月音(つきのね)∞風音(カヂヌウトゥ)

プロフィール
∞音∞_a.k.a._風*月さん
えーさんの紹介で登録しました。
母方が郡上出身で長良川流域にとてもご縁を感じておりますので、どうぞよろしくお願いします!

キーワード:宇宙/巨石/縄文/葦船/磐座/褌/大麻/神社/旧暦/お祭り/音楽/アート/映画…

ムスブログでも以前のmixiのようにリアルタイムで日記を書きたいのですが、今はツイッター中心に書くようにしています。
【mixi】 http://id.mixi.jp/fuhgetsu
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現在、ブロブのほとんどは、ツイッターを日付毎にまとめてくれるツイログを元にアップしてます。
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2013年04月28日のツイート 〜揖斐のマチュピチュ池田山の天空の茶畑に広がる岐阜県最大の古墳群と現代アートのコラボ/願成寺古墳群美術展

2013年04月28日(日) 17 tweets


4月28日17時26分。
太陽ー地球ー土星が直列。
土星が太陽の反対側にあるということは、満月と同じようなイメージ。
太陽が沈むと同時に土星は東から昇りはじめ、真夜中に南中して、夜明けとともに西へと沈んでゆく。 twitpic.com/cmdf29

posted at 02:17:52


土取利行+韓国打楽器集団ノルムマチ・郡上独占初公演 - 土取利行・音楽略記
http://d.hatena.ne.jp/tsuchino-oto/20130427/1367062132

posted at 03:09:19


願成寺古墳群美術展の森にて twitpic.com/cmixcw

posted at 17:15:01


池田山山麓にある111の古墳群の中に、11人の作家が展示する美術展。 twitpic.com/cmk3w2

posted at 19:47:04


濃尾平野北西部にそびえる標高1000mあまりの池田山から… twitpic.com/cmlpb2

posted at 22:40:23


東に流れる大津谷の扇状地に… twitpic.com/cmlpr8

posted at 22:41:37


6〜7世紀にかけ100基以上の円墳が築かれ… twitpic.com/cmlq1z

posted at 22:42:24


今でも揖斐茶の茶畑と共存している。 twitpic.com/cmlqbj

posted at 22:43:06


大津谷右岸にある古墳群の入口へ水辺から入って行くと、ウグイスの鳴き声が響く森は光に満ちあふれていた。 twitpic.com/cmlrt0

posted at 22:47:08


そこは無数の星々が地上に配された宇宙空間。 twitpic.com/cmlrzo

posted at 22:47:36


企画した人は誰か知らないけど、美術展の会場としてすばらしい試みだと思う。 twitpic.com/cmls6f

posted at 22:48:10


石室の光の具合から… twitpic.com/cmltor

posted at 22:52:19


ここが朝日を浴びるための場所だとわかる。 twitpic.com/cmltyv

posted at 22:53:04


この山並みを北上した揖斐川沿い上流域の山麓にある朝鳥明神も似たような谷の扇状地にあり、冬至祭の磐境の奥にある古墳の入口に向かって冬至の朝日が入り込む。 twitpic.com/cmlu5v

posted at 22:53:35


日本回復の兆し~木村農法の田んぼとお米からは、福島でも放射線が検出されず!~ http://www.trend-review.net/blog/2012/12/002443.html #日本を守る

posted at 23:13:49


濃尾平野を形成する前、この一帯まで海だった。しかも、西にいくほど深く傾いた地形のため、木曽川も長良川も、西に流れる揖斐川の深い谷底めがけて流れ込み、そこから急カーブで一気に南下して太平洋に注ぎ込んできた。ここはエネルギーの集積地。 twitpic.com/8o1m4s

posted at 23:56:53


日本書紀に記される最初の地震は、允恭57年(416)のなゐふる。それ以来記録された国内の内陸地震で最大とされるM8.0が、明治24年(1891)の濃尾地震。あの根尾谷断層を残した大震災も、美濃尾張のエネルギー集積地で起きている。 twitpic.com/cmmhe9

posted at 23:58:16




2011年04月26日のツイート 〜七十二候の霜止み苗出ず/レンゲ蜂蜜工房と最後の綿毛

2011年04月26日(火) 9 tweets


本日、七十二候で霜止み苗出ず。まもなく八十八夜の別れ霜。そろそろ遅霜も終り、苗代では稲の苗が発育しはじめるころ。

posted at 13:50:17


1986年4月26日未明(日本時間で同日朝)におきたチェルノブイリ原発事故から今日でまる25年となりました。 -黙祷

posted at 14:14:14


緊張感は長くは続きません。
日々の日常生活に戻ることで、わたしたちは驚くほど目の前の現実に慣れてしまい気持ちが薄らいでいってしまいます。

posted at 14:16:09


福島原発事故はもう大丈夫ではなく、残念ながら最悪のシナリオはまだ完全に回避されてません。
最終的に放射性物質の放出が止まった時点ではじめて、じゃあどんな規模でどれだけの影響を及ぼすのかという見通しの予測がはじめて行えるのです。

