旅の途上

プロフィール
akira esさん
「きっと、人はいつも、 それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」
-星野道夫『長い旅の途上』-


長良川がきっかけで京都から郡上へ来て、長良川に携わる仕事をして15年。

好きなことばっかりしているくせに、まだまだ自分の光を捜し求める38歳。

美並町在住。


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TV撮影
仕事柄?結構TV撮影に関わります。年に3~5本ほど。
自慢っぽくなりますが、東海のローカルには全て出たことがあります。

基本的にはカメラを回された状態で話すのは苦手です。
インタビューとかあるとディレクターに必ず「水口さん、顔が固いです」と突っ込まれます。
ので、近年は若い衆に任せています。

今回はタレントの水野裕子さんっていう人と浅草キッドの玉袋筋太郎さんが来てました。

玉袋さん面白いですね。芸人さんも何人かかかわったことあるけど(雨上がり決死隊とか)、基本的にカメラが回っていないときはおとなしい人が多いんです。
この人は撮影以外でもずっと笑えることばっかり言って周りを笑わせていました。


5/2のぴーかんテレビという番組内でオンエア予定ですので、よければ見てください。

僕は最後にチラっと映ってるかも。

現地の状況報告です
先週の4日~8日まで、宮城県の被災地に行ってきました。

石巻から南三陸町周辺の被災者の方たちを避難所から内陸部で営業している温泉施設までマイクロバスで送迎するというのが僕たちの仕事でした。

避難所にいらっしゃる方々は、家はもちろん車まで流されている方がほとんどですので、移動手段を持っていらっしゃいません。
自衛隊が簡易の入浴設備を作っている避難所もあるのですが、規模の小さい避難所までは廻ってこないため、震災以降、一度もお風呂に入っていないという方も少なくありません。特にお年寄りの方には非常に喜んでいただけました。他にも、買い出しの為の送迎をしたり、他には、サッカー全日本の元監督、岡田さんによるサッカー教室の送迎というのもありました。



安定してきたとはいえ、現地の状況はまだまだ厳しいです。場所にもよりけりですが、避難所の食事は炊き出しによる質素なものかカップラーメン、レトルト食品。そして、常に余震におびえながらの生活です。

僕が帰ってくる前日の7日夜には震度6強の余震がありました。夜の12時前でしたが、全員いったん建物の外に避難。寒い中を余震が収まるまで待っていました。沿岸部の方は高台までみんなで走ったということでした。
教室の床に雑魚寝しながら余震でたたき起こされる生活に、子供たちも、お年寄りもみんな疲れています。

さらにはその余震の影響でせっかく復旧した水道と電気がストップ。ライフラインが復活して生活が安定してきたと思った瞬間にまた振り出しに戻る感覚です。

みんな心が折れそうになりながら、それでも前向きに、前向きに生活しています。


昨日からうちのスタッフがまたマイクロバスを持って現地入りしています。GW明けには僕も再度炊き出しで入ろうと思っています。

現地入りすることがベストな方法だとは思っていません。やはりリスクもありますから。
でも、今は一般の人よりも自分たちみたいなフットワークと頭くて、どこでも寝れる人種(笑)が動かなければいけない時期だと思っているんです。

自分たちもずっと支援し続けるわけにはいかないし、最終的にはやはり地元の人たちの手で復興しないといけないと思ってます。
自分たちはそのサポートをするだけ、というかそれしかできないと思ってます。

岩手の人が作った“前よりもいい町にしてやる”というキャッチフレーズのポスターを見て涙が出そうになりました。そして、「そうだ、そうだ!」と心の中で思っています。


“勝手に広告 | 012: 岩手からのポスター”

">http://t.co/x1kVeOH


 移動途中に見えた三陸海岸は、それはそれは綺麗な場所でした。本当はこういう形ではなく、遊びに来たかった。

神戸の時もそうだったけど、「遊びに来てよ」といえる状況がひとつの復興の目安だと思います。
いつになるかわかりません。でも、宮城で“牛タン&海鮮キャンプ”ができるその日まで何らかの形で支援は続けて行こうと思ってます。






 



