月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

プロフィール
∞音∞_a.k.a._風*月さん
えーさんの紹介で登録しました。
母方が郡上出身で長良川流域にとてもご縁を感じておりますので、どうぞよろしくお願いします!

キーワード:宇宙/巨石/縄文/葦船/磐座/褌/大麻/神社/旧暦/お祭り/音楽/アート/映画…

ムスブログでも以前のmixiのようにリアルタイムで日記を書きたいのですが、今はツイッター中心に書くようにしています。
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現在、ブロブのほとんどは、ツイッターを日付毎にまとめてくれるツイログを元にアップしてます。
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高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル



朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。




高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。




皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。




周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。
もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。


















ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの工房があったり、鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。




















そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。
海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。
さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。




弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。






つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。




倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。

西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。
その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。




朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。








なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。
ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。




実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。
ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。




遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。
ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。










追記:

朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。





飛騨高天原の日輪神社と日抱の御魂鎮め([mixi]の過去記事より)
2009年09月28日

太陽信仰の聖地、乗鞍の麓にある丹生川の日輪神社で参拝後、伊太祁曽神社にて古代より伝わる“日抱神事”を体験。






伊太祁曽=日抱尊とは、太陽神の子を抱いた女神。
みんなで輪になって池のまわりを囲み、水面に映りこんだ太陽と一体となる…



mixiコミュのコメントより
http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=2&community_id=3180326&bbs_id=46595491


以下、関連トピック

飛騨の位山と両面宿儺
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=38315287

日抱の御魂鎮め ~飛騨丹生川の伊太木曾神社と乗鞍大神=日抱尊
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=70115374


詳しくはこちらをご覧ください。
イワクラ学会の平津さんがとてもわかりやすくまとめられたページです。

謎の古代飛騨国
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/hida/hida.htm



美濃と諏訪をむすぶ南宮とは
美濃尾張の仕組みの意味がぼんやりとしてますが、その答えというか、その大本が諏訪にあることが、今回の旅で得た直感です。
わたしのいる場所が美濃尾張。
美濃一宮の南宮大社。
では、なぜここが南宮なのか。






諏訪大社が【南宮の本山】で、南宮大社が【南宮の中宮】、広田神社が【南宮の稚児宮】と神楽に謡われてきたことを知っても、なんだかしっくりこないでいた。
下諏訪にご縁をいただき、たまたま通りかかった場所しか知らないけれど、諏訪湖の北にある下諏訪こそ“南宮”なんじゃないかと思いはじめた。
今回わたしが氏子さんに混ぜてもらったのは、下社春宮の西堀区。
早朝6時前に集合したのが、西堀八幡社のある西堀区公会所。
帰ってから調べてみると、その境内に南宮神社が合祀されていた。
近くの諏訪湖畔に旧鎮座地あり、その一帯には南宮の地名が残ってる。
だから美濃からわたしが来たのか。
だとしたら、東西南北の南にこだわらず、素直にタケ+ミナカタの南方からきていると考えれば、糸魚川経由のアズミ族が南方=南宮を名乗ったのではないかと思えてきた。
では、美濃の南宮もタケミナカタかといえば、美濃一円に広がる南宮神社は飛騨金山までつづいて、やはりカナヤマヒコを祀っている。
南宮神社が広がる北限が諏訪であり、富士山が東限。
そこまで重なるように金山神社があり、さらに関東までのびている。
しかし、諏訪の南宮はタケミナカタである。
美濃一宮は仲山金山彦神社だったのが、昭和も過ぎた戦後に南宮大社となった。
だから、周辺の中山神社も分社でカナヤマヒコを祀る。
昔から南宮と呼ばれていたのも事実で、平安時代には「美濃の南宮、奥州の北宮、下野の東宮、摂津の西宮」と東西南北の宮として重要視されていた。
南宮という言葉の意味が、それぞれの時代や土地で入り交じってしまったのが原因と思われ、南宮のひとことで同列に扱わないようにすることも大切となる。
タケミナカタは古事記のみ、日本書紀には出てこない。
先住の神を征服するために創られた神の名であり、アズミ族こそタケミナカタのことだった可能性がある。
九州のアズミ族が出雲にまで勢力を拡大し、糸魚川から穂高の安曇野に遷ったことと、出雲国譲りでタケミナカタが信州へ逃げたことは重なる。
しかし、南宮は太平洋側の南からきたとも考えられる。
下社はタケミナカタノオオカミを祀る大祝、上社は神長官守矢氏が統括。
諏訪大社で一番古いとされる上社前宮がミチャグチを祀る先住神で、表向きには上社本宮でタケミナカタを祀ってきたことを考えると、そこには古代イスラエルの流れも感じる。
諏訪大社の元宮と呼ばれる、多祁御奈刀弥神社が四国にあるのだ。
その延長の九州南部に南方神社もあり、諏訪大明神社と呼ばれていた。
これはまさに古代イスラエルであり、阿多隼人=アズミ族=宗像(ムナカタ)=南方(ミナカタ)のルートである。