posted at 14:16:28


しかし、現場の最前線ではそうならないよう命がけの作業を続けている人たちがいてくれるお陰で奇跡がおきているんだし、そうならないように祈り続ける人々がまだまだ世界中にたくさんいるからさらに奇跡がおきているんだと思います。

posted at 14:17:12


チェルノブイリ事故後、5年~8年から急激に発病した。当局は放射能による被害をできるだけ小さく見せて「安全宣言」をした…。 そんな当時、現地のありのままの姿を取材したフォトジャーナリスト広河隆一氏出演のドキュメンタリー番組 youtu.be/tWWICnIQE9k

posted at 14:32:06


ブログ更新 [musublog] 311の福島から426のチェルノブイリへ http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=7414

posted at 15:15:15


やっぱりレンゲは蓮の華
twitpic.com/4pp543

posted at 19:26:16


ミツバチの羽音と地球の回転
twitpic.com/4pp5vq

posted at 19:28:49





2011年04月17日のツイート 〜さかなをさばく解体ショーのお客さん/春の土用入り

2011年04月17日(日) 8 tweets


2011/04/16 03:00 発表の拡散予測(日本時間はプラス9時間してください) twitpic.com/4lli9s

posted at 00:20:17


2011/04/16 03:00 発表の拡散予測(日本時間はプラス9時間してください) www.youtube.com/watch?v=ud1yv0

posted at 01:01:33


今日の食卓
twitpic.com/4lys1e

posted at 18:38:37


いただきものの鯛を家族みんなでまるごと完食!
twitpic.com/4lzl71

posted at 19:57:34


心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた t.co/pQa13qL 菊地洋一さんが中部電力靜岡支店への浜岡原発停止の署名を提出行動に参加してくださいました。思わず、話し始めた菊地さん。その迫力にその場にいたものすべてが氷付くほどだった…

posted at 20:02:45


小2になったばかりの三男に今日はちょっとこわいからマスクしてねといったら素直につけてくれた。すると「原発をつくった人は知ってたの」知ってたと思うよ「なんでそんなもんをつくらいかんの」大人より子どもの方が先生であり、魂の先輩なんだろうな。

posted at 21:07:06


本日より土用入り。土用は四季の間に年4回入る18日間。季節は春から夏へ。土用明けは立夏です。土用とは土旺用事の略で土が旺盛な時期。土公神(どくじん)が司るので土をいじってはならない。

posted at 21:37:17


秋葉や愛宕や竈神。火を扱うにも儀式から。人間が手にした最初の火は神話となり、神として扱われてきました。石炭や石油や天然ガスやウランといった鉱物資源は、母なる大地の血液や内蔵。その奪い合いから生まれた究極の火である原発は、人間の手に負えるわけがない。

posted at 23:59:02




2013年04月23-25日のツイート 〜ノルムマチ/伽耶=太陽族=釈迦族/土取りさんの縄文の音霊/百穀を潤す春雨/三角形の中心は富士山

2013年04月23日(火) 6 tweets


連休最後となる5/6は、土取利行&韓国打楽器群団ノルムマチの躍動感溢れる日韓パーカッション。
hachimanongakusai.jimdo.com
この饗宴が生で聴けるのは、ソウルでも東京でもない。
郡上八幡独占ライブのスペシャル映像!
youtu.be/afDjVeLUH9Q

posted at 00:45:43


ミサイルが向かう先には必ず武器がある。米中あるいは米朝が開戦すれば、日本は安保条約で参戦しないといけない。ボストン爆弾テロも四川の地震も。自衛隊が海外武装できるよう、憲法改悪に向け誘導されてる。自衛隊という名の軍隊と米軍基地がある限り、戦争を前提とする一時的な平和は長く続かない。

posted at 19:13:44


5/6、郡上の土取さんが韓国打楽器集団ノルムマチを招いて、日韓パーカッションアンサンブルで魂をぶつけあう。
hachimanongakusai.jimdo.com
戦前にも似たきな臭い世の中を吹き飛ばすかのように、このタイミングで芸どころの郡上で文化交流が行われることも偶然ではないと思う。

