月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

プロフィール
∞音∞_a.k.a._風*月さん
えーさんの紹介で登録しました。
母方が郡上出身で長良川流域にとてもご縁を感じておりますので、どうぞよろしくお願いします!

キーワード:宇宙/巨石/縄文/葦船/磐座/褌/大麻/神社/旧暦/お祭り/音楽/アート/映画…

ムスブログでも以前のmixiのようにリアルタイムで日記を書きたいのですが、今はツイッター中心に書くようにしています。
【mixi】 http://id.mixi.jp/fuhgetsu
【Twitter】 http://twitter.com/fuhgetsu

現在、ブロブのほとんどは、ツイッターを日付毎にまとめてくれるツイログを元にアップしてます。
【Twilog】 http://twilog.org/fuhgetsu/asc-nomen

QRコード
アクセスカウンタ
Total:2596583
Today:1031
Yesterday:910
<<prev | 最新 | 81 | 82 | 83 | 84 | 最初 | next>>
[mixi] まわってまわり返す受胎のエネルギー 〜天下の珍祭「田縣神社の豊年祭」より
[mixi] 日記(2010年03月19日21:45)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1440874511&owner_id=4857509



2010年3月19日(金)/如月四日月

16日の新月で如月がはじまり、18日に彼岸入りしました。
この地球すべてが調和する瞬間。
北半球では21日の春分が新年となります。
春分を中心とした7日間の彼岸は、もともとこの日本でも太陽を感じるための日願でした!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16294935&comm_id=1581098


今年も3月15日(月)に行われた天下の珍祭「田縣神社の豊年祭」に行ってきました。
なぜかmixi動画が不調でアップできなかったので、今回初めてYouTubeにアップしてみました...

田縣神社の豊年祭 〜まわってまわり返す(その壱)
https://www.youtube.com/watch?v=kLjA161DP-c





 母なる大地は父なる天の恵みにより受胎する


男根を天に女陰を地に、天地を結ぶこのお祭りは、新たな生命が目覚める春のエネルギーに満ちています!

お旅所を出発したお神輿行列。
このお祭りの中で厄男たちが担う男茎形(おわせがた)は、ときおり激しく上下に揺さぶって、道中の辻という辻で止まっては回転します。
そして最後に、この男茎形が鳥居をくぐり本殿の中へ突入するさまは圧巻ですが、見えなくなった神殿内部でも回転しています。


田縣神社の豊年祭 〜まわってまわり返す(その弐)
https://www.youtube.com/watch?v=EmReKtb9lNs




このように、実はほとんどのお祭りで神輿や山車もこうやってまわってまわり返してるのがわかります...

能や巫女舞や古武術など、日本の古式の所作に見られる「まわってまわり返す」という動き。
能役者の中には、まわってまわり返すことでなにか目に見えない存在が舞台上に現れるといわれます。
左回転と右回転。
巫女はその中央に神霊を降臨させる。
左うずまきと右うずまきが合わさった銀河も、その中心では新しい星が次々と誕生しています。

春分は北半球と南半球が調和する日。
そんな新しい生命が目覚める春に先人たちが感じていたもの。
それは天と地がまぐわい受胎する瞬間の、まわってまわり返すことで生まれる陰陽和合のエネルギー。
それを古代人はちゃんと知ってて、今でも伝統のあちこちに残ってるんだと思います!!!





※田縣神社の御祭神、御歳神(みとしのかみ)は五穀豊穣の神。玉姫命(たまひめのみこと)は子宝・安産の守護神。
創建年代は弥生時代にまでさかのぼり、「母なる大地は、父なる天の恵みにより受胎する」との古代人の民族思想よりはじまり五穀豊穣・国土発展を祈ったと伝えられる。
807年に編纂された『古語拾遺ー御歳神の条』によると、その昔、大地主神(おおとこぬしのかみ)が田を作った折、牛の肉を田人に食べさせ 御歳神(みとしのかみ)の怒りに触れた。田にイナゴが大発生、沈めるために白猪や白馬などの肉と男茎形を形作って供えたと言う。
その故事に基づき男茎形(おわせがた)を奉納する俗習があり、「産むは生む」に通じて、子宝・安産の子孫繁栄、商売繁盛、恋愛成就、夫婦円満、厄よけ等々の全国の崇敬者より尊崇を受けている。




▼豊年祭に関する過去の日記
20080305 聖なる性の縄文×弥生ダイナミズム! ~尾張の2つの天下の奇祭
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=735568035&owner_id=4857509
20090317 姫の宮のセオリツヒメ ~大縣と田縣のW豊年祭にて
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1111213445&owner_id=4857509
20090320 春分の聖なる二元性 ~[地球新年] あけましておめでとうございます!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1113135755&owner_id=4857509
20090424 尾張からはじまる縄文への道 ~笑いありエロスあり陰陽和合のチャンプルー文化
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1147656863&owner_id=4857509







タグ: mixi 縄文 尾張 神社
[mixi] 芒種から夏至へ 〜田植えから「サ」と「ネ」を感じてみる
[mixi] 日記(2009年06月05日18:36)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1188101858&owner_id=4857509



2009年6月5日(金)/皐月十三夜/芒種

今日から芒種。
15日毎の二十四節気で、次は夏至となります。

うちでは明日あさっての二日間が田植えです。
大切な命(イ)の根(ネ)っこを手で植えます!!!

夕方からは近所の古民家「つくる。」にてやんばるの上映会をやってますので、みなさんにお会いできることを楽しみにしております...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1182238768&owner_id=4857509


ここからは旧暦メモ。

旧暦五月は早苗月の田植え月。
五月雨(さみだれ)となり、沖縄の小満芒種(スーマンボウスー)と入梅で、北海道を除いた日本列島すべてが梅雨に入ります。

夏至を中心に前後20日ずつの雨期。
もともと中国では物に黴(カビ)が生えやすい時期なので黴雨(ばいう)と書いていた。
それが日本では梅の実が熟す時期なので梅雨となった。

芒種の末候「梅の実黄ばむ」は梅の実が熟すころ。
田植えなどの農作業も一段落し、物が腐りやすいこの時期に梅干し作りをします。

しかし五月晴れとなればもう夏本番。
本格的な夏を前に五月の終わりに川開きをします!