やっぱり傍観者ではいられないので・・・
動いています。東北大震災復興支援。

先日も物資を募集し、昨日、一宮の中継点に運んだばかりですが、早速再度救援物資の募集です。


本日、我々のような自然体験を提供する業者が集まってできた組織から協力依頼が来ましたので、協力させていただくことにしました。
もうすでに現地に拠点となるボランティアセンターができており、現地で必要なものを直接聞いて集め始めています。
物資の送り先は宮城県登米(とめ)市東和町の鱒淵小学校という避難所となります。

 

被災地のニーズは日々異なってきています。また、全国から物資が多数集まっているものの、人出が無くて仕分けができずに倉庫等で眠ったままになっているという話も出てきています。前回アースで集めたものも、仕分け作業に男4人で半日かかりました。
そういったことを鑑み、今回の募集は被災者の方々の直接のニーズ、配る側のスタッフのニーズに応えるため、より具体的になっています。

 

【物資の募集内容】

“支援パックを作ってください”


1.「乳幼児用セット」
==必須品(数と内容は揃わなくても可)・おむつ(新生児用 or sサイズ)1袋
・お尻ふき 1箱・離乳食 5食・粉ミルク 2缶・タオル 5枚・トイレットペーパー 2つ
・下着/靴下 各3つ=
=以下はなくてもOKです。
・缶詰 3つ・乳幼児用おもちゃ 1つ・大人用雑誌 1つ・哺乳瓶 1つ
・手紙(励ましの言葉をお願いします)

.
2.「子供用セット」(数と内容は揃わなくても可)==必須品・離乳食 10食・おむつ(Mサイズ or Lサイズ)1袋
・おやつ 3袋 腐らないもの・お尻ふき 1箱・下着/靴下 各3つ・トイレットペーパー 2つ・タオル 5枚=
=以下はなくてもOKです。・缶詰 3つ・子供用おもちゃ 1つ
・大人用雑誌 1つ、親父のためにタバコやお酒もあってもいいと思います。
・手紙(励ましの言葉をお願いします)


3.「年寄り用セット」(数と内容は揃わなくても可)==必須品・お年寄りの食べやすいもの
 5食・おむつ(大人用)1袋・お尻ふき 1袋・下着/靴下 3つ・トイレットペーパー 2つ
・タオル 5つ==以下はなくてもOKです・缶詰 3つ、おじいちゃんのためにタバコやお酒もあってもいいと思います。
・手紙(励ましの言葉をお願いします)



今回の募集内容につきまして、パッケージを作るには購入しなければならないものも出るかと思いますので、協力していただく方にとっては金銭的な負担となるはずです。決して無理はなさらないようお願いいたします。

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現地では私たちの子供と同じぐらいの子供がオムツが替えられずに困っています。私たちの祖父や祖母と同じくらいのお年寄りが1週間も同じ下着のままです。
自分の子供や親せき、そして祖父母のことをイメージしていただけると幸いです。そして、手紙は必ずお入れください。前回のメッセージと同様、あなたからの直接の言葉が、被災者の方々の勇気となります。

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送り先につきまして、今回はアースではなく、以下にお願いします。*26日(土)必着

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〒501-4107 岐阜県郡上市美並町大原2290-1リバーベース長良川 TEL0575-79-9038

郵送の際は段ボールに入れて、 「乳幼児セット」「子供用セット」「お年寄り用セット」と  書いておいてください。

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もし、わかりにくいことがありましたら、水口までお問い合わせください。今回も募集期間が短くて大変申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

アースシップ 水口晶
水口携帯 090-5039-8411




【ひとりごと】

久しぶりのブログ更新がこういう内容になるとは・・・。
仙台の友人とメールをやり取りしていますが、やはり阪神大震災の時とはまた違った被災状況のようですね。
早く現地に行けるよう、今調整中です。

心配。
NZのクライストチャーチ付近で大きな地震があったみたい。

シンボルともいえる教会も崩壊してた。

1度目はバックパッカーとして、2度目は新婚旅行で訪れた思い出の多い場所。

地震は一瞬にして多くのものを奪う。


何人かいる知り合いの安否も気になるし。
こういう時に何もできないことほどもどかしいことはない。




一人でも多くの人が無事であることを願います。
病人扱い

「1日15本、起きてから30分以内に1本、で、約20年間継続っと。数値が・・・」


カルテからふと顔をあげて一言。


「うん、完全な依存症ですね。」


何?依存症?