https://twitter.com/fuhgetsu/status/720297469104365569


美濃一宮の南宮大社にカナヤマヒコを祀るようになった大和朝廷以前から、この地は隼人族の勢力下にあり同じ海人族の尾張氏とも隣り合わせで仲良く共存していた。
その意味でも、アズミであり隼人であるタケミナカタが南方=南宮であった。
そうした痕跡が、全国にみる南宮の所以となっているようだ。



2016年04月14日のツイート より抜粋



#‎熊本地震‬ 【14日から22日現在までの震源分布と中央構造線】 #‎中央構造線‬ ‪#‎フォッサマグナ‬ ‪#‎ナヰフル‬
14日から22日現在までの震源分布と中央構造線

震度5以上が17回(うち震度7が2回)

2016年4月14日21時26分 熊本県熊本地方(32.7N, 130.8E) 【M6.4】 D10km 最大震度7
2016年4月14日22時07分 熊本県熊本地方(32.8N, 130.8E) 【M5.7】 D10km 最大震度6弱
2016年4月14日22時38分 熊本県熊本地方(32.7N, 130.7E) 【M5.0】 D10km 最大震度5弱
2016年4月15日00時03分 熊本県熊本地方(32.7N, 130.8E) 【M6.4】 D10km 最大震度6強
2016年4月15日01時53分 熊本県熊本地方(32.7N, 130.8E) 【M4.8】 D10km 最大震度5弱
2016年4月16日01時25分 熊本県熊本地方(32.8N, 130.8E) 【M7.3】 D10km 最大震度6強→ 7
2016年4月16日01時44分 熊本県熊本地方(32.8N, 130.8E) 【M5.3】 D10km 最大震度5弱
2016年4月16日01時46分 熊本県熊本地方(32.9N, 130.9E) 【M6.0】 D20km 最大震度6弱
2016年4月16日03時03分 熊本県阿蘇地方(33.0N, 131.1E) 【M5.8】 D20km 最大震度5強
2016年4月16日03時55分 熊本県阿蘇地方(33.0N, 131.2E) 【M5.8】 D10km 最大震度6強
2016年4月16日07時11分 大分県中部  (33.3N, 131.4E) 【M5.3】 D10km 最大震度5弱
2016年4月16日07時23分 熊本県熊本地方(32.8N, 130.8E) 【M4.8】 D10km 最大震度5弱
2016年4月16日09時48分 熊本県熊本地方(32.9N, 130.8E) 【M5.4】 D10km 最大震度6弱
2016年4月16日16時02分 熊本県熊本地方(32.8N, 130.8E) 【M5.3】 D10km未満 最大震度5弱
2016年4月18日20時42分 熊本県阿蘇地方(33.0N, 131.2E) 【M5.8】 D10km 最大震度5強
2016年4月19日17時52分 熊本県熊本地方(32.5N, 130.6E) 【M5.5】 D10km 最大震度5強
2016年4月19日20時47分 熊本県熊本地方(32.6N, 130.7E) 【M4.9】 D10km 最大震度5弱