5月21日(旧4月27日)小満
5月28日(旧5月5日の年中行事)端午の節句
6月5日(旧5月13日)芒種
6月11日(旧5月19日)入梅
6月16日(旧5月24日)芒種末候「梅の実黄ばむ」(6/16~6/21)
6月20日(旧5月28日の年中行事)川開き
6月21日(旧5月29日)夏至


しかし今年は閏年です。
次の新月は閏五月となり、五月が2ヶ月も続きます。


7月2日(旧閏5月10日)半夏生
7月7日(旧閏5月15日)小暑
7月19日(旧閏5月27日)土用丑の日


明けて六月の新月は、奄美、トカラ、屋久島などで皆既日食(それ以外の地域では部分日食)です!

そしてこの日は年中行事でも山開き。
閏年でなければ川開きの2~3日後となるはずが、川と山で一月も間が開いてしまいました。

土用が過ぎるとこの夏も終わり、いよいよ秋がはじまります...


7月22日(旧6月1日の年中行事)山開き
7月23日(旧6月2日)大暑
7月31日(旧6月10日)土用二の丑
8月7日(旧6月17日)立秋

以上


ちなみに前回の「小満から芒種へ ~端午の節句は女性の祭り」はこちら...
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17589



田の稲はお日さまのウルナミを、畑の作物は月のヨルナミを受けて育つ。
ウルチとは太陽(ウル)の霊(チ)。

サの神は穀霊神ですが、山の神でもあります。
山の神は女神で、イネと同じく太陽からのエネルギーを受け取って山の幸など多くの生命を育んでくれます。

しかし稲作が伝わる前のサの神は、もしかしたら天の太陽のことだったんじゃないか。
しかも一番そのエネルギーが強くなる夏至こそが「サ」だったのではと、以前の日記に書きました。
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17588


そして今、田植えの季節と夏至が重なることでなんかが見えてきました。
「サ」のエネルギーを天から受けて、命の根っこイネの「ネ」を大地に根ざす。
なんだかサルタヒコそのまんまのイメージだけど、天と地が「サ」と「ネ」だとすれば、「サ」は男性性エネルギーを、「ネ」は女性性エネルギーをあらわしてる。

これでなぜイザナミが根(ネ)の国なのかもはっきりとした。
大地にしっかりと天の御柱を立てて、天(ア)=「サ」のイザナギが火(ヒ)の左まわりで、大地(ワ)=「ネ」のイザナミが水(ミ)の右まわりでまぐわう...


伊勢の夫婦岩でも夏至祭があるのに、旧暦の中を探ってみても日本では梅雨だからか夏至に関する行事がまったく見当たらないと思ってました。
沖縄ではちょうどこのころに梅雨明け前後となり玉城から夏至の太陽が見れちゃうから、きっと縄文海進のころは金山巨石群でも梅雨明けしてたんだろうなぁ。

そんな太陽のお祭りが、あらゆる山のストーンサークルや磐座で行われていたことを思い出してワクワクしています!!!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1186273085&owner_id=4857509


...
タグ: mixi 縄文
[mixi] 夏至を前に「サ」と「ネ」について 〜縄文暦研究所によるホツマの考察
[mixi] 日記(2009年05月21日22:55)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1174009485&owner_id=4857509



前回の日記はさておき、時間がたっぷりあるので本日3本目をケータイから打ち込んでおります^^;
1本目は本2冊を読み漁った後のまとめだったんですが、
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17589

今回はまったく根拠のない縄文暦へと展開していきます...


ホツマの暦による3つの要素とは、

 キツヲサネ=五臓
 アミヤシナウ=六腑
 ヱト=兄弟(姉妹)、干支

これが陰陽五行や六十干支の源流になったのではと思うくらいですが、ここでお断りしておくと私はまだホツマを理解しているわけではありません。
まったくといっていいほど感覚だけを頼りにしてるので、まだまだ人に伝えるほどではないのですが、

 キツヲサネとは四方と中なり

この中で一番気になっているフレーズ「キツヲサネ」について自分なりに書いてみることにします。

  キ=東
  ツ=西
  ヲ=中
  サ=南
  ネ=北

キツヲサネとは「東西中南北」の五方位を意味するというわけです...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=806148554&owner_id=4857509


前置きが大変長くなりましたが、ここからは「サ」と「ネ」についてちょっくら考察してみることにします。
言霊というのもあるのでしょうが、その手の知識は疎いのでそういったこともあるという前提で進めていきます^^;
つまり縄文はほとんどダジャレである、ということですね(笑)

まず、サは南でネが北となるということについて垂直方向に考えてみます。
大陸的感覚でいうと北は天の北極星を指し、南は真下となる。
しかし縄文ヤポネシア的感覚では真逆となり、もしかしたらサは天の太陽を指しネはその反対である地面を指すのではないかという直感が...


サといえば「サの神」がすぐに思い出されます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1120545621&owner_id=4857509

サの神は稲穂の穀霊である田の神でもある。
確信犯的な存在としていうなら、あのギラギラとした太陽神サルタヒコの「サ」。
サの田のヒコ神です!
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=9174
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883539102&owner_id=4857509

サの神は山から里へ、里から田んぼへと一年を通して循環する存在ですが、最も存在が強まるのが「サツキ」である五月だということ。
旧暦では必ず五月に夏至が入るように定められています。
そのことを逆手に取れば、旧暦以前から存在した縄文暦が見えてくるはず。
太陽の南中高度が最も高くなるの夏至こそが「サ」そのものであると感じています。

ということは「ネ」が冬至であることを証明しなければなりません。
ネには北を意味する十二支の「子」として定着しています。
大陸的感覚の十二支では、暦も時間も方位も真北を表す子が最初にきます。
これは大陸、とりわけ古代中国において、暦のスタートを冬至にしていたのだから当然のこと。
旧暦では必ず十一月に冬至が入るように定められています。
つまり、月の十二支のスタートである十一月が「子の月」となるわけです...
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13350029&comm_id=1581098

ところで、真北の子は「シ」と発音するので「ネ」は縄文語だと思います。
真南の午は「ゴ」と発音しますが馬を意味しているだけでけっして「サ」とはいいません。
ではなぜ子だけネなのか。
それはたまたま古代中国で子にネズミが当てはめられ、そのネズミがたまたま縄文語だっただけのことだと思います。

そのネとは根の国の「ネ」。
縄文列島ヤポネシアにおいて「ネ」とは真下にある地面であり、彼の世につながります。
暗がりのネの隅、あるいはネに住んでるからネズミなんじゃないかなと...


