Gujo Hachiman journal Gujoinus(グジョイナス)

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gujoさん
I am TAKADA Yuka, living in Gujo-Hachiman, a wonderful rural town in Gifu, Japan. In Gujo you can experience a lot of interesting things/spots/festivals. And enjoy talking with local people here.
I can supply useful information for English speaking tourists who want to make a trip to Gujo area.
Just send me email at the following tub, please.




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タイ編 その⑥ 

このときのバンコク滞在中、機上で私を引き受けることになった研究者の女性とは、朝晩に挨拶をする程度で、ティックが何かと私の世話をしてくれた。
バンコクに着いた当日も、食事をする前に汗を流せとティックが案内してくれた。

このお風呂場がとってもおもしろい作りだった。
個室にはなっているが、外側の壁面に幅20cmほどの腰高の水路が通っていて、透明な水が豊かに流れている。すぐそばの壁面に打ち付けられた釘には、プラスティックの手桶がかけてあり「それで水を汲んで使うのだな」とわかる。

壁で囲ってはあるものの、水路である以上、その水がその家専用というわけではない。どこから来てどこへ流れて行くのか・・。その流れを何軒人々がどんな用途で共用しているのか・・。とにかく、1本の用水路を、隣り合わせた各家が室内に通して使っているような形だ。

ところで、バリでもホテルやよほどのお金持ちでない限り、人々はお湯ではなく常温の水で髪や体を洗う。今では事情が変わってきたかもしれないが、私がよく行っていたころは、バリの山間部の村では、川にマンディ(水浴)に行く人々も多かったし、私自身も水のシャワーを使っていた。

タイもバリと同じように水なのだ、と思った。後にティックが連れて行ってくれた、彼女の友人の家でも同じ作りのお風呂場を見た。蒸し暑い気候のバンコクの人々も、いつでも水を浴びられるような作りにしておいて、インドネシアと同じように、日に3度ほどは汗を流す習慣があったのではないだろうか。
当時でさえ、バンコクには欧米式の「9時から5時の会社勤務」が増えていたようだし、大きなビルやデパートにはエアコンがよくきいていたから、日に2度も3度も水を浴びて汗を流す習慣はどんどん無くなる一方だったかもしれないけれど。

ティックと私はよく話した。簡単な英語でゆっくりと話した。タイ人の英語の発音には、このとき初めて接したので、聞き取りには苦労した。私も今よりもっと下手だったから、彼女も苦労しただろう。

彼女は貿易に関わる会社の事務職に就いていて、自分も海外に行ってみたいという気持ちが強かった。同年齢でひとりで海外を旅している私に強い興味が湧いたようで、いろんな質問をしてきた。私たちはずいぶん辛抱強く時間をかけて語り合ったものだ。

ティックは、通勤するのに、ホロつき大型トラックに乗っていた。ホロのついた荷台に、スーツ姿の人々がたくさん乗っているのを見たときには、とにかくびっくりした。というのは、バンコクは高層ビルや清潔なデパートが数多くあるし、道路は広範囲に舗装されていて、すでに大都市の様相だった。それなのに、通勤にトラックだなんて・・。

ティックは、「とにかく渋滞がひどい。考えられないくらいにひどくて頭にくる」とうんざりしていた。そして「本当に急いでいるときには、車ではなくて、バイクタクシーを使ったほうが確実に早いよ」と教えてくれた。バイクタクシーは、お客をバイクの後ろに乗せて渋滞している車の間をスイスイ縫って走ってくれる。でも値段は乗る前に目的地を伝えて、直接交渉だ。相場を知って交渉しないと、いいようにカモにされる。

バスの種類はいくつもある。料金はバスの質に応じて変わる。新型バスになるほど高いし、エアコン付のバス料金は一番高い。市街地ならエアコン無しの小型バスに乗るのも楽しい。ただし、バス停など無いに等しく、歩道から道路の2車線分ほど内側を走っているところに素早く駆け寄り、さっと飛び乗らないといけない。

その場合バスはバス停に停車しない。速度を落とした瞬間に、開けっ放しになっているドアステップの空きを見極めて、さっと飛び乗るのだ。タイミングを計る勘と思い切りのよさ、そして丈夫な足腰があれば、誰にでも利用できる。あれは、公共の交通機関にしては、スリリングな乗り物だ。