*訂正:画像内の「21日現在」は「22日現在」です。


西日本(九州を除く)の有感地震が5回

2016年4月16日18時56分 和歌山県北部 【M2.8】 D10km 最大震度1
2016年4月17日12時09分 伊予灘 【M3.8】 D70km 最大震度2
2016年4月18日18時14分 奈良県 【M3.1】 D10km 最大震度2
2016年4月18日23時19分 徳島県北部 【M3.1】 D10km 最大震度1
2016年4月21日23時20分 四国沖 【M4.3】 D40km 最大震度3


*訂正:画像内の「21日現在」は「22日現在」です。


東日本(東北を除く)の有感地震が9回

2016年4月14日20時58分 東京都23区 【M3.6】 D50km 最大震度2
2016年4月15日00時25分 駿河湾南方沖 【M4.8】 D280km 最大震度2
2016年4月15日20時46分 相模湾 【M2.8】 D30km 最大震度2
2016年4月16日08時19分 千葉県東方沖 【M3.2】 D30km 最大震度2
2016年4月17日20時34分 千葉県北西部 【M3.8】 D80km 最大震度2
2016年4月19日19時05分 千葉県北東部 【M4.3】 D50km 最大震度2
2016年4月19日20時43分 長野県南部 【M2.4】 D10km 最大震度1
2016年4月20日02時42分 茨城県南部 【M2.6】 D40km 最大震度1
2016年4月22日07時59分 千葉県東方沖 【M4.1】 D10km 最大震度3


*訂正:画像内の「21日現在」は「22日現在」です。また、14日の東京都23区【M3.6】が抜け落ちています。





追記:2016/04/22 19:35

震度5以上が17回(うち震度7が2回)

震度5以上の地震は17回ですが、複数回地震が起きている震源があるため、地図上では10ポイントとなります。
その重なり具合が、視覚的にもわかりやすいようグラフ化してみました。




郡上八幡音楽祭2015 〜超フリージャズな白山の観音力は場所踊りのエネルギー
夕暮れの郡上にて。
土用入りでエネルギー転換したあめつち。
この後この空の下で、歴史に残る超フリージャズな音楽祭が行われました。




白山をバックにしたステージ。
白山開山1300年に向けた郡上八幡音楽祭2015は、その白山の霊験である観音力から来る“超フリージャズ”がテーマとなっている。




郡上といえばご存知、世界的パーカッショニストの土取利行さん。
そこにエヴァンパーカーとウィリアムパーカーの三つ巴。
ここはパリかニューヨークかしゃんと思う顔ぶれの70年代を彷彿とさせる豪華ステージ。




なのに、会場は超満席で立ち見クラスの補助席追加で大入りだった。
フリージャズがこんなに市民権の得た音楽だとは思えないけど、それだけスタッフも気合い入ってたし、郡上全体で盛り上がってきてる感じがいい。
こういうコンサート会場でばったり会うとしてもちらほらなのに、今日は各方面の友人知人にこれでもかというほどばったり会いまくりうれしかったです。
ある人は畑から野良仕事終わりに、ある人は親の介護終わりに、ある人は遠方からのマニアックな音楽好きというように、地元からも全国津々浦々からも集まってきた感じで、はじまる前から会場はすごい熱気にあふれていた。



もちろん演奏も、それ以上に熱気を帯びていたことはいうまでもない。
オープニングは、ステージ下手にどすんとすえられた大太鼓から。
そこにウッドベースとサックスが絡みあう。