「これから頑張って直していきましょうね。しばらく通ってもらいますよ」


なんだ?この扱いは一体何なんだ?完全に病人やん。


俺、自慢じゃないけど、高校生の時、手の甲にひびがはいって以来、まともに病院にかかったことない。肩が痛くて接骨院にいったのと、あとは健康診断くらい。
それが通院ってどういうこと?


病院で処方してもらった薬は禁煙に効果ありと聞き、薬だけ貰おうと気楽に行った禁煙外来。

「喫煙者はある意味病人なんですよ」
診てくれた院長が放ったこの一言にショックを受けた。





今日で丁度2週間。


貰った薬は効果がよくわからない。正直メッチャ吸いたい。でも、病人扱いされるのが悔しいので止めてます。










念願
7年ほど前に美並でカフェをやっていたことがある。

ニュージーランドから帰ってきたばかりというスタッフに渡された1枚のCD。

「え~っ!知らないんですか。海外ではメチャクチャ流行ってますよ!」

なんだか馬鹿にされたみたいだったので、そのまま聴かずに返そうかとも思ったが、アコースティックな雰囲気を漂わせたジャケットが気になって店でかけてみた。




聴いたことがないはずなのに、なんだか無性に懐かしい。それが第1印象。


軽いテンポと、聴いているだけで肩の力が抜けるような独特な歌声が、暇だった店のシチュエーションに妙にマッチしていた。

他のスタッフが「もう飽きた」と行っても毎日1回は流していたな。
もちろんあれから出たアルバムは全部買ってる。



念願が叶うのは3月。楽しみです。
誰か教えてくださ~い!


“植林せず広葉樹を再生”

2011年2月1日 asahi.comの記事より
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林野庁関東森林管理局は31日、みなかみ町の国有林の管理手法として、植林に頼らず、自然の回復力に期待して天然林をつくる計画をまとめた。2千ヘクタール(東京ディズニーランドの約40倍)という規模。自然保護の専門家、地元住民らと連携した計画で、全国でも珍しい取り組みだ。(木村浩之)

 管理局は2004年から、財団法人・日本自然保護協会と赤谷プロジェクト地域協議会の3者で、みなかみ町の利根川支流の赤谷川周辺で治山ダムを撤去し、自然の渓流を復元するといった「赤谷プロジェクト」を進めている。今回策定した計画も、プロジェクトの一環だ。

 協議会は、みなかみ町の旧新治村地域の住民ら約60人でつくる。1980年代にスキー場建設やダム計画があったが、経済状況や水源の保全を求める地元の反対などから00年に中止に。その後、水源保全の市民団体を母体に協議会ができた。

 対象の国有林は「赤谷の森」と呼ばれ、約1万ヘクタール。スギ、ヒノキ、カラマツからなる人工林のうち900ヘクタールは採算性があるとして残す。一方、2千ヘクタールをブナ、コナラ、ミズナラなど広葉樹が中心の本来の姿に戻るよう「誘導」する。

 間伐したうえで、風や動物のふんなどで種子が運ばれ、土壌に根づくという自然回復を待つ。大規模な森林で、植林ではなく、自然の力を利用した復元は全国でも珍しいという。日本自然保護協会の横山隆一理事は「(復元までに)50年以上はかかるだろう」とみる。

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これ、個人的にはすごく良い手法に思えるのですが、あくまでも素人の感覚です。
この手法で森林再生を進めた時に起こりうる弊害なんかはあるのでしょうか。

誰か教えてくださ~い!

告白
近所の喫茶店、そこにいる3歳の男の子Wとの会話。

自分:「Wって今何歳になるんやっけ?」

W:「さんさい」

自分:「そうか、もう保育園いってんの?」

W:「うん」

自分「保育園楽しいか?」

W:「うん、ハルちゃんっていう子が好き」

自分:「何!もう好きな女の子ができたんか?」

W:「うん、ハルちゃんかわいいよ」

W:「そうか、お前、おませさんやなぁ。ちなみに、おっちゃ
んの子供もハルちゃんって言うんやぞぉ」


Wの母:「Wが言ってるの、あんたの娘のことやて」


自分:「・・・・・





「そうかぁ!仲良く遊んでやってな」
と明るく言えなかった自分は大人気ないのでしょうか、それとも父親失格でしょうか・・・・・。




ちなみに、うちの娘はまだ1歳です。
タビノハジマリ 最終章

「もしよかったら、春からこっちに来て手伝ってみんか?」


店長の口から出たのは思いもしない言葉だった。

聞けば、アウトドアショップが物販だけでは成り立たないので、キャンプやカヌー教室などのツアー部門を拡張したい。その為には店長だけではだめで、サポートができる人間を探しているのだという。