といったところで、縄文暦では夏至の月が「サの月」であり冬至の月が「ネの月」だったというところで今回はおしまいにしたいと思います。
続きはまた思いつきで書くかもしれませんが、気まぐれによるまったくのお遊びです^^

とりあえず、秘かに縄文暦研究所が設立されたことを報告しつつ...




...
タグ: mixi 縄文
[mixi] 小満から芒種へ 〜端午の節句は女性の祭り
[mixi] 日記(2009年05月21日01:14)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1173244223&owner_id=4857509



2009年5月21日(木)/卯月廿七夜/小満

小満とは、麦の穂がだんだんと満たされて膨らんでいく様子。
麦秋の実りを迎え黄金色に輝いてます。
沖縄ではこの二十四節気の次である芒種までが梅雨となるため、この時期の雨を小満芒種と呼ぶそうです。
芒種は旧暦五月の田植えの合図。
端午の節句はそのための神事でした...
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17591

日本の風習は実に様々な文化の結晶として、重層化しながら今に伝わっているのが面白いですね。
端午の節句も鯉のぼり、ちまき、菖蒲湯、鎧兜の五月飾りがセットとなって広まったのは江戸時代から。
奈良平安時代の公家社会へ伝わりはじめたその源流を辿れば、はるか紀元前の中国大陸となる。
ときは戦国時代、秦が全盛を極めていたころの話。
楚の国の英雄であった屈原は『楚辞』を書いた憂国詩人でもあったが、陰謀により追いつめられ長江に身を投じ非業の死を遂げた。
その淵に住んでいた大きな鯉が亡骸をくわえ、故郷のある上流まで遡って届けたという故事がある。
その命日が五月五日であり、楚の国の人々は供物としてのお米を竹筒に入れたり、茅、栴壇、笹、菰、葦、菖蒲など神聖で魔除けとなる植物で包んだりして川に投げ込むという風習となった。
また、この命日にちなんで中国南部では舟競渡が行われた。
競渡は白龍(ペーロン)とも呼ばれ、見投げした屈原を救うため速く舟を漕ぐことを競っているのです。
現在でも香港や長崎で盛大に行われていますね。

五月は午月であり、陰陽道で忌みつつしむ悪月。
古代中国にはじまる端午とは初めの午という意味ですが、重日思想の漢代以後に午が五に通じるため五月五日となった。
ということで、午月午日は悪月の極日として祓えの日とされました。
旧暦では五月に必ず夏至が入る仕組みになっていますが、日本列島ではこの月が梅雨の真っ最中となり、ものが腐りやすく病気が蔓延しやすい忌み月でした。
そして五月は早苗月とも呼ばれる田植え月。
庶民にとっての端午の節句は、サの月の田植えに来臨する田の神を迎える祓えの日でした。
五月忌みとか女の家とか葺き籠りといって、豊穣を祈る早乙女が巫女となり、女が家にこもって汚れを祓い身を清め、斎み暮らす日だったのです。
実のところ村社会が与えた女性への気遣いであり、神事というより食事やおしゃべりの時間として、田植え前の女性がワイワイガヤガヤ集まっての休息日でありハレの日だったという方が案外近いのかもしれません...


...

※追記

今年の端午の節句は来週の5月28日(木)です。
芒種は15日後となる6月5日(金)なので、今年のうちの田植えは土日となる6~7日です!

ちなみに、鯉のぼりにお母さんが居ないのは知ってますか?
歌を唄ってみるとわかります。
その日は忌みこもっていたから、お母さんが不在だったことを象徴していたんだと思います。
だけど田植えのときも見えるように屋根より高くして、家族が応援している姿を眺めていたのかもしれませんね...


サクラの「サ」のお話
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1120545621&owner_id=4857509


...
タグ: mixi 縄文
[mixi] 員弁の猪名部とは 〜伊勢忌部の天叢雲剣と織田信長の神剣
[mixi] 日記(2009年03月25日02:22)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1118242189&owner_id=4857509



2009年3月24日(火)/如月廿八夜(春社)


今日は春の社日、春社でした。
社日とは、生まれた土地の守護神である産土神をお参りする日です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23160558&comm_id=1110372

この日はたまたま、仕事で三重県の員弁(いなべ)を訪れていた。
以前から気になる言霊だった「いなべ」の地名。
その土地を感じながら、ふと、忌部(いんべ)氏とも関係あるんじゃないかと勘ぐってみたのだった...