エヴァンパーカー×土取利行×ウィリアムパーカー
 
   管  ×  鼓  ×  弦













そんな超絶なオトの世界が2時間あまりも繰り広げられたのだから、もう言葉にならない。
京の都に奥美濃郡上にお江戸の3ヶ所で行われるコンサートツアーの、今日は中日。
ところ変わればのインプロビゼーションなので、郡上ならではの構成であり演奏だったと思うけど。
直接的なオトではなくとも、やはり郡上踊りのエネルギーを意識してたように感じた。
白鳥には古層の拝殿踊りが残ってて、その場所踊りは「場所をおろす」という意味といわれています。
今回の演奏にも、場のエネルギーをおろす感じがひしひしと伝わってきた。




この勢いは止まらない。
ラストとなる東京も、かなりぶっ飛ぶことと思います。





郡上八幡音楽祭 2015 公式サイト
http://gmf2015.wix.com/free

縄文号とパクール号に乗って
環境破壊や放射能汚染。
不況に戦争。
そんな行き詰った現代社会に痛烈なメッセージを投げかける…

超おすすめ映画の紹介です!


縄文号とパクール号の航海
http://jomon-pakur.info/

予告篇
https://www.youtube.com/watch?v=By18pSwKIxQ


名古屋はシネマスコーレにてあと2日。
金曜の17日まで10時台の1日1上映のみですが、この機会にぜひ!
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/




以下、個人的な感想というか、レポートです。

※注意【映画のネタバレあり】




よく晴れた午前中、名駅近くのシネマスコーレに行き、わたしも一緒に縄文号とパクール号の旅にでた。
わたしは関野さんもよく知らないし、縄文と名がつけば何でもかんでもいいわけでなく、過度の期待はせず、ただ海と冒険の映像に浸ろうと映画館に入っていった。
懐かしい武蔵美のシーンからはじまり、いきなり砂鉄から野鍛治で斧をつくって木を切り倒すまでのところは、それだけで別に1本の映画となるくらい面白いんだろうけど、実はちょっとひいてしまった。
実際の現場と違い編集されたドキュメンタリーなんだから仕方ないかもしれないけど、そうした馬鹿げたところから本気でこの旅の意味を確信している関野さんの信念みたいなものをみんなが共有するための重要な儀式であったに違いない。
インドネシアの現地で船を手作りする協力者を探しだし、一緒に切り出した1本の老木から、自然から得た道具のみで作り上げた丸木舟の縄文号と、電動工具を必要とするアウトリガーの伝統漁船パクール号が出来上がり、日本人とインドネシアのマンダール人という混合クルーを乗せて海に出るところからすべてが未知の世界となり、このドキュメンタリーの見せ場はとどまることなく突き進む。
とてつもなく大きい海原に浮かぶ、小さなちいさな船の上という孤独な状況下、同じ釜の飯を食うクルーたちの中にもやがて確執が生まれ、いつしか呉越同舟状態となる。
その中で、次郎の成長ぶりがクルー全体の団結につながって成長していく姿に、拍手あり、涙ありの感動。
わたしもすでにクルーの一員となっていた。
 
古代人と同じ条件で、道具から何からすべてを自然界から調達し、コンパスもGPSも無しで太陽と島影と星を見て、風と潮流のみで日本をめざす3700knの旅はこうだ。
インドネシアをスタートし、マレーシア、フィリピン、台湾を経由して、日本の石垣島がゴール。
順風満帆では、この旅の意味も、映画の意味もない。
絶え間ない逆風や、荒れた海には逆らえず、2度も中断。
あしかけ3年目にしてようやくゴール。
 