そんな話、俺が行っているときにはしてなかったやん。言いながら僕の顔はにやけていた。


「ちょっと考えさせてください。親とも相談したいんで」


親に相談する気なんてこれっぽっちも無かった。すぐに返事しなかったのは、たぶん、嬉しさをかみしめる時間がほしかったんだ。

それまでに1度だけあった、好きだった人に告白された時の気持ちに似ていた。




郡上での新しい生活。いろんなことを妄想した。

キャンプ、釣り、カヌー、山菜採り、Be-PalやOUTDOOR(現在廃刊)といった雑誌の世界が丸ごとそこにある。

ログハウスもいいな。

恩田さんに教えてもらったサツキマスもいつか釣ってみたい。

いずれはOUTDOORの学校を作るのもいい。そしたら、教員になるっていうもうひとつの妄想もセットで叶えられる。


頭の中は青空がある郡上の風景と、そこにあるだろう様々な楽しさで満たされていた。





「俺、春から郡上に行くわ」 親にはやはり相談ではなく、宣言だった。

「そら良かった。公務員とか会社員やってるよりよっぽどええわ」
公務員と会社員の両親は矛盾している言葉で後押ししてくれた。


「お前、マジで?それって生活していけんの?」
周りの友人には全然理解してもらえなかった。けど、今度は心から羨ましそうだった。

 

迷い?全く無かった。郡上という場所も、そこに住む人も好きだったから。
不安?最初に住むことになった借家が古くて、そこにある仏壇の部屋が怖かったことぐらい。

 

 

 

 

今から15年前の1996年。

郡上で都会よりも少し遅い桜が咲く頃、僕はアウトドアショップで不似合いなエプロンを付けた店員になっていた。

 

 


終わり

 

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あぁ~、やっと終わったぁ!

全て読んでいただいた奇特な方(!?)。こんな200%自己満足的ノンフィクションにお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

書かなきゃと思いながらなかなか始めることのできなかったムスブログ。
自己紹介がてらと思って始めたものの、途中から「なんでこんな書き方したんやろ」と後悔の連続(笑)。


最初は郡上にそんなに長くいるつもりは全然なかったんです。
アウトドアのことには興味があったけど、スキルとして身につけておけば使えるぐらいにしか考えていなかったし、
しばらくしたら北海道や沖縄、そしてもちろん海外にもにも行ってみたいと思ってました。
知らず知らずのうちに15年。結婚して、子供もできてすっかりとオッサンになってしまいました。

郡上に来てから今のアースシップを立ち上げるまでにもかなり紆余曲折があって笑えるんですけど、このまま続けると寝不足でエライことになるので、機会を見て書くことにします。

次回からは普通の、ごく普通の記事になりますのであしからず。
また、夏には極端に記事を書く頻度がさらに下がると思います。そちらもあしからず。


とにかく、ムスブログ開始しました。皆さん今後ともよろしくお願いします!!

 


 

タビノハジマリ Vol.4

「お兄ちゃん、今頃下ってきたん?それ、ファルトボートやろ?」


ひげ面にメガネ。年は35ぐらいか。車の荷台には大きなハスキー犬。なんだかおかしな人だと思った。


「美濃加茂まで行きたいんですけど」という僕の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、運転手は矢継ぎ早に質問を浴びせた。


「どこから下ったん?」

「どこまで行くつもりやったん?」

「キャンプもこの辺でしてたん?」


一通り質問を終えると「ふ~ん・・・」と考え出し、

 

「よっしゃ、とりあえず俺の店行こ」と言いだした。


全く状況がつかめなかったが、悪い人ではないと思ったのでそのまま乗せてもらうことにした。
拾ってもらった場所から『俺の店』までは5分もかからなかった。


そこにはOUT DOOR SHOPと書かれた看板。入り口には何艇かのカヌーが無造作に転がっていた。

 

店には1人の女性がいた。奥さんらしい。

「はじめまして、よろしくお願いします。」

「どーも」

かなり不愛想。怒ってんのか?


