Gujo Hachiman journal Gujoinus(グジョイナス)

プロフィール
gujoさん
I am TAKADA Yuka, living in Gujo-Hachiman, a wonderful rural town in Gifu, Japan. In Gujo you can experience a lot of interesting things/spots/festivals. And enjoy talking with local people here.
I can supply useful information for English speaking tourists who want to make a trip to Gujo area.
Just send me email at the following tub, please.




QRコード
アクセスカウンタ
Total:1325423
Today:1344
Yesterday:1551
| 1 | 2 | 最初 | next>>
予感♪
昨日の夜は、とってもたいへんな思いをしましたが、
何か新しいドアが開いた予感♪

はじめは、ちょっと緊張もし
準備も足りない焦りが、実はちょっとあったのですが

いつしか、
外国人モニターのみなさん
日本人の参加者のみなさんの
コメントやアイデアが
どんどん紡ぎ出される感じで

どんどん おもしろくて
もっと 聞きたくて
本当に幸せうれしい想いでいっぱいになりました



みなさん、ありがとうございました!




スウェーデン編 その⑧ 
爆発する缶詰:SURSTROMMING(シュールストローミング)

それは異臭であり悪臭であり、まさにたとえようのない腐臭の激臭!
郷に入れば郷に従えで、たいていのことはチャレンジしてみる私も、これだけはそのゆとりさえなかった。
この匂いを嗅いで食欲を増すというスウェーデン人の気が知れない。
日本人の納豆と同じで、匂いが好きというより、匂いは気にならないということなのかも。

「初めて納豆の匂いをかいだときは、何日もはいた靴下の匂いかと思った…」
とは、カナダ人の友だちの談。
一応、「うんうん、ふーん」と聴いていたけど、
その靴下の匂いって…
それを想像するのがこわかった

もちろん、シュールストローミングは、すべてのスウェーデン人が好むわけではなく、私の友人らを見ている限り、好みはほぼ半々に分かれている。ただし、はっきりと!

食べ方はサンドイッチ方式。クネッケ(堅パン)にバターを塗り、スライスした茹でジャガイモやタマネギを載せたところに、件のニシンを載せる。そしてクネッケで再びはさんで食べる。

私は、あまりの激臭、腐臭に、それを口に入れる勇気が無かった。
今思うと残念だ。やはりチャレンジすべきだったなぁ…

それにしても、SURSTROMMING嫌いのスウェーデン人たちが、「発酵」ではなく、しきりに「腐ってる!!」と連呼していたのが可笑しかった。

ただ、そう言いながらも表情は終始笑顔。母国を離れて暮らす友人らが、ひととき故郷を懐かしんでいる姿は、見ていてなんだか心温まるものがあリ…

それから、スウェーデンの旅で思い出すのは、リンゴンというベリー系の赤いジャム。現地のスーパーでは、2Lほどの大きな容器で売っているのもあった。スウェーデンの家庭料理、ミートボールや肉のソテーにつけて食べる。もちろん、パンケーキにも。

家庭料理には、他にピッテパンナもある。余り野菜やソーセージなどをさいの目に切っていため合わせる一品。この前ウチに来たDくんは、
「ピッテパンナは料理じゃない! 切って炒めるだけ」
と言ってた。ごもっとも。

それからリコリス(リキュルス)という甘草の成分が入った、細長いチューブ状の菓子。甘くて塩辛い不思議な味。日本人でアレが好きという人はめったにいないみたい。私は好きです。


ディルにマメスープの日のこと。IDカードを提示しないと買い物できない”システムボラーゲット”という国営酒店、そしてデンマークへのビールの買出しツアー・・・。話せばきりも無い。

ヨーテボリ大学に日本語学科があり、その日本人助手として行こうかと検討していた時期もあり、実は私は大の北欧贔屓なのデス。

最後に、ブラディ・プディング ↓
これは食べました! 
レバーの苦手な私もチャレンジ







スウェーデン その⑦
スウェーデン人の食べる、変なもの。
それは、なんと言っても恐怖の缶詰SURSTROMMINGに違いない。

これは簡単に言えば、ニシンの缶詰なのだけれど・・。

ここで少しニシンについて話しておこう。

北欧の人々はニシンをよく食べる。スウェーデンに限らず、デンマークやノルウェイでも同じだ。今でこそ食物事情も豊かになったけれども、もともとは寒い北国。自給自足できる食べ物の種類が限られている中で、ニシンは栄養に富み、しかも豊富に捕れるということで、はるか昔から主要な食べ物の一つだったようだ。