大自然に畏怖の念を抱く、インドネシアの精霊文化は近代以前の日本にもあった。
船を海に入れ、舵を海中におろすにも祈りがある。
海を切って進む舵は痛いから、海を想ってお願いしなければならない、など。
逆風となったり風が止まれば進まない船。
無理をすればなんとか進める現代船であれば無理しちゃうところ、それすら出来ないのがいいところ。
自然には逆らわず、人間側があきらめることの重要さも学ぶ。
そうなったとき、自分の行いにも何か良くないことがあったのかもしれないと、自分で自分に言い聞かせる。
そんなこんなで足かけ3年目となった最後の航海直前で、想像を絶する大事件がインドネシアと日本の双方で巻き起こる。
ひとつは、この航海のキャプテンをつとめ、クルーたちから絶大なる信頼を寄せていたザイヌディンが精霊に海へ引きずり込まれ失踪してしまう。
そして、もうひとつ。
その日はちょうど2011年3月11日。
日本では東日本大震災で津波と放射能汚染が襲った。
関係無いようで深くつながっている。
このことで旅の意義がより深まり、この旅の最長距離となる台湾からの海峡を、最後は見事に渡り切って石垣島に入港。
ザイヌディンも日本の新幹線を見たがってたから、もちろんクルーとして一緒に乗っていただろうし、向こうから最後の旅となる難関を見守ってくれてのことだろう。
そしてこの旅は、このクルーたち誰一人欠けても成功しなかっただろう。
最初はたまたまバラバラの寄せ集めだったにしても、造船技術や航海技術だけではなし得ない、ひとつのエネルギー体として動いてた。
船を生き物として扱う、マンダール人クルー。
いつしかクルー全体が船と一体化して、ひとつの魂で結ばれた大きな生き物のように成長していたのだった。
 
わたしは何度も自分の旅と同化するシーンに出くわし、とても他人事とは思えない場面が多々あった。
インドネシアには行ってないけど、小笠原で帆船に乗ったりあちこち無人島をめぐったりしたときの光景。
縄文号とパクール号が初航海にでた2009年には、ハワイから日本にホクレア号がやってきた。
そして翌年、2010年に2度目の航海で日本をめざしていたころ。
時を同じくして、偶然にもわたしたちは尾張で葦船をつくりはじめ、秋には仲間たちと伊勢までの航海に成功している。
だから、縄文号とパクール号が最後に石垣港に入港する感覚がなんとなくわかるし、風の無い湾内へは帆船ゆえに死に物狂いでオールを漕がないと入れないことも知っている。
だから、劇場内でただ一人、小さく拍手したり涙していたのだ。




映画館をでると、名古屋駅の新幹線が見えた。
台風前の嵐の静けさか、大海原の船から見た光景かのように。
この抜けるような青空に、ザイヌディンの唄がこだまする。
奇しくもそのころ、国会では安保の強行採決がはじまった。
まだまだつづく旅がある。
そうだ、新たな旅にでよう。










《2010/10/01のブログ》
10/8-11/6 葦船プロジェクト☆おかげ祭り&おかげ参り 〜えびす町内会 プロジェクト第二弾~
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=3753

《2010/11/02のブログ》
11/3(水・祝) 葦船ひかり出港式 〜葦の御船でおかげ参り
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=4543

《2010/11/04のブログ》
11/6(土) 葦船ひかり入港歓迎会@伊勢 〜いよいよ全長12mの古代葦船が伊勢に入港します!
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=4575



全方位の光を観ること ~omni Sight Seeing~
ここ最近の空は、日常に居ながらにして観光しているようなものだ。
ときどきこのような変化がくり返され、また何でもない、されど毎日違った空がそこにある。


 


大きな変化はだれにも気づきやすいけど、逆に何でもない光景の中にある小さな変化の中にこそ大きなメッセージが隠されていたりするものだ。
観光とは、こちらから出掛けていって観る旅先での光景と思いがちだけど、長く旅をした後は街に帰ってからもずっと旅感覚が持続していて、日常を深く感じ入ることができるようになる。
それまで毎日観ていた変わらぬものという先入観から抜け出し、まったく新しい発見が無限にくり返されるようになる。

観光とは、光を観ること。

光は心で観ることもできる。
細野さんのアルバムで「omni Sight Seeing」っていうのがあって、すごく好きだ。
意味は、全方位観光。
音楽で観光するのがテーマにあるんだろうけど、そこは細野さん、もっと奥が深く、それをさりげなく表現している。
楽曲的にも江差だったりアラビアだったり世界中を旅する感じだけど、いつもの根底にあるそれこそ宇宙だったり精神世界だったりの全方位にある光景を観る感覚。