中臣氏(後の藤原氏)とともに古代日本の宮中祭祀を司っていた忌部氏。
四国には讃岐忌部のほか、麻や玉作りなど大和建国にも関わるという阿波忌部が千葉房総の安房(あわ)へ移ったり。

この地にも天目一箇神を祖とする伊勢忌部がある。
天目一箇神は神話に登場する鍛冶神であるが、さらに伊勢志摩の伝承では天叢雲剣(草薙の剣)を作った神とされている。
さらにこの地ではダイダラボッチと同神であり、一目連という暴風雨の神という性格も併せ持っている。
例えば、三重県桑名の多度大社内にある一目連神社に祀られているご神体は蛇であり、なぜか龍神信仰とも習合している。
こうした信仰は志摩から桑名にかけて残っている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=894873837&owner_id=4857509



桑名の北にある員弁(いなべ市と員弁郡)は三重県最北端で、岐阜県最南端の海津市に接する。
調べてみると、やはり忌部氏由来の地名だとわかった。

猪名部神社の祭神は伊香我色男命で、この地における猪名部氏の祖とされている。
境内は猪名部氏の古墳群が散在しており、社殿は前方後円墳の上に建っている。
猪名部氏は法隆寺、東大寺、石山寺などの建立に携わり、宮中に仕えた名工として日本書紀にも登場する。
なんと世界最大の木工建築物である東大寺は、猪名部百世が大工(棟梁)として総指揮をとり、飛騨の匠の益田縄手が少工(副棟梁)として完成したのだった。

ところでてっきり祭神は天目一箇神だと思っていたが、伊香我色男といえば饒速日の6世孫でなぜか多くの氏族の祖神とされており、香香背男の別名という説もあるので気になる祭神である。
となると、桑名の伊勢忌部との関係がありそうでなさそうな員弁の猪名部氏。
はたしてどうなのかよくわからない。
近くには天白神社やカモ神社も目立つ。
麻生や丹生川や藤原の地名まである。
背後に藤原岳がそびえ立ち、鈴鹿山脈から養老山脈でつながって伊吹山で倒れた日本武尊や美濃一宮南宮大社の金山彦とも関係してきそう。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=828844775&owner_id=4857509

もう一度ゆっくり訪れてみたい魅力的な土地だ...



それから直接は関係はないが、織田信長も実は忌部氏出身だということはあまり知られてない。
尾張織田家は越前の織田剣神社の神官がルーツで、地元では忌部氏の出自とされていたようだ。
そもそも、古くからの神職ということで中臣氏か忌部氏の可能性が高い。
ところが藤原姓を名乗っていた織田家が越前から移り、やがて尾張を制した信長は天下統一のために自ら平姓を名乗ったという。
織田家が仮に忌部氏出身だったとして、表に出さずとも桑名や員弁にいた忌部氏を頼って清洲(清須)に入った、あるいは因につながっていた可能性もあるのではないか。

そしてここにも忌部と剣が関わってくる。
剣神社のご神体は、なんと蝦夷討伐を果たした五十瓊敷入彦の神剣なのだ。
大和の武器庫だった石上神宮や物部とも関係の深い五十瓊敷入彦は美濃国(岐阜市)伊奈波神社の祭神で、こちらの地元では東北蝦夷と同じ大和の鬼門である稲葉山(金華山)に神剣を隠したという伝承が残っている。
このことを当の信長も知らなかったわけがないと思うが、美濃と越前の関係がなんとも因縁深く感じる。

ちなみに剣神社の祭神は素盞鳴尊で、信長が津島天王社(現在の津島神社)の牛頭天王を崇敬したのも関係があると思う。
古事記にある天岩戸隠れでは、タヂカラオがアマテラスの手を執って引き出すと同時に忌部氏の祖神であるフトタマ(布刀玉命)が注連縄をその後ろに引渡したので戻ることができず、天上界も地上も平常に復した。
スサノオはこの一件で手足の爪を剥がれ髭を切られ出雲の国に追放されたあと、八岐大蛇を退治し天叢雲剣を手に入れた。

ここにも歴史のいたずらか、目に見えない力が働いたようです。
信長は稲葉山城を攻め落とすため各務原に入り、周辺の神社仏閣を焼き払いながら那加にある手力雄神社に迫りました。
しかしそのときこの荒々しい神の姿を見て畏れひれ伏し、稲葉山城主になってからも崇敬神社として武運長久を願ったという。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=775771366&owner_id=4857509





という感じで、この先どうつながっていくのかワクワクしています...




追記(2009/3/27)


猪名部神社の例祭には、多度大社と同じ上げ馬神事があります。
さらに員弁が忌部氏由来の地名であるという記述をあちこちで見たことがきっかけとなり、この日記を一気に書き上げてみました。
しかしその根拠となるような伊勢忌部と猪名部の関係はなかなか見えてきませんでした。
ここからは猪名部氏と忌部氏を一旦切り離して考えることにしてみます...


『青銅の神の足跡』(谷川健一著)によると、猪名部は物部氏の伴部だったことがわかりました。
伊勢国朝明郡布奈木郷(現在の四日市市)の耳常神社は舟木明神と呼ばれていた。伊勢の舟木直の祀る神社で、即ち船木氏が居ました。
この朝明郡の一部を割譲して伊勢国員弁郡を設け、ここには物部氏の伴部の猪名部の居住地であり、猪名部神社もいくつか鎮座しています。造船用の材木を切り出す船木氏と造船の猪名部氏が隣り合わせに居住している事例です。

現在の地形を見ても、員弁川の上流側に猪名部氏、下流側に船木氏が水運でしっかりつながっていたことがよくわかります。


『先代旧事本紀』に饒速日尊が五部人を副へ従と為して天降り供へ奉るとあり、その中に物部造等の祖は天津麻良とあります。
そして、為奈部等の祖は天津赤占であると。
さらに『新選姓氏録』によると、猪名部造は伊香我色男命之後也とあります。

『日本書紀』の応神条に、新羅王が派遣した工匠が猪名部らの先祖になったことが詳しく書かれています。
新羅の国から船を焼いた代償として送られてきた帰化人の子孫で、建築・造船など非常に木工技術が優れていたと。

もしかすると朝鮮半島との交渉拠点であった伊丹など、大阪から兵庫をまたぐ猪名川流域が拠点だったのかもしれません。
猪名川は上流域で大阪箕面山から流れる箕面川と合流します。
その箕面には、なんと為那都比古神社があることがわかりました。

祭神は天津赤占か伊香我色男命なのではないかと思いましたが、為那都比古大神と為那都比売大神の男女二神でした...