1年中食べるために、塩や酢で漬けて瓶詰めなどにされる。

私がスーパーで見た限りでは、デンマークでもスウェーデンでも、日本の「三杯酢」のような味付けを基本に、カレー風味、香草風味、唐辛子入りなど、いろんなタイプがあった。
このニシンの酢漬けは、初めを強めに言う感じでスィル/sill

ここで、恐怖の缶詰に話を戻そう。
あれは、東京でのある日。私は、翻訳家:C、某放送局のアナウンサー:J、日本人の夫を持つM、日本人の妻を持つAなどと、のどかなランチタイムをすごしていた。

だれからともなく各国の「ひどい食べ物」の話になり、ここはお決まりで、日本の納豆、中国のシャンツァイ、タイのナンプラーなどを皮切りに話は進み、ついに先ほどの缶詰にたどり着いた。

当時私は、ソレについてまったく知識を持ち合わせていなかった。ただ、その缶詰の名がAから出たとたんに繰り広げられた、居合わせたスウェーデン人すべてによる、歓喜と恐怖の入り混じったただならぬ反応・・。

むむ、、これは何なんだ?

その家の主が「実はアレが今あるんだ」と小さな声で切り出すと、たちまち
「開けよう!!」
「いやだー!!」
の大合唱。

日本のクサヤふな鮨を見たことも食べたこともないので、くらべようがないけれど…

それはそれは世にも恐ろしい匂いだったとさ 

*この超発酵缶詰の実態を見たい方のための映像をご用意しました。スタートして5秒後ぐらいの開缶の瞬間にご注目
 
スウェーデン編 その⑥ ヘンなもの編 
ついでに、これも見つけました。
これは、牛乳。でもちょっと酸味がある。
ヨーグルトっぽいけど、牛乳に近い。

北欧のスーパーに行くと乳製品のラインナップの豊かさに
驚く。
クリーム(生クリーム)の乳脂肪分の濃さも段階がすごくたくさんある。
彼らは、料理やお菓子の用途に合わせて使いこなしている。

逆に、彼らが日本のスーパーに来て、そのバラエティに驚くだろうモノは
間違いなく、味噌や醤油、だと思う。

私がよく出歩いていたころは、
醤油の代名詞が”キッコーマン”だった。

さてさて…この写真
”Onaka” でしょ?
穏(おだやか)という漢字が添えてある。




でも、当時私が見たデザインは これ↓ 
ネット検索すごいなぁ。
うん、なつかしいです。
タグ: 海外体験
スウェーデン その⑤
スウェーデンに滞在中目にした変なものは、
まず“Geisha(げいしゃ)”というチョコレートバー、
そして“Onaka(おなか)”という牛乳。

ある日、
スウェーデンのどこにでもあるスーパーの一つに入って、
私の友人はそれらを指差し、

「ほら、あれ日本語でしょ?」
とにこやかに言った。

そしてますますにこやかに、
「あれはどういう意味なの?」。

私にしてみれば、
「何それ!」である。

だれがいつそんな商品名を思いついたのだろう!?
ばかばかしいネーミングだ・・。
でもそれを決める会議に、日本人がいなかったのは明らかだ。
(と思いたい!)

場違いなところにあてがわれてしまう言葉の哀しさ、可笑しさ・・。
今でも Geisha や Onaka は売られているのだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・

ああ、まだあるみたいです!
ネット検索したら、すぐヒット!
ひぇ~♪






タグ: 海外体験
スウェーデン その④
ところで、スウェーデン語の響きは心地よいものだ。初めてそれを聞いたときには、「歌を歌っている」みたいな言葉だと感じ、その後も、意味を理解できないのに、音楽のように聴き入ってしまう瞬間さえあった。

それにしても、カリナのスウェーデン語は完璧だった。言語は生まれ育った場所の”音”に馴染み使えるようになる。これは脳の仕組みの話になるけれども本当におもしろい。

カリナが私の話す韓国語をちょっとまねして言ってくれたけれど、舌をかみそうになって苦笑してた。
これは、だいたい先生役の私がなってないからしかたがないけれど^^;

ところで、少しばかりスウェーデン語を学んだ時期があるものの、今ではあいさつ程度しか覚えていない私が、マスターしたいと考えている発音、それは
イェテポリ式の数字の“7”。