細野晴臣「omni Sight Seeing」/ 再生リスト - YouTube

船木山古墳群のベンガラで彩られた赤彩古墳 〜縄文からつづく美濃席田の聖地で製鉄民の足跡をたどる旅
今日まで無料で特別公開していた、船木山古墳の「赤彩古墳」を見にいってきました。




“古墳数が東海地方最多の船来山古墳群で、死者を埋葬する玄室の内部がベンガラで赤く彩られた赤彩古墳の特別公開が二日、本巣市上保の「赤彩古墳の館」で始まった。六日まで。…”

ベンガラ塗られた「赤彩古墳」玄室を公開 本巣_岐阜(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20150503/CK2015050302000015.html




東海地方最多の古墳が山全体に密集する、船木山古墳群。
4世紀から7世紀にいたる400年間造り続け、古墳数は1000基以上と推測され、現在までに290基が発掘されている。




古墳の人骨の一部からは、縄文人の特徴がみられるものもあった。
6世紀には、赤彩古墳(死者を埋葬する玄室の内部がベンガラで赤く彩られた)が3基、東西横並びに造られた。
古墳が終わると、南麓に白鳳時代の弥勒寺が建立。
船木山という一つの山には、縄文〜弥生〜古墳〜古代〜中世〜近世へという歴史の流れがぎっしりと詰まってます。
濃尾平野(古伊勢湾)最北の地であり、大河川(旧糸貫川)が南北に流れ、東山道が東西に走り、政治文化交通の要衝であった。










“赤彩古墳の発掘例は、西濃に2例(旧上石津町・二又1号墳、池田町・南高野古墳)滋賀1例(旧中主町・木部天神前古墳)その他ありますが、「実見」できるのはこの船来山272号墳だけです。”

“注目すべきは、石室内部の全面に塗られた赤色顔料(ベンガラ)である。内部の四面に入念な塗彩がなされ、天井部分での証拠も確認されていて真に“赤の世界”である。これは死後の世界を赤に守られる信仰なのであろうか…”

本巣市 赤彩古墳の館
http://www.city.motosu.lg.jp/sight/link/fuyuugaki/sekisaikofun.html




ベンガラはの成分は水銀朱ではなく鉄。




つまり酸化鉄の赤錆が使用されていた。




ここは美濃尾張で最大の鉄の産地である金生山(カナブヤマ)にも近い。
そこに美濃最大の都があり、こちらは副都心といった感じか。
物部神社も近く、古墳からは武器や馬具の鉄製品が多く出土している。
物部氏の痕跡としては、地元住民の中に“モリヤ”姓が多く、その子孫であると云われている。




本巣には、開化天皇の御廟があったと伝わり、本巣国造の祖とされる神大根王(開化天皇の孫)を祀る神社もある。
古墳群全体は長期に渡って複数の王や豪族が祀られており、被葬者がだれであるかわからないほど共存していたものと思われる。




古墳時代が終わると、船木山南麓は本巣郡から分かれて席田(むしろだ)郡が建郡される。
続日本書紀には、このとき尾張からきた新羅人によって席田郡が建郡されたとある。
ちなみに、席田郡の地名は全国でもう一つ、北九州に存在した。





このメーデーに思うこと 〜呪縛を断ち切る
G暦5月1日は、労働者の日メーデー。
五月晴れは、旧暦五月の梅雨の晴れ間
五月満月のウエサク祭もある。

サツキとメイの五月。
この5月のメイ[May]には女神の意味がある。

もともとこの日は、ローマ神話の豊穣の女神マイアの祝日。
では、なぜそれが労働者となったのか。
メイデイ[MayDay]とは、夏の訪れを祝う祭であり、その女神に豊穣祈願の生け贄を捧げる日だった。
フランス革命は自由と平等と博愛を掲げたフリーメーソンによって成し遂げられた。
仏政府は、その後に独立したアメリカへ自由の女神を贈っている。
自由と平等と博愛を掲げたフランス革命は、古代の秘儀を伝承している秘密結社によって成し遂げられたといわれる。
その後、仏政府はアメリカの独立記念に自由の女神像を贈った。
自由の女神メイの息子。
自由と平等と博愛を掲げたフリーメイソン。