posted at 19:22:04


四大文明が興る前から、航海技術にすぐれ南米にまで到達していた縄文人。その影響はいかに。国となって分かれていったアジアにおいても然り。そうした中で細分化した文化は、後の時代も影響を与え合い、ときに吸収されたり、さらに極めたりしながら、縦糸と横糸が織り成す美しい旋律を生み出してきた。

posted at 21:08:44


近くて遠い国があるのはなぜか。まず、わたしたちはアジアに還るところからはじめなければならない。人種も国境も超え、海を渡り、大陸を歩き、ルーツを同じくするアジアの一員だった。その文化に優劣などはない。価値観の違いこそあれ、同等な立場でリスペクトし合うことができる。

posted at 21:10:37


わたしが土取さんと出会ったのは、ずいぶん昔に手にした銅鐸のCDだった。そこから土笛や縄文鼓につながってゆき、郡上というご縁もある。ルーツを見失ったがゆえに文化そのものが希薄となった今、もはや縄文回帰への流れは避けられない。それは地球規模のネイティブスピリットの高まりとともにある。

posted at 21:17:16


2013年04月24日(水) 8 tweets


5/6(祝) 土取利行&ノルムマチ@郡上 〜日韓パーカッションアンサンブル www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/ 伝統と前衛が響き合う、郡上八幡独占公演。連休最後となる6日はぜひ郡上へお越しください。前売チケットがまだの方もわたし宛にメッセージいただければ当日対応します!

posted at 00:40:39


土取利行の古代三部作より【弥生時代】銅鐸演奏/土取利行 Toshi Tsuchitori play Ancient Japanese bronze bell DOTAKU youtu.be/BzNQ8SVCgL0

posted at 02:33:12


土取利行の古代三部作より【縄文時代】Toshi Tsuchitori Jomonko Live 95 土取利行 縄文鼓ライブ95 youtu.be/72FCdwcd0c4

posted at 02:33:24


土取利行の古代三部作より【旧石器時代】 Sanukaito stone at Mt.Aono/Toshi Tsuchitori サヌカイト青の山/土取利行 youtu.be/bR_f-eNJYPs

posted at 02:33:33


縄文鼓とアイヌ音楽/土取利行、安東ウメ子、オキ youtu.be/g0P3z6FlmzU 2002年、香川県県民文化会館で催された「縄文鼓の世界/アイヌソングとの響宴」よ­り

posted at 03:10:18


弥生十五日/十五夜。三月ウマチー(サングァチウマチー)。沖縄では、旧暦三月十五日が麦の収穫祭。ひとつ前の十五夜の日、二月ウマチーの初穂祝いから一ヶ月。麦の穂を神仏に供え、豊作を祈る。大折目や、麦大祭ともいい、久高島ではマッティ、多良間島では麦プール、波照間ではスクママスともいう。

posted at 07:54:44


インドにおいてKapilaと呼ばれる釈迦国の遺臣は、中国を経て朝鮮に辿り着いた。日本では任那、百済では加羅、新羅では伽耶と呼んだ地。伽耶とは「太陽族」の意。釈迦族を新羅で表した言葉。その御徴は菊花。その子孫は飛鳥朝時代に日本へと亡命… amba.to/11jSOxB

posted at 19:59:52


(承前)インド北東部、ビハール州ガヤー市の南方にある仏教の聖地。釈迦が悟りを開いたといわれる地は『ブッタガヤ(仏陀伽耶)』と呼ばれています。これは偶然とは思えません… bit.ly/ZOjtQM

posted at 20:04:19


2013年04月25日(木) 14 tweets


縄文鼓/大地の響震 ~土取利行 bit.ly/Zl2Hgl 録音:1990年8月20日(午前2時から5時半)長野県茅野市尖石考古館与助尾根住居址 広場。4500年の時の流れを超えて八ヶ岳山麓に谺する縄文の音霊、現代に甦った縄文鼓アンソロジー。有孔鍔付土器…

posted at 01:32:14


1990年8月20日­、八ヶ岳山麓の尖石・与助尾根広場で夜を徹して挑んだドキュメントと歴史的演奏記録か­ら… 土取利行/縄文の音霊1 ドキュメント篇 youtu.be/qY4vOsbYCf8 土取利行/縄文の音霊2 演奏篇 youtu.be/K5Zd0iAtEd4

posted at 01:38:05


1990年 NHK教育「縄文の音世界を求めて」1 youtu.be/AIHGksG19W4 2 youtu.be/r_b5u_L9KAEyoutu.be/MqrUB9RBgkM 演奏に至るまでのドキュメント「闇の部分がききたい。闇という字は、門の中に音が入る…」

posted at 01:51:56


Amazing performance with only one guitar string! www.facebook.com/photo.php?v=10 ヤーマン! ギターの弦5本切れたら楽器にならんなんて誰が言った? 1弦パーカッションでグルーブしまくる最高ーーーー!!!

