えーさん日記 

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岐阜羽島に住んでいます。
12年前に定年退職してサンデー毎日の年金生活者です。
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<地球スケッチ紀行 146> 2015年 1月 15日号

川田 きし江様 画家から

 

 

<地球スケッチ紀行 146> 2015年 1月 15日号

 

 

僧侶の托鉢と庶民の喜捨で始まるラオスの一日            ルアンパバーン • ラ オ ス

 

 

ラオスは、中国、ミヤンマー,タイ、カンボジア、ベトナムの五カ国に国境を接し、日本の本州ほどの広さを持つ海のない内陸の国。

 

 

ラオス北部は国土の70%が、1000〜2000Mの峰が連なる山岳地帯で、山あいの村では少数民族(モン族、ヤオ族、アカ族など)が、独自の文化を継承し、今日に伝えている。

 

 

メコン川に注ぎ込むナム•ウー川を小さな舟で遡る。この川は、中国国境を始点とし、ルアンパバーンでメコン川に合流する449KMを流れるラオス最大の支流である。人口数万のこの町は、16C、ビエンチャンに都を遷すまでラオスの首都であった。山がちで、交通の便がないことで、ランサン(百万頭の象の意)時代やフランス植民地時代の面影が残っている。

 

 

毎朝、暗いうちから僧侶の托鉢が行われている。僧侶の行列に始まり、少年僧も続く。この国の男児は一度は出家僧になるのだ。東南アジアで行われている『徳を積むこと』、生前中に善徳を積めば積むほど死後の世界が救われるという生前善行の教えが信じられている。僧侶を大切にして、人々は僧侶に供物をすることが繰り返されてきた。何百年も昔から行われている夜明け前から行われている托鉢という儀式は、僧侶と庶民との喜捨という神聖な行為である。

 

 

信者たちは、盆に供物の果物やカオニャオ(餅米)やバナナや竹の葉に包まれた蒸し鶏や、お菓子、お金など、布施する物を用意し、道に出て僧侶を待つ。

 

 

僧侶が喜捨を求めて町を素足で列をなして練り歩く。人々が仏教への帰依を表す行為であった。オレンジ色の僧衣を着て托鉢用の器を各自肩からかけ、女性信者は立ち膝、男性は立って目の前を通り過ぎていく一人一人の僧侶に供物を寄進する大切な時間であった。

 

 

道ばたでの僧侶の読経が聞こえる。

 

 

明るさが増し、静かに一日が始まっていく。。。。。

 

 

 

 

 

原 薫さん 【木曽は山の中新聞 】から 《枠人記 ー 其ノ六 ー 》柴原秀満(林業家:岐阜)

原 薫さん 【木曽は山の中新聞 】から 《枠人記 ー 其ノ六 ー 》柴原秀満(林業家:岐阜)

 

柴原 薫さん 【木曽は山の中新聞 】から

 

有名ではありませんが、ちょっと粋な人を人を特集したいと日本たばこアメックス(株)の蒲地光社長が父を取材に弊社に来られました。

 

 

「粋」という言葉はもったいないです。

 

 

一途に、愚直に生きている「日本一の山バカ」ですが、私の最も誇りにしている父です。2月15日には82歳になります。

 

 

心より先祖に感謝しつつ、また、蒲地社長をご紹介していただいた大理石彫刻家武藤順九氏に心より御礼申し上げます。

 

 

以下、取材記事です。6章ございますので、3週に分けてご紹介いたします。

 

 

ーーーーーーー

 

 

《枠人記 ー 其ノ六 ー 》柴原秀満(林業家:岐阜)

 

 

木曽に生まれ、山の中で育ち、木の事だけを考える。80歳を超えたいまでも、若いときと同じように木に登り、枝を打つ。材木の伐採、搬出、製材、建築、小売りまで、木に関わるあらゆる仕事に携わり、木とともに生きてきた柴原秀満氏。自らを「日本一の山のバカ」と語る柴原さんはいま木を伐ることを後進に譲り、その身一つで日本各地の山を育てている。誰も顧みることなく、荒れ放題になった山が、柴原さんの元に集まってきている。いま日本の山が抱かえている問題は何なのか。そして彼をそれほどまでに山に惹き付けるものは何か。柴原さんの半生とともに、木と山の声を聞いた。

 

 

*   *   *   *

 

 

「山の叫びが聴こえる」第1章 〜良い山は一目でわかる〜

 

 

-なぜ林業という仕事を始めたのでしょうか。

 