とりあえず出されたコーヒーを飲み、髭のおじさんと話し込んだ。

キャンプの話、カヌーの話。お店の話、野田知祐の話。

髭のおじさんは兵庫県出身で、僕と同じようにこの辺をキャンプしながらウロウロしているうちにこのお店のオーナーに拾ってもらい、
そのまま雇われ店長として働くために奥さんを連れて郡上に来たということ。

僕のやろうとしたことがどれだけ無謀だったかということ。

郡上がどれだけいいところかっていうこと。

長良川のこと。

河口堰のこと。

明日は郡上の仲間と一緒に長良川河口堰で行われる集会に参加すること。

飼っていたハスキーが脱走して、保健所に受け取りに行った帰りに僕を拾ったこと。

奥さんは怒っているんじゃなくて、極度な人見知りだってこと。

おじさんだと思っていたら実はまだ20代だったってこと。

 

次の日には河口堰の前で大規模なカヌーデモが開催されるということは僕も知っていた。
無理だとは思っていたけど、郡上から下ってそこに参加することができればという妄想は持っていた。
妄想を話した途端、「アホか」 やはり一蹴された。


「俺ら郡上のメンバーと一緒に行くつもりしてるから、一緒に行こ。今晩泊まっていき」


胸が高鳴った。

だってそこにはあの野田知祐氏も参加することになっていたから。


店長と話し込んでいる間に、いろんな人が店に出入りした。

「また変な奴が来たなあ~。ここはええ所やろう」

「就職決まってないならとりあえず郡上に来い。仕事と住むところは世話してやる。」

「都会なんて面白くないやろ。郡上に来い。面白いことがいっぱいあるぞ」

 

なんだ、なんだ?なんでこの人たちみんな初対面の俺になれなれしいんだ?

なんで見ず知らずの人間に「来い」なんて言えるんだ?

なんでみんな地元の自慢ばっかりしてんだ?


ゼミのフィールドワークで川を中心にいくつかの地方を周っていた。
聞き取り調査すると、誰もが「昔は良かった・・・」を繰り返した。
「ここに来い」なんて誘われたことも無かった。
父親の実家だって京都の郊外にある似たような田舎。
でも、若い人はみんな町に出るのが当たり前だ。


この人たちは“昔”じゃなくて“今”が良いって言ってる。
自分の住んでいる場所が良いって言ってる。

 

何ここ。     おもしろいやん。

 

その夜は店長に紹介された、これまた初対面の方の家に泊めてもらい、翌日は車に乗せてもらって河口堰反対運動の集会とカヌーデモに参加した。

会場で野田氏の姿も見かけたが、彼は当時業界では神のような存在で常に多くの人に囲まれていた。デモの時に写真を一緒に撮ってもらうのが精いっぱいだった。






 

それからも、卒論の調査と称しては郡上に通った。実際には調査よりも、店で店長や出入りする人と話してることの方が多かった。
郡上という場所にも惹かれたし、なによりも自分の日常とはかけ離れた場所に知り合いがいるということが嬉しかったんだ。

 

 


卒業も押し迫った2月。

相変わらず就職は決めていなかった。親にも周りにも、2,3年はバイトしながら海外をうろついて、そのあと教職員採用試験を受けると宣言していた。

うちの家族は基本放任主義。自分で決めるならそれでいいと特に突っ込まれなかった。ゼミの先生は「もったいない」を繰り返し、大学院行きを勧めてくれた。
周りは当然就職が決まっていて、「お前がうらやましい」なんて言ってたけど、多分本心じゃなかっただろうな。

郡上での経験の後、いろんな人と出会えることができて、就職することだけが選択肢じゃないという気持ちは持てた。
もっともっと、いろんな場所に行って、いろんな人に会って、いろんなことを経験したい。そう思っていた。

ただ、具体的な行き場所、そして居場所の見えない不安はずっとあった。

 


そんなとき、店長から1本の電話がかかってきた。

 

 

 


最終章につづく・・・・

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