ある朝、ティックは「今日は屋台で晩御飯を食べよう」と誘ってくれた。会社帰りのティックと大きなバスターミナルで待ち合わせて、私たちはマーケットに繰り出した。日中の過酷な暑さはひとまず治まったものの、空気はまだ熱気と湿度を帯びている。辺りには、日本では嗅いだことのない匂いが雑多に混在していた。露店に並ぶ様々な衣料品や装飾品は、白熱灯に照らされて、カラフルに輝いている。そして、行き来するたくさんの人々は、元気で平和に見えた。

すっぱいのと、辛いのと、甘い砂糖。この3つを入れるのがタイ式の食べ方だよ」。ティックは、私たちが頼んだ麺類のどんぶりをもらうと、手元の調味料入れのふたをとった。まず、自分のどんぶりに小さじで3種類とも入れた。酸味のと砂糖はたっぷりと入れるのが好きなんだと言っていた。私も同じようにしてみるというと、3種類の調味料を入れた後、ていねいにスプンでかき混ぜて味を調えてくれた。最初は唐辛子の辛さに加わった甘みが、不思議な味わいだった。でも、食べるほどにおいしいと思った。

夜のマーケットには活気があった。 

このティックとは、日本に戻ってからも手紙のやり取りをした。

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タイ編 その⑤

一瞬言葉を失ったけれども、気を取り直して、私は男性に言った。
「ご親切に、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「いやいや、あなたは知らないだろうけれども、バンコクは大都市です。旅行客がたくさん集まる地域は、治安が悪いです。タイ人として恥ずかしいけれども、盗難や危険なことがたくさん起こりますから」

彼は、ひとしきりその危うさを話した。タイは仏教国で人々はもともと善良だけれども、国外からたくさんの旅行客が来るようになってから、外国人目当てに悪事を働くタイ人も増えてしまったのだと苦々しげに言った。
「彼女は私の知人で、教育の方面を研究しています。泊まっていいと言っていますから」
と、締めくくった。

私は、何度も辞退したものの、年長者に従わないではいけないような雰囲気に根負けし、ついに彼の言葉に従うことにした。このときは、つくづく「アジア人というくくり」が確かにあるなぁと実感した。仏教という土壌に培われている同根の価値観というか・・。うまく表現できないけれども・・・。

ついに飛行機はバンコクに着陸。その男性から私を引き受けた“謎の”中国系タイ人女性は、私を伴って空港ロビーをとどんどん歩いた。
その女性は小さな声で話す、寡黙な人だった。いわゆる友好的な雰囲気を持つ人ではなく、私は気が重かったけれど、余計なことを話さず、訊かず、黙ってついて行くことにした。

そのうち私の好奇心は、初めて見る、おかしな形のタイ語文字に魅了されて、目に入ってくる店の看板や通路の案内板をあちこち眺めるのに忙しくなった。

到着ロビーへ出ると、思いがけず出迎えの人がいた。ティックという名前の20代半ばと思われる女の子。タイ語で女性が私のことをティックに説明している間にも、ティックは私に笑いかけてくれ、それで私は、本当に救われた。
 
女性の家は、静かな一戸建てが立ち並ぶ郊外にあった。バンコク市の中心からは、バスで20分くらいだっただろうか・・。

翌朝から私は初めて訪れた大都市、バンコクを歩き始めた。朝ごはんを一緒にいただいた後、都心に通勤しているティックについてダウンタウンへ行った。日本までの航空券を買う前に、その相場も知りたいと思ったし、街の様子も見たかったので、何軒もショップを回った。

バンコクには、確かダイマルかソゴウか、とにかく東京のと変わらない規模の立派な日系デパートもあった。食品売り場などもものすごく充実していて、各国のバンコク駐在中とおぼしき外国人の姿もたくさん見られた。

ローカルな商店街や市場もたくさん歩いた。自分が泊まるのに適当なホテルについても調べた。ティックに教えてもらった路線バスの乗り方と、最寄のバス停の名前、そこから家へ帰る道順だけは無くさないようにして。