また、天白神の天白とは、太一(北極星)=天照大神=大日如来、太白(金星)=素戔嗚尊=虚空蔵菩薩の総称であるとされてます。
海の守り神である市杵島姫を天白神と同一神としたり、養蚕の神、織物の神でもあります。
この地方では川を鎮めるともいわれ川の神や龍神として祀られておりますが、もともとあった瀬織津姫の信仰と習合したものと思われます。

しかしその一方で、斎部氏の祖先に天白羽鳥命の名を見ることができ、員弁周辺の天白信仰が忌部氏と関係あると見ることもできますね。





[mixi] 太陽とシリウスの伊勢志摩巡礼★総集編 〜888スバイラル直前☆七夕スペシャル
[mixi] 日記(2008年08月07日22:48)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=894873837&owner_id=4857509



2008年8月7日(木)/文月七日月(立秋+七夕)

昨日は節分で土用が終わり、今日の太陽は立秋、月は七夕となった。
春分から3/8年、立春の正月から半年経ったふり返りと新しい始まり。
そして、棚機つ女のタナバタ祭り。
その祭りに使った飾り竹や七夕舟を川に流すのが七夕送り。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21907452&comm_id=1110372

七夕送りの一環で、体の中に住み着いた睡魔を神に託して送り流してもらう「眠り流し」が青森のねぶた祭り。
ネブタより、弘前の縄文っぽいP音な「ネプタ」の響きの方が好きです。
夏越祓えなど夏祭りすべてに共通しますが、このお祭りからも火と水の調和を感じます...


宇宙とつながる私たちに天体の動きがどう影響してるのか、今日がいったい何の日でどんな意味を持つのか、まだまだ私には知るよしもありません。
でも、ここ最近の出来事やキーワードから自分自身を振り返り、感じたことを思いつくまま気ままに、訪れた土地と歴史、時間と空間、天体と内観する宇宙を行ったり来たりしてみよう!!!



8月7日は7月7日で、明日は888の日。
この2日間はいろんなところにエナジーが溢れて盛り上がっていますね~♪

例えば、近場で行けそうで行けないんだけど...

7~8日は三河でち~こさんのワークショップ!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=33115834&comm_id=217035
8日は名古屋でどんと祭り!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=33351249&comm_id=2195265


他にもいろいろ気になる動きがあちこちでいっぱいあるけど、挙げたらキリがありません^^;

そんな中でも、気になる極めつけは四国の盛り上がりぶり!
7月のヒライアカル・ライジングから8月いっぱい、クマ球磨さんの...

四国環境巡礼88
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3416253
http://mixi.jp/view_event.pl?id=31106970&comm_id=1134296


8月8日8時8分8秒


この瞬間にいったい何が起きるっていうのか~???
ワっクワクっドっキドキで注目していま~す@@@

とにかく、なんだかすごい1日となりそうな予感。
褌の紐〆直して、その瞬間を迎えたいです!!!



とまぁ、前置きはこれくらいにしてここからやっと本題です(笑)

ヒライアカル・ライジング(heliacal rising)とは、太陽に次ぐ明るさを持つ恒星シリウスが、父なる太陽と同時に東の空へ昇ること。
このときナイル川の水位が上昇を開始します。



      

冠水した大河は氾濫し、やがて肥沃な大地として潤います。

          

             

          

この水位変動を基に1年を365日と定めたエジプト暦。
そのシリウス(ソティス)周期は1460年です...
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14359625&comm_id=1110372

当時のエジプトではシリウスのことをソティス星と呼んでいました。
英語では「Dog Star」、中国では「天狼」と呼ばれ、星座ではおおいぬ座の鼻先にあります。



               

アジアでは昨日までが夏土用でした。
この土用を英語では「dog days」といい、盛夏を意味します。
もちろんシリウスに関係してて、犬星が太陽と共に出没する7月3日頃~8月11日頃をさしています。
だからちょうどヒライアカル・ライジングの時期とも重なるわけです。

もともとシリウスは、ギリシャ語で「焼き焦がすもの」という意味なんです。
現在は青白く輝いていますが、バビロンの粘土板をはじめ古代ギリシャやローマでも、シリウスは「赤い星」だったことを伝えています。
天を焼き焦がすという尾張富士の火振りもそうだけど、青森のネブタ祭りも本質は火祭りにあったり、時期的にも関係してそうで気になります...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=891563592&owner_id=4857509


エジプト暦の第1の月はトト月。
太陽を先導する犬星シリウスは、神格を帯びた犬神となります。
古代エジプトのトト神(トート神)はもともと犬頭でヒヒ姿でした。
時代や王朝と共に、その姿をヒヒの頭やトキの頭へと変容していきます。

                                   

古代のエジプト文明は、ちょうど日本の縄文時代と同じ時期。
東の果ての古代文明、縄文の太陽信仰とつながっていたとしてもおかしくありません。

天孫を先導した太陽神サルタヒコ。
赤ら顔のその容姿からも、赤い輝きのシリウス(焼き焦がすもの)やトト神の姿となんだか重なって見え、私の中ではつながった感じがしています。



伊勢の海人族が奉祀したサルタヒコは、なぜかその海で比良夫貝に挟まれ溺れ死にました...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883539102&owner_id=4857509


ギリシアの聖人クリストフォロスは犬頭の巨人。
犬神キュクロプスは一つ目の巨人。
犬星は太陽の横で輝く一つ目のような星。

 

そのキュクロプスは、ギリシャ神話の雷と鍛冶を扱う神様。
英語読みでサイクロプス。
サイクロンの語源です。
台風とか、凄まじく吹き荒れる風のイメージ。

そして、日本のダイダラボッチ(踏鞴法師)も一つ目の巨人です。
志摩ではダイダラボッチ伝説の残る大王町へ行き、大わらじを流す浜と波切神社へ足を運びました...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890847492&owner_id=4857509

志摩地方では「ダンダラボッチ」と呼ばれ、古くは「沖の一つ目」と呼ばれていました。
このダンダラボッチが祀られているという多度大社の天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が、伊勢の忌部氏の祖というのも気になります。

