼の言葉を聞き考え続けている。

養老さんの話の中で
「今の地球上で西欧近代的自己の意識のある人間が8割ぐらいに広がっていますかね」
という言葉があった。

確かに、この数十年で、アジア地域ではこの10年あまりで
それは加速していると思う。

ただ、インドやタイ、バリ
あるいはブータンやチベットあたりではどうだろう。

1世紀前ごろは、日本も”自我でなく無我”の人々が大半だっただろうと私も想像する。
無我の自分とは
「世界でひとつだけの花」なんて思う必要の無い自分であり
「仕事は世のため人のため」と自然にとらえ日々務められる自分である。

”無我の自分”の土壌には仏教がある。

さて、養老さんの話が理解しにくいと感じているみなさんは、
まず夫のブログ記事を読んでいただきたい。
”自分と環境” ”自然と都市”など、とても大切な視点が
分かりやすくまとめてあると思う。

パスケルの記事はここ


郡上に住み”郡上と世界を英語でむすぶ”をテーマにしている私にも
これからやっていくことがたくさんあるなぁと思う。

養老さんの言っているこのことはなぜか英語で話しにくい。
今までの経験上、すごく実感している。
その話しにくい、あるいは本当のところを伝えきれないと思ってしまう
そこにこそ、大切な見落とせない何かがあると直観している。

それをまだ言葉化できていないけれど。

                ◇

養老さんのお話が、郡上のこれからの「森林と地域と人と」というテーマの中で扱われたこと

郡上わりばしプロジェクトの動きのサポートに位置づけられていたことが
本当によかったと思う。

ゆかりママさんもパネラーで大役を務められました。
タグ: 養老孟司 郡上
養老孟司/Yoro Takeshi
I have been into Yoro Takeshi last a few years.
The book I am reading now is "大切なことは言葉にならない 
/ Taisetsu-na-koto wa Kotoba ni Naranai" written by him
 and published in this April.

What he is telling us are all basics.
I don't say that it is easy for me to understand his idea.

Actually he is a great person.
Nobody can categorize his work into any special field.   
養老孟司 is Yoro Takeshi.

One of very interesting things which sometimes happens
to me is that English doesn't work well when I talk about something so Japanese with non-Japanese people.

I am not talking about one's English ability here.
Whenever I face this situation, I feel there is no way to manage.
Spending a lot of words in English doesn't make sense.
It is a complete waste of time.
  
I have been wondering on this point for about 25 years.

Finally a point of view was given through reading his books and I guess that it is an answer for my long-term question.     

Do you want to know what I found?
I can't tell you it here.

Why not?
Because the secrets of the world/society can't be expressed in words; "大切なことは言葉にならない 
/ Taisetsu-na-koto wa Kotoba ni Naranai"


                                  ◇

ここ数年、養老孟司氏にはまっている。
今読んでいる彼の本は、『大切なことは言葉にならない』でこの4月に出版されたもの。

彼が私達に語っていることは、みんな基本的なことばかり。
ただ、それらを理解することは簡単だと言っているのではない。

現に彼はすごい。
誰も彼の仕事を何かの専門分野に分類することはできないはずだ。
養老孟司はヨウロウタケシなのだ。

ところで、私がずっと気になっていることのひとつは、日本人ではない人と”とても日本的なこと”について話しているとき、英語がうまく機能しないということだ。

これは個人の英語力のことを言っているのではない。
この状況に入ると、どんなに言葉を費やしても意味を成さない。
本当に時間の無駄なのだ。

どうしてなのだろうと、もう25年ぐらい模索してきた。

彼の本をいろいろと読みながらある視点を見出したのだけれども、どうやらそれが、長年の私の疑問の答えになるようだ。

それが何だか知りたいですか?
でもここでそれをお伝えできないのです。
大切なことは言葉にならない!  

でも、ということは。。。
長年の疑問に答えるべく理由は何とかわかっても
あの状況を打開する術は。。。
やはり簡単には見出せませんねぇ^^;

やれやれ。。。


大好き! 養老孟司

今読んでいるのは『養老訓』





ベストセラー『バカの壁』が入り口で
その後いろいろとみつけては読んでます。

直接話を聞きたいなぁ…
時々検索するのですが、なかなか近場で見つかりません。
去年か一昨年、岐阜で講演会があったようです。
知らなかったなぁ…残念

今この本の中で大好きなのは
「…何でも言葉にしようとする人がふえた…」
というあたりの内容です。
「…”以心伝心” ”腹芸”といった日本的なものを潰してきました…」
というあたりにもぐっと来ます!

今年ホームステイに来たスウェーデン人の学生は
哲学に興味がありました。
フランスのフーコーとかデリダとか話してくれました。
かつては興味を持って熱心に学んだ時期もありましたが
今ではやはり日本だなぁと直感します。
私の話すことにカレはとても関心を示しました。

それにしても
世界中どこもかしこも 言葉が増殖し続けている
日々の暮らしに ものすごい数であふれかえっている
価値ある沈黙や無記の領域が押しやられている
数十年前、数百年前の世界を想像してみると
言葉や文字はもっともっと少なかったはず

現代の私たちは、思考も感情も言葉にできると信じていて、
あるいは疑わず…
そこにものすごいエネルギーを
知らず知らずに費やしている…

養老猛司、会いたいなぁ…
タグ: 郡上 養老猛司