それにしても、いまだにちょっと不思議なのは、あの家の家族構成だ。食事のときにテーブルにつくのは、中国系女性と面立ちの似た感じのおばあさん、まだ5歳ぐらいの男の子、そしてティックだった。ところで、ティックだけはその他の彼らと肌の色が違ったのだ。中国系の顔立ち、そして肌の色ではなかった。あの家に住んでいた彼らは、それぞれどういう関係だったのだろうか…

さて、何日かして、とうとう私は日本に戻るための航空券を買った。迷わず、バンコクー東京の1年オープンチケットにした。私は再びまた、バンコクに立ち戻るつもりになっていた。

タグ: 海外体験
タイ編 その④

バンコク行きの飛行機が離陸したとき、私は心から安堵した。シンガポールを経由して、飛行機は何時間か後にバンコクに無事着くだろう。しかし、これから降り立つ国について自分は何も知らないのだ。ガイドブックも持っていないし、頼るべき友人や知人もいない。

空港に着いたら、私はまず、各国の若者がたくさん集まる街へ向かおうと思っていた。そこでなら、手ごろな値段のホテルやレストラン、そして格安航空券を扱う旅行社を見つけるための情報を得ることができるはずだ。今持っている所持金で、このハプニングを楽しんでしまうためにも、様々な国の旅行者がたくさん集まる街に入って、一息つこう。そして1週間ぐらいかけて、休息を兼ねてゆっくりチケットを探すのだ、そう考えた。

ところが、、、シンガポールから再び飛行機が離陸し機内で飲み物が配られたそのとき。。。受け取ったホットコーヒーをすすっていると、隣に座っていたアジア人の男性に話しかけられ、事態は私の予想もしなかった方向へと進んでいった。

「あなたは何人(なにじん)ですか?」
彼は英語で話しかけてきた。日本人だと私が答えると、その男性はいっそう愛想良くなった。自分はタイ人で、シンガポールで学会があったので参加して、今帰国するところだと言う。そして、息子が今東京大学に留学している、日本は素晴らしい国だと思っているなどと語りだした。
「息子は英語で講義を受けられるけれども、日本語もマスターしたいと、一生懸命に勉強しています。難しくてタイヘンだって言ってますよ」
男性はうれしそうだった。異国で勉学に励む息子を頼もしく思っていることが、良く伝わってきた。彼は気さくな人柄で、息子が今暮らしている日本について、少しでも知りたがった。私は、訊かれるままに質問に答えたり、時折うなずきながら、彼の話を聞いていた。

しばらくして、突然その男性は言った。
「ところで、あなたはタイにはよく行かれるんですか」
「いいえ、初めてなんです」
「バンコクに今夜着いてから、泊まるホテルは決まっているのですか」
「いいえ。ちょっと急にバンコクにまわることになったので、手配していません。空港で調べてから、ダウンタウン(繁華街)に出て適当に探そうと思っています」
私がそう答えると、男性は
「そうですか…」
と言葉をとぎらせ、その表情を曇らせた。

そして数秒間の沈黙の後、男性は後部座席を振りかえり、7、8人の仲間と思われる人々に向かって、ペラペラと話し始めた。タイ語で。
私にとって生まれて初めて聞くタイ語だった。私はけげんに思った。自分のことが何か関わっていそうなのに、その話の流れが全く読めない。事の成り行きがどうなって行くのだろうと、待つしかなかった。
なんだか少しめんどくさいことになりそうだな・・・、そんな予感がした。

ひとしきり会話が交わされた後、男性はにこやかに私に告げた。
「今夜は彼女のところに泊まって下さい」
彼の手の示す先には、色白の、中国系と思われる、銀縁めがねをかけた、知的な雰囲気の50歳代と思われる女性が、かすかな微笑を浮かべてこちらを見ていた。

私は言葉を失った。

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タイ編 その③

さて、運転手付の黒塗り社用車が取引先へ向かう道中、アルヒトさんは、まず自分の妻と子どもたちの話をしてくれた。そして、自分の信じるイスラム教の教えには“困った人を助けなさい”という教えがあると続けた。

彼は賢い人だ。そういった話題で私を安心させようと考えたのだと思う。その配慮にアルヒトさんへの信頼は増し、そして今度は、彼の仕事の邪魔をしているのではないかとようやく思い当たり、「こんなことにあなたを巻き込んで申し訳ない」と私は詫びた。