切断される映画『美しき緑の星』とは
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=34572




この集団社会で身につけていく常識とは、大衆を思考停止させるためのもっとも有効なツール。
なにも陰謀論的に洗脳されてるとか外側からマインドコントロールされてると叫ばなくても、恐怖心からくる正常性バイアスにより自ら暗示をかけてるから、一筋縄ではいかないのがこの常識という名の“呪縛”。
自らの内にある潜在的な世界に気づきが起きていくら覚醒しても、この呪縛がとかれない限りすぐにマトリックスの世界に引き戻されてしまう。
美しき緑の星という切断する映画を見ずとも、この生まれながらにして持っていた本来の自分に後付けされた呪縛を断ち切るのは、意外と簡単なことかもしれない。

日本は海を意識すれば啓かれ、島国として閉ざされれば奴隷化されやすい体質。
お上には逆らわず、長いモノに巻かれ、出る杭は打たれ、臭いモノには蓋をする日本社会は、明治維新とは名ばかりの長い封建制の延長線上に築かれた天皇制で加速し、その体質から抜け切れないまま戦後復興したつもりでいる。
戦後70年経った今でも、何も成長しないまま阪神淡路と東日本大震災へ突入し、スマトラ沖地震の津波とチェルノブイリ原発事故が同時に起ったような最悪の事態に直面しても、ぬるま湯のカエル状態でなんとかつづいてるのはある意味奇跡的だけど、放っておけば他の生命も巻き添えにした危機状態なのだ。
その日本がこのまま安倍晋三親子三代の夢である私的な戦争にまんまと同調していくのか。
数千年来、永い眠りの中にいるわたしたち。
早くから目覚めた人たちにはじっれったく感じるほどゆっくりかもしれない。
戦争のない一万年の縄文から、太陽に手を合わせて拝んできたわたしたちの根っこの部分。
その目に見えない内側ではちゃんと変化がはじまってるから、スイッチが入ったらオセロのように一気に裏返って大きく動き出すことを信じてます。
そうなるのもやっぱりこの日本からなんだろうなと思う。
それはけして、日本人だけが優れた民族だからではない。
その中心を見つめ、ブレないでいよう。




なぜこの日本列島が世界の雛形となってるのか。
四つのプレートがひしめき合い、地震大国で火山列島のこの大地に、世界四大文明よりはるかに早くムーやレムリアの流れをくむ縄文文明が花開いた。
四大文明から弥生に始まる、数千年の戦争社会を終わらせるカギを握ってるのはいったいだれなのか。
人間だけでなく他の生命を犠牲にしながら繁栄することは文明と呼べるのか。
このような現代社会の中で何もしないのは滅亡の道に加担しているも同然で、その数が多いほど残された時間も短くなる。
搾取で成り立つ物質文明をこの日本が徹底的に経験することでしか新たな次元を啓くことができないのか。
あらゆる天災と、戦争や原発事故の人災は分けて考えないといけない。
天災は人間の波動に影響すれどコントロールすることはできない。
人災は人間次第で今すぐにでも無くすことができる。
被災した地域の人々の行いが悪かったから天罰がくだったのではない。
むしろ被災した人々は選ばれた人たち。
カミさまは裁くことなく、時と場所も選ばない。
何時何処で天災となるかわからず、被災しなかった人たちがいかに当事者となって助け合うかが試されている。
戦争や原発事故は、その助け合いも出来ないほど徹底的に破壊する。
この星は、お互いが助け合ってでしか生きていけないようにできてるのだから。