その発音の難しさを「ストックホルム人は、僕らのようにはできないね!」なんて、イェーテポリの彼らは、おもしろがって話す。

私たちも
「今日は暑いな~ かぁなーんな~」
なんて京都弁や
「ほんなこと言うたかて…」
なんて大阪弁なかなか同じようにはしゃべれない!
それと同じ。

イェーテポリの“7”の発音は、のどの奥の高い位置から、すぼめた口先に素早く息を吹き出しながら発音するのだが、なにしろ難しい。友人から度重なる特訓を受けたのに、私はついに成果をあげることができずじまいだった・・。

さあ、今年もホストファミリーの受け入れが間近。
スウェーデンの学生が半月後には我が家にやってくる。どこの出身かなぁ…

もし、イェーテポリからの学生だったら、7 を特訓してもらおうと思う




乳幼児には、彼らが置かれた環境で話されている言語を獲得する能力が備わっている。それを完璧に習得し得る機能が人体にはデザインされている。すごいことだなぁと思う。純然たる韓国人のDNAを持つカリナを見ても、それは明らかだ。神秘だなぁ・・。

言葉はそこで生きていくための術だから、後天的に習得されなければ意味を成さない。

最近、国際結婚が増えている。例えば、ドイツ人(父)と日本人(母)を親に持つ子どもの場合、3ヶ国語を習得していくケースもある。父親はドイツ語で子どもに話し、母親は日本語で話しかける、3人の時には英語を使うことにしよう、というルールで暮らす家庭も少なくないからだ。

こういったケースでは、子どもが話し始める時期は、一つの言語だけで育つ場合よりもかなり遅れるといわれている。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事で英語を教えていますが、日本人にとっては日本語力がとても大事だと思っています。その上での英語の力。

そしてもちろん、
郡上に住む私たちにとっては、郡上弁、宝です。
発音は”直伝”です。おじいちゃん、おばあちゃんからいっぱい聞いて伝承しましょう

スウェーデン編 その③
カリナは、自分の車に私を乗せて10分ほど走り、彼女の家に連れて行った。

私たちは、カリナの淹れてくれた紅茶を飲みながら、少し落ち着いた気分でお互いのことを尋ねあった。例えば、どんなことが好きか、どんな勉強をしてきたか、仕事はどうかなど。
 
しばらくすると、「一緒に何か作って食べようよ」と彼女は言いだし、私たちはふたりでキッチンに入って、簡単なお昼ご飯を作ることにした。「何かいいものあるといいんだけどなぁ」と冷蔵庫を覗きこんで、照れくさそうにあれこれと取り出していたときの彼女の顔。今でも鮮明に覚えている。
 
カリナ:「パンは白? ブラウン?」
 私:「ブラウンが好き。軽くトーストするとおいしいよね?」
カリナ:「うん、私もそれが好き!」

なんて話しながら準備は進み、15分ぐらい後には、テーブルにサーモンやクリームチーズなどを使ったオープンサンドイッチ、それに簡単なサラダとコーヒーが並んでいた。

 今思うと、あれが初対面だったというのに、あのときの私たちは、知り合って何年も経つ友達のようだった。

あの日、彼女の韓国への純粋な思慕に、私はすーっと寄り添うように共感した。
そして、近い将来韓国に行ってみたいと熱く語るカリナにせがまれて、ほんの片言の朝鮮語を披露する羽目になったんだった。

「私の発音は下手なんだからね!」と前置きした後で私は、知っている限りの言葉を例にとりながら、けっこう一生懸命に、日本語との違いについても話した。

あとは、ソウルでの経験談。私がソウルで会った20代前半くらいの人たちは漢字を読めなかった。私が紙に書いて見せながら訊いたのは「市庁舎」というソウルの中心にある地下鉄の駅名だった。

彼らは「漢字は使わないし読めない。わかるのはハングル文字だけだ」と言った(のだと思う。なにしろ片言の英語の混じった朝鮮語だったので正確には理解できなかった)。

それから、気候や食べ物、サムルノリという韓国伝統の演奏と踊りについてなど。思いつくままに、訊かれるままに。

彼女は今、どこに暮らしているのだろう。その後韓国には行けたのだろうか・・。
タグ: 海外体験
スウェーデン編 その②

スウェーデン編 その②

ヨーテボリ近郊のクングエルブ滞在中のある日。
 私は、スーパーマーケットへ何か買いだしに行こうと、ひとり歩いていた。そこは人口の少ない小さな街。子どもたちは学校、大半の大人は仕事場にいるので、日中の街中はひっそりとしていた。
 
そのとき、道の向こうを歩いていた中年女性2人が近づいてきて、メモ用紙を見せながら何かスウェーデン語で話しかけてきたのだ。明るいパステルカラーを上品に着こなし、仲の良い友達同士といった風情。どうやらある場所への行き方を訊いているのだが…!