イスラム教徒というとニュースで目にする過激な暴動も多いけれど、こういったいくつかの個人的な経験を通して、私なりの印象を持っている。

もちろん今でも、イスラム教やその宗教に生きる人々が身近な存在なわけではないけれども、私にはもうひとつ、イスラム教徒の女性との忘れられない思い出があって、それはまた別の機会に話したいと思う。

さて、だんだん私たちは心うちとけ、お互いの仕事やインドネシアと日本の習慣の違いなどについて話し始めた。インドネシア語と日本語を少し交えた英語で。

そして目的の会社で書類を届けた後、アルヒトさんは、「今銀行は昼休み中だから、先に食事しましょう」と言って、高級インドネシア料理店で昼食をご馳走してくれた。国によってオフィスアワーや昼休み、残業の習慣はかなり違う。

内心とても時間が気になっていたけれども、テーブルの向こうからアルヒトさんはにこやかに話しかけてくれる。私は、いっしょに食事を愉しむことにした。

その後、アルヒトさんは車を銀行にまわしてくれた。彼が銀行員に窓口で説明してくれたおかげだと思う、長く待たされることなく、必要なだけの換金がほどなく済んだ。このインドネシアルピーがあれば、旅行会社へ行ってチケットを買うことができる! 円やドルで持っていたって、現地のお金がなければ一般の店での買い物はできない。

再び車に乗り込むと、アルヒトさんは運転手にインドネシア語で行き先を指示した。車はようやくは旅行会社が立ち並んでいる通りに向かったのだ。安いに越したことはないが、手違いなくチケットを買いたい私にとって、旅行会社の選択は重要だった。
その選択を彼に任せることができ、しかも大都市ジャカルタで、あの“おそろしい交通事情”に巻き込まれることなく目的地につけるというのは実に幸運だった。

車中で、別れの時が近づいていることに気がつき、私はバックの中を一生懸命にかき回した。何か御礼になるような品が入っていればいいのだけど…という一念で。残念ながらそれにふさわしいものはなかった。しばらくして肩を落とした私の振る舞いを見てアルヒトさんは私の気持ちを察し、確かに受け取ってくれたと思う。

「さあ、旅行会社に着きました。ここでちゃんとチケットが買えますよ」
アルヒトさんはそう言って、オフィスの中にいっしょに入り、旅行社の女性に私の事情をインドネシア語で伝えてくれた。
 
言い尽くせない感謝を短い言葉に託すしかない。私は、インドネシア語と英語、そして日本語で「本当にありがとう」を何度も繰り返した。
アルヒトさんは現れたときと同じにこやかな笑顔で、車中から手を振りながら去っていった。


とりあえずバンコクへ出国しよう、私はそう考えた。ジャカルタからバンコクへのチケットは手に入れやすかったから。
たくさんの友人が旅行経由地としてバンコクを頻繁に訪れており、その話をよく聞いていたので、行けば何とかなるだろうと思った。タイへはビザ無しで入国できるし、各国への航空路線が毎日たくさん飛んでいる。

その晩を空港で何時間もやり過ごし、私は早朝バンコクへ向けて片道チケットで出発した。
飛行機が離陸して、ようやく安堵した私は、心の中で再びアルヒトさんに感謝を伝えた。

ところが…

タグ: 海外体験
タイ編 その②
ひとりで海外によく行っていたころ、アジアの国々で困難にぶつかったときに私が使った奥の手は、高級ホテルのフロントを訪れることです。そこでは英語の堪能なホテルマンを必ずみつけることができる。しかも外国人の必要な情報がたいてい揃ってい ます。

しかし、そのときの私は高級ホテルを捜し歩く時間的余裕がなく、たまたま出くわした、外資系企業の入ったオフィスビルの前で、一縷(いちる)の望みをかけて、何度も周りの人々に向かって訴え続けていました。
I need somebody who can speak English.
Help me, please!! 

そしてついに、その切実な願いは通じたのです!

May I help you? (どうしたのですか?)

