月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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キーワード:宇宙/巨石/縄文/葦船/磐座/褌/大麻/神社/旧暦/お祭り/音楽/アート/映画…

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2017年04月22日のツイート 〜高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

2017年04月22日(土) 22 tweets


高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

pic.twitter.com/irGGXQQVb4

posted at 21:40:30


朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。

pic.twitter.com/lGRW2owghh

posted at 21:44:19


高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。

pic.twitter.com/ab0ckVFcCO

posted at 21:45:01


皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。

pic.twitter.com/P9eDh820kS

posted at 21:46:00


周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。

pic.twitter.com/BXEArZ4Jqm

posted at 21:50:23


もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。

pic.twitter.com/lndnoKnUZ5

posted at 21:52:37


ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代 商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの 工房があったり…

pic.twitter.com/KhjoEioUls

posted at 21:56:24


鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。
そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。

pic.twitter.com/4set4qYQqc

posted at 21:59:34


海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。

pic.twitter.com/myuHK8HlCr

posted at 22:00:26


さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。

pic.twitter.com/ZYmiTX25Ma

posted at 22:01:16


弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。
つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。

pic.twitter.com/pdgsQ3uznF

posted at 22:02:25


倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

posted at 22:03:11


纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=21218

posted at 22:08:56


西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。

posted at 22:10:11


その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。

pic.twitter.com/zavrGifBCy

posted at 22:10:59


朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。

pic.twitter.com/5E13h5Pg29

posted at 22:12:20


なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。

posted at 22:13:05


ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。
実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。

pic.twitter.com/DV5lxbH5tr

posted at 22:13:56


ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。

pic.twitter.com/27RBCoqXAP

posted at 22:14:29


遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。

posted at 22:15:17


ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。

posted at 22:15:32


[musublog] ブログへまとめました。

高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=64584

posted at 22:46:14

 

2017年04月23日(日)


朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。

pic.twitter.com/HdEfjznWTx

posted at 00:16:17




高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル



朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。




高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。




皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。




周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。
もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。


















ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの工房があったり、鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。




















そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。
海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。
さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。




弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。






つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。




倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。

西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。
その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。




朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。








なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。
ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。




実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。
ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。




遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。
ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。










追記:

朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。





飛騨高天原の日輪神社と日抱の御魂鎮め([mixi]の過去記事より)
2009年09月28日

太陽信仰の聖地、乗鞍の麓にある丹生川の日輪神社で参拝後、伊太祁曽神社にて古代より伝わる“日抱神事”を体験。






伊太祁曽=日抱尊とは、太陽神の子を抱いた女神。
みんなで輪になって池のまわりを囲み、水面に映りこんだ太陽と一体となる…



mixiコミュのコメントより
http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=2&community_id=3180326&bbs_id=46595491


以下、関連トピック

飛騨の位山と両面宿儺
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=38315287

日抱の御魂鎮め ~飛騨丹生川の伊太木曾神社と乗鞍大神=日抱尊
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=70115374


詳しくはこちらをご覧ください。
イワクラ学会の平津さんがとてもわかりやすくまとめられたページです。

謎の古代飛騨国
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/hida/hida.htm



2017年04月06日のツイート 〜環太平洋の北米先住民クワキウトル族の仮面と南御見束の鯨の仮面/冬虫夏草をめぐるチベットの家族を追った辺境写真家に出逢いうちの猫と写真の家族がつながった

2017年04月06日(木) 17 tweets


クワクワカワク(クワキウトル)族の儀式の服と仮面の写真(1914)

Edward Curtis’ Photographs of Kwakwaka’wakw Ceremonial Dress and Masks (ca. 1914)
https://publicdomainreview.org/collections/edward-curtis-photographs-of-kwakwakawakw-ceremonial-costumes-and-masks-ca-1914/

pic.twitter.com/zpMBGzpGpO

posted at 00:39:34


このクワキウトル族の仮面を見たとき、南御見束の鯨の仮面を思い出した。
中に人が入って踊るところも似ている気がしたのだ。

2011年10月09-10日のツイート(2/2) 〜サルタヒコとクジラに会いに鈴鹿の椿さんと四日市の鯨船神事へ
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=10296

pic.twitter.com/HIs1G2OJjI




posted at 01:19:46


2011年02月07-09日のツイート 〜南御見束神社の古式捕鯨と隼人の鯨面
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=55183

南御見束神社の鯨船練り行事【入船】
youtu.be/G8Swpklb1Dw

posted at 01:22:45


あの写真ももしかしたら鯨なのかもと思ったけど、どうやらクワキウトル族の神話に出てくる鳥のようだ。

Ceremonial dancers in mythological bird masks.
神話の鳥マスクをつけた儀式のダンサー。
http://web2.uvcs.uvic.ca/courses/lawdemo/projects/potlatch/mask.htm

posted at 01:29:03


ワタリガラスにシャチの仮面。
やはりクジラの仮面もあるようだ。
見てみたい…

“いろんな動物の中でも、シャチの仮面が一番大きいものだった。クジラの仮面も登場したが、クイーンシャーロット諸島はシャチの故郷の海としても知られている…”
http://y-tomiyama.jugem.jp/?cid=8

pic.twitter.com/YaGCNRwrsC

posted at 01:39:45


辺境写真家 栗田哲男

写真展『虫草 − チベット・極限の標高5000m地帯で冬虫夏草を採る人々 −』

2017年4月6日(木)~4月12日(水)
キャノンギャラリー名古屋にて
https://www.tetsuokurita.com/events2/
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/kurita-tetuo/index.html

pic.twitter.com/AGeKKdfU9m

posted at 21:04:04


承前)“「冬虫夏草」、漢方の高級生薬とされ非常に高値で取引される。その産地はチベットの標高5000m地帯で あり、一年の内、五月初旬からおよそ一ヶ月半しか採取ができない。この時期になるとチベット人は家財道具一式を持って、子供たちも含めて一家全員が山に入 り、テント暮らしをしながら…”

posted at 21:04:52


というわけで、虫草の写真展初日の本日、仕事の昼休みを利用して行ってきました。
場所は、地下鉄伏見駅からつながったキャノンが入ってるオフィスビル1階という便利さでした。

pic.twitter.com/XqKtiLneys

posted at 22:13:22


この写真展、何で知ったかというと、たまたまFBのタイムラインに流れてきて、写真の美しさと「冬虫夏草」という言葉の組み合わせに響くものがあったから。

posted at 22:15:06


難治性口内炎が発症し、猫エイズの可能性を指摘され、バッチフラワーレメディでしのいでいたうちの猫が昨年ガンになり、動物病院で治療せずなんとか生活習慣を見直し、餌を変えたりしながらたどりついたのが「冬虫夏草」でした。

posted at 22:21:07


痩せ細って食べられなくなった猫に投与しはじめたら、腫瘍は3ヶ月くらいで小さくなって瘡蓋となり、その効果を思い知らされました。
それでもすべてが完治するわけでなく、どこかが調子悪くなる。
だからCBDオイルも試したり。
とにかく口のきけない動物は、効果がわかりやすい。

posted at 22:21:45


そんな中、先週は日本で唯一公式にCBDオイルをつくってる方に出会ったり。
と、前置きがかなり長くなりましたが、わが家で冬虫夏草はなくてはならないものとなりながら、その粉末の元がどんなもので、どんな人たちが採取しているのかめちゃめちゃ知りたくなったのだ。

posted at 22:22:15


そんな感じでギャラリーに足を踏み入れると、もう一気にチベットの辺境の地へ連れて行かれました。

pic.twitter.com/YnbI6Fz9M2

posted at 22:27:26


もちろん写真はとてもよかったし、冬草の採取に同行し1ヶ月半のキャンプ生活を共にしたという、2つの家族が壮大 な大自然の中でドラマを繰り広げる、ものすごいスケールの空間の広がりと季節が入れ替わり子供が成長する時間軸がこの1ヶ月半に凝縮された感じの、強烈な 何かが伝わってきました。

pic.twitter.com/68lMv64yFu

posted at 22:29:38


幸い作家の栗田さんが在廊されていたので、見終わってからいろいろとお話することができました。
写真だけではわからない謎の虫草の詳しい説明もしていただき、野菜の生産者がわかったときのような嬉しさのような、自然の神秘と人々の豊かな暮らしを伝えきくことができ、感謝です。

pic.twitter.com/7oxeVS8eb2

posted at 22:31:46


そして、入口にも書いてあるように写真撮影はOKだったので、そのすばらしい写真展の一部をご覧いただきたいと思います。
ネットで何でも観たり聴いたりできる時代ですが、いい映画はテレビじゃなく銀幕で観るように、ぜひギャラリーへも足を運んで、映像のような写真を生で観てきてください。

pic.twitter.com/PIg5S3RstB



posted at 22:33:26


栗田哲男 写真展『虫草 − チベット・極限の標高5000m地帯で冬虫夏草を採る人々 −』
キャノンギャラリー名古屋にて
https://twitter.com/fuhgetsu/status/849955867533299713

pic.twitter.com/w54u5pV2aa

posted at 22:33:54




2017年03月12日のツイート 〜銀色の翅に4つの紋をもつカミの遣い

2017年03月12日(日) 4 tweets


311の直前に訪れた縄文聖地にて。
悠久のはるかなるときを超えて祈る。

2011年03月06-08日のツイート 〜東三河の縄文聖地で穂の国巡礼の祈り/磐座だらけの本宮山とピラミッドの石巻山からアラハバキやダイダラボッチに犬頭と菟頭
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=62895

pic.twitter.com/yf06PrD48s

posted at 02:52:35


おわりのはじまり。
石巻山では“むすび”とか“統合”というメッセージを受け、このままでは原発が事故するという予感がしていた矢先…

2011年03月09-15日のツイート 〜311前後の7日間(@Mentionを含む全ツイート記録)
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=62896

pic.twitter.com/HSyjUK1Fmr

posted at 04:17:31

 

不思議だけど、ものの5分車を停めて駐車場に戻ってきたら、運転席側の窓にかわった蝶々がとまってた。

pic.twitter.com/zpUhqrQrpd

posted at 13:33:33


スマホで写真撮ってたら、近づいたわたしの手に飛び乗ってきた。
メッセージだね、きっと!

pic.twitter.com/tPOTQYcsjn

posted at 13:33:59




美濃と諏訪をむすぶ南宮とは
美濃尾張の仕組みの意味がぼんやりとしてますが、その答えというか、その大本が諏訪にあることが、今回の旅で得た直感です。
わたしのいる場所が美濃尾張。
美濃一宮の南宮大社。
では、なぜここが南宮なのか。






諏訪大社が【南宮の本山】で、南宮大社が【南宮の中宮】、広田神社が【南宮の稚児宮】と神楽に謡われてきたことを知っても、なんだかしっくりこないでいた。
下諏訪にご縁をいただき、たまたま通りかかった場所しか知らないけれど、諏訪湖の北にある下諏訪こそ“南宮”なんじゃないかと思いはじめた。
今回わたしが氏子さんに混ぜてもらったのは、下社春宮の西堀区。
早朝6時前に集合したのが、西堀八幡社のある西堀区公会所。
帰ってから調べてみると、その境内に南宮神社が合祀されていた。
近くの諏訪湖畔に旧鎮座地あり、その一帯には南宮の地名が残ってる。
だから美濃からわたしが来たのか。
だとしたら、東西南北の南にこだわらず、素直にタケ+ミナカタの南方からきていると考えれば、糸魚川経由のアズミ族が南方=南宮を名乗ったのではないかと思えてきた。
では、美濃の南宮もタケミナカタかといえば、美濃一円に広がる南宮神社は飛騨金山までつづいて、やはりカナヤマヒコを祀っている。
南宮神社が広がる北限が諏訪であり、富士山が東限。
そこまで重なるように金山神社があり、さらに関東までのびている。
しかし、諏訪の南宮はタケミナカタである。
美濃一宮は仲山金山彦神社だったのが、昭和も過ぎた戦後に南宮大社となった。
だから、周辺の中山神社も分社でカナヤマヒコを祀る。
昔から南宮と呼ばれていたのも事実で、平安時代には「美濃の南宮、奥州の北宮、下野の東宮、摂津の西宮」と東西南北の宮として重要視されていた。
南宮という言葉の意味が、それぞれの時代や土地で入り交じってしまったのが原因と思われ、南宮のひとことで同列に扱わないようにすることも大切となる。
タケミナカタは古事記のみ、日本書紀には出てこない。
先住の神を征服するために創られた神の名であり、アズミ族こそタケミナカタのことだった可能性がある。
九州のアズミ族が出雲にまで勢力を拡大し、糸魚川から穂高の安曇野に遷ったことと、出雲国譲りでタケミナカタが信州へ逃げたことは重なる。
しかし、南宮は太平洋側の南からきたとも考えられる。
下社はタケミナカタノオオカミを祀る大祝、上社は神長官守矢氏が統括。
諏訪大社で一番古いとされる上社前宮がミチャグチを祀る先住神で、表向きには上社本宮でタケミナカタを祀ってきたことを考えると、そこには古代イスラエルの流れも感じる。
諏訪大社の元宮と呼ばれる、多祁御奈刀弥神社が四国にあるのだ。
その延長の九州南部に南方神社もあり、諏訪大明神社と呼ばれていた。
これはまさに古代イスラエルであり、阿多隼人=アズミ族=宗像(ムナカタ)=南方(ミナカタ)のルートである。


https://twitter.com/fuhgetsu/status/720297469104365569


美濃一宮の南宮大社にカナヤマヒコを祀るようになった大和朝廷以前から、この地は隼人族の勢力下にあり同じ海人族の尾張氏とも隣り合わせで仲良く共存していた。
その意味でも、アズミであり隼人であるタケミナカタが南方=南宮であった。
そうした痕跡が、全国にみる南宮の所以となっているようだ。



2016年04月14日のツイート より抜粋



【開催中止のお知らせ】 9/22(秋分) ホピのお話会&上映会 ~平和の民からの伝言~ @岐阜 cafeぷらな

今回のイベントは延期となりました。


9/22(秋分) ホピのお話会&上映会 ~平和の民からの伝言~ @岐阜 cafeぷらな
http://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2016/09/12/130928

大変急なお知らせで申し訳ありません。
ご存知のように、現在台風16号が西から東へ向かってます。
台風の進路に東海地方もかかっていることや、中心から離れていても前線を刺激した荒天など、天候による中止となる可能性も考えてこの数日を過ごしてきました。
当日何事もなく晴れることもあるでしょうし、ぎりぎりの判断で開催の可否を決めてもいいのですが、台風以外にもいろいろと感じることがありまして、今回はタイミングではなかったと判断せざるを得なくなりました。
そこで、お越しいただく予定の方には大変申し訳ないのですが、ご理解いただき、改めてこの機会を設けたいと思いますので、中止ではなく延期という表現にさせていただきます。
楽しみに待っていただいていた方々には本当に大変申し訳ありません。
こうしてネットを介したSNSの告知以外に、チラシやクチコミで事前の意思表示なしに当日来られる方もいらっしゃると思います。
そうした方には本当に申し訳ないのですが、お店は開けておりますのでお断りの挨拶に代えさせていただきます。
今回来たいけど来られないとおっしゃっていただいた方々にも、次の機会がありましたらそのときはどうぞよろしくお願いします。
そして最後にみなさん、どうかこの秋分の日を、どこかで天候が荒れるかもしれませんが、太陽と大地の調和の祈りはどこからでもできますので、それぞれの無理のない場所から、感謝の祈りをささげることができたらと思います。

 

 

イベント『HOPI ~平和の民からの伝言~』に向けて 〜ホピや縄文から感じている真の平和とは祈りでありけっして戦争にはいたらない真ん中にある宇宙
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=52833

HOPI ~平和の民からの伝言~ お話会&上映会/HOPIショップ@岐阜 cafeぷらな
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=52757

イベント『HOPI ~平和の民からの伝言~』に向けて 〜ホピや縄文から感じている真の平和とは祈りでありけっして戦争にはいたらない真ん中にある宇宙
25年くらい前に何も知らないままの一人旅でアメリカにたどり着いたとき、スパニッシュなメキシコ人の西海岸からロッキー山脈へ行ったときにネイティブアメリカンの存在に近づいた。
観光地化された部分と、伝統に生きる人々の集落がある近くにまではいったものの、それ以上踏み込んだ旅ではなかったので、次の地点に移動してしまったけど、もう少し行ったところにホピの居住エリアがあったと知ったのはそれから日本に帰って何年も経った先のこと。
それでも、それ以来マヤやホピのことばかりきくようになる。
メキシコのマヤ文明は縄文とつながってただろうし、平和の民ホピ族も縄文と深くつながっていたと感じる。
どっちも違うのだけど、まったく違うわけでもなく、それぞれのルーツは同じで、もしかしたら縄文の人々かもしれないし、枝分かれした一派であることには違いない。
マヤのことは暦でよく知るようになり、征服した側の白人が解釈したマヤ暦と、先住民族の伝統的なマヤ暦がまったく異なるように、ホピの予言と云われるものもいろいろあるようだ。
わたしは本を読んだり、辰巳玲子さんの「ホピの予言」というドキュメンタリー映画を観て、なんとなくイメージをつかんでるつもりだけど。
天川彩さんにうかがった話でまだ内容まできいてませんが、ホピ族の中にもいろんな氏族があり、それぞれの長老が口承している伝承や予言も同じ部分と違う部分があるそうです。
その長老とは20年近くも交流のある彩さんに、ホピ族自らが撮った映像(聖地では撮影禁止のため)を、日本で伝え歩いてほしいと託されたのだそうです。
それをきいただけで、かなり緊急性のあるものと想像します。
とにかく多くの人に伝えるならYouTubeで流すこともできるし、自主上映なり映画館なりでもっとたくさん集客した方がよいのに、DVDを持ち歩いて語りべをしているという天川さんから察するに、量より質で伝えなければならないほどの真実に直面することになりそうです。
それくらい今の地球は危機的であり、世界は危険な方向に向かってる。
いくら平和の声をあげても、いくら祈っても、いくらいい音楽やいい作品や映像があっても、平和が遠ざかるばかりの時代。
そもそも平和といってる次元が低すぎるんじゃないか。
ただ戦争をしていない期間を平和といってるだけで、戦前や戦後のことを平和といってるようなもの。
だから、縄文時代には平和という言葉は無かった。
なぜなら戦争そのものが無かったから、平和という言葉を必要としなかった。
それだけではない。
戦争の反対言葉が平和なんて、本当の平和とはほど遠いってこと。
戦争の対極に平和があるかぎり、いつまで経っても戦争は無くならないのだ。
平和とは、両極のどちらかにある理想なんかじゃなくて、どんなときもその真ん中にあるもの。
戦争をいうものがいて、平和をいうものがあれば、その真ん中にこそ真の平和が、実はずっと昔から今の今まで、未来に向かってずっとそこに存在している。
縄文という言葉も平和という言葉も、今のわたしたちが勝手に縄文時代というものをイメージしているにすぎない。
平和な縄文人などいなかった、という方が真実に近いだろう。
いたのは、今の私たちと同じ地球人。
今の時代に生きるものが、今までのマインドセットでは解決できないとすれば、彼らの発する声をきくしかないのだ。
それはけっして縄文時代に戻るということではない。
とおの昔に死んでしまったものたちの声をどうやったらきくことができるのか。
己の中に生きている縄文人にきけばいいのである。
そう、縄文人とはわたしのことだったのだ。
平和の民、ホピ族という方たちのことをきいたとき、同じようなことを感じた。
わたしは彼らのことをよく知らないが、わたし自身は彼らのことをすでに知っている。
だからこそ、少し話をきいただけで共感し、魂からの共鳴が生まれ、なにかとても近いものを感じる。
それは思い出すという作業をしはじめている証拠なのではないでしょうか。
だからわたしは、彩さんから今回の企画に関する話をいろいろうかがった中で、内容についてはお話会&上映会の中でおききすることになっていて、どのようなお話をされるのかはきいてみないとわからないのですが、それくらいはっきりとした真実がきけるものと覚悟しております。
どうか、この話をききつけ興味をもっておられる方がいらっしゃいましたら、それはもうサインだと思いますのでどうぞご遠慮なくお越しください。
ただホピに興味があるだけでも、その資格があるというかOKだと思いますよ。
この機会にめぐりあわせたというご縁があるのなら、その方に伝えるべくして伝わるメッセージが、今この時代に必然としてあるんだと思います。


2016年9月22日【秋分の日】

HOPI ~平和の民からの伝言~ お話会&上映会/HOPIショップ@岐阜 cafeぷらな
https://www.facebook.com/events/319673848423285
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=52757

【開催中止のお知らせ】 9/22(秋分) ホピのお話会&上映会 ~平和の民からの伝言~ @岐阜 cafeぷらな
http://fuhgetsu.hatenablog.com/entry/2016/09/18/163616


HOPI ~平和の民からの伝言~ お話会&上映会/HOPIショップ@岐阜 cafeぷらな
終戦記念日である本日8月15日は、恒久平和を祈る日。
平和の民を意味する「Hopi族」とは。
このクニで平和を祈りつづける天皇の姿と、ホピの人々のイメージが重なります。
ホピの人々と縄文のころのわたしたちは、きっとどこかでつながっていたのでしょう。
前から話をきいてて興味深いのは、冬至のお祭りで降りてきて、春の間は人々とともに暮らし、夏至のお祭りで帰っていくという、精霊カチーナは、日本でいえば山の神であり、田の神でもある「サの神」と同じだなとか、金山巨石群の春分秋分と夏至のスポット光のことじゃないかと。
それで今年の春分の金山巨石群を通じてわたしは天川彩さんとご縁をいただき、秋分の日に平和の民からのメッセージを届けるイベントを、またまたご縁のある「ぷらな」さんでやらせていただくことになりました。
この話が生まれたのは夏至の前後。
まず、須田郡司さんから石の語りべの話がきて811(山の日)に決まり、つづいて天川彩さんからこの話がきて922(秋分の日)に決まり、どちらも同じ木曜の祝日で、同じ「ぷらな」でという、わたしの計り知れないところでいろいろ決まってたんだなと納得。
当日は、ホピの長老から彩さんに託された映像メッセージを特別上映。




そして奥の和室には、日本で唯一のHOPIショップが岐阜に出張オープンしますので、ぜひホピに興味のある方は気軽に遊びにきてください!

Hopiショップ Sun&Rain
http://www.hopi-japan.com/




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『HOPI ~平和の民からの伝言~』
 ~天川 彩  特別講演会 &上映会~
      &
『HOPIショップ開催!!』

【日 時】
2016年9月22日(木・祝)秋分の日 【開催中止】

18時~20時《 お話会&上映会 》

17時半~21時 《HOPIショップ》
(※お話会の間、ショップはcloseいたします)

【会 場】
カフェ ぷらな
岐阜県関市肥田瀬川原田310-1

【参加費】
1500円 +ワンドリンクまたは、ワンプレートオーダー

※ワンプレートご飯(1000円)オーダーされる方は、必ず事前予約をお願いします

【お申込み・お問合せ】
090-2576-0667(しょうこ)

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私たち日本人は、はるか縄文の時代から平和を愛する精神を持ち続けています。

時に、非情な戦いに巻き込まれ、絶望の淵を歩いた時代もありましたが、その都度、先人達は智慧を出し合い困難を乗り越えて、逞しく蘇ってきました。

しかし、ここにきて急速に、不穏な暗雲が日本のみならず世界中を覆ってきているようです。

これからの未来は、今を生きる大人全て、ひとり一人の選択に委ねられているといっても過言ではないかもしれません。

そんな「今」という時だからこそ、「平和」について根底から考えていく必要があるのかもしれません。

「平和の民」として知られるHopi族の人々は、わずか9千人余りという少数部族ですが、世界中の平和を祈り続ける人々として、最も有名なアメリカ先住民です。

彼らが、なぜ平和の民となったのか、また彼らは今、どのような精神文化の中で暮らしているのか。

そして、伝承してきた「ホピの予言」といわれるものは、どのようなものなのか。

この度、彼らと二十年近く交流を続けている、作家でありプロデューサーでもある天川 彩さんを東京から迎え、『Hopi・平和の民からの伝言』と題して講演をしていただくことになりました。

同講演は、東京や大阪・北海道など各地で行なわれていますが、岐阜では初めての機会となります。

講演では、ホピ族についての基本的なお話しのほか、天川さんがホピ族のチーフから受け取ってきた映像を特別上映いたします。
更には、直接伝授されたというメッセージもお話いただきます。

一日限りの大変貴重な機会となりますので、ぜひ、皆様お誘い合わせの上、お越しください。

また、2014年東京にオープンした日本初となるHopiショップ『SunRain』を同会場内で限定OPENいたします!

精霊カチーナやホピジュエリーなどホピのスピリットが
ぎゅっと凝縮した貴重な逸品も勢ぞろい。
Tシャツやネィティブ柄の小物などもありますので
どうぞお気に入りのものを見つけてくださいね。

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Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/319673848423285



須田郡司 石の語りべ(スライド&トーク)@岐阜 〜世界と出雲の聖なる石
岐阜のcafeぷらなにて。
前回の石の語りべから4年。
出雲から須田郡司さんをお招きして、新たな写真による聖なる石の旅をみなさんと共有できたらと思います。




石とひとをつなぐ 石の語りべ・・・・
 須田郡司スライドトークショー@岐阜

世界には様々な巨石が存在します

 そのひとつひとつを訪ね歩き
   石の声に耳を傾けてきた
  軌跡と神秘の世界

 はるか遠い地球の記憶を
  私たちのもとへ伝え届けてくれます

 須田郡司の「石の語りべ」の世界へ
        どうぞおでかけください


日時:2016年8月11日(木・祝)

一部:「世界の巨石~アジア編」15:00~17:00
1500円+ワンドリンクまたはワンプレートオーダー

ニ部:「出雲神話の聖跡とイワクラ」18:30~20:30
1500円+ワンドリンクまたはワンプレートオーダー

※一部二部両方参加の方はありがとうございました2500 縁
※ワンプレートご飯(1000円)は必ず事前予約をお願いします

会場:カフェぷらな
   岐阜県関市肥田瀬川原田310-1

お問い合わせ:090-2576-0667 しょうこまで


■須田郡司 プロフィール
フォトグラファー・巨石ハンター。
1962年群馬県沼田市生まれ。滋賀県彦根市在住。
琉球大学卒業。雑誌カメラマンを経て独立。
各地に残る巨石文化・巨石信仰を取材。
2003年から2006年まで日本石巡礼、
2009年から2010年まで世界石巡礼を行う。
人間と関わる石をテーマに撮影取材をしながら
作品を写真展・雑誌媒体等に発表。
2004年より石文化の魅力を伝えるため
日本各地にて「石の語りべ」の活動を続けている。
公式サイト:http://www.sudagunji.com/



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