posted at 02:46:43


弥生十六日。霜止出苗(しも やんで なえ いずる)。七十二候は、三月中穀雨の次候。苗代ではサナエがすくすくと発育しはじめます。5月1日は立春から数えて88日目の夜となる、八十八夜の別れ霜。朝晩の冷え込みも、霜が止むこの日を境に無くなる。土用明けの5月5日が立夏。夏はもうすぐそこ…

posted at 09:13:51


弥生十六夜。いざよい。満月/月蝕。太陽が沈むと同時に昇りはじめる十六夜の月が、日付変わって西に傾く明け方近く、満月となるのは26日4時57分。4時47分から本影食がはじまり、5時07分に食最大。東日本は月没と日出が重なるため、西日本で部分月蝕。九州では食の最後まで見れるそうです。

posted at 09:21:40


(再掲)弥生十六日。霜止出苗(しも やんで なえ いずる)。七十二候は、三月中穀雨の次候。苗代ではサナエがすくすくと発育しはじめます。5月2日は立春から数えて88日目の夜となる、八十八夜の別れ霜。朝晩の冷え込みも、霜が止むこの日を境に無くなる。土用明けの5月5日が立夏。夏はもう…

posted at 09:45:18


昨日一日たっぷりと降った、百穀を潤す春雨。恵みの雨も夜には上がり、十五夜の月明かりの中、うちの前の田んぼではカエルたちがうれしそうに唄ってた。今は田畑もいじれない、土用の期間。種が蒔かれた土の中では、土公神が春から夏へと季節の建替中。 twitpic.com/clpexr

posted at 10:45:02


いくら時代が変わろうと、9条は色褪せない。なぜなら、日本国憲法は二度と国が暴走しないよう、国民のためにつくられたから。政治家にとってこれほど邪魔なものはないから、拡大解釈で自衛隊とか原発つくってきた。国が改正を迫るなら、それは改悪。そうならないよう、国民は国を監視する義務がある。

posted at 17:16:42


明日26日はチェルノブイリの原発事故から27年。まだ残ってる建屋が今年2月に崩壊し、石棺した本体もかなり危険な状態という。福島原発は2年経った今もメルトダウンしたままの緊急事態。それをなんとか食い止めてくれてるのが現場の作業員。国はとっくそこから逃げ、再稼働と軍事化を標榜してる。

posted at 20:22:40


明日は、月ー地球ー太陽が重なる月蝕。満月のエネルギーもより高まる。太陰と太陽の合一を、大地とともにお祝いたい。しかし、月蝕が見えるエリアは地震のトリガーとなりやすい。富士山の異変も耳にする。人々の想念で大きく変わるなら、不安を感謝に、恐怖から畏敬の念にエネルギーの方向を整えよう。

posted at 20:38:36


twitpic.com/ckfedq - 【訂正】三角形の中心が富士山になるかどうかの検証で、ある方から「これは淡路-三宅-宮城ではなく、淡路-三宅-福島だ」とご指摘いただいた。ポイントには正確を期したつもりが、文字入力のときに福島県沖と宮城県沖が入れ替わっていた。

posted at 21:40:59


そこでもう一度、再検証。福島の三角形は富士山山頂辺りで、宮城との三角形は河口湖辺りになりそうだ。福島沖は311と重なる。宮城沖は富士山と縁が深いこともわかった。震源近くの雄勝町には小富士山があり、富士沼があり、富士川が流れてる。 twitpic.com/clt7if

posted at 21:45:19


彩雲をまとった十六夜の月がますますパワフルに感じる。

posted at 22:28:39




2017年04月22日のツイート 〜高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

2017年04月22日(土) 22 tweets


高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル

pic.twitter.com/irGGXQQVb4

posted at 21:40:30


朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。

pic.twitter.com/lGRW2owghh

posted at 21:44:19


高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。

pic.twitter.com/ab0ckVFcCO

posted at 21:45:01


皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。

pic.twitter.com/P9eDh820kS

posted at 21:46:00


周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。

pic.twitter.com/BXEArZ4Jqm

posted at 21:50:23


もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。

pic.twitter.com/lndnoKnUZ5

posted at 21:52:37


ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代 商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの 工房があったり…

pic.twitter.com/KhjoEioUls

posted at 21:56:24


鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。
そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。