声の主を見ると、そこには颯爽としたスーツ姿のインドネシア人のビジネスマンが立っていました。私は1分もかからずに事情を説明しました。うんうんとうなずきながら、注意深く話を聞いてくれた彼は、内ポケットから一枚の名刺を出して私に手渡した。
見ると、三菱商事 ジャカルタ支店とあります。カタカナでアルヒトというニックネームまで記されていました。

私は胸をなでおろした。どうやら彼なら大丈夫だ、
きっと私に必要な情報を提供してくれるだろう、助けてもらおう、そう思ったのです。

ところが、彼は行動の人でした。
「これから取引先の会社に、この書類を提出に行きます。それが終わったら、協力できますから、いっしょに社用車に乗って行きましょう」
と即座に提案したのです。

私は驚きました。少々たじろぎました。何しろ相手は男性で初対面。今すぐ車に同乗するって~!?
脳みそエンジンが一気に加速しました。

しかし、彼の立ち居振る舞いとその印象、日本企業に勤めているという事実、3秒後には私の直感はOKと決断していました。

ジャカルタは大都市です。あと数時間しか残されていないのです。自分で旅行会社など捜し歩くには時間的余裕が無さすぎるのです。

間もなく黒塗りぴかぴかの社用車が現れました。アルヒトさんは私のためにドアを開け、後部座席に座ったことを確かめると、自分も助手席に座りました。彼が運転手さんにインドネシア語で何か伝えると、車は動き出しました。
タグ: 海外体験
こんなことありました^^;。。。
別のブログで書きためていた体験談、ちょっと紹介してみます。
今ではなつかしい”こんなことありました^^;編”です。。。
今日のお話は、かれこれ20年近くも前になる、かな?


初めてタイへ行ったのは、飛行機のチケットのトラブルがあったからでした。

インドネシアジャカルタと東京間の往復チケットで行ったので、バリで2ヶ月近くを過ごしたあと帰国するために、バリから電話でジャカルタのオフィスにリコンファーム(搭乗確認電話)を入れておきました。
しか~し…、
ジャカルタへ高速バスで移動し、いざ空港で搭乗手続きをしようとした当日、「あなたのリコンファームは確認されていません。座席はありません」の一点張りで、いくら交渉してもだめだった~! のです。

私は途方にくれてしまいました。というのは、その翌日に私のインドネシア滞在期間が切れるという、ぎりぎりのときだったのです。今ではインドネシアに行くにもビザが必要になったようですが(また解除されたかな?)、当時日本人は、2ヶ月まではビザ無しでインドネシアに入国し滞在することができました。
バリ島でガムランの楽器演奏を習っていて、ときどきバリへ行くことにしていた私は、パスポート上のトラブルを起こしたくないという思いでいっぱいだったのです。

インドネシアをフィールドにしているライター仲間などから、「ビザのことでトラブルを起こすと、次の入国審査でなかなか入れてくれないよ」と聞いていました。ある友人は、「いつも入国審査でいろいろといやがらせみたいに言われて、なかなか入国を許可してもらえないよ~」とのことで、結局そういう時は「役人にお金を払うしかない」そうで…。当然それは役人のポケットマネーになるわけで…(いわばワイロ)。そんな話は父からいやというほど聞かされていて…。


私もバリへの入国審査で、「商売しているのか?」などといちゃもんをつけられ簡単ではないときもあったけれど、それまでは一応トラブル無く切り抜けていました。

さて、
どうしよう…
これは空港にいてもラチがあかない!
こんなときお役人をあてにしてはいけない!

そこで私は、空港のロッカーに荷物を入れ身軽になって、とにかくダウンタウンへ向かいました。
なんとか、明日中に出国しなければ!という想いを胸に。

私の話せるインドネシア語ときたら
「朝ごはんを食べたいです」
「甘くないコーヒーお願いします」
「〇〇はどこですか?」
程度。これでは、こんな窮地を脱出するには役に立ちません。とにかく英語が話せて、今日中に航空券を買うための旅行会社がどこにあるか教えてくれる“救世主”を見つけなくては!

外資系企業のオフィスがたくさん入っている高層ビルの1階出入り口あたりに行き当たった私は、服装や顔つきからめぼしをつけながら、何人にも声をかけました。はじめは礼儀正しく、
“Excuse me, but can you speak English?”

でもなかなか英語を話せる人は見つかりません。
焦りはつのります。私は祈るような気持ちで、だんだん声だかにあたりに響くように叫んでいました。

“I need somebody who can speak English! ”
“Please!”

誰か英語を話せる人はいませんか!
お願いしまーーーーーーす!

何度も叫んでいると。。。。
タグ: 海外体験
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