そこで私は、間をみはからって”ヤーク  インテ  トーラ  スヴェンスカ”と言ってみた。まちがいなくひどい発音。相手が言語として受け取ってくれたかもあやしい…。一応、スウェーデン語で「私はスウェーデン語を話しません」という意味になるはずなのだが…。
できるだけ感じの良い響きになるように祈りつつ言ってみた。

すると彼女たちは、申し訳なさそうに顔を見合わせながら、今度は英語で「あなたがスウェーデン人かと思って…」なんて言うではないか! これにはびっくり! すごく驚かされた。 
たしかにそこは観光客など足を運びそうもない小さな町だけれど…。私は我が耳を疑い、この純然たる東洋顔の私になぜ!? と一気に疑問が爆発した。

そこで、なぜそう思われたのですかと訊くと
「韓国から里子がよく迎えられた時期があったものだから」
さらに
「もしあなたがそういう背景の人なら、外見が東洋の顔立ちでもスウェーデン人に違いないのだから、スウェーデン語で話さないと失礼だと思ったのよ」
とにこやかに言うのだ。

確かに、民族としてのアイデンティティと国籍というのが一致しないケースはざらにあるということを実感していた時期ではあった。
でも…
う~む!!

と心の中で私はうなった。何かこの国の民族性に触れたような気がした一幕だった。

スウェーデン人の友だちが何人もいて、スウェーデン社会研究所というところの勉強会にも出ていた時期もあり、私なりのスウェーデン(人)観というものがあるのだけど、このときの体験はすごくインパクトがあった。

そしてその後まもなく、私は、この話を裏づけるかのような出会いをしたのだ。ストックホルムで出会った同世代の女の子。韓国で生まれて間もなくスウェーデンに連れてこられ、スウェーデン人の里親に引き取られたという女性だった。

彼女は外見はまったくの韓国人。ところが、彼女の話す完璧なスウェーデン語といったら!


 

タグ: 海外体験
スウェーデン編 その①
この時期になると、5月の末から1ヶ月あまりを過ごした北欧の初夏を思い出します。友人たちをデンマーク、スウェーデン、チェコに訪ね、ドイツとノルウェイにも足を伸ばし2ヶ月近く過ごしました。

中でも、スウェーデンで体験した夏至祭(ミッドサマー)は素晴らしかったなぁ。それももう20年近くも前のことだなんて(しみじみ)。

そのお祭りは、6月24日にいちばん近い金曜日をミッドサマー・イヴと定めて、毎年行われているものです。北欧の人々は、短い夏を大歓迎し盛大に祝うのです。

その年は、例年になく猛暑とのことで、国中が賑やかに盛り上がっていました。(朝夕の涼しさは、私には春というよりも秋の気配にさえ感じられた日もあったのですが)

私は友達に伴われて、友達の家のあるスウェーデン第2の都市ヨーテポリから北上して、伝統文化が色濃く残されているダーラナ地方へ向かいました。友達のお父さんがそこでテーマパークを経営しており、そこを拠点に1週間滞在する予定で。

夏至祭には、見事な民族衣装に彩られた人々がたくさんいました。その衣装のままボート競技をしたり、バイオリンの音色に合わせてダンスをしたり。そして、玄関ドアの両脇や車にはビヨルク(白樺)の一種?が飾られていました。まるでお正月の注連飾りだなと感じたものです。

そこここの広場中央に立てられたメイ・ポール。これが夏至祭のシンボルです。日中たくさんの人々が、幾重にも連なってこの周りを踊って回り、夕方になると引き倒される慣わしです。ゆっくりと倒れていくメイ・ポール。これがお祭りの終わり。名残を惜しむ気持ちが、見守る観衆からいっぱいにあふれるときです。
でも、その後はパーティ。私も、友達の友人宅の集まりに加わり、白夜の長い夜を戸外で過ごしたのでした。ちなみにスウェーデン語で乾杯は「スコール」です。たくさんビールを飲みました。

スウェーデンでは酒屋が国営。国民が皆”アイデンティティカード”を持っているのですが、それをレジで提示しないとお酒を売ってくれません。未成年者はもちろん買えない、アルコールに問題ありの人のカードにはその旨がデータインプットされているのでお酒を買えないというシステムになっているそうです。