pic.twitter.com/4set4qYQqc

posted at 21:59:34


海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。

pic.twitter.com/myuHK8HlCr

posted at 22:00:26


さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。

pic.twitter.com/ZYmiTX25Ma

posted at 22:01:16


弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。
つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。

pic.twitter.com/pdgsQ3uznF

posted at 22:02:25


倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

posted at 22:03:11


纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=21218

posted at 22:08:56


西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。

posted at 22:10:11


その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。

pic.twitter.com/zavrGifBCy

posted at 22:10:59


朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。

pic.twitter.com/5E13h5Pg29

posted at 22:12:20


なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。

posted at 22:13:05


ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。
実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。

pic.twitter.com/DV5lxbH5tr

posted at 22:13:56


ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。

pic.twitter.com/27RBCoqXAP

posted at 22:14:29


遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。

posted at 22:15:17


ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。

posted at 22:15:32


[musublog] ブログへまとめました。

高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=64584

posted at 22:46:14

 

2017年04月23日(日)


朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。

pic.twitter.com/HdEfjznWTx

posted at 00:16:17




高速道路に眠る古代尾張の朝日遺跡クロニクル



朝日遺跡は、南の吉野ヶ里や、西の唐古鍵と並ぶ、東海地方最大の巨大環濠集落。




高速の清洲ジャンクション高架下一帯に広がる大都市は、弥生時代中期に最盛期を迎える。




皮肉なことに、破壊につながる開発がなければ尾張にこれだけの規模の遺跡があることは知られず、わずかな貝塚のある土地としかみられてなかった。




周辺の小さな遺跡は縄文から弥生、古墳が連続し、戦いが無かったような発展の仕方をしている土地柄なので、もっと詳しく調べる必要があったのに、すぐに埋め戻されているのが残念ではあるが、あとは想像を働かせよう。
もともとはぽこぽことした土塁の一部を、昭和初期に貝殻山貝塚として調査されるにとどまっていたのが、高速道路の建設計画でどこを掘っても集落や墓にぶちあたる巨大な遺跡だったことが判明。


















ふたを開けたら縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚群が連続して形成された上に、環濠が張り巡らされた集落が一代商業都市へと発展しながら、九州の巴型銅器や畿内の銅鐸による祭祀、糸魚川のヒスイや飛騨の下呂石など原石を取り寄せ加工する石器やガラス玉や勾玉作りの工房があったり、鳥形土器はもちろんこの地方独自のパレスタイルと呼ばれるベンガラの赤彩土器や丸い穴の開いた円窓付土器などなど、興味深い文化がたくさんある。




















そうした色彩感覚や幾何学模様など、隼人族の匂いがぷんぷんする。
海と山が近かった時代、飛騨の山々から降りてきた人々とここで合流したのかもしれない。
この地が古伊勢湾に囲まれた島であり、列島の東西を結ぶ流通センターの役割を担う海人族の一大拠点となる大湊だったのだろう。
さらに飛騨王朝を守る前線基地という役目もあり、古伊勢湾の入口中央に浮かぶ枇杷島は、やがて城郭都市となって三重の濠を築くほどバリケード化し、この地に侵入する勢力との戦争が激化したことを物語る。




弥生時代後期になると水神ワニ信仰の銅鐸は集落の外れに破棄され、最強だった環濠もすべて埋め戻された。






つまり長い戦いが終わって、束の間の平和が戻ったようだ。
鏡の祭祀に代わり、貝輪も出てくる。
プレ狗奴国だったこの地でも、赤椀の世直しがあったのだ。




倭国大乱の時代=古墳時代に入ると集落の規模は衰退しつつ、ついに終焉のときを迎える。
残党勢力は東之宮古墳のある犬山方面に北上して丹羽氏となったり、中央の大連合に吸収されていったようだ。

纏向からは夥しい土器片が出土するが、最も多いのは尾張系土器であった。
祭祀具としては吉備系のものが多く、邪馬台国連合は纒向を中心にそのまま原ヤマト政権を築いた可能性があり、その中心勢力は吉備や尾張だった。

西はアマテル、東はハヤスサノオが治めてきた土地柄。
まだ伊吹山からこちらは東国で、物部系の美濃一帯は古代出雲の狗奴国だったとみられる。
中央に近い葛城の高尾張邑にいた尾張族が、古伊勢湾に入ってきたのはちょうどこの頃だと思う。
その後、中央にとって最も近くて重要なこの土地に、尾張古図の水辺に沿って古墳が並ぶようになる。