宇宙の中心で絶えず変わることなくくり返される循環の世界と、それを維持するために絶えず変化しうごめいている外側の世界。
その秩序こそ変えてはならない。
わたしがこれまで暦を刻み、地震や台風や太陽フレアを書きとどめ、神社を巡りつづけているのはどれも同じことのように感じているからです。





切断される映画『美しき緑の星』とは

映画『美しき緑の星』


コリーヌ・セロー監督作品
1996年フランス/90分




かつては、こちらの日本語版公式サイトで無料公開してたそうです。

美しき緑の星・日本語字幕版(残念ながら現在は観れません)
http://belleverte.net/ja.html




意識を目覚めさせたくない人は観ないで下さい。
なぜこのフランス映画はEUで発売禁止になったのか?

YouTubeに何度UPしても削除されるようになり、今ではネット上のどこを探しても無いという曰く付きの映画。
そこで、中山康直さんがコリーヌ監督と交渉して自主上映で観れるようになったということのようです。

▶ <切断>される映画「美しき緑の星」中山康直
https://www.youtube.com/watch?v=zJMfC1gaWi8

▶ 「美しき緑の星」上映後トーク中山康直@沖縄
https://www.youtube.com/watch?v=Vo15NjlPUOA

▶ 【2015.04.26】中山康直講演会@沖縄
https://www.youtube.com/watch?v=d_-GNevMtjw


ぜひ観たいという方は、仲間を集めて自主上映イベントを企画されてみてはいかがでしょうか?
って、自分も名乗り出てみようかな?


あらすじ

この美しき緑の星では貨幣制度がとっくにありません。
自分の得意で好きなことをそれぞれがして共存共生し、みんなが平和に豊かに暮らしています。
彼らの惑星では 地球は本当に危険で野蛮な原始的な星なので、誰も行きたがらない。
そんななか、主人公の女性宇宙人が名乗りあげます。

わたし行ってもいいわよ!


予告編(1分47秒)

▶ La Belle Verte
https://www.youtube.com/watch?v=08cPhbRjvxY


作品紹介

誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら……そんなの、ありえない?

「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画です。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にされているのです。マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。ヴァンサン・ランドンやコリーヌ・セローなど有名な俳優が出演しているにもかかわらず、探しても、なかなか見つからないのは、そのためでした。これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。

どなたにも楽しんでいただける作品です。




監督の言葉

世の中の仕組みを根底から問い直すクレイジーな映画を撮ってみたいと思いました。それで長い時間をかけて考証を行ったのです。無駄になったシーンやアイデアを書き留めたノートが何冊にもなりました。次から次へと疑問が生じたのですが、そのすべてに答えが得られたわけではありません。そうして、風にそよぐ木々に見守られながら、台本の執筆に取りかかったのでした。

完成した台本を見た人たちの反応は実にさまざまでした。このプロジェクトの資金援助には乗り気でない人たちが何人もいるとプロデューサーのアラン・サルドが言います。「本当にこの映画を撮るつもりですか?」と彼が言うので、私は熱を込めて「もちろんです」と答えました。

かくして映画は封切られたのですが、完全な失敗でした。誰も興味を示さなかったのです。客が入らず、批評家からは酷評されました。業界にとって、この作品は理解不能のUFOだったのです。しかし、この映画は死にませんでした。こうした逆風にもかかわらず「美しき緑の星」は生き残り、生き物のように成長し、人の話題となったのです。この映画が必要とされているからでした。この映画が世の中に発するメッセージのためだったのです。一緒に映画を見て語り合う「美しき緑の星」クラブのサイトが、いくつもインターネットに見られるようになりました。

私は早すぎたのでしょうか? この映画のように価値観を根底から問い直すことで世の中を変えることが必要な、ぎりぎりの瀬戸際まで私たちは来ているのかもしれません。






参考リンク

Ceron.jp - 美しき緑の星・日本語字幕版
http://ceron.jp/url/belleverte.net/ja.html





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