それから、波切神社には金山彦神も祭られています。
しかし製鉄神である金山彦は、鍛冶神である天目一箇のダイダラボッチと非常に仲の悪い神として知られています。
なぜなら天目一箇を追い出した地方の神社には、必ずといっていいほど金山彦が祀られているのです。
伊勢と多度大社から山脈沿いに北へ行くと、美濃一宮の南宮大社に金山彦が祀られています...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=828844775&owner_id=4857509


大王町には須賀という地名があります。
記紀神話ではダイダラボッチが住んでいた場所であり、スサノオが住んでいた場所ともされています。
伊勢神宮は北を向いていますが、自然とその先にある津島神社のスサノオと真清田神社のニギハヤヒ(スサノオの子)も拝んでることになります...
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=884168705&owner_id=4857509


ダイダラボッチは鉄の産地に多く伝わる伝説として、出雲を中心に日本全国に伝わっています。
その多くが、ヤマトタケルの神話が残る地域となぜか重なっているんです。

ヤマトタケルが伊勢の斎宮である倭姫命を頼ってきた際、志摩の大伴部氏と共に東国へ赴く事となります。
この時、ダイダラボッチが作ったといわれる天の叢雲の剣(草薙の剣)がヤマトタケルに手渡されます。

こうして天叢雲剣はスサノオからアマテラス、倭姫、ヤマトタケルへ引き継がれる。
そして伊吹山へ向かう前のヤマトタケルは、草薙剣を尾張のミヤズヒメへ手渡している...


というわけで、このところ気になっていたキーワードが次々につながる不思議な旅でした!!!
この続きはまたいつか、どこかの旅で出会うのでしょうか...





ところで、今日は嬉しい知らせがありました!
昨日精密検査を終えた父の検査結果。
なんと、何も問題がありませんでした。
いやぁ~気づきをいっぱいいただいたとはいえ、えらいお騒がせいたしました~(笑)

しかし喜ぶのもつかの間で、今朝私の叔父(母の兄)がこの世を旅立たれました。
いろんな巡り会わせを感じております...


昨日は広島でしたが、明後日は長崎。
すべての調和を祈る気持ちへシフトしたいです!

8~9日にかけて富士山頂で行われるヨシマルさんの平和の祈り。
それに合わせ、そのとき私がいる場所からも祈りあわせをさせていただこうと思います...







[mixi] 那智の火祭にみる「1のまわりの12」 〜水無月満月の太陽信仰
[mixi] 日記(2008年07月15日19:22)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=870567843&owner_id=4857509



昨日は「那智の火祭り」の日でした。
猛暑の中執り行われるこの火祭りに、いつか一度は行ってみたいと思ってます。




熊野の神々が年に1度、12体の扇神輿に乗って那智の滝に里帰りする祭り。
毎年7月14日に行われる熊野那智大社の例大祭で、正式には「扇会式例祭」とか「扇祭」といいます。
火祭りの名の通り、派手なイメージとして大松明の燃え盛る炎にばかりに目が行きますが、実はこの祭の主体は松明ではなく、熊野十二所権現に見立てた十二柱の「扇神輿」です。




もともとは旧暦の六月十四日と十八日日に行われていました。
つまり満月前後のお祭ということです。
六月十四日とは、今年でいうとちょうど明日の7月16日です...




かつては六月朔日に全ての社僧が滝本に集まり、さらに十二所権現で神役を務め、十四日に12本の大扇を12の御神体に表し、未の刻に神扇などが滝本宮を巡って田楽を行なったそうです。
そして酉の刻に伏拝した後、神扇を立て列ねて献灯し、社僧は十二所権現に集まり、神扇が十二所権現に着くと社僧は大きな松明を持って迎え、田植の儀式や田楽が続く...

扇神輿は、その全体の形が飛瀧(那智大滝の御神号)を模しており、扇は「招ぐ」に通じ、神霊の招ぎ代です。
また扇は幸を招き、邪を払うものでもあります。
頂上に造化三神の御神徳をあらわす「光」を載き、八面の神鏡は幸魂・奇魂・和魂・荒魂の四魂の体用を兼ねて、神威八紘に照鑑するしるしです。

神輿の12体は12ヶ月、すなわち1年をあらわしています。
扇は1体に30面、下部にも2本の半開きの扇を附けますが、これはそれぞれ1ヶ月の日数と月の上弦下弦をあらわすものです。
また使用の竹釘は1年の日数と同じ360本を一体に用いる古例です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33114354&comm_id=1110372


このように通説では単に暦をあらわしているといわれていますが、金地に朱の日の丸を描いた扇を組み合わせ、細長い框に派手な赤緞子を張った幅1m長さ6m程の神輿が12体。
見るからに特異なこの表現は、もっと違う何かを物語っているように感じます。

例えばマヤ暦や太陽信仰に関わる古代の聖数に「12」と「13」がよくでてきます。
那智の滝で行われる水と火の祭りは、熊野の太陽信仰と三本足の烏に関わる何かを秘めている気がします...


熊野の三本足の烏は「八咫烏」と呼ばれています。
太陽信仰にはこの「8」とか「9」も聖数としてでてきます。

漢数字で「八」は無限を意味する末広がり。
アラビア数字の「8」も、メビウスの輪の無限を意味する。
漢字も「ハ」の字にする以前に、アラビア数字が「∞」の形にする以前に、どちらも数字の持つ意味なり役割が先にあったからこそ、それを意識した象形デザインが成り立っていると思います。
というわけで、後々いろんな要素の意味づけが加わり、8と9の聖数がどう展開したのかも気になりますが、どこがルーツでどのように伝播したかだけでなく、宇宙樹のように普遍的な古代の宇宙観に端を発しているのではと感じています。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32774480&comm_id=1581098