朝日遺跡を調査すれば、歴史教科書を変えてしまう存在。
現在、貝殻山貝塚のみが整備された公園に佇み、あとは復元された住居が一棟。
そこに資料館があり、高速道路で埋め戻された朝日遺跡の出土品は倉庫に山積みとなり、その一部が修復されて展示されていた。








なぜ尾張がヤマト建国に大きく関わったかの謎が、ここに眠ってるとしか思えない。
資料館でいろいろきいてたら、開発を免れた古墳がひとつだけあることを教えてもらい、ここから歩いて行けるというので探してみた。
ジャンクションの柱と下道が交差する隙間のような空間にポツリ、奇跡的に残された緑の膨らみが見えた。




実際は歩道もなく、だれも来ることがない敷地に、なんとか徒歩で柵伝いに侵入し、会ってきました。
ここが貝塚であるという小さな看板があるが、場所的には東の墓域にあるため古墳の可能性が高いという。




遺跡の東と西が墓域で、集落は南と北にあった。
南(太平洋側)の集落にある貝殻山貝塚の南に最初の環濠集落が誕生し、九州の遠賀川式土器を使用する人たちが住み着いた。
同時に、北(内陸側)には環濠を持たず、縄文文化を引き継いだ条痕文土器を使用する人たちが住んだ。
ここに、本格的な稲作がはじまる紀元前6世紀から前方後円墳が出現する3世紀まで1000年近くも存在していた、古代都市が眠っているのだ。










追記:

朝日遺跡の位置関係を、尾張古図に入れて確認してみたら。
遺跡のある島は清須を含む「枇杷島」かと思いましたが、「清須」も島でした。
現在は、江戸時代の人工河川の新川を挟んで、清須の北に五条川が、琵琶島の南に庄内川という3本の河川に囲まれた土地。
新川は、弥生時代にも谷間の海だった。





飛騨高天原の日輪神社と日抱の御魂鎮め([mixi]の過去記事より)
2009年09月28日

太陽信仰の聖地、乗鞍の麓にある丹生川の日輪神社で参拝後、伊太祁曽神社にて古代より伝わる“日抱神事”を体験。






伊太祁曽=日抱尊とは、太陽神の子を抱いた女神。
みんなで輪になって池のまわりを囲み、水面に映りこんだ太陽と一体となる…



mixiコミュのコメントより
http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=2&community_id=3180326&bbs_id=46595491


以下、関連トピック

飛騨の位山と両面宿儺
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=38315287

日抱の御魂鎮め ~飛騨丹生川の伊太木曾神社と乗鞍大神=日抱尊
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3180326&id=70115374


詳しくはこちらをご覧ください。
イワクラ学会の平津さんがとてもわかりやすくまとめられたページです。

謎の古代飛騨国
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/hida/hida.htm



2017年04月06日のツイート 〜環太平洋の北米先住民クワキウトル族の仮面と南御見束の鯨の仮面/冬虫夏草をめぐるチベットの家族を追った辺境写真家に出逢いうちの猫と写真の家族がつながった

2017年04月06日(木) 17 tweets


クワクワカワク(クワキウトル)族の儀式の服と仮面の写真(1914)

Edward Curtis’ Photographs of Kwakwaka’wakw Ceremonial Dress and Masks (ca. 1914)
https://publicdomainreview.org/collections/edward-curtis-photographs-of-kwakwakawakw-ceremonial-costumes-and-masks-ca-1914/

pic.twitter.com/zpMBGzpGpO

posted at 00:39:34


このクワキウトル族の仮面を見たとき、南御見束の鯨の仮面を思い出した。
中に人が入って踊るところも似ている気がしたのだ。

2011年10月09-10日のツイート(2/2) 〜サルタヒコとクジラに会いに鈴鹿の椿さんと四日市の鯨船神事へ
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=10296

pic.twitter.com/HIs1G2OJjI




posted at 01:19:46


2011年02月07-09日のツイート 〜南御見束神社の古式捕鯨と隼人の鯨面
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=55183