私が行った当時は、デンマーク寄りに住んでいるスウェーデン人の友だち、国境越えてデンマークまでお酒の買出しに行ってたなぁ…いや、あれは何かの用事のついでにお酒を買っていただけかな。。

六本木の芋洗坂(東京)にリラ・ダーラナという名前のレストランがあります。その名前は「小さなダーラナ」という意味で、おいしいスウェーデンの家庭料理を味わえるお気に入りの店でした。
今でもあるかなぁ。。
タグ: 海外体験
タイ編 その⑦

ティックとの再会は、その数ヵ月後の5月に果たされた。バンコクから帰国するときに、リターンチケット(バンコク→東京→バンコク)で日本へ戻ったので、ヨーロッパへ行くためにまたバンコクを経由することにしたのだ。

この滞在中、私はまず、前回お世話になった“謎の中国系タイ人女性”にお礼の品を渡したかった。彼女は寡黙なタイプなので、自分で会いに行くには敷居が高くて、ティックに預けてしまったけれど。自分でいくべきだったなぁ…

ネットcafeケイタイもなかったあの頃。
私とティックは、バンコクと東京間で手紙をやり取りした。いっしょうけんめい辞書で調べて話題を考えて文字を綴った。バンコクへ着いてからは、ティックの会社に公衆電話から電話をして待ち合わせのための連絡をとった。

このときの滞在で、ティックは、会社のお休みの日に、私を自分の家へ連れて行ってくれた。やはりあの女性の家には間借りをしていたようだった。
バンコク市内のバスターミナルから、エアコン付の高速バスで2時間ほどだったと思う。私たちは9時過ぎに出発し、お昼前には小さな農村にいた。

バス停から彼女の家へ向かう途上には、美容院あり雑貨屋さんありで、ティックは顔見知りらしい人たちに声をかけられ、自分もあいさつを返しといった具合で、実に和やかな雰囲気だった。

残念ながら彼女の故郷がなんという名前なのか覚えていない。ガイドブックの1冊も買って、地図に書き込んでおくのだった。ちゃんと聞いておけばよかったと思う。

ティックの家は、大きな農家だった。ちょうど生姜の収穫の真っ最中で、手を休めず生姜を地面から引き抜いているお母さんに、ティックが早口のタイ語で何か言った。私を紹介してくれたのだろうと思い、笑顔で「サワディ カーッ(タイ語でこんにちは)」と言ってみた。細身のティックと違って、お母さんは貫禄たっぷり。見るからに働き者という様子の彼女は、私のタイ語に人なつっこい笑顔を向けてくれた。

向こうで収穫されたばかりの生姜の土を、ゴムホースからほとばしる水で洗い流しているのが「My brother」と教えてから、ティックは私を食堂へ案内した。

食堂は吹き抜けで天井は高く、大きなファンがゆったりと回っていた。テーブルの上には大きなザル。その上には茹でられたそうめんのような麺が、山盛りにのせられている。その横には、食器もたくさん重ねて置いてあった。ティックは、食器に麺ツユや薬味などを手早く配して、二人分の昼食を用意した。麺はちょっと延びていたけれども、とてもおいしかった。

農繁期には、家族や近所から応援に来てくれる人たちが、交代で食事をするのだそうだ。だからこんなに大人数の分が作ってあるのだなぁと、私は納得した。

午後、私たちは村のお寺や、古いつり橋などへ行った。ティックは私にもヘルメットをかぶせ、ミニバイクの後ろに乗せて走った。土のでこぼこした道や、生い茂る木々をくぐるようにして小道を進む。彼女はバイクを快適に運転した。天気はいいし、気分は上々。今でもあの日の風を思い出せる。

その日に撮った10枚ばかりの写真が、今も私の手元に残っている。写真を撮られるのを恥ずかしがっていたティックのスナップもある。写真を撮ることを了承してもらってから撮った、収穫作業中のお兄さんとお母さんの写真も、1枚ずつある。

そして、お母さんの写真を見るといつも、私はその翌年に届いたティックからの手紙を思い出す。そこには、次のような文が記されていた。

.....please send me the photo of my mother. She passed away.....(あの母の写真を送って下さい。母は亡くなりました)
その訃報を信じられない思いで、私は写真を送った。写真の中で、ティックのお母さんは、青々と豊かな葉をつけた生姜の束を、大きな籠に詰めながら、おおらかに笑っているのに。

思わぬインドネシアでのチケットトラブルの後には、こんな出会いが繋がっていたのです。

タイ編、ここで修了です。

タグ: 海外体験
| 1 | 2 | 最初 | next>>