 

小さな頃から親父の仕事で山についてってね。親父は山に無関心でしたが、私はずっと好きだった。「好きこそ物の上手なれ」でね、好きという事がいちばん大事ですよ。いまは会社を息子たちに任せて、山ばかり行っています。日本全国に何十カ所と、私が世話をしている山がある。一番遠いところで静岡県の沼津市。愛鷹山(あしたかやま)の南側斜面に120ヘクタール(36万坪)持っている。富士山を背にして、眼前には茶畑が広がっていて、東名高速、新幹線東海道線が東西に走っていて、向こうには駿河湾、左手奥の方には伊豆半島が見える。もうこの山に惚れ込んでしまってねえ、すぐ買おうと決めた。

 

 

-妻籠から沼津まで、通うのが大変ですよね。

 

 

妻籠から沼津までトラックで5時間、荷物を積んでいくと5時間半、最初に小屋を作って、その中で若い衆と生活しながらね。風呂桶を持っていって、簡易トイレをつくって、大きな水のタンクを置いて生活できるようにした。飯場(はんば)小屋みたいなものだね。ここで生活しながら、木に絡み付いた蔓を切る作業を約1年、一本一本手入れをしていった。もう何万本も。するとね、木がみるみる元気になって、喜ぶんですよ。そして枝打ちをすると光が入って立派な木になる。手入れしないと木は成長が止まってしまうんですよ。いま現在で樹齢150年くらいの木もある。これから将来、何百年、何千年とさらに育っていく。これはまずいことですよ、もう自分のものではなく、日本という国の資産だね。

 

 

-どのくらいの頻度で山に入っていらっしゃるのですか?

 

 

雨さえ降らなければ、ほぼ毎日。山に行かないと調子が狂うんだね。国道を車で通るときも、無意識で山を見てしまう。一目見るだけで良い山と悪い山がわかるよ。手入れされている山は生えている木が違う。悪い山は蔓だらけで木の悲鳴が聞こえてくるんだ。いま世話をしている面積を全部まとめると約460ヘクタール、場所も境界もすべて頭に入っている。それを私1人で見ているんだから、本当にバカだね。

 

 

*   *   *   *

 

 

「山の叫びが聴こえる」第1章 〜行商で山を歩き回った少年時代〜

 

 

-どのような少年時代をお過ごしになったのでしょうか?

 

 

小さい頃は随分歩きました。当時はちょうど戦時中で、木曽の山奥には田畑が少なくて食うものがなかった。配給も足りない。そこで小学生だった私が買い出しの仕事をするようになったんですよ。小学校でまともに勉強していたのは4年生まで、5年生になった昭和18年頃には家族が食べるための食糧をもとめて、山を越えて行商に行った。地元では、ひのき笠とか桶類とかを専門につくっている方は大勢いましたから、それを背負って。とにかく食べるのに苦労して、その時の経験が仕事に活きているのかもしれない。-どのくらいの距離を歩いていらっしゃったのですか?

 

 

妻籠から飯田市まで40キロくらい、往復80キロを2日がかりで歩いていました。農家の家を見つけては飛び込んで回ったけど、断られるほうが多かったね。うまくいけば、担いできた木工製品と物々交換してもらって、食べ物をいただく。戦後、昭和21年頃には汽車に乗って新潟にも行くようになった。汽車の中は人で満杯で、屋根の上に乗っていった事もある。なにしろね、屋根の上に乗っていると機関車は吐き出す石炭の煙でむせちゃってどうしようもなかったけど、我慢してね。降りる頃にはもう体中が真っ黒だった。あるときはおまわりさんが汽車の便所の窓から押し入れてくれてね。その便所が汚くて、うんちまみれになってね。食べることに対して苦労しましたね。

 

 

板垣 英憲 先生 時事講演会のお知らせ

板垣 英憲 先生 時事講演会のお知らせ

 

◆ 日時   平成27年2月15日  午後2時から

◆ 場所   名鉄トヨタホテル
         豊田市駅前 0586-35-6611

◆ 参加費  無料

 

◆ 講師   板垣 英憲 先生
         

◆ 演題   「マスコミに出ない政治経済の裏話」

 

◆ 連絡先   私にメッセージをください。

 

◆ 主催   高木 利誌様  
          高木特殊工業株式会社 会長

 

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

  http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken

 

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高木 利誌様は毎回数十万円 自腹を切っておられます。

とても内容の濃い講演会ですよ。普通なら5000円くらいの会費がいるところです。