南御見束神社の鯨船練り行事【入船】
youtu.be/G8Swpklb1Dw

posted at 01:22:45


あの写真ももしかしたら鯨なのかもと思ったけど、どうやらクワキウトル族の神話に出てくる鳥のようだ。

Ceremonial dancers in mythological bird masks.
神話の鳥マスクをつけた儀式のダンサー。
http://web2.uvcs.uvic.ca/courses/lawdemo/projects/potlatch/mask.htm

posted at 01:29:03


ワタリガラスにシャチの仮面。
やはりクジラの仮面もあるようだ。
見てみたい…

“いろんな動物の中でも、シャチの仮面が一番大きいものだった。クジラの仮面も登場したが、クイーンシャーロット諸島はシャチの故郷の海としても知られている…”
http://y-tomiyama.jugem.jp/?cid=8

pic.twitter.com/YaGCNRwrsC

posted at 01:39:45


辺境写真家 栗田哲男

写真展『虫草 − チベット・極限の標高5000m地帯で冬虫夏草を採る人々 −』

2017年4月6日(木)~4月12日(水)
キャノンギャラリー名古屋にて
https://www.tetsuokurita.com/events2/
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/kurita-tetuo/index.html

pic.twitter.com/AGeKKdfU9m

posted at 21:04:04


承前)“「冬虫夏草」、漢方の高級生薬とされ非常に高値で取引される。その産地はチベットの標高5000m地帯で あり、一年の内、五月初旬からおよそ一ヶ月半しか採取ができない。この時期になるとチベット人は家財道具一式を持って、子供たちも含めて一家全員が山に入 り、テント暮らしをしながら…”

posted at 21:04:52


というわけで、虫草の写真展初日の本日、仕事の昼休みを利用して行ってきました。
場所は、地下鉄伏見駅からつながったキャノンが入ってるオフィスビル1階という便利さでした。

pic.twitter.com/XqKtiLneys

posted at 22:13:22


この写真展、何で知ったかというと、たまたまFBのタイムラインに流れてきて、写真の美しさと「冬虫夏草」という言葉の組み合わせに響くものがあったから。

posted at 22:15:06


難治性口内炎が発症し、猫エイズの可能性を指摘され、バッチフラワーレメディでしのいでいたうちの猫が昨年ガンになり、動物病院で治療せずなんとか生活習慣を見直し、餌を変えたりしながらたどりついたのが「冬虫夏草」でした。

posted at 22:21:07


痩せ細って食べられなくなった猫に投与しはじめたら、腫瘍は3ヶ月くらいで小さくなって瘡蓋となり、その効果を思い知らされました。
それでもすべてが完治するわけでなく、どこかが調子悪くなる。
だからCBDオイルも試したり。
とにかく口のきけない動物は、効果がわかりやすい。

posted at 22:21:45


そんな中、先週は日本で唯一公式にCBDオイルをつくってる方に出会ったり。
と、前置きがかなり長くなりましたが、わが家で冬虫夏草はなくてはならないものとなりながら、その粉末の元がどんなもので、どんな人たちが採取しているのかめちゃめちゃ知りたくなったのだ。

posted at 22:22:15


そんな感じでギャラリーに足を踏み入れると、もう一気にチベットの辺境の地へ連れて行かれました。

pic.twitter.com/YnbI6Fz9M2

posted at 22:27:26


もちろん写真はとてもよかったし、冬草の採取に同行し1ヶ月半のキャンプ生活を共にしたという、2つの家族が壮大 な大自然の中でドラマを繰り広げる、ものすごいスケールの空間の広がりと季節が入れ替わり子供が成長する時間軸がこの1ヶ月半に凝縮された感じの、強烈な 何かが伝わってきました。

pic.twitter.com/68lMv64yFu

posted at 22:29:38


幸い作家の栗田さんが在廊されていたので、見終わってからいろいろとお話することができました。
写真だけではわからない謎の虫草の詳しい説明もしていただき、野菜の生産者がわかったときのような嬉しさのような、自然の神秘と人々の豊かな暮らしを伝えきくことができ、感謝です。

pic.twitter.com/7oxeVS8eb2

posted at 22:31:46


そして、入口にも書いてあるように写真撮影はOKだったので、そのすばらしい写真展の一部をご覧いただきたいと思います。
ネットで何でも観たり聴いたりできる時代ですが、いい映画はテレビじゃなく銀幕で観るように、ぜひギャラリーへも足を運んで、映像のような写真を生で観てきてください。

pic.twitter.com/PIg5S3RstB



posted at 22:33:26


栗田哲男 写真展『虫草 − チベット・極限の標高5000m地帯で冬虫夏草を採る人々 −』
キャノンギャラリー名古屋にて
https://twitter.com/fuhgetsu/status/849955867533299713

pic.twitter.com/w54u5pV2aa

posted at 22:33:54




2017年03月12日のツイート 〜銀色の翅に4つの紋をもつカミの遣い

2017年03月12日(日) 4 tweets


311の直前に訪れた縄文聖地にて。
悠久のはるかなるときを超えて祈る。

2011年03月06-08日のツイート 〜東三河の縄文聖地で穂の国巡礼の祈り/磐座だらけの本宮山とピラミッドの石巻山からアラハバキやダイダラボッチに犬頭と菟頭
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=62895

pic.twitter.com/yf06PrD48s

posted at 02:52:35


おわりのはじまり。
石巻山では“むすび”とか“統合”というメッセージを受け、このままでは原発が事故するという予感がしていた矢先…

2011年03月09-15日のツイート 〜311前後の7日間(@Mentionを含む全ツイート記録)
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=62896

pic.twitter.com/HSyjUK1Fmr

posted at 04:17:31

 

不思議だけど、ものの5分車を停めて駐車場に戻ってきたら、運転席側の窓にかわった蝶々がとまってた。

pic.twitter.com/zpUhqrQrpd

posted at 13:33:33


スマホで写真撮ってたら、近づいたわたしの手に飛び乗ってきた。
メッセージだね、きっと!

pic.twitter.com/tPOTQYcsjn

posted at 13:33:59




美濃と諏訪をむすぶ南宮とは
美濃尾張の仕組みの意味がぼんやりとしてますが、その答えというか、その大本が諏訪にあることが、今回の旅で得た直感です。
わたしのいる場所が美濃尾張。
美濃一宮の南宮大社。
では、なぜここが南宮なのか。






諏訪大社が【南宮の本山】で、南宮大社が【南宮の中宮】、広田神社が【南宮の稚児宮】と神楽に謡われてきたことを知っても、なんだかしっくりこないでいた。
下諏訪にご縁をいただき、たまたま通りかかった場所しか知らないけれど、諏訪湖の北にある下諏訪こそ“南宮”なんじゃないかと思いはじめた。
今回わたしが氏子さんに混ぜてもらったのは、下社春宮の西堀区。
早朝6時前に集合したのが、西堀八幡社のある西堀区公会所。
帰ってから調べてみると、その境内に南宮神社が合祀されていた。
近くの諏訪湖畔に旧鎮座地あり、その一帯には南宮の地名が残ってる。
だから美濃からわたしが来たのか。
だとしたら、東西南北の南にこだわらず、素直にタケ+ミナカタの南方からきていると考えれば、糸魚川経由のアズミ族が南方=南宮を名乗ったのではないかと思えてきた。
では、美濃の南宮もタケミナカタかといえば、美濃一円に広がる南宮神社は飛騨金山までつづいて、やはりカナヤマヒコを祀っている。
南宮神社が広がる北限が諏訪であり、富士山が東限。
そこまで重なるように金山神社があり、さらに関東までのびている。
しかし、諏訪の南宮はタケミナカタである。
美濃一宮は仲山金山彦神社だったのが、昭和も過ぎた戦後に南宮大社となった。
だから、周辺の中山神社も分社でカナヤマヒコを祀る。
昔から南宮と呼ばれていたのも事実で、平安時代には「美濃の南宮、奥州の北宮、下野の東宮、摂津の西宮」と東西南北の宮として重要視されていた。
南宮という言葉の意味が、それぞれの時代や土地で入り交じってしまったのが原因と思われ、南宮のひとことで同列に扱わないようにすることも大切となる。
タケミナカタは古事記のみ、日本書紀には出てこない。
先住の神を征服するために創られた神の名であり、アズミ族こそタケミナカタのことだった可能性がある。
九州のアズミ族が出雲にまで勢力を拡大し、糸魚川から穂高の安曇野に遷ったことと、出雲国譲りでタケミナカタが信州へ逃げたことは重なる。
しかし、南宮は太平洋側の南からきたとも考えられる。
下社はタケミナカタノオオカミを祀る大祝、上社は神長官守矢氏が統括。
諏訪大社で一番古いとされる上社前宮がミチャグチを祀る先住神で、表向きには上社本宮でタケミナカタを祀ってきたことを考えると、そこには古代イスラエルの流れも感じる。
諏訪大社の元宮と呼ばれる、多祁御奈刀弥神社が四国にあるのだ。
その延長の九州南部に南方神社もあり、諏訪大明神社と呼ばれていた。
これはまさに古代イスラエルであり、阿多隼人=アズミ族=宗像(ムナカタ)=南方(ミナカタ)のルートである。


https://twitter.com/fuhgetsu/status/720297469104365569


美濃一宮の南宮大社にカナヤマヒコを祀るようになった大和朝廷以前から、この地は隼人族の勢力下にあり同じ海人族の尾張氏とも隣り合わせで仲良く共存していた。
その意味でも、アズミであり隼人であるタケミナカタが南方=南宮であった。
そうした痕跡が、全国にみる南宮の所以となっているようだ。



2016年04月14日のツイート より抜粋



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