宇宙の根元は陰陽の2極にはじまり、三角形や五角形、六角形といった幾何学的な面から立体的な空間を生じさせます。
フラクタルやドームハウス、宇宙船地球号でも有名なバックミンスター・フラー氏は、宇宙を構成する最小単位を発見し、それをベクトル平衡体と名付けました。
その構成要素はさらに正四面体に分割することができます。
もうこれ以上分解すると存在すらなくなる宇宙の原理です。
正四面体の頂点は4つ。
それぞれの頂点と対面する面の中心には、外に向かって拡散する力と中に向かって収縮する力が働きます。
陰陽のエネルギーが加わり8つの方向性があることがわかります。
その中心を加えれば9にもなります。
このことは「1のまわりの8」というシステムとして、以下の日記で触れてます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=731180564&owner_id=4857509

今度は頂点でなく、辺の数に注目すると6辺あることがわかります。
これにも陰陽が加わり12となって、中心の1を加えれば13という数字がでてきます。
このことは、暦に関わる「1のまわりの12」というシステムを展開しながら書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808137336&owner_id=4857509

縄文人は高度な文明も文字も宗教すら持たなかったかもしれませんが、このことをちゃんと知っていたのです。
つまり、古代人はこの宇宙原理を理解していました。
巨木の6本柱の三内丸山も、世界中の古代遺跡にもしっかり応用されてます...


もうひとつヒントとなりそうなのが扇です。
ちょっとメモとして加えると、扇子は日本独自の文化です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=744125614&owner_id=4857509

話は戻って、この熊野の「扇祭」とどこか似た感じのお祭りが、地元の木曽川の雨乞い踊りにもあらわれています。
このことも「1のまわりの12」というシステムの続編として、いつかまとめようと思っています...




...
[mixi] サツキの田植えは女性のお祭り
[mixi] 日記(2008年06月04日13:47)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=827805814&owner_id=4857509



2008年6月4日(水)/皐月朔日(新月)


やっと五月に入りましたね!

五月雨だから、やっぱり今日も曇ってます。
月に群雲立ち込めなくとも今宵は新月。
しばし雲と仲良くしましょう(笑)


 サの月、五月は田植えの月

 サツキにサナエ、サオトメ

 サの神さまは稲の穀霊とも...



ところで、昔は祭りに女性が参加できないとか、山に入っちゃいけないとか。
女人禁制っていったいなんだろうと思ってた。
今でも久高がそうであるように、古代には縄文女神の母系社会だったり卑弥呼や日の巫女が執り行う女性社会だったことは間違いないのに。

でも、山の神は女性なので嫉妬するといけないからとか、いろいろ紐解いていくと面白いことがわかってくる。
五月五日の端午の節句が男の子のお祭りになったのも、案外歴史的には新しいということです。

田の神を迎えるため、「田植え」の中心となる女性が家にこもり、身を清める「五月忌み」という風習がありました。
端午の節句は、このような田植えに関する女性の祭りと結びついていったといわれています...
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17591


つまり、もともとは五節句すべてが女性のお祭りだったのだ!

潮干狩りで浜に下り、水辺で禊をしたり。
人里離れた水辺で機を織り、神を迎えて禊をしたり。
菊の花の香りのお酒でお月さまを愛でる。

古来、ひな祭りを含む五節句は女性の祭りとされていました。
女性たちは日頃の疲れを癒すために近隣の野山に遊びに出掛けるなどして一日を楽しみました。
季節の変わり目=節句は、体調を崩しやすい。
子どもを生み、子孫を増やす機能を備えた女たちが十分に休養をとるという深い意味が込められていたのです。

そんな起源を持つ年中行事が、時代と共に中国由来や宮中や武士の祭りと形を変えて受け継がれ、なおも現代の生活の中に残っている。
女のお祭りだろうが男の祭りだろうが、豊穣や子孫繁栄を願う気持ちは今も変わりません。
素晴らしいお祭りを残してくれたことに感謝して、これからも大切に残していきたいです!


...


タグ: mixi 縄文
[mixi] 端午の節句は女性の祭り
[mixi] 月夜見 [ツクヨミ] トピック(2008年06月04日13:16
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31739736&comm_id=1110372



田の神を迎えるため、「田植え」の中心となる女性が家にこもり、身を清める「五月忌み」という風習がありました。
端午の節句は、このような田植えに関する女性の祭りと結びついていったといわれています...


五月は田植えの月で、一年のうちでも重要な月とされていました。
そのためのお祭り事や物忌みなどが行われていました。

菖蒲湯は田の神を迎えるための禊の名残りとも考えられます。
この日には家の軒に菖蒲をさし、菖蒲の鉢巻をして菖蒲湯に入ります。
もともとは菖蒲のもつ匂いが蛇や虫をよせつけないことが知られるようになり、その根を干して煎じて飲めば解毒作用があるとされました。
五月四日の夜は菖蒲の枕で眠り、次の日はそれを風呂に入れて邪気をはらいます。




農村では田植えに先立ち、その年の稲の豊凶を占う行事として「菖蒲打ち」が行われました。
菖蒲の葉を束ねたもので地面を打って音の大きさを競ったり、隣村の子どもたちと打ち合いをして負けるとその村は凶作になるとするものなど。
また、川を挟んで石を投げ合う「印地打ち」という石合戦も行われました。




田植えは、穀物の霊魂を増やすために田の神を迎えて祭る神事とされていました。
そのときには嫁取りや婿取りも避け、慎み深い生活をしなければなりませんでした。




田植えをするのは、生命を産み出す女性の役目で、早乙女として五月に早苗を田に植えます。
早乙女のサ、五月のサ、早苗のサは全部、稲の穂、穀霊を表す言葉ともいわれています。
田植えという神事を行う女性は清浄さが求められ、とりわけ自分の結婚式などの私事を行うことは神をないがしろにすることとして禁じられたのです。




また、神様の祭りをするためには身を清め、「忌みごもり」をしなければなりません。
これを「五月忌み」といい、この日には菖蒲で亭主の屍をたたいて家から追い出し、女性だけで家にこもったので、「女の家」ともいわれました。

また、菖蒲で家の屋根をふくので「ふきごもり」といったり、愛知県や徳島県、中では五月四日を「女の晩」、高知県の山「女の天下」といい、昔は男性に従う一方だった女性がこの日は威張っていい日とされました。
長野県下のある地域では、最近までこうした風習が残っていたようです。




古代の日本の歴史を紐解くと、実は五節句すべてが女性の祭りでした...

▼五節句(節供)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11964238&comm_id=1110372


潮干狩りで浜に下り、水辺で禊をしたり。
人里離れた水辺で機を織り、神を迎えて禊をしたり。
菊の花の香りのお酒でお月さまを愛でる。

古来、ひな祭りを含む五節句は女性の祭りとされていました。
女性たちは日頃の疲れを癒すために近隣の野山に遊びに出掛けるなどして一日を楽しみました。
季節の変わり目=節句は、体調を崩しやすい。
子どもを生み、子孫を増やす機能を備えた女たちが十分に休養をとるという深い意味が込められていたのです。

そんな起源を持つ年中行事が、時代と共に中国由来や宮中や武士の祭りと形を変えて受け継がれ、なおも現代の生活の中に残っている。
女のお祭りだろうが男の祭りだろうが、豊穣や子孫繁栄を願う気持ちは今も変わりません。
素晴らしいお祭りを残してくれたことに感謝して、これからも大切に残していきたいです!










[mixi] サツキの田植えは女性のお祭り
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17586

[mixi] 小満から芒種へ 〜端午の節句は女性の祭り
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17589


...

追記(2016/05/09)

ちなみに、江戸時代の鯉のぼりは真鯉のみ。
昭和に入って鯉のぼりの歌ができた当時は、真鯉と緋鯉の2匹だった。



歌川広重の名所江戸百景より 「水道橋駿河台」


タグ: mixi
[mixi] 1のまわりの12 〜縄文暦と二十四節気の関係
[mixi] 日記(2008年05月16日15:22)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808137336&owner_id=4857509



1のまわりの12という、縄文数理システムを用いた2つのお祭りをメモ代わりに書いておきます。

前回の日記「縄文カレンダーは四方と中心なり」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=806148554&owner_id=4857509

~夏至著さんのコメントより

> 『上記』ウエツフミでは東方に13の宮殿を配置して、太陽の昇る方位の基準にします。
>
> ですが東方の13の宮殿は、実祭にあるのではなく架空の存在なのです。
>
> 観測点から観て、13個の目印のような機能を持つものがあればよかったのでしょうか?
>
> その延長線上に、架空の13個の宮殿が地平線上に存在することになります。
>
> 『上記』での夏至にあたるサナエの月には、太陽は最も北よりの十三番目の宮殿から出現します。
>
> 反対に『冬至』の太陽は、最も南よりの1番と2番の方位から出現します。


この13の宮殿の「13」は、直感で「1のまわりの12」だと感じました。


岐阜の笠松に残る雨乞い神事。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=538469939&owner_id=4857509

中心に紙垂のついた柱を置いて、12本の五色で飾られた竹竿を背負った踊り手が、くるくる旋回しながら柱の周りを踊ります。
これこそ「1のまわりの12」を用いた、古代の太陽祭祀の名残りと思われます。





そして、ウエツフミのいう13の宮殿のシステムとはもしかしたら...

> 『上記』での夏至にあたるサナエの月には、太陽は最も北よりの十三番目の宮殿から出現します。

実は、この話を聞いてすぐにピンと来たのがこちらです。
昨年訪れた、岐阜の山中にある朝鳥神社の冬至祭。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=661782610&owner_id=4857509

そこで出会った古老から詳しく説明を聞いて、古代の方位と太陽観測の立体装置をしっかり見てきました。
磐境(イワサカ)は5つあり、それぞれの季節点の太陽光が差し込む仕掛けとなってます。
その手前にある2本の白木には注連縄がかけられ、やはり5本の紙垂がたれています。
これが鳥居の原型といわれ、もともとは太陽をねらう照準器の役割だといってました。




冬至の日の出は鳥居の一番右(南側)を通過してイワサカの一番左(北側)にあたります。
夏至はそのまったくその対極となり、1年でこの幅を1往復するからまさに「一陽来復」ですね。




ちなみに英語で冬至は「Winter Solstice」、夏至は「summer solstice」。
この「Solstice」とは、ラテン語で「太陽が止まる日」という意味です。

春秋分は5個のイワサカの真ん中で、1年に2回太陽があたります。
これで計3個です。

その中間にも1個づづあり、合計5つのイワサカはこんな感じで陰陽のバランスを立体的に表現してました。



 冬至 → 立春 → 春分 → 立夏 → 夏至
↑●   ●   ●   ●   ●↓
 冬至 ← 立冬 ← 秋分 ← 立秋 ← 夏至

   ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
      太  陽  光




上記を応用して、●と●の間を3等分すると...



   冬至→小寒→大寒→立春→雨水→啓蟄→春分→清明→穀雨→立夏→小満→芒種→夏至
↑●  ○  ○  ●  ○  ○  ●  ○  ○  ●  ○  ○  ●↓
   冬至←大雪←小雪←立冬←霜降←寒露←秋分←白露←処暑←立秋←大暑←小暑←夏至



5個の配列を13個にすることで、なんと二十四節気の陰陽相関図ができあがりました!!!


縄文数理システム1のまわりの12。
手はじめに、以前は「1のまわりの8」についてまとめました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=731180564&owner_id=4857509

古代に存在した世界共通の宇宙哲学とバックミンスター・フラー。
またの機会にもう一度、「1のまわりの12」についてまとめたいと思います。


そして、もうそろそろですね。
縄文族にとって一気にモチベーションが高まる季節の到来...

▼6/21(土) 縄文暦【夏至】 ~the summer solstice 2008
 http://mixi.jp/view_event.pl?id=31121033&comm_id=1581098





...
<<prev | 最新 | 81 | 82 | 83 | 84 | 最初 | next>>