月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

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2017年04月22日のツイート 〜高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

2017年04月22日(土) 22 tweets


高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

pic.twitter.com/irGGXQQVb4

posted at 21:40:30


朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。

pic.twitter.com/lGRW2owghh

posted at 21:44:19


高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。

pic.twitter.com/ab0ckVFcCO

posted at 21:45:01


皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。

pic.twitter.com/P9eDh820kS

posted at 21:46:00


周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。

pic.twitter.com/BXEArZ4Jqm

posted at 21:50:23


もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。

pic.twitter.com/lndnoKnUZ5

posted at 21:52:37


ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代 商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの 工房があったり…

pic.twitter.com/KhjoEioUls

posted at 21:56:24


鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。
そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。

pic.twitter.com/4set4qYQqc

posted at 21:59:34


海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。

pic.twitter.com/myuHK8HlCr

posted at 22:00:26


さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。

pic.twitter.com/ZYmiTX25Ma

posted at 22:01:16


弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。
つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。

pic.twitter.com/pdgsQ3uznF

posted at 22:02:25


倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

posted at 22:03:11


纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=21218

posted at 22:08:56


西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。

posted at 22:10:11


その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。

pic.twitter.com/zavrGifBCy

posted at 22:10:59


朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。

pic.twitter.com/5E13h5Pg29

posted at 22:12:20


なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。

posted at 22:13:05


ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。
実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。

pic.twitter.com/DV5lxbH5tr

posted at 22:13:56


ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。

pic.twitter.com/27RBCoqXAP

posted at 22:14:29


遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。

posted at 22:15:17


ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。

posted at 22:15:32


[musublog] ブログへまとめました。

高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=64584

posted at 22:46:14

 

2017年04月23日(日)


朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。

pic.twitter.com/HdEfjznWTx

posted at